017-2
ルーンから逃げたティルルとトーマは、最寄りの教会を訪れていた。
礼拝堂の長椅子に座る彼女の前にラパーパがしゃがみ込み、額に手をかざす。
白い術式が空中に浮かび上がり、血のにじむ傷口を癒やした。
「傷自体は大したこと無いデス、時間も経ってないので痕も残らないですよ」
「……」
ラパーパが微笑みかけても、ティルルは反応しない。
見かねたトーマが口を開く。
「すまない、ありがとう」
「どう致しまして。冒険者さんですよね、ずいぶんと焦って逃げ込んできたみたいですが、ひょっとしてゼッツ派と揉めたんですか?」
「修道女もゼッツ派の蛮行については知ってるんだね」
「王都で知らない人の方が少ないですよ」
「それもそうか。揉めたのは事実だけど……怪我は無関係だよ。ここに来る途中、彼女が転んでしまってね」
「顔面からですか。それは大変ですね」
そんな二人の会話の最中も、ティルルはうつむいたままだ。
ラパーパは彼女に顔を近づけると、優しく微笑む。
「魔術で治せるのは体の傷だけですけど、修道女として心の治療をすることもあるんですよ。よかったら相談してみませんか?」
横に首を振るティルル。
「これは……私が背負うべきものだから……」
「吐き出した方がいいんじゃないか」
「嫌だ……」
「そうやってルーンに依存して何の意味がある。彼女はもうティルルを捨てたんだ、ティルルも彼女を捨てるときじゃ――」
「捨ててなんかないッ!」
打って変わって、ティルルは怒鳴るように反論する。
至近距離でその変化を見せられたラパーパは驚きのけぞった。
「どうしてそこまでしてルーンにこだわる。王都に来てから、彼女は足を引っ張るばかりだったろう!? 連れてこなければ僕たちはもっと冒険者として“上”に行けてた――いや、行くべきだった。より多くの人を救うために!」
「そんなものはどうでもいいの……」
「人助けのために冒険者になったんじゃなかったのか!」
「そう言ってれば……ルーンは、かっこいいって思ってくれるから……」
トーマの顔が怒りに歪む。
正義のため、人々のために冒険者になる。
立派な人間として、多くの人々の助けとなる。
それが共通の“夢”であると信じてきた。
だがティルルは、この期に及んで手のひらを返したのだ。
トーマにとって許せることではなかったが――その怒りの矛先はティルルには向かない。
「やはりルーンはティルルを間違った方向へ向かわせていたんだ、別離して正解だった! 安心してくれティルル、僕がついてる。僕が必ず、君を正しい方向へと導くよ!」
胸に手を当て、使命感に燃えるトーマ。
ティルルは苦しげな表情のまま、そんな彼から目をそらす。
「あのー……ワタシの出る幕、無いですか?」
「申し訳ないが必要ない。彼女を支えるのは僕の役目だ」
出番が無さそうというより、話が通じなさそうだとラパーパは感じていた。
そのとき、教会に新たな来客が現れる。
ドロセアは礼拝堂を見てティルルとトーマを見つけると、「あ、ここにいた」と言った。
「ドロセアさんじゃないですか、依頼を解決しにいったんじゃなかったんデス?」
「その依頼の件で来たんだけど……」
彼女を見たトーマは首を傾げる。
「あなたは?」
「冒険者殺しのドロセアって言うの、よろしくね」
「冒険者殺し……ゼッツ派を殺して回ってるっていう、あの!?」
まさか冒険者殺しが自らそう名乗ると思っていなかったのか、驚くトーマ。
対するドロセアは笑顔でこう返す。
「そうそう、最近レイヴンも仕留めたあのドロセアだよ」
「そのノリでいいんデス……?」
若干引いているラパーパだが、ドロセアは気にしてないようだ。
するとトーマが一歩前に出て、やけにキリッとした表情で言い放つ。
「もしかして、僕たちをスカウトしにきたのかな」
「スカウト? 何で?」
「ゼッツ派に所属しない数少ない冒険者だからね。違うのかい?」
「違うよ。ゼッツ派に所属してない冒険者なんていたんだね」
はしごを外され、トーマは少し気まずそうだ。
「ごめんね、私あんまり王都の冒険者事情に詳しくないから。私がここに来たのは、ルーンっていう冒険者を殺す依頼を受けたからなんだ」
ドロセアがそういうと、ビクッとティルルの体が震える。
そして今まで黙っていた彼女は突如として立ち上がると、ドロセアに掴みかかった。
「やめて、ルーンを殺さないでっ!」
