017-1 恋焦がれ
「まだドロセアを名乗ったやつは見つかんねえのかッ!」
エルクは苛立たしげに机を蹴った。
その音に手下はビクッと反応し、彼に近づかないよう距離を取る。
一方で、そんなエルクのご機嫌取りをするのは昔から親しい間柄のカウデスだ。
「落ち着いてくださいよエルクさん、まだ本当にドロセアがいるのかもわかんないんすから」
「だとしたら誰だってんだよ! あの日、一緒に薬を飲ませた人間の中に裏切り者がいるってのか!?」
「それは無いっす。みんなエルクさんのこと慕ってるんすから」
「お前以外は養成所からとっとと逃げたじゃねえか」
「そ、それは……」
「まあいい。それより、レイムダールと連絡は取れたのか?」
「ああ、それなら今んとこは無事みたいっすよ」
レイムダールもまた、エルクの手下の一人である。
聖女の血により力を手に入れたあと、この王都で好き放題に暴れている。
「その割にはぜんぜん顔出さねえじゃねえか」
「よっぽど楽しいおもちゃでも手に入ったんじゃないっすか」
「レイヴンと同じパターンか……まずいな」
エルクは貧乏ゆすりで繰り返し床を鳴らす。
「例の掲示板さえ監視できりゃあな」
「あそこはムル爺とかいうやつが仕切ってるんで、誰も近づきたがらないんすよ。エリア外ならギリギリで行けるってやつはいるんすけどね」
「ジジイなんざ殺せばいいだけだろ。クソッ、何が昔からの掟だよ」
「でも今の調子ならそれも時間の問題っすね、エルクさんなら絶対に王都統一を成し遂げられますから」
「当然だ。俺は“選ばれし人間”なんだからな」
彼の手のひらの上で術式が浮かび上がり、小さな炎が灯る。
「聖女の血に愛された男だ、いずれは騎士団もぶっ倒して俺が頂点に立ってやるよ」
「野心を抱いてるエルクさん、マジかっけーっす」
「ふっ、言ったろ? お前らにもいい思いをさせてやるって。俺は約束は忘れねえよ。だからこそ――ドロセアの名前を使う人間を野放しにするわけにはいかねえんだ」
彼の命令により、エルク派の冒険者たちは血眼になってドロセアの手がかりを探している。
今のところ何も掴めていないようだが――
「まあ、その名を騙った時点で俺に恨みを持ってることは明白だ。放っておいてもあっちから動くとは思うがな」
近いうちに、その予想は当たることになる。
だがそれは、彼が仲間を失うことと同義だ。
先に潰せなければ意味がない――エルクの苛立ちは積もる一方であった。
◇◇◇
とあるお屋敷には、非常に悪趣味な施設がある。
広い地下空間。
それを見下ろす形で設置された観覧室。
二つの部屋は抗魔術加工を施された高価なガラスで隔たれている。
元々、この屋敷で暮らしていた貴族が、人身売買で手に入れた子供を殺し合わせるために作った部屋だ。
そのせいで、地下の方はところどころ血で汚れていた。
今、そこには少女と痩せた男がいる。
紫の長い髪の少女は、前髪が長いため目元が見えず、あまり感情が読み取れない。
しかしナイフを握る両手が震えていることから、ひどく緊張していることがわかる。
一方で男の方は、何か諦めたように床に横たわり、少女を見上げていた。
観覧室には、豪華なチェアに座りその様子を見守る男が一人。
体は大きく、腹も出ており、派手な服を身につけているので成金貴族のように見えないでもない。
だが実際のところは、エルクの手下――つまり冒険者である。
肘を突き、足を組んでふんぞり返るその様は、明らかにこの空間の“支配者”を気取っているように見えた。
「オレは人間が誇りを捨てる瞬間が好きだ」
男――レイムダールは、口元に笑みを浮かべながら一人つぶやく。
「欲に屈して、今まで大切に守ってきたものを捨させた瞬間、何物にも代えがたい優越感が得られる」
他人を見下す浅ましさを隠そうともせず、悪意に満ちた表情で観劇する。
