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015 都市伝説のD

 



 王都ガイオニア――多種多様な人種が行き交うこの街の治安は、お世辞にも良いとは言えない。


 東西南北の各地に詰め所が置かれ、兵士が治安維持を行ってはいるが、賄賂による腐敗などもあり思うように成果を上げていないのが現状だ。


 昨今は他国との戦争も起きていないため、国内の統治に力を入れる国王サイオンとしては、王都の治安改善も喫緊の課題ではあった。


 だが王牙騎士団の壊滅により後回しにされてしまっている。


 そんな中、人々が頼りにするのは“冒険者”と呼ばれる、いわゆる何でも屋であった。


 冒険者ギルドと呼ばれる施設に依頼を出し、冒険者たちはその依頼を解決して報酬を得る。


 本来は遠出する際の護衛だったり、出現した魔物の退治、危険な場所でしか取れない薬草や食材の収集などが主な依頼内容なのだが、最近は王都での生活を守るための依頼も増えていた。




 そんなガイオニアのギルドで、最近になって幅を利かせている男がいる。


 A級魔術師のゼッツこと、エルク・セントリクスだ。


 騎士団養成所で事件を起こし逃げてきた彼は、偽名で活動している。


 と言っても、一部の人間は普通に本名で呼んでいるのだが。


 エルクは養成所脱走後、しばらくは裏社会に潜り込んで生活をしていた。


 マフィアの下っ端になり、鉄砲玉同然の使い捨ての扱いを受け、腐っていたところを教会に拾われたのだ。


 その後、しばらくは教会の世話になっていたようだが、つい三ヶ月ほど前にガイオニアに戻ってきた。


 戻ってきてからのエルクは、以前の彼とは別人のように強くなっていた。




 A級魔術師と言っても、エルクはまだまだ経験が浅い。


 鍛錬も足りず、才能を全て引き出せているとは言えない未熟者だった。


 だからこそマフィアの使いっぱしりになるしかなかったのだ。


 しかし今の彼は、ベテランのA級魔術師ですら片手で軽く捻り潰し、力で王都の冒険者たちの“首領(ボス)”を自称するほどだ。


 かつて彼を雑に使っていたマフィアも皆殺しにされ、今や彼に逆らうものは誰もいなくなっていた。




 しかも強くなってしまったのはエルクだけではない。


 なぜか彼の取り巻きたちも、S級魔術師並の魔力を手に入れてしまっている。


 力を手にしたチンピラたちは、暴行、殺人、脅迫、窃盗など考えうる限りの悪事を尽くし、自分たちを取り締まる存在がいないのをいいことに暴れ回っていた。




 豪勢な屋敷で悠々自適に暮らしているレイヴンという男もその一人だ。


 彼もドロセアが魔物化した際の暴行に参加しており、エルクと共に王都にやってきた人間である。


 レイヴンは魔術を使い商人を脅迫していたが、逆らわれたので殺害した。


 その後、生き残った家族を脅して許可(・・)を取り、ありがたくこの屋敷を使わせてもらっている、というわけである。




「おいゴミ女、早く次の酒をもって来るんだ!」


「は、はい、申し訳ありませんっ!」




 給仕服を着せられたその少女の名はメーナ、この家の主である商人の娘だ。


 父の死後、恐怖に支配されたこの屋敷の中で奴隷同然に働かされていた。


 急いで酒を運ぶメーナ。


 彼女がグラスをテーブルに置くと、レイヴンはいきなりその髪を掴んだ。




「い、ひっ……」


「父親みたいになりたくなかったら、真面目に働かないとね?」


「う、くうぅぅ……」


「返事は?」


「は、はいっ」




 レイヴンは「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、メーナの腹を蹴飛ばした。


 さらにうめき声をあげ倒れる彼女に、つばを吐きかける。


 だがこれぐらいは日常茶飯事だった。


 メーナの体には無数のアザがあり、こういった暴力が日常的に行われていることをがわかる。


 まだ治っていない傷も多く、立ち上がった彼女は脚を引きずるようにして歩いていた。


 教会で治療を頼もうにも、エルク一派の妨害により拒否される可能性もあるし、そもそもこの屋敷から出ようとすれば、おそらくレイヴンに殺されるだろう。


 いや、仮にメーナが生き延びたとしても、他の家族が――




「大丈夫、メーナっ!?」




 部屋を出た彼女に駆け寄ってくるのは、双子の姉のミーシャだ。


 外見はそっくりだが、活発なメーナと落ち着いたミーシャとで区別は付きやすい。


 もっとも、今はアザの数ですぐに見分けが付いてしまうのだが。




「またやられたの? どうしてメーナばっかり……」


「ミーシャは大人しかったから」


「それだけでこんなことするなんて!」




 レイヴンは意図的にメーナとミーシャの扱いに差を付けていた。


 そうすることで、二人が仲違いしてくれることを期待したのだろう。