「待って、私もそれで困ってるからここに……」
「もしルーンを殺すつもりなら、私があなたを殺すからっ!」
「落ち着くんだ、ティルル」
ティルルを羽交い締めにするトーマ。
彼の腕の中でティルルはじたばたと暴れた。
「こんなの落ち着けるわけ無いっ! やだぁっ、ルーンが死ぬなんてやだあぁぁっ!」
「すまない、さっきからずっとこんな調子なんだ」
「親しい間柄みたいだし仕方ないよ」
「困ってるって言ってましたけど、何があったんデス?」
「それがね、掲示板に依頼人の名前が書いてなかったんだよ」
眉を八の字に曲げながら、ドロセアは語る。
「しかも標的はゼッツ派の幹部じゃなくて、名前も聞いたことがない冒険者。私は無償の殺し屋じゃないんだから、そんな依頼受けられないと思って探ってたの」
するとティルルは、トーマに疑いの目を向けた。
「トーマ、まさかあなたが……」
「そんなわけないだろう。いくらなんでも幼馴染を殺すなんて真似はしない!」
「なるほど、幼馴染なんだね。実をいうとさ、私さっき酒場の前で三人が口論してるとこ、見てたんだよね」
一番見られたくない場面だったのか、ティルルもトーマも気まずそうな顔をする。
ドロセアはそれでも気にせずにこう問いかけた。
「そのうえで聞くけど、三人はどういう関係なの?」
ティルルは話しそうになかったので、トーマがかわりに答える。
「簡単にいうと、同じ村から来た幼馴染だよ。小さい頃からずっと一緒に遊んでて、そのまま一緒に冒険者になったんだ」
「雰囲気からして、王都に来てから三年ぐらいは経ってる感じかな」
「鋭いな、その通りだ。つい先日までは三人で活動していた」
「大枠はわかった。それぞれの関係はどんな感じ?」
ここで初めてティルルが口を開く。
トーマが答えると、偏った内容になると思ったのだろうか。
「私とルーンは、まるで姉妹のように育ってきて……これから先も、ずっと一緒にいられると思ってた。仲だってよかったはずだし、ルーンも私と一緒にいたいと思ってくれてるはずだったのに……」
そう語るティルルを見て、ドロセアはふと自分の幼馴染を思い出す。
無条件でずっと一緒にいられると思っていた。
そういう人間に限って、第三者の理不尽な介入で引き裂かれるものだ。
するとそこにトーマが口を挟んだ。
「彼女は言葉には出さなかったけど、ずっと僕らに劣等感を抱いていたんだ」
「もしかして魔術の?」
ドロセアは彼らの手の甲を見てそう判断する。
トーマはうなずいた。
「ああ、僕ら二人はA級、ルーンはD級。魔術の話になると、僕ら二人に割り込むことはできなかった」
「魔術の才能なんてどうでもいいのに……」
おそらくそう考えているのはティルルだけなのだろう。
冒険者になった以上、魔術の腕の差は避けては通れない問題になる。
しかし当事者であるルーンがいないので、劣等感の話については二人に聞いても不毛だ。
ドロセアは少し話題の方向性を変えた。
「レイムダールの仲間になる直前、何かそういう兆候とかは無かった?」
「私は知らない……」
「……僕も心当たりは無いかな」
わずかに間を置いてそう答えるトーマ。
ドロセアは左目を閉じ、右目だけで彼を見ながら、平静を装う。
「そっか。ずっと心に秘めてた気持ちが爆発したってことなのかな。それにしても困ったなあ、どうせレイムダールは殺すつもりだけど、依頼の方はどうしよっか」
「ルーンは殺さないで、お願い! ルーンが死んだら、私、私……っ」
瞳に涙を浮かべながら訴えるティルル。
一方でトーマは――
「場合によっては、死んだ方がいいのかもしれない」
あまりにも冷めた言葉で、場の空気までも凍りつかせる。
当然、ティルルは反論した。
「なんてこと言うの、トーマ! ルーンは大切な幼馴染じゃない!」
「彼女はすでに一人殺してるんだぞ!? 今後も生きている限り、あの薬で強くなったっていう魔術で人を殺めていくに違いない。ティルルはそれでいいと思ってるのか!?」
「思ってない! 思ってないけど……だからって、死んでいいはずないもん……! ルーンは、私と一緒にいるんだもん……ッ!」
ついにはぼろぼろと涙を流し、崩れ落ちるティルル。
悔しそうに唇を噛むトーマだったが、そんな彼にドロセアが声をかける。
「トーマさん、ちょっとこっち来てもらってもいいかな」