「これ、ひょっとすると愛ってやつなのかもな。カハハハハッ!」
レイムダールが笑うのと同時に、少女は痩せた男に対しナイフを突き立てた。
何度も何度も繰り返し突き刺し、その命を奪う。
やがて血にまみれた少女は凶器を落とし、床に突っ伏して泣き出した。
その様子を見てレイムダールは歓喜する。
そして伝声管に顔を近づけ、語りかけた。
『おめでとう、ルーン。これでオレたちは仲間だ』
少女――ルーンのいる部屋に声が響き渡る。
出力側には風魔術が仕込まれており、魔力で声を増幅する仕組みだった。
『お前に、血を与えよう』
地下空間の扉が開かれ、トレーを持ったメイドが現れる。
上には赤い液体の入った皿が置かれていた。
『飲め。血の繋がりがオレたちをファミリーにしてくれる』
ルーンは血で汚れた手を震わせながら、その皿を掴む。
そして――
◇◇◇
「なあお前ら、いい加減に諦めたらどうなんだ」
昼間から酒場で酔い、頬を赤くしている中年の冒険者。
彼らと同じテーブルに座っているのは、まだ若い男女のペアだった。
少女はティルル、少年はトーマといった。
二人とも絵に書いたような美少女、美少年で、誰がどう見てもお似合いのカップルである。
「先輩に言われても、考えを変えるつもりはないよ」
「人々を救う冒険者として、ゼッツ派に所属することはできません」
「かーっ、若いねえ」
中年の冒険者は呆れながらも、どこか嬉しそうだ。
現在、王都で活動する冒険者の大半はエルクの派閥に所属している。
そうしなければ妨害を受けてまともに仕事ができないからだ。
さらにエルクたちはギルド本部にまで圧力をかけており、新たに冒険者となる人間は、必ず一度はエルクに顔を見せることになっていた。
当然、誰もがエルクの支配から抜け出したいと思っている。
実際に王都から別の街に拠点を移した者も少なくない。
そんな中、ティルルとトーマは頑なにエルク派に入ろうとせず、独立して活動を続けていたのである。
強い意志――そして“A級魔術師”という高い能力があるからこそ為せることだろう。
「しかしあんたら、前は三人じゃなかったか? あの紫の頭した根暗そうな娘、どこいったんだよ」
「ルーンは大人しいけど優しい子なの、根暗なんて言わないで」
「お、おう、すまんすまん。で、どうしたんだ?」
「それは……」
言いよどむティルルに変わって、トーマが答える。
「数日前に失踪したんだ。おそらく僕らから離れて、ゼッツ派に所属したんだろう」
「まだそう決まったわけじゃ」
「レイムダールと一緒にいるところを目撃されてる、もう決まりだよ」
「でも、ルーンがあんな悪そうな人のところにいくなんて……」
「仕方ないさ、彼女は僕らと違ってD級魔術師だ。ゼッツたちに抗う力を持たない」
「……っ」
悔しげなティルルに対し、トーマはどこか冷めた様子である。
中年冒険者は、そんな二人を見ながらジャーキーをかじる。
「複雑なお年頃ってやつだな」
「子供扱いしないでくれよ、冒険者としてはあなたと同等の実績を積んできたんだ」
「そりゃすまなかったな」
「それで、わざわざ呼び出してまでしたかった話は終わりなのか」
「ああ……最近はゼッツ派の連中の横暴も随分と過激になってきた。怪我しねえうちに諦めろって言っときたかったんだよ」
「心配してくれてありがとう。でも、私たちは誰かを助けるために冒険者になったから」
「わかったよ、もう諦めた」
「行こう、ティルル」
手を差し伸べるトーマ。
「……ええ」
ティルルはその手に気づかずに自ら立ち上がると、彼と二人で酒場を出た。
ちょうどそのとき、店の前で他の冒険者グループと鉢合わせになる。
それはレイムダールとつるんでいる、いかにも悪そうなチンピラたち。
そして――そこに混ざる、ルーンだった。
