002 試行錯誤と自己進化
魔女の家は森の奥深くにあった。
ドロセアはその家の中で台の上に乗せられ、すぐさま魔術で手足を切断された。
「ぐがあぁぁあああぁっ!」
叫び声をあげる魔物を前に、魔女は顔をしかめる。
「痛覚はあるのかねえ。いや、どうせ人間の意識は消えてるんだ、いちいち化物の心情を考えてたって仕方ない」
今のドロセアは紫のあまりに醜い肉の塊に過ぎない。
すでに人間とは異なる生き物――そう判断されても仕方がなかった。
だが、
(痛い、痛い痛い痛いいぃぃいっ!)
仕方ないか否かは関係なく、苦痛はドロセアを追い詰める。
彼女は涙を流した。
どろりとした黄ばんだ粘液が目だった場所からこぼれ落ちる。
それが悲しみを意味することは、もはや誰にも理解されない。
「しかし手足を切っただけじゃ不安だねえ。体を固定するもの、何かあったかな」
魔女は部屋からいなくなったかと思うと、物置部屋をあさりだした。
そして長い杭とハンマーを持って戻ってくる。
「家を補強するときに使ったやつだけど、まあ使えるだろう」
杭は肩や太ももの付け根あたりに打ち付けられ、ドロセアの体は台に完全に固定される。
次に魔女が取り出したのはナイフだった。
彼女はその柄を握りしめると、躊躇なくドロセアの腹に突き立てる。
「グゲアアァァアアッ!」
「こんな声じゃ元が男か女なのかもわかりやしない。さてと、生きてる間に中身がどう変異してるか見せてもらおうじゃないか」
こうして、ドロセアの実験体生活がはじまったのだった。
◇◇◇
切られ、焼かれ、叩かれ、解剖され――それが幾度となく繰り返される毎日。
だがドロセアは、むしろそれで良かったのではないかと考える。
(痛い……辛い……でも、それが私を繋ぎ止めてる……)
魔物としての、他者を襲おうとする本能――本来ならばすぐにそれが人間の意識を埋め尽くし、ドロセアは完全なる化物になっていたはずだ。
しかし一週間ほど経った今も、意識はそこにある。
むしろ最初よりも頭の中ははっきりとしている。
果たしてそれが幸せなことなのかはわからないが、少なくともドロセアは前向きに考えていた。
(どうにかして、意識があること……伝えないと)
魔女を恨もうとも思わない。
彼女は魔物化した人間という貴重なサンプルを前に、色々試しているだけなのだろう。
魔物とは突然変異により発生する。
そのメカニズムは未だ解明されておらず、多くの魔術師が謎を追い続けているという。
加えて、人間が魔物化するなんて現象、少なくともドロセアは一度も聞いたことがない。
魔物について研究している人間が興奮してしまうのも仕方のないことだ。
しかし、このまま解剖され続けた結果死んでしまったのでは意味がない。
「ぐあぁう、うあぁ……」
脚部を切り開き、内部の組織を採取している魔女に向け、ドロセアは声をかけた。
だが意味のある言葉にはならない。
魔女もうめき声に慣れたのか、反応すら示さなかった。
(何か、伝える方法を……文字は、書けない。手足が無いから。自由に動くのは首ぐらいだし、目も……片方見えない)
一方の目は、父親の斧によって潰されている。
しかし何も見えないわけではなかった。
うっすらと、光の粒――あるいは埃のようなものがそこら中に飛び散っているのだけは見えた。
(なんだろう、これ。目が見えなくなったら、そういう風に映るものなのかな)
光の粒は、日に日にはっきり見えるようになってきていた。
そしてその動きが、魔女の動きと連動していることにも気づいていた。
彼女が立ち上がればそれに追従する。
(視力が失われて、薄っすらとしか見えないからこうなってる? それとも、何か別のものが――)
ドロセアは窮屈な台の上で体をよじる。
そうすると、膨らんだ腹と同じように光の粒が動いた気がする。
はっきりと確かめるにはここから解放される必要があるが、今はそれは無理だ。
もっと他の情報がほしい。
すると足の方で座り込んでいた魔女が、ふいに独り言を呟いた。
「しまった、持ってくるの忘れてた。場所はわかるから……引き寄せるか」
魔術が発動し、別の部屋にあったナイフが浮かんで彼女の手元までやってくる。
そのとき、魔女の腕とナイフを繋ぐような形で光の粒が動いたことに気づいた。
(これは……魔力、なの?)