ドロセアとトーマは礼拝堂の脇にある扉を通り、廊下へと場所を移す。
「どうして僕だけを?」
「さっき、ルーンさんにはレイムダールの仲間になるような兆候は無いって言ってたけど――あれ嘘だよね」
トーマの表情が強ばる。
だがすぐにそれは怒りへと転じた。
「言いがかりはよしてくれ、僕が何をしたっていうんだ」
「私、魔力が見えるんだ」
「それで?」
「魔力って感情の影響を受ける部分が多くて。落ち込んでるときと楽しんでるときで魔術の威力の差がついた経験とかない?」
「……無いとは言い切れないが」
「それと同じでね、嘘をつくと頭のあたりの魔力の巡りが微妙に変わるの」
ドロセアの全てを見透かすような目を向けられ、じわりとトーマの手のひらが汗ばむ。
「そんなものが……見えるわけ……」
「見えようが見えまいが、嘘をついたかどうかは自分でわかるはずだよ」
さらにドロセアはトーマを詰める。
「正直に答えて」
低い声で、半ば脅すようにそう要求すると、耐えきれずトーマは顔を背ける。
そして首を振りながら、言い訳をはじめた。
「……僕は間違ったことはしていない。君も見たならわかるだろう!? ティルルは将来有望な魔術師だ、そんな彼女がルーンにかまけて実力を発揮できないなんてこと、あっていいわけがない!」
「あのさ」
「しかもルーンの存在は彼女の人格にも悪影響を及ぼしていた。ティルルは心優しくて、思いやりがあって、正義に満ちた心を持った女性だ。それがルーンにかっこよく見られたいから冒険者をやっていた、だなんて……あんな発言が出てくる時点でおかしいんだよ!」
ドロセアはため息をつくと、呆れ顔で言い放つ。
「そういうの良いから、本心を言えば?」
「これが本心だ!」
「違うよね。結局のところ、あのルーンって子に取られるのが嫌だったんじゃないの」
「な……」
トーマの顔がひきつる。
彼は後ずさりしたが、すぐに背中は壁に当たり、逃げ場を失った。
「誰よりも“かっこよく見られたい”って思ってたのは、あなた自身なんだよ」
「初対面の人間が知ったふうな口をきくなッ!」
「初対面だからフラットに物事が見れるってこともあるよ。少なくとも、“嘘”は見えてるわけだし」
言い訳を重ねるトーマの頭の中では、魔力が迷走を続けている。
嘘に嘘を塗り重ねていることは、ドロセアにはお見通しだった。
そして何よりトーマ自身も、その綺麗事がみっともない見栄でしかないことを理解しているはずだった。
彼は壁にもたれたまま、ずるずると背中をこすりながら床に座り込む。
そして装飾のない、本音を語りだした。
「僕とティルル……ルーンとティルル……外見の整った僕と、美しいティルル。そして地味でさえない、友達だって少ないルーン。誰と誰がお似合いかなんて……考えるまでもないだろう。魔術にしたってそうだ……A級とD級よりA級同士の方がいい。それは常識じゃないか……」
あくまで己の欲求ではなく、第三者視点から見た“ふさわしさ”で語るあたりに、トーマのプライドの高さがにじみ出ている。
「僕はただ、そういう常識をルーンに説いただけなんだ! 何度も、何度も、ティルルを幸せにするにはそれが正しいってッ! そしてようやく彼女はそれを理解した、ただそれだけのことだ!」
「それって一回だけ?」
「いいや、以前からずっとだよ」
「んー……そっか」
ドロセアは何の感情も見せずに、そうつぶやき、顎に手を当て考え込む。
するとトーマは言った。
「僕は間違ってない」
「もう戻っていいよ」
「僕は間違ってない」
「用事は済んだから」
「僕は! 間違ってないぃッ!」
ドロセアは苦笑いを浮かべ、彼を諭す。
「間違ってるとか正しいとかそういう次元の話じゃないと思うけど。とりあえず戻ろう」
だがトーマはその場から動こうとしない。
困り顔のドロセア。
さながら、三人で見て見ぬふりをしてきた爆弾が、ここにきて盛大に爆発したというところだろうか。
爆心地にいながら、彼一人だけノーダメージなわけがなかったのだろう。
仕方ないので、放置して礼拝堂に戻る。
すると、なぜか近くにラパーパが立っていた。
「あ、今『盗み聞きしてたのかな』って思ったでしょう」
「思ってないよ」
「違うんデス、すごい声がしたんで心配して見に来ただけで、本当に何も聞いてないんデス! いや、本当はちょっと聞こえてましたけど……」
「声大きかったし仕方ないよ」
