017-3
手紙に書かれた酒場を訪れたドロセア。
おそらくレイムダールの一派が集まる場所なのだろう、十四歳の少女はそこにいるだけで浮いてしまうような客層だ。
敵意に満ちた視線が一斉に向けられ、居心地が悪くてしょうがない。
早めに用事を済ませようと、ドロセアは酒場のマスターに尋ねた。
「ここにティルルっていう私と同じぐらいの年齢の子がこなかった?」
ティルルの名前を出した途端に、敵意はさらに鮮明化する。
半ば自白したようなものだ。
「来てたとして、何だっていうんだい」
「どこに向かったか教えてほしいなって。レイムダールのアジトなんでしょ?」
ドロセアもまた、“敵”であることを隠しはしない。
その直後、酒場の客たちが一斉に戦闘態勢を取る。
ある者は手をかざして魔術の発動準備を行い、またあるものは剣を、槍を、弓をドロセアに向ける。
両手では数えられない人数に囲まれ、ドロセアは大ピンチであった。
「悪いことは言わねえ、このまま帰りなお嬢ちゃん」
「教えてくれないならあなたを拷問したって構わないよ」
「チッ……殺れ」
四方八方で術式が輝く。
一斉に攻撃が放たれ、それら全てがドロセアめがけて飛翔した。
砂や煙、蒸気に囲まれすぐに彼女の姿は見えなくなる。
「死んだな」
誰かがそう呟く。
それを合図にしたかのように、煙の中で様々な色の術式が輝いた。
「うん、死んだね」
今度はドロセアを中心として、酒場にいる全員に向けて模倣魔術が放たれる。
冒険者たちが放った魔術は当たり前のように魔力に分解され、そして貯蔵されていたのだ。
それら全てを使い果たし、ぶちまけられる魔術の雨。
狭い店内だ、逃げ場はない。
冒険者たちは手足を撃ち抜かれ無力化されていた。
マスターも同様だ。
カウンターを飛び越え、目の前にやってくる少女を、怯えた目で見ていた。
「な、なんなんだ、お前……」
「レイムダールは今から死ぬ。ゼッツも近々死ぬ。それまで逃げれば裏切り者として処罰される危険もない」
ドロセアはシールドで生み出した剣をマスターの首筋に当て、冷たく告げる。
「ねえ、死にたくなければアジトの場所を教えて」
心臓が止まるほどの殺気を間近で受けたマスターは、うまく呼吸すらできなくなっていた。
彼は少しでも早くこの場から開放されたい一心で、途切れ途切れながらアジトの場所を吐いた。
◇◇◇
アジトの地下――例の悪趣味な観覧室で、レイムダールは今日の“ショー”を眺めていた。
ガラスを挟んだ先にある空間にルーンがいるのは先日と一緒だ。
違う点といえば、今のところ彼女一人しかいないことと、観覧室側に複数人の男がいることだろうか。
「いいのかよレイムダールさん、俺たちまでこんな特等席で見せてもらって」
「カハハハ、たまには部下にもいい思いをさせてやらんとなあ!」
今日は特別に、この部屋にお気に入りの部下を招いているようだ。
先日のが儀式なら、今日のはまさにショー。
複数人で笑い騒ぎながら見るのにちょうどいい。
レイムダールは伝声管に顔を近づけ、ルーンに語りかける。
『聞こえているか、ルーン。今日もお前には人殺しをしてもらう。ファミリーとしてより深くつながるために必要な儀式だ』
ルーンは血で汚れたナイフを握り、こくりとうなずいた。
『うまくやれば、さらなる薬を投与して、お前の魔力を上げてやろう。さあ、ファミリーへの忠誠を見せてみろ』
レイムダールが指を鳴らし合図を出すと、扉が開く。
そこから現れたのは――
「ルーンっ!」
「ティルル!? どうして……」
いるはずのない――とっくに自分に呆れて見捨てているはずの、ティルルだった。
「ねえ、いっしょに帰ろ? こんな場所、ルーンには似合わないよ」
彼女はぐいぐいとルーンに近づき、すがるようにその体に触れる。
「来るなっ!」
