018-1 寄生母体殲滅作戦(前)
今からおよそ半年前――魔物化したドロセアを引き取ったマヴェリカは、すぐに別の拠点へと移動した。
マヴェリカは誰かに居場所を知られることを以前から強く警戒していたようで、すぐに移り住めるような家を何軒も持っていたらしい。
新たな拠点も例のごとく山の麓、森の中。
普通なら誰も寄り付かない場所にあった。
マヴェリカはそこで寝ずにドロセアの治療を行った。
幸いなことに、魔物から人間へ戻す方法はすでにわかっている。
加えて、治療対象は手元にあるデータと同一人物――マヴェリカはシールドの専門家ではないため時間はかかるだろう、しかし確実に完治は可能だ。
その確信があったからこそ、彼女は四ヶ月もの間、一時たりとも手を止めずに作業を続けられたのだろう。
とはいえやはり大変ではあったようで、ドロセアが人間としての意識を取り戻し、『師匠?』と名前を呼んだときマヴェリカはボロボロと涙を流した。
恥ずかしい気持ちはあったが、それ以上にドロセアが戻れたことが嬉しくて嬉しくて、子供みたいに声をあげて泣いた。
ドロセアも師匠のそんな姿を見て涙ぐんだ。
◇◇◇
ドロセアが意識を取り戻してからは、人間の体に戻るのはあっという間だった。
いくら魔女といえどシールドの専門家には敵わないということか――繊細で精密にシールドを操るドロセアを見て、マヴェリカは師匠ながら少しすねていたとかなんとか。
五体満足に戻ったのならば、もちろんすぐに修行が始まる。
ジンやテニュスを助けるためとはいえ、大幅なタイムロスが発生してしまった。
こうしている間もリージェは苦しんでいる。
ドロセアは以前よりも遥かに厳しい鍛錬を望み、マヴェリカもそれに応えた。
◇◇◇
それから二ヶ月が経った。
マヴェリカも驚くほどのスピードで成長していくドロセア。
その日も早朝に目覚め、師匠と二人で朝食を採ったらさっそく魔術の訓練だ――そう思い、部屋を出た。
いつもならさらに早く起きたマヴェリカが朝食を作って待っている頃だ。
『弟子なんですから自分に任せてほしいです』
とドロセアは言ったのだが、
『最近のドロセアは頑張り過ぎなぐらい頑張ってる、これぐらいやらせておくれよ』
とよくわからない理屈で断られて、こういう形になってしまったのだ。
しかしなんだかんだ言って、ドロセアもマヴェリカが作る朝食を楽しみにしている。
朝の日差しに照らされ起床して、扉を開き師匠に『おはよう』と挨拶をする――そんな日々のルーチンに、ささやかな幸せを感じているのだ。
そして今日も。
ああ――確かに今日も、料理はテーブルの上に並んでいた。
きっとマヴェリカは、かわいい弟子を想い早起きして作ったのだろう。
パンと、卵と、サラダと。
決して豪華ではないし、実を言うとあまり上手でもないのだけれど、しかし愛情を感じられる料理が。
(スクランブルエッグにはケチャップがトッピングされているのかな?)