「……それで、何を聞いたらああなるんデス?」
盗み聞きした罪悪感からか、喋り方が微妙になまるラパーパ。
本当にドロセアは気にしていないのだが。
どうせ話すつもりではあったのだから。
「本当にルーンって子に何も言わなかったのかって聞いたの」
「あー……言ってたんですね」
ラパーパはそう小声で言うと、椅子に座りうなだれるティルルをちらりと見た。
どうやらこの二人の会話は彼女までは聞こえていないらしい。
「もしかして、いわゆる三角関係ってやつデス?」
「似たようなものかな。でもトーマに勝ち目は無いよ」
「断言しましたね」
「あのティルルって子の様子が、リージェ……私の幼馴染に似てると思ったから」
「どんな人だったんデス?」
「小さい頃からずっと一緒だった、私の大切な人」
「そういえばリージェって聖女様と同じ名前ですね」
「そうだよ、そのリージェ。あの子を教会から奪い返すために私は戦ってる」
「えぇっ!?」
目を見開き驚くラパーパ。
「そんな理由だったんですか。あれ、でも聖女様って……」
「死んだ、ってことになってるんでしょ」
「表には出てないですけど、噂にはなってるデス」
「あれは嘘だから。今もどこかの施設に一人ぼっちで幽閉されてるはず」
死んだのは偽の――アルメリアという少女が成りすましていたリージェだ。
また、現在も魔力を向上させる薬が出回っていることも、リージェが生きている証拠の一つとなっていた。
「ゼッツは教会との繋がりが深い。あいつを追い詰めれば、リージェが監禁されてる場所のヒントは得られるはず」
「それで聖女様の居場所を割り出そうという魂胆なんですね」
「そういうこと。で、リージェの話だけど――あの子は本当に真っ直ぐに、私に“好き”って気持ちを向けてくれてた。他のものに一切目もくれずに、一直線に。あのティルルって人からは、それと同じものを感じるんだ」
「ルーンへの愛が深すぎるってことですね」
「横恋慕したところで乗り換えることは絶対にありえないって断言できる程度にはね」
トーマにとっては残酷な現実だが、しかし十年以上も一緒に過ごしてきたのなら、いい加減にわかるはずだ。
そもそも三角関係など成立していないのだ。
想い合う二人と、そこに介入する一人がいるだけで。
「初対面の人間が出しゃばるのもどうかとは思うけど、首を突っ込んだからには放ってはおけない。とりあえずトーマって人にどうにかして諦めてもらって」
「それからティルルさんとルーンさんが落ち着いて話し合える場所を作る、ですか?」
「できるだけレイムダールとも引き離してね」
「そんなことできますかね」
「レイムダールは私が殺す。それで丸く収まるはずだから」
過激なドロセアの言動に、面食らうラパーパ。
ドロセアが纏う空気自体は穏やかなのだが、急にこうして鋭利になることがある。
それが彼女の心に宿る歪みであり、リージェが関連しているであろうことは、部外者のラパーパにも予想はできた。
すると礼拝堂の扉が開き、ノックダウンしていたトーマが入ってくる。
彼はふらふらとした足取りでティルルに近づくと、その腕を掴んだ。
「帰るぞ、ティルル」
「放してっ!」
振りほどこうとするティルルだが、トーマの手には力が籠もっており離れない。
「治療は済んだんだ、もうここに残る必要はない!」
「でもルーンが殺されるって!」
「私は殺さないよ。依頼主が誰か探りに来ただけだから。それがわかるまでは手を出すつもりはない」
「本当に……?」
「そもそも私の狙いはゼッツ派の幹部。つまりレイムダールなんだから、ルーンさんを殺す理由が無いんだよ」
ほっと胸をなでおろすティルル。
そんな彼女をトーマが引っ張り、立ち上がらせようとする。
「もう気はすんだろう、行こう」
「でも……トーマにはついていけないよ」
「なぜそうなる!」
「だって、トーマはルーンが死んでも仕方ないって言ってたよね! 昔からそうだった。トーマはルーンに対する当たりが強くて」
「僕は正しいアドバイスをしていただけだ」
「そう、ルーンも自分に自信が無いから『トーマは正しいことを言ってる』っていって怒ったりはしなかった。けどね、本当は傷ついてたんだよ? ああいうこと言われるたびに、余計に自分に自信をなくしてたの!」
「じゃあ僕のせいだって言うのか!? ティルルまで!」
「まあまあ、落ち着いてよ」