振り払うルーンだったが、その力は弱かった。
「私はレイムダール様のファミリーに入ったんだから……もう、二人に嫉妬する以前の私じゃない!」
「嫉妬なんてする必要ないのに」
「そう言えるのは、ティルルが何もかも持ってるからだっ! 満たされた、選ばれた、恵まれた人間だから……!」
「一番ほしいものが手に入らないなら、そんなもの意味ないの」
「なのにどうして……どうしてこんなところまで、私を追いかけて……! トーマと一緒になれば、私なんか見捨てれば全て丸く収まるのにッ!」
「どうでもいいよ、トーマのことなんて」
「え……?」
強い決意を秘めた眼差しを真っ直ぐにルーンに向け、ティルルは想いを告げる。
「トーマのことも、魔術師のことも、冒険者のことも、何もかもどうでもいいんだよ。私にとって大事なのはルーンだけなんだから。ルーンと一緒にいたい! ルーンと一緒に生きていければ、他に何もいらないっ!」
「てぃ、ティルル……そこまで……」
「だって私、ルーンのことが大好きだもん! 誰よりも愛してるの!」
それは何一つとして包み隠さない、愛の告白だった。
品行方正で、いつだって冷静で、知的で――そんなルーンの中にあったティルルへの(勝手な)イメージとは真逆の、あまりに感情に満ちた言葉である。
そんなもの、ルーンの心に響かないはずがない。
心臓が高鳴る。
体が熱くなる。
嬉しさに、視界すら潤む。
しかしそんな感情に水をさすように、伝声管から男たちの声が聞こえてくる。
「ひゅーひゅー! お熱いねえ」
「んだよレイムダールさん、こんな“純愛”見せるために俺らを呼んだのか?」
「カハハハッ、そんなわけがないだろうが」
そして今度はレイムダールの声が、大きく部屋に響き渡った。
『おいルーン、何をやってるんだ。早くその女を殺せ!』
ドスの聞いた声でルーンを脅す。
無論、そのような命令に従う彼女ではない。
「……ティルル、逃げよう!」
ルーンはティルルの手を握った。
ティルルも大きく頷き、二人で扉の前に立つ。
「こんな扉、私の魔術でッ!」
全力のシャドーボールを放つルーン。
だが扉は無傷だった。
『逃げられるように作ってあると思ってたのか? ルーン、どうやらお前はオレたちを裏切ることを選んだようだ。だが今からその女を殺すんなら、なかったことにしてやってもいい』
「そんなこと……しない!」
『その女を殺すために力を求めたんじゃなかったのかよ、あぁ!?』
慣れた口調で恫喝するレイムダール。
恐怖させるのが目的だとわかっていても、聞いているだけで体がすくむような迫力だった。
『最初から別の目的があったみたいだな。ゼッツ派に所属しないアホ二人の仲間だ、足りない頭でしょーもない策でも考えてたのかぁ? だが残念だったな、頭の出来ではオレの方が上なんだよ。このステージは、“ルーンがティルルを殺す”というショーのために用意されたものだ。台本は、最後まで完遂してもらうぜ』
そう言って、彼は肘置きのへりに手を置くと、そこに魔力を通す。
魔力に反応して装置が起動し、ルーンたちのいる部屋にガスが噴射された。
「何か出てきた……」
「毒ガス!? ティルル、吸っちゃダメ!」
ルーンはティルルに覆いかぶさった。
『お互いに助け合う尊い愛だ……素晴らしい。心を折れなかったのはがっかりだが、愛もまた折りがいがあるもんだ』
ガスは徐々に部屋に充満していき、息を止めるのにも限界が来る。
ルーンはわずかにそれを吸い込んでしまったようで、突如として苦しみだした。
「う……ぐ、うぅ……」
「ルーン、大丈夫?」
「な……に……体が、あつ、い……」
不思議なことに、ティルルは平気だ。
特定の人間にだけ効く毒なのか――そう思っていると、ルーンの背中がボコッと大きく膨らんだ。
「ぐ、グガアァアッ!」