「ルーンっ!」
声をあげ、駆け寄ろうとするティルル。
だがトーマが腕でティルルを制した。
「ティルル、やめたほうがいい」
「ルーン、どうしてそんな人たちと一緒にいるの?」
「おうおうお嬢ちゃん、“そんな人”とはずいぶんな言いようじゃねえか」
チンピラがティルルに絡む。
トーマは間に割り込み、チンピラを睨み返した。
「ナイト様気取りかよ。さすがA級魔術師様、人格も出来ていらっしゃいますなあ!」
「僕たちはあなたがたと関わりを持つつもりはない。そうだよね、ティルル」
「ルーン、お願い答えてっ!」
「ティルルッ!」
前に出ようとするティルルを、トーマは必死で止める。
だが彼女の耳に声は届いていなかった。
その瞳が移しているのもは、うつむき、何も話そうとしないルーンだけだ。
するとルーンが顔をあげる。
そして邪悪な笑みを浮かべると、突如として黒い術式を浮かび上がらせた。
「どいて……みんな。この女は……私が、自分の手でケリをつけなきゃならない相手だから……」
チンピラたちは浅ましく笑いながら道を開ける。
「ルーン? どうして魔術なんて使ってるの?」
「見てほしくて」
「何を?」
「強くなった……私の力だよっ!」
術式から黒い闇の塊が射出される。
本来、闇属性の魔術は相手の視界を塞いだり、動きを阻害したりと直接的な攻撃ではなく、妨害に使われることが多い。
そんな中、この“シャドーボール”は珍しく攻撃のためだけに存在する闇属性の魔術だ。
だがその特性ゆえに、他属性に比べると威力があまり出ないのだが――
「くうぅぅ……シールドで、防ぎきれない……っ!?」
黒い球体は、ティルルがとっさに展開したシールドをガリガリと削り、少しずつ侵食していく。
ティルルはA級、ルーンはD級魔術師。
そこにある魔力の差は圧倒的であり、本来ルーンはティルルの足元にも及ばない。
だが今は違う。
A級魔術師の展開したシールドを、D級魔術師が砕こうとしている――
「僕に任せてくれッ! てえぇぇえいい!」
助太刀に入るトーマ。
彼は腰にさげていた剣を抜くと、水の魔術を帯びた刃で闇の球体を斬りつけた。
だが簡単に両断はできず、バチバチと魔力同士が火花を散らす。
「ぐうぅッ、ルーンが使ったとはとは思えない魔力の密度だ……だがッ!」
しかしさすがに二人がかり――ついにトーマの刃はシャドーボールを切り裂いた。
途端に崩壊し、霧散していく闇の塊。
彼は肩で呼吸をしながら、剣の切っ先をルーンに向け彼女を睨みつけた。
「ティルルを殺すつもりか、ルーンッ!」
「二人が……ゼッツ様やレイムダール様に逆らうのが悪いんだよ……」
「あの男に魂まで売ったのかッ!」
「やめてトーマ、ルーンにもなにか事情があるんだよ。そうだよね、ルーン?」
なおもルーンを信じようとするティルル。
あまりに人が良すぎる、とトーマは頭を抱えた。
対するルーンは、やはり悪意に満ちた笑みを浮かべ、こう答える。
「私……ずっと前からティルルのこと殺したいと思ってた……」
「ルーン……?」
「選別の儀でA級魔術師になったからって……その力をひけらかして……」
「ち、違うよルーン。私、そんなことは!」
「知ってるよ私、トーマと二人で私のことをバカにしてたんだよね……言葉に出したことはなくても、目つきでわかってたよ。ああ、ティルルは私を下に見ることで……優越感を覚えてるんだって」
「やめてよ! そんなこと、本当に考えてないっ! 私はルーンのことが大好きで――」
「気持ち悪いことを言うなッ!」
目を見開き大声をあげるルーン。
今までの彼女からは想像できない感情のあらぶりに、ティルルは恐怖する。
「私はもうティルルの引き立て役じゃない……力を手に入れたんだ、薬を使って……A級なんかよりもっと強い、S級魔術師としての力を……!」