また口論が始まりそうなので間に入るドロセアだったが、トーマから思わぬ反撃を受ける。
「落ち着けない元凶がそれを言うのかッ!」
確かに彼にとってはそうかもしれない。
その原因もまた彼にあるのだが。
「ドロセアさんは出てこない方がいいかもしれないですね」
「うん、そうする」
ドロセアはしょんぼりとした表情で一歩後ろに下がり、仲裁はラパーパに任せることにした。
「ここにいたくないのは理解しました。でしたら私が送っていくので、ひとまず泊まっている宿にいきましょう」
「ルーンのことは……どうしたら……」
「気持ちが落ち着いていないと、いい案も浮かばないものですよ。まずは休むことが大事デス!」
ティルルはおそらく、二人きりで帰りたくなかったのだろう。
ラパーパが同伴すると言っただけであっさり話がまとまったので、ドロセアは軽く落ち込んでいた。
◇◇◇
翌日、ドロセアはラパーパを連れてティルルとトーマの宿までやってきた。
まだ心配なので、二人の様子を見に来たのだ。
まずティルルが泊まっている部屋を訪ねたが、中には人の気配が無い。
続けてトーマの部屋をノックすると、返事が無かった。
しかしこちらには人の気配がある。
試しに扉を開けると、鍵はかかっていなかった。
「無防備だね」、「ですねえ」と会話を交わしながら中に入る。
トーマは椅子に腰掛け、何やら手紙を読んでいるようだった。
「トーマさん、開いてたので勝手に入ってしまいました。すいません」
ラパーパが声をかけても、反応は無い。
「あのぉ、ティルルさんはどこに行ったかご存知でしょうか……?」
続けてそう尋ねると、ようやく答えが返ってきた
「ティルルは出ていったよ。部屋にはこの手紙だけが残されていた」
そう言って、トーマは手にした手紙を投げ捨てる。
床に落ちたそれをドロセアは拾い上げると、内容に目を通した。
「これは招待状?」
「最高のショーに参加させてやろう、って書いてありますね」
「差出人は……レイムダール!」
「ルーンさんですらないんですか? 何で止めなかったんですか!」
「僕は止めたさ、けど彼女は話を聞かなかった!」
彼がここまで静かだったのは、どうやら怒りに震えていたかららしい。
部屋が狭いからか、その怒声は昨日以上に大きく聞こえた。
「レイムダールからの呼び出しに応じるなんて死ににいくようなものだ。だというのに、自分からそこに向かったんだぞ? こんな愚かなことがあるか!? だからここでこうして呆れてたんだよ、もう勝手にしたらいいって」
「出ていったのはどれぐらい前のこと?」
「一時間ぐらい前じゃないか」
「そう、ありがとう」
ドロセアは手紙をトーマの近くにあるテーブルに置くと、早々に部屋を出た。
ラパーパは「え、えっ?」とそのスピードについていけない様子で戸惑いながらも、ドロセアの後ろに続く。
宿を出たところで、ラパーパは問いかけた。
「一発ぐらいひっぱたいてもよかったんじゃないですか?」
早足で進むドロセアは、冷静に答える。
「他人の失恋に土足で踏み込んだって全員が損するだけだよ、それよりティルルさんを追いかけないと」
「いるとしたら、レイムダールのアジトですかね」
「場所は……知らないよね」
「そうですねえ。レイヴンほど派手に動いてるわけじゃないので」
「手紙には、聞き慣れない名前の酒場に来いって書いてあった。たぶんそこで行き先を聞く形なんだと思う」
「回りくどいデス」
「レイムダールはおそらく、私が依頼を受けていることを知らない。場所さえわかれば奇襲はできるし、できればこのタイミングで仕留めておきたいな」
それからしばらく歩いたところで、ふいにドロセアは足を止めた。
「ラパーパはここまでだね」
手紙の酒場に向かう道中で、もっとも教会に近い地点が今いる場所だった。
戻るにはちょうどいい。
「ここまで関わったんです、最後までついていきます」
「ダメ」
「治癒魔術は役に立ちます」
「死体は得意?」
「得意では……ないです。でも我慢はできます」
「大量の死体は?」
「へっ? た、大量って……」
「その反応ならやめといたほうがいいと思う」
暗に大量に人が死ぬと言っているようなものだった。
レイヴンの屋敷には手下らしき冒険者はいなかったが、レイムダールは違う。
彼が群れたがるタイプであることを、故郷の頃からドロセアはよく知っていた。