そしてまるで化け物のような声をあげる。
「ルーン、どうしたの!?」
ルーンはとっさにティルルから離れ、距離を取った。
そして近づいてくる彼女に向かって、「グギャアァァッ!」と威嚇をし遠ざけようとする。
なおも肉体の変異は続き、ルーンの全身は紫の肉に包まれ、異形の化物へと変わってしまった。
それはまるで爬虫類のような、てかりのある皮で全身を覆った魔物だった。
口は大きく裂け、そこに鋭い歯が並んでいる。
また尻尾にも先端の尖った牙のようなものが不揃いに生えていた。
「嘘……ルーンが魔物になったの……? そ、そんなことが……!」
『あの血を飲んじまった以上、もう逃げられないんだよ』
投与された聖女の血は、人間の肉体に強大な魔力を与えるだけで終わるよう、濃度や成分を調整されている。
つまり、さらにリージェの魔力を刺激して体内の魔力を増殖させてやれば、簡単に魔物化できるということだ。
『さあルーン、そいつを殺せ。オレたちに最高のショーを見せてくれ!』
しばらくは抗っていたルーンだが、やがて完全に魔物に呑まれてしまう。
暴力的な本能に頭が埋め尽くされ、もはや愛おしい相手を認識することすらできない。
「グガアァァアァアアアッ!」
雄叫びを上げ、ティルルに覆いかぶさるルーン。
「いやあぁああっ! あ、やめっ、が、ふっ、ぐ、ぶぇ……っ」
ティルルの胴体に歯が突き刺さり、体内まで沈んでいく。
外傷もさることながら、強烈な力で噛み潰されたことにより肋骨なども折れ、それらが肺に突き刺さった結果、彼女は大量に吐血をした。
なおも捕食は続き、骨が折れる音と、肉が潰れる音、そして絞り出したようなティルルの断末魔が響いた。
「あっはははははははははっ!」
レイムダールは、今日一番の笑い声を響かせる。
「見たか、今の絶望! 信じてたものに裏切られた顔! 最高だったよなぁ、お前ら!」
「ははははっ! 確かに傑作だ!」
「あんな滑稽な顔できる女がいるのかよ!」
「綺麗な顔してたのになぁ、全部台無しじゃねえか。ぎゃははははっ!」
手下も一緒になって大笑いしていた。
すると、そんな観覧室の扉が開く。
鍵がかかっていたはずだが――そんな呑気なことを考えるレイムダール。
そこから現れたのは、剣を手にしたドロセアだった。
わずかに、思考が停止する。
なぜここにドロセアが?
確かにドロセアを名乗る人物が暴れているとは聞いていたが、本人なはずがない。
死んだ人間が蘇るはずなどない。
それは1秒にも満たない時間だった。
その一瞬のうちに、ドロセアの両手両足に緑と赤の術式が浮かぶのを見た。
同時に、手下の体がバラバラになって崩れていくのを見た。
肉というよりは、積み木や、壊れた人形のように。
血が散る瞬間も無く。
この部屋で生きている生物は、レイムダールのみになった。
「お……お前……!」
ようやくひねり出せた声がそれだった。
だがドロセアはレイムダールに興味を示さない。
ガラスの向こうで起きている出来事を把握し、耐魔術加工を施されたそれを軽く切り裂く。
そして魔物化したルーンの近くに降り立つと、彼女の体に手を当てた。
「もう大丈夫だからね」
ドロセアが触れた魔物の肉体は、その部分だけがすぐさま“壊死”する。
魔力を失ったことで崩れ落ちるのだ。
そして彼女は魔物の体内に腕を沈ませ、“人間の肉体”をずるりと引きずり出す。
無傷のルーンが、床に放り出される。
「馬鹿な……魔物化した人間が、あんな形で戻ることなど……ッ!」
思わず立ち上がり、驚愕するレイムダール。
一方で、主を失った魔物の肉体は速やかに崩壊していく。
ドロセアは意識を失い横たわるルーンに手を当てると、さらに別種のシールドを発動させる。
「元の魔力粒子が小さくてよかった。これならやりやすいよ」