魔力――それは魔術を発動するために必要な、人間の体内に存在するエネルギー。
仮にドロセアにそれが見えるようになっているとしたら。
(……だからってどうにもできるものじゃないけど)
見えるだけでは、どうしようもない。
そう思っていたドロセアだが、ぼーっと自分の体を眺めていてふと気づく。
(魔力、多いなあ)
ドロセアは魔術の才能を持たないZ級魔術師だ。
体内に存在する魔力の量は、選別の儀において魔術師等級を決めるのに使われる要素の一つである。
他には使える魔術の種類や、一度に出力できる魔力量の違いなどもあるのだが、一般的に魔力量が多ければそれら二つも多くなる傾向がある。
そして魔女はあれだけ日常的に魔術を使っているのだから、高い等級の魔術師なのだろう。
手の甲に刻印が無いので、断言はできないが。
そんな魔女と比べても、今のドロセアの体内にある魔力量は高い。
これだけ魔力があれば、選別の儀でZ級を言い渡されたりしないはずだ。
(エルクに飲まされた薬の効果なの? それとも魔物化したら魔力が増える? 確かに魔物は、他の生き物に比べて魔力が多いけど……)
考えても、あの赤い薬の正体はわからない。
だが、この魔力を有効活用すれば、どうにかして魔女と意思疎通ができるのではないか。
そこに活路を見出したドロセアは、観察と実験を繰り返す。
◇◇◇
魔女の家に連れてこられてから十日目。
(やっと、できた……! く、でも維持するのが、きつい……!)
ドロセアは魔女の見ていない場所で、辛うじてシールドを発動させることに成功した。
しかしシールドは、ただ自分の身を守るだけの盾を生み出す初歩魔術。
魔物の肉体を人間に戻せるようなものではない。
また、肉体の主導権を異形に奪われている今、初歩魔術であるシールドすら制御するのは困難だった。
◇◇◇
十二日目。
(魔力が前よりはっきり見える……馴染んできたのかな。馴染みたくないけど)
ドロセアは“魔物としての肉体”と“人間としての肉体”の間に魔力の境界線があることに気づいた。
明らかに内側が少なく、外側が多い。
つまり魔力だけを見た場合、人間の体はこのぶくぶくに膨れた魔物の体の中に残っているのだ。
(まだ、諦めない。可能性はある。私は、私にできることを……!)
わずかだが、元の体に戻れる可能性を見出した気がした。
◇◇◇
十五日目。
(でき……たぁっ! よし、前より確実に、魔力を扱えるようになってきてる)
試行錯誤の末、ドロセアはシールドの変形に成功する。
これは彼女が人間の肉体だった頃、手癖としてよくやっていた行為だ。
一般的にシールドは、自分の体の前にレンズのような形で生成される。
大きさの指定は簡単なので、ピンポイントで胸や頭だけを守る、なんてやり方もできるが、一般的な魔術師が行うシールドの変形はそれぐらいのものだ。
だがドロセアは違った。
立方形、球、星型、ハート、筒――さまなざな形状に変えることができる。
そもそも彼女には魔術の才能が無いので、シールドしか使うことができない。
だったらそのシールドで色々と試してやろう、と思ってやり始めたのがきっかけだった。
だがそれ以上に技術を高めようと思えたのは、リージェがこれを見るのが好きだったからである。
(とはいえ、これで何ができるんだって言われると、困っちゃうんだけどね。ははっ)
ちなみに戦いに役立つものでもないので、ちょっとした芸の域は出ない。
当然、肉体に影響は及ぼせず。
しかしこれ以外に使える魔術がないドロセアは、それに頼るしかない。
◇◇◇
十八日目。
(嫌だな、痛みにも慣れてきた。再生するたびに手足を切り落とされて、内臓だって取られてるのに、吐き気も、苦しさも、そんなに苦痛じゃない)
ドロセアは自分の体を実験材料にされながら、シールドを用いての実験を繰り返す。
この日、彼女はシールドで“人間”の部分と“魔物”の部分を分離できないか試していた。
しかし、シールドは元々物体が存在する場所に生成することはできず、せいぜいぶよぶよの肉を上から押しつぶすことぐらいしかできない。
(本当にやれること少ないな、シールドって。だからこそ術式も発生しないし、初歩魔法って扱いなんだろうけど)
変形させて刃を作ってみてもいいが、魔女にバレたら拘束をさらに強められそうだし、何より両手が使えないのでどうせ自分を傷つけることはできない。
(せめていきなり相手の体内にシールドを作り出せたら、攻撃にも使えたかもしれないのに)
そもそも、なぜシールドは体内に生成できない、なんて縛りがあるのか――そう考えシールドを変形させたり、体にぶつけているうちにあることに気づく。
(そういえばシールドも魔力の粒が集まってできてるけど、これ……重なってる?)