 だがそうはならず、双子の姉妹は互いに互いを励ましあいながら日々を生きている。


 そのこともまた、レイヴンを苛立たせる一因であった。




「どうしてこんなことに……メーナは何も悪いことしてないのに……」


「ミーシャ……私は大丈夫」


「そんなはずないわっ!」


「こんなひどいこと、いつまでも続くわけが無いから」




 そう言い切るメーナの瞳には、希望の光が宿っていた。




「何か作戦があるのね?」




 そうミーシャが尋ねると、メーナは周囲に人が居ないことを確かめ、耳打ちをする。




「この前、叔父さんが心配して様子を見に来てくれたの。そこで助けを呼んでほしいってお願いしたんだ」


「すごいわメーナっ! じゃあこれで、お母さんも助けてもらえるのね」




 二人の母は父の死後、別の部屋に閉じ込められており、顔すら見れていない。


 生きているのか死んでいるのか、確かめる術すら二人には無かった。




「うん、冒険者を雇うって言ってくれたから、きっとあと少しで来てくれるはずだよ」




 この地獄のような日々がついに終わると知ったミーシャの表情も明るくなる。


 二人は『絶対に生きて脱出しようね』と改めて誓うと、レイヴンに気づかれないよう仕事に戻るのだった。




 ◇◇◇




 三日後の夜――身を寄せ合い倉庫で姉妹は眠る。


 体にかけられた薄いブランケットを共有して、抱き合うように体をくっつけている二人。


 すると玄関の方から大きな音が聞こえ、屋敷全体が揺れた。


 彼女たちはびくっと体を震わせ同時に起き上がる。




「な、なんの音っ!?」


「もしかしたら、叔父さんの助けが来たのかも」


「だったら外に出られるかもしれないわね。行ってみましょう」




 メーナとミーシャは手を繋いで倉庫を出て、恐る恐る玄関へと向かう。


 二人の父はそれなりに稼いでいた商人なので、屋敷もそれなりに広い。


 特に玄関は“顔”とも呼べる場所なので、立派に作ってあった。


 廊下と玄関を繋ぐ扉を開き、隙間から下を覗き込みるミーシャ。




「どう、ミーシャ」


「誰かが戦ってるわ」




 深夜のため視界が悪く、はっきりは見えないが、ぼんやりと浮かび上がる術式は見て取れた。


 魔術師同士が戦闘を行っているのは間違いない。


 レイヴンの声が玄関に響く。




「そこらの雑魚魔術師が僕に勝てるつもりでいたのかい!? 馬鹿だねえ、愚かだねえ、無能だねえ! そんなんだからここで死ぬことになるんだよぉッ!」




 茶色の術式――地属性を操る魔術が発動し、巨大な岩が射出される。




「う、うわあぁぁあああっ!」




 その射線上にいた男は、叫んだ直後にぶちゅっと岩に押しつぶされ絶命した。


 他の冒険者たちも同様だ。


 壁や床、天井にぺしゃんこに潰された死体が張り付いている。


 それに気づいてしまったミーシャは、だらだらと冷や汗を垂らす。




「ミーシャ……? どうなってるの?」




 姉の後ろから顔を出そうとするメーナ。


 ミーシャは慌てて、その頭を抱きかかえるようにして止めた。




「メーナ、あんなもの見ちゃダメ……!」




 その表情で、“失敗”したことを知る。


 このままここにいれば、レイヴンにもバレてしまうかもしれない。


 二人は脱出を諦め、倉庫に戻る。


 そして固く抱き合いながら、眠れない夜を過ごした。




 ◇◇◇




 翌朝、メーナとミーシャは食堂に呼び出される。


 一睡もできずに体調も悪い二人は、部屋に入った時点で顔が真っ青だった。


 それを知ってか知らずか、レイヴンはこの屋敷の主が使っていた大きめの椅子で、高圧的な笑みを浮かべながらふんぞり返っている。




「よく来てくれたね、今日は君たちに見せたいものがあるんだ」




 言われずとも、すでに見えていた。


 家族で幸せに囲んでいた食卓の上に、死体が一つ。




「ひっ……お、叔父さん……!?」




 ミーシャは引きつった声をあげ、メーナは口を押さえて部屋の隅へと走り嘔吐した。


 ちょうど二人の方に顔が見える形で寝かされたそれは、冒険者を雇い姉妹を救い出そうとした叔父だったのだから。




「こいつは僕を殺そうとしたんだ。救いようのない男だよなあ」




 レイヴンは立ち上がると、叔父の眼球に握ったフォークを突き刺した。


 ミーシャは「い、いやあぁぁっ!」と声を上げ、涙を流ししゃがみこむ。


 なおもレイヴンは繰り返しフォークを上下させた。




「力も無いくせに。魔術師ですらないくせに。そんな人間未満がこの僕に逆らうとはねえッ!」


「やめて……もうやめてえぇ……っ!」


「どうしてやめなくちゃならないんだッ! 僕は強いんだぞ!? だったら弱者を虐げる権利がある、違うか!?」


「狂ってる……!」


「狂ってる? 僕が? おかしなことを言う女だ目の前で母親を殺してやろうかッ!」