ドロセアのときもそうだったが、聖女の血を取り込んだことで体内に混入するリージェの魔力は、一つ一つの粒子が大きい。
つまりそのサイズよりも小さな網目を作ってやれば、粒子の大きい魔力だけを抽出できるということ。
その繊細な網状の魔力障壁でルーンの全身を包むと、その肉体からリージェの魔力を根こそぎ奪い取った。
さらにその“リージェの魔力”を使い、瀕死状態のティルルに回復魔術を使う。
「ぁ……ぅ、あ……」
そんなうわ言しか言えず、あと一分もすれば息絶えていたであろう少女の肉体が、みるみるうちに再生していく。
豪勢に頂いたリージェの魔力を全て使い果たしたので、すぐに体は治るはずだ。
「よし、こんなもんかな」
用事を終えたドロセアは、ひょいっと軽く飛び上がって観覧室へと戻った。
そしてレイムダールの前に立つ。
「やはり、偽物だ……そうに決まっている。あのドロセアに、こんな力があるわけがない! まさか簒奪者か!?」
「どう殺してやろうか悩んだんだけどね」
「答えろドロセア、お前は何者なんだあぁぁッ!」
怯え、後ずさりながら雷を放つレイムダール。
当然、それらはシールドで軽々と分解されていった。
「ティルルさんたちのこと考えてたら、いい方法が思い浮かばなくてさ。ごめんね、シンプルに殺すことになっちゃって」
「殺す、だと? カハハ……オレは、他者の上に立てる人間だ。そう、なれたはずなんだ。成功者なんだよ、違うか!?」
「違うね」
宣言通り、ドロセアの動きは剣を縦に振り下ろしただけ。
加えて、レイムダールに刃は触れていない。
飛翔する刃が、彼の肉体を真っ二つに切り裂いたのだ。
ちょうど真ん中に線を引かれ、パクパクと口を開閉させながら左右に倒れていく。
しかしドロセアの関心は、あまりレイムダールには向いていないようで――すでにその視線はティルルたちの方に向けられていた。
傷が癒えたティルルは、這いずるようにしてルーンに近づくと、その体を抱きしめる。
「ルーン……もう、平気だよね……私たち、ずっと一緒にいられるよね……」
ドロセアはその様子を見下ろしながら、ぼそりと呟く。
「私とリージェもあんな風になれるのかな」
眼差しに憧憬を込めて。
しかしすぐに憧れを振り払った。
「いや、必ずそうしてみせる。私が、自分の手で」
そして再びティルルたちに歩み寄ると、彼女に告げた。
「ルーンさんを殺してほしいっていう依頼だけどさ」
「受けなかったんでしょう……?」
「そうなんだけど、依頼人が誰かわからないって話。あれさ、誰が依頼したのかわかったかも」
「誰、だったの」
ドロセアの視線が、ルーンに向けられる。
それだけでティルルは察したようだった。
「ずっと、自分がティルルさんの邪魔になってるって苦しんでたのかもね」
「ああ……辛い思いをさせてごめんね、ルーン……」
ティルルは抱きしめたルーンに頬ずりをして、頭を撫でる。
ルーンは、自分さえいなければティルルはもっと立派な人間になれる、と思っていたのだろう。
くしくもトーマと同じ考えだったわけだ。
だがティルルは何があってもルーンから離れようとはしなかった。
もちろんルーンもそのことを喜んではいたのだろう。
だからこそ、ティルルの足かせになっている自分が許せなかったに違いない。
ゆえに彼女は悪役になろうとした。
ティルルに呆れられて、見捨てられるような悪人になれば、“冒険者殺し”が殺してくれるはずだから。
「まさか掲示板がこんな使い方されるとはね。目的は果たせたから、結果オーライだけど」
わずかに見えるレイムダールの亡骸を振り返り、微笑むドロセア。
エルクは、迫りくる死神の存在を感じどれだけ焦っているだろう。
そろそろ我慢できずに本人が動こうとする頃だ。
ドロセアはその瞬間を楽しみにしながら、ティルルたちとともにレイムダールのアジトを後にした。