それはこの魔術が二層構造になっている、ということだった。
一般的に、シールドは魔術を防ぐのに適している、と言われる。
逆に言うと剣や弓などの物理攻撃に弱く、対魔術のときに発揮できるほどの強度は期待できない。
なぜこのような現象が起きるのか。
それは、シールドが物理攻撃を防ぐ膜と、魔術を防ぐ膜の二枚で出来ているからだ。
剣に対しては一枚でしか対処できないので強度が落ちる。
方や魔術に対しては、物理的に防いだ後に、魔力への干渉を行う二段構えのため、高い防御性能を誇る。
(変形の要領でやれば、二枚を分離できるかもしれない)
ドロセアが意識を集中させると、シールドはぺりっと二枚に別れた。
(意外と簡単にできた)
それを何度か繰り返し、コツを掴むと、今度はそれぞれの膜を単体で生み出せるようになる。
(魔力への干渉しか行わないシールド……ってことはつまり、体の中にも使える?)
特に注目したのは、対魔術の防御膜――試しに、こちらの膜だけを生成し、自分の腹部に押し付けてみる。
(おお、本当に沈んでいった)
この膜は物体に干渉できず、魔力にのみ干渉するのだから当然と言える。
そしてこれも当たり前のことだが、体内の魔力は膜によって押しのけられていく。
だが完全ではなく、何割かの魔力は網のように間から抜けていってしまう。
(確かにシールドを作っても完全に魔術を防げるわけじゃないけど、こんなにザルだったかなあ)
違和感を覚えるドロセアは、それを何度も繰り返し魔力の動きを観察していた。
その結果、一つの結論にたどり着く。
(向きがあるんだ。シールドは“外”からの攻撃を防ぐ魔術だから、外から入ってくる魔力は弾く。けど内から外に出ていく魔力に対しては不完全になる)
シールドの裏と表なんて誰も気にしなかったに違いない。
ただ攻撃を防ぐもの。
応用するよりは、他の魔術を使った方が遥かに早い。
そうとしか捉えてこなかったのだから。
(私の体が魔物になってしまった原因は、あの赤い薬を飲まされたせい。じゃあ私の体に魔力が満ちているのは、魔物になったからなのか。それとも、薬によって大量の魔力が生じ、その魔力によって魔物になってしまったのか)
現状、明確な答えを知る術は無いが、ドロセアの感覚としては後者の方が近い気がした。
あの薬を飲まされたとき、体の内側から何かが溢れ出すような感覚があったのをかすかに覚えている。
ひょっとすると、あれが魔力だったのかもしれない。
(魔物は動物が突然変異することで生まれ、魔力を得て凶暴化する。でも本当は順番が違って、魔力を体内に貯め込んだ結果、魔物へと変異するのかもしれない)
一説によれば、大気中に存在する魔力の総量は年々増えているらしい。
リージェの屋敷にある本で、そんな話を目にしたことがあった。
考えてみれば、人間がどんどん魔術を使うほどに、その魔力は大気中に放出されるのだから当たり前のことだろう。
そして呼吸によりその魔力は動物たちの体内へと蓄積していき――それが一定量を超えると、魔物へと変異する。
ドロセアはそんな想像をした。
(全部仮定に過ぎないけど、だとすると体の化物になった部分は、魔力で生み出されたわけだから――)
全ては諦めないためだ。
救いを得るためだ。
自力でこの状況を脱するためには、精神を支える柱足りうる、それらしい理屈が必要だった。
(シールドを裏返して、この部分から完全に魔力を取り除く。そうしたら、化物の部分だけを切り離せないかな)
都合のいい妄想かもしれない。
だが、今のドロセアにできることはそれだけだった。
(シールドを、裏返す……変形させる要領で……いや、このやり方じゃダメだ。変形とは感覚が全然違う、同じやり方だと裏返したりはできない)
シールドを自在に使える自分なら、と思ったが――そう単純な話ではないらしい。
(コツを掴むのに時間がかかる。死ぬまでに間に合う? 他の方法を考えた方がいいんじゃ? でもどんな角度で試しても“表向き”だとうまくいかなかった。球形のシールドで体内に魔力の空白を生み出すことも、魔力を体外に押し出すことも)
焦りはあった。
この肉体もいつまで保つかわからない。
手足を切断され、腹を開かれてこれだけ生きている時点で奇跡だが、少しずつ体が重くなっているような気もする。
死が近づいているのかもしれない。
(やっぱり裏返してみるしかない。大丈夫、まだ時間はある。何度も試せば、必ず成功する……!)