第一印象は、そんな現実逃避。
(パンにはウインナーが挟まって、サラダには海藻を添えて)
ドロセアはとっくに無駄だと理解しているはずなのに。
しかしそれでも、“そう想いたい”という気持ちが上回ってしまった。
けどどちらにせよ、目を背けても現実はあちらからやってくる。
白髪の少女は、白い肌を血で汚しながらゆっくりとドロセアの方を見た。
「おはよう、世界の敵」
彼女はそう冷たく告げ――ドロセアに飛びかかった。
飛びかかると言っても、それはドロセアが辛うじて認識できるほどの速さ。
嘆き悲しむ間もなく戦いが始まる。
回避はできず、恐怖から反射的にシールドを張るのが精一杯だった。
「う、うわぁぁああああああッ!」
「うるさいよ」
少女は手にした氷のナイフを突き立てる。
血で汚れたそのナイフで、マヴェリカを殺したのだろう。
殺して、執拗なまでに切り刻んだのだろう。
もはやマヴェリカは原型も留めていない。
頭部からつま先に至るまで異様なまでに細切れにされており、それらが血と共に部屋中に散乱している。
思い出が。
温もりが。
一瞬にして血に彩られ、トラウマへと変わる。
ドロセアは人生二度目の絶望に沈みながらも、しかし悼むことすら許されなかった。
「そんな紙切れじゃ自分さえ守れない」
少女の氷のナイフは、その簡素な見た目とは裏腹に容易くドロセアのシールドを貫く。
彼女の右目には見えている。
ナイフに込められた魔力の異常なまでの密度――相手は普通の人間ではないのだ。
いや、魔力量超過により人間が魔物化することを考えれば、この少女はとっくにぶよぶよの肉の塊になっていないとおかしい。
そもそも人間ではないのかもしれない。
そんな人外の刃が傾けた顔の真横を通り過ぎ、床を刺し貫く。
「っ……簒奪者……ッ!」
「そう、私が魔女を殺した。そしてお前も殺す。私はお前の敵、世界の敵であるお前と魔女を殺しにきた」
「わけのわからないことを言うなぁぁあああッ!」
ドロセアは馬乗りになった少女の腹を蹴りつける。
すると彼女は後ろに飛んで距離を取った。
直後、部屋の温度が一気に落ちる。
冷気の源は目の前の少女だ、嫌な予感がする。
「理由なんて、理解する必要もない」
本能的に危険を察知し、窓ガラスに飛び込むドロセア。
「その前に死ぬから」
直後、室内の空気の全てが凍りつき、そこを中心として巨大な氷の花が咲いた。
家は跡形もなく消し飛び、ドロセアも無傷では済まない。
氷は彼女の腕を掠め、衝撃で吹き飛ばされ地面に叩きつけられる頃には、骨折と凍傷で左腕はまともに動かなくなっていた。
その痛みと冷たさ、そして右目に見える魔力量でもはや戦う気は失せていた。
「づうぅぅ……なんなの、あの化物はっ!」
氷の花の中央からドロセアを見つめる白い少女。
確かにそれは幼い少女の姿をしていたが、その中身は人間などでは無いのだと理解する。
そして氷が砕けた。
破片は空中に浮かび、鋭利な弾丸となってドロセアに迫る。
彼女は慌てて木の幹に隠れると、シールドでその幹を補強する。
氷の破片はシールドに触れると同時に分解され、ただの魔力へと変換される――だが、その魔力量が多すぎて触れた瞬間に全てを分解することはできない。
余った魔力は当然、暴力となってドロセアに襲いかかる。
木の幹はそう長くはもたない。
機を見てまた別の木の元へ、そしてまた別の木へ、それを繰り返し徐々に少女から距離を取る。
そうして少し頭が冷えてくると、途端に悲しみが溢れ出して視界が涙でにじむ。
(まだ実感が湧かない、何が起きてるのかもわからない。でも師匠……あれは、間違いなく死んで……!)
まだ夢の中にいるような気分だ。
だが痛みを伴うほどの冷気が嫌でも現実だと思い知らせてくる。
(お願いだから、現実逃避ぐらいさせてよっ!)