「もう諦めるんだ、ティルル。ルーンに話は通じない」
「だけどっ!」
「わがままを言わないでくれッ! やはりこの女はゼッツに魂を売ったんだ、誰がどう見ても明らかだろう!」
「だとしても、後戻りできるっ!」
「できないよ」
「どうして言い切れるの!?」
「人を殺したから」
ルーンはそれを誇るかのように、笑いながら語った。
「レイムダール様の仲間になるために、何の罪もない人を殺してきたの」
「そんなわけない……」
「ナイフで何度も突き刺して、痛い、やめてくれ、助けてくれって懇願するその人を……動かなくなるまで、何度も、何度も……」
「やめてよお、ルーンはそんなことしない……!」
「したよ。楽しかった。抵抗できない相手を一方的に痛めつけるのって……あんなに快感だったんだね!」
さらにルーンは懐から赤黒い血で汚れたナイフを取り出し、ティルルに見せつける。
「これね、そのときに使ったナイフ。レイムダール様の仲間になった証だから……いつも、肌身放さずに持ってて――」
「やめてぇええッ!」
ティルルは目の前のルーンを否定しようとするあまり、無意識のうちに魔術を放つ。
風の刃が放たれ、彼女の頬を裂いた。
「あ……」
ティルルの瞳が絶望に揺れる。
ルーンの頬から、血がツゥっと流れて落ちる。
彼女はそれを指ですくうと、赤く汚れた指先を見てふっと微笑んだ。
「ティルル……やっと本性を見せてくれたね。十八年間隠し続けた、本当の気持ちをっ! やっぱりそうだ、ティルルは私のことを見下して、自分を引き立てる道具としてしか見てなかったんだえぇ!」
「違う……違うの、今のは何かの間違いでっ!」
「間違いで殺そうとするの? さすがA級魔術師様、D級魔術師とは命の重さが違うもんねぇ!」
「黙れルーンッ!」
トーマがルーンに斬りかかる。
ティルルは「やめてぇええっ!」と叫ぶも、その悲痛な想い誰にも届かない。
ルーンはシールドで刃を受け止めると、シャドーボールを放ちトーマを退けた。
「くそ……ッ、力を手に入れたからって調子に乗って……!」
「“私の番”が……来ただけだよ。今までと立場が変わったからって怒らないで、トーマ」
「やっぱり僕の直感は間違ってなかった。本性はねじ曲がってるのはティルルじゃない、お前だ、ルーンッ! “D級”はその人格の歪みに対する罰だったんだよ!」
「A級だから……人格も優れてるっていうの? 素敵な思想だね……じゃあ、ゼッツ様もさぞお優しい方なんだろうねぇ!」
「屁理屈を言うなッ!」
トーマが剣を振るうと、水の刃がルーンを襲う。
「それはこっちの台詞だよっ!」
ルーンは黒い術式を纏った腕で、それを弾き飛ばした。
殺意をぶつけ合う二人を前に、ショックのあまりティルルが崩れ落ちる。
「ティルル、大丈夫か!」
「お願いだから、もうやめて……こんなの見たくない、聞きたくない……!」
ティルルに寄り添い、その肩を抱くトーマ。
彼は親の仇でも見るように、ルーンを睨みつけた。
「ティルルを傷つけたお前を、僕は絶対に許さないからなッ!」
そして半ばティルルを抱えるようにして、その場から離れていく。
ルーンは黙って離れていく二人を見送った。
「いいのかよ、追わないで」
「いいよ。だって、殺そうと思えば……いつでも殺せるんだから」
少女は憎悪を込めた歪んだ笑みを浮かべる。
その表情に、チンピラたちはご満悦だ。
「ははっ、いい顔してんなあ。やっぱお前、俺らの仲間に向いてるよ。さあ、歓迎会だ。好きなだけ飲もうじゃねえか!」
ルーンはチンピラに囲まれながら、酒場に入る。
そんな彼女は見えなくなるその瞬間まで、ティルルたちの背中を視線で追い続けていた。
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