ドロセアは言い聞かせるように心の中でそう繰り返した。
さらにリージェの姿を思い浮かべ、必ずまた再会してみせると強く近い、折れそうな心を補強した。
◇◇◇
そして二十日目――今日も魔物で実験を行うために、魔女はナイフを片手にドロセアの前に立つ。
そして膨らんだ腹のあたりを手のひらでぺちぺちと叩いた。
「それにしても、あんたも長生きだね。こんだけ出血してれば、いくら魔物でもとっくにくたばるだろうに。人間がベースの魔物だと生命力も変わってくるのかい?」
魔物の肉体は再生力が高く、腹を開いても次の日には塞がっている。
手足も生えてこようとするので、その度に魔女は切り落としていた。
「殺してやらない私が言うのも残酷な話だけど、本当はとっとと死んだ方が楽なんだろうね。まあ、過去の例からして意識も残ってないだろうから心配するだけ無駄か。もし意識が残ってたら土下座でもして謝るさ」
魔女は一人暮らしが長いのか、やたら独り言が多かった。
やたらべたべたとドロセアの体を触ってくるし、ペット感覚なのだろうか。
そんな魔女だったが、ふとドロセアの異変に気づく。
「ん? あんた……昨日とちょっと形が変わってないかい?」
漠然とした違和感だったが、確かに形状が微妙に違う。
「顔のあたり……なんだか、萎んでるような……」
移動し、頭部に顔を近づける。
すると彼女は柔らかい何かを踏み、首をかしげる。
足元に目を落とすと、薄い紫色の肉片が落ちていた。
「これって……魔物の体の一部? 脱皮――いや、肉体の崩壊が始まった? 確かに内臓の動きも遅くなっていたし、そろそろ寿命がやってきたってことかねえ」
肉片を手に、そんなことを話す魔女に対し――ドロセアは言った。
「ちが、う……」
「はははっ、違うって、だったら何で――ん?」
人間のような声を聞き、固まる魔女。
ドロセアは続けて声を絞り出す。
「わた、し……いぎっ、で……ぐぶっ……」
魔女はゆっくりとドロセアに視線を移す。
口らしき部分がぱくぱくと動き、そこから言葉を発していた。
「いきて、る……わたし、は……!」
「ちょ、ちょっと待ってよ……生きてるって、言った? 鳴き声が偶然そういう風に聞こえたとかでは……」
「私は……生きて……る……」
「生きてるって、生きてるってこと、よね?」
「そう、生きて……意識、ある……ずっと……」
「返事がある……意識があるってこと? つ、つまり今までのあれこれも、意識がある状態だった?」
「あった……私は、私、だった……」
魔女の頬が引きつり、さっと血の気が引いて顔が青ざめる。
何せ、今までは人間としての意識が無いことを前提で、人間には絶対にやらないような実験を繰り返してきたのだ。
そりゃあ焦る。
冷や汗がだらだらと流れ、目が泳ぐ。
焦りに焦って、彼女は思い出す。
『もし意識が残ってたら土下座でもして謝るさ』
ついさっき、そんな独り言があったことを。
魔女は即座に膝を折り、地面に這いつくばり、額を床に擦り付けた。
「ひ、ひどいことしてっ、本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁぁっ!」
位置からして土下座がドロセアから見えるはずもなかったが、その必死の謝罪を聞いてドロセアは口元にわずかに笑みを浮かべた。
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