そんな弱音を吐きながら、必死で逃げるドロセア。
すると少女とは徐々に距離ができ、いつの間にか氷の魔術による攻撃の手も止まっていた。
それでも彼女は足を止めない。
まだ背中に殺気が張り付いている。
きっとそう遠くない場所で走るドロセアを見て『無意味なことを』と嘲笑っている。
それだけの力の差があった。
逃げれた、ということ自体が不自然なのだ。
それをわかっていても、ドロセアは一時間以上全力で走り続け、やがて村の付近までやってきた。
マヴェリカは住居を移していたので、もちろん以前にお世話になっていた村ではない。
ここは“奇跡の村”とも呼ばれる、少々特殊な場所だった。
といっても王国全土でそう呼ばれているわけではなく、この近辺でそう呼ばれているだけなのだが――具体的にどう奇跡が起きているのかと言えば、ここに来ると夫婦が子宝に恵まれるのだという。
どれだけ子供が出来ないと嘆いていても、一ヶ月も滞在すれば例外なく妊娠する。
まるで神様に祝福されているような場所。
だから、奇跡の村。
だがドロセアはあまり村の人々と面識が無い。
買い出しはもっぱらマヴェリカが担当していたし、ドロセアが行こうとするとやんわり止められたのだ。
修行に集中しろ、という意味だったのだろう。
それゆえに、どう助けを求めたものか――そもそもあんな化物に追われているのに、魔術師でもない一般人に助けを求めていいものか、そんな悩みがいくつも頭に浮かぶ。
「そうだ、村の人を巻き込んじゃいけない」
ついにドロセアは足を止めた。
だからといって、死ぬつもりはなかった。
幸いにも今は敵の気配はない。
どこかで見ているにしても、今は襲われていないことに変わりはない。
だからまず落ち着いて考えようと思ったのだ。
乱れた呼吸を整え、細切れにされたマヴェリカの姿を今だけは思い出さないようにして、村以外に利用できるものは無いか思案に耽っていると――ふと気づく。
「血の匂い……村の方から?」
耳をすませば、声も聞こえてきた。
あの村には似つかわしくない、男たちの下品な笑い声。
そしてかすかに聞こえる、女性の悲鳴。
寒気がした。
そこで何が行われているのか、できれば見たくはない。
だが認識した以上、目を背けられないのがドロセアだ。
彼女は村に近づき、まずは様子を窺うことにした。
そこには――白いローブを纏った男性の姿があった。
「ガイオス教の修道士?」
一人二人なら、近辺にある教会から来たのだろうと考えられる。
だが村には住人以上の修道士がたむろしているではないか。
修道女の姿が見当たらないことから、男性だけが選ばれて派遣されたものと考えられる。
また、彼らの顔色は一様に青く、中にはローブを血で汚している者もいた。
「笑い声は、あの人たちじゃない……」
低い姿勢で気配を殺しながら、村の内部に侵入する。
建物の影に身を隠し、様子を探る。
(教会の人間と――見慣れない傭兵や冒険者ばっかりだ。村の人たちはどこに行ったの?)
村の人々と喋ったことはなくても、何度か顔は見たことがある。
そこにいるのが他所から来た人間ばかりであることは、ドロセアにもわかった。
そして村の中央に近づくにつれ、笑い声が聞こえてくる。
ここで彼女は気づいた。
(この笑い声、聞き覚えがあると思ったら……エルクたちだ。どうしてこんな場所に)
そう、ドロセアを貶め、殺そうとした少年たちが、なぜかこの“奇跡の村”にいる。
どうやら彼らは村長の家にいるらしく、ドロセアは窓から中の様子を観察した。
「ああん? カウデスの野郎はどこに行っちまったんだよ」
「気分が悪くなったって言ってトイレに行ったよ」
「情けねえなァ。お前らはどうだレイヴン、レイムダール。楽しんでるか?」
「もちろんだよ」
「カハハハッ! こんな愉快な遊び、そうそう体験できるもんじゃねえ。楽しむしかねえだろ!」
「ははっ、だよなあ? やっぱお前らは最高だわ!」
まるで宴のように騒ぐ彼らの手には、血で汚れたナイフが握られていた。
本人たちも個人差はあれど血を浴びている。
そして――テーブルの上には、恐怖で顔を歪めた女性が拘束された上で寝かされていた。
お腹の膨らみから妊娠していることがわかる。
そんな彼女に、ナイフを手にしたエルクが近づいた。
「悪く思うなよ、教会からの頼み事なんだ。こんな汚れ仕事引き受ける人間そうそういねえだろうからな」
「ん、んんーっ! んうぅぅぅっ!」
猿轡をされた女性は、身を捩る以外一切の抵抗ができない。
「まあ、元はこんな胡散臭い村に頼ったあんたが悪いんだ。呪うなら――」
女性に近づき、ナイフを振り上げるエルク。
彼が妊婦の腹部を狙っているのは明らかだった。
ドロセアはシールドで剣を生成すると、窓を破壊し中に飛び込もうとする。
だがその瞬間、首筋に冷たい何かが押し付けられた。
恐怖に体がこわばり、動きが止まる。
「あなたはあれをどう思う?」
背後から少女の声がした。
ドロセアは振り返ろうとするが、少女に後頭部を掴まれ、強制的に窓ごしの惨劇を見せつけられる。
「やめて……お願い、そんなこと……」
「正しいか、間違っているか」
「間違ってるに、決まってる」
「無知を恥じるか、悔やむのか」
「もし何かを知っていたとしても!」
ついにエルクのナイフが振り下ろされ、女性の腹を刺し貫いた。
「んぐうっ、むぐうぅぅうううううううっ!」
「子供ほしさにここに来ちまった、自分を呪うんだなあ」
血を浴びながら、エルクは楽しそうにナイフをぐりぐりと前後させる。
「こんなの、絶対に間違って――」
少女は必死で否定するドロセアの頭を掴むと、窓の横――石造りの壁に顔面を叩きつけた。
「はぐうぅっ!」
「何も知らないくせに」
何度も、何度も、まるで親の仇でも痛めつけるかのように。
「あぐぅっ! ふぶぅっ!」
「無知を恥じないあなたの存在は許してはならない」
痛みと衝撃に意識を揺さぶられる中、エルクの所業はさらにエスカレートしていく。
彼はナイフを引き抜くと、その傷口に腕を突っ込んだ。
「むぐぉおおおおおっ! おごぉおおおおおっ!」
女性は目を見開き、顔に脂汗をびっしりと浮かばせながら悶え苦しむ。
それを見るエルクたちは満足気に笑っている。
さらにエルクは腹の中をぐちゅぐちゅとかき混ぜ、探り、ようやく何かを見つけて引きずり出す。
それは――まだ未成熟な胎児だった。
「ほら見て」
少女はその光景を、強制的にドロセアに見せつける。
鼻や口から血を垂れ流すドロセアは、首を小刻みに左右に震わせた。
「は……ああぁ……ああぁああああ……っ!」
およそ人間のやることとは思えない。
あんなものが、人間でたまるものか。
思えばドロセアを殺そうとしたときも同じように笑っていた。
あれは自分が当事者だからまだどうとでも感情を整理できた。
けど今は違う。
エルクたちは、何の罪もない妊婦を拉致し、腹をかっさばいて、生まれてくるはずだった新たな命を奪おうとしている。
強制的に引きずり出された赤子は、白い目をぎょろりと剥いてうらめしそうにエルクを見ながら、手足をじたばたさせていた。
「いやあ、それにしてもこいつは――おぞましいねえ」
そして表情一つ変えずに赤子のナイフを突き刺し、命を奪う。
「そう、おぞましい」
少女は言った。
(なんて――おぞましい――)
ドロセアは思った。
みんな同じことを考えているのに、三者の思惑は一切噛み合わず――少女はドロセアの足を払うと、今度は地面に顔を押し付けた。
「あなたはあれを許容するの?」
無機質で意味不明な問いに対し、ドロセアは怒りで応える。
「当たり前じゃない。あんな行為、許すわけ……無い……ッ!」
「そう……頭がお花畑、羨ましい。なら命ごと本物のお花畑に送ってあげる」
少女の背後に巨大な氷の槍が浮かぶ。
今度こそ、確実にドロセアを殺すつもりだ。
少女の力はかなり強く、頭を押さえられただけでドロセアは身動きが取れない。
(師匠を殺されて、あんなものを見せられた挙げ句に、何もできずに死ぬなんて……ごめん、リージェ……っ!)
諦めたくない。
だがドロセアは死を悟るしかなかった。
そして魔術が放たれようとしたその瞬間――べちゃっ、と彼女の背中を温かい液体が濡らす。
体を押さえつける力も弱まった。
振り返ると、少女の胸から人間の腕が飛び出していた。
「ぐ、が……これは、魔女の……!」
口から吐き出される大量の血。
逃げるなら今しかないと思った。
転がって少女の腕から逃れ、ドロセアはその勢いで立ち上がる。
「待て……が、ぐ、死を前提にした、魔術なんて……げほっ!」
少女は追おうとしたが、さらに大量の腕が体から突き出し身動きが取れない。
「魔女、め……最初から、このつもり、で……ッ!」
生えたというよりは、内側から突き破って外に出てきているようだ。
かなり不気味な現象だったが、それよりもドロセアは自分の命を優先した。
背を向け、窓越しにエルクを睨みつけながら、村から脱出する。
「逃さない……ドロセア、お前の存在を、私たちは許さないいぃぃいいいッ!」
恨みの籠もった少女の声を背に受けながら、ドロセアの孤独な逃避行が始まった――
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