 目を血走らせながら怒鳴るレイヴンは、もはや正気とは思えない顔をしていた。


 力に溺れた挙げ句に、もはや人としての理性すら捨ててしまったのだろう。


 ただひたすらに、己の快楽を満たすためだけに生きている獣だ。




「あとメーナ、食堂で吐くなんてメイド失格だよ。今すぐすすって掃除しろ、いいな!」


「う、うぷっ……」


「返事をしろよぉおおおおおおッ!」




 レイヴンはメーナに駆け寄ると、全力でその腹を蹴り飛ばした。


 彼女はさらに口から胃の内容物を吐き出しながら、壁に叩きつけられ転がる。




「メーナぁッ!」


「近づくなミーシャッ! 決めた、僕はこいつをここで殺す! 姉が何もできない姿を見ながら無力さに打ちひしがれて死んでしまえ!」


「いやぁぁああああッ!」




 ミーシャは怒りに任せ、水の球体をレイヴンに放った。


 興奮のあまり周囲が見えていなかった彼は、顔面に直撃を受ける。


 水とはいえ、圧縮され高速で射出されればかなりの威力だ。




「う、ぐぁ……何、しやがる……!」




 数秒ではあるが、レイヴンの意識が揺れた。


 ミーシャはその隙にメーナの手を取り立ち上がらせ、二人で食堂から脱出する。




「う……ぐ……ど、どうするの、ミーシャ……!」


「逃げよう、今なら監視の目もないから逃げ切れるッ!」


「どうせ、追われて……」


「私が囮になるから」


「そんなのっ!」


「あいつはたぶん私のこと気に入ってるッ! だったら足止めする方法もあるはずだもの」


「ミーシャ、それは……」




 廊下の窓を開き、押し込むようにメーナを外に出すミーシャ。




「どこだあぁぁッ! どこに逃げやがったゴミ女どもぉぉおおッ!」




 背後からレイヴンの声が聞こえる。




「急いで走って!」


「……絶対に、助けを呼んでくるから。それまで待ってて、ミーシャ!」




 メーナは悔しそうに歯を食いしばりながらも、背を向けて屋敷から脱出した。


 ミーシャは急いで窓を閉める。


 同時にレイヴンが廊下に現れた。




「いけない子だなァ、ミーシャ。それにメーナをどこへやったんだい? 逃したのか? 逃げられると思ってるのか? ゼッツさんが支配するこの街でさあ!」




 ミーシャはぎゅっと目を閉じて強く祈る。




(どうか……メーナだけでも生き延びて……)




 レイヴンはそんな彼女の肩を掴んだ。




「お仕置きの時間だ。今までお前には甘い顔をしてきたが、今日からはそうはいかないからなぁ!?」




 そして引きずるようにして別室へと連れて行った。




 ◇◇◇




 脱出したメーナは詰め所を目指す。


 お金が無いので冒険者に頼むことはできないが、衛兵なら助けてくれると思ったからだ。


 しかしそこで彼女が直面したのは、あまりに残酷な現実だった。




「助けてくださいっ!」




 痣だらけの少女が現れれば、誰だって驚きはする。関心だって持つ。


 槍を携えた兵士は、「まずはここに座るといい」と優しく詰所の中に案内してくれた。




「家で暴力を振るわれてるんです。今、どうにか私だけ逃げてきて……」


「ご家族から暴力を受けているのかな?」


「違いますっ! 冒険者が父を殺して、屋敷を乗っ取ったんです。今日までずっと閉じ込められてて、姉が助けてくれてやっと逃げられたんです」


「あー……その冒険者っていうのは誰かな」




 なぜか困った様子でそう尋ねる兵士。


 メーナははっきりとその名を答えた。




「レイヴンっていいます!」




 途端に兵士は黙り込む。


 すると詰所にいた他の兵士が顔を出して、彼に耳打ちをした。




「ゼッツの一派だろ、やめとけ」




 兵士も罪悪感はあるようだが、しかし自分の命の方が惜しいのだろう。


 申し訳無さそうに答える。




「すまない、それはどうしようもない問題なんだ」


「え……?」


「他をあたってくれないか」




 メーナは絶望した。


 治安維持を行う衛兵なら、必ず守ってくれると思っていたのに。




「姉が危ないんです、このままじゃ死んじゃうんですっ!」


「そうなるとは限らないだろう」


「死んだあとじゃ遅いのぉおおおっ!」


「駄々をこねないでくれ、子供のわがままを聞ける場所じゃないんだ」




 半ば突き飛ばすように部屋から追い出され、扉を閉められる。


 メーナはすがるようにその扉にへばりつき、拳で何度もノックしたが反応は無い。




「何でなのぉっ! 守ってよぉ! そのためにいるんじゃないのぉおっ!」




 泣いても叫んでも、もう反応は無かった。


 周囲の視線も痛い。


 あまり注目を受けると、レイヴンの仲間に見つかってしまうかも知れない。


 メーナは涙で濡れた拳を腕で拭って、次の場所へと向かった。




 ◇◇◇




 メーナが向かったのは、冒険者ギルドの前だった。


 お金は無いが、中には正義心に溢れたいい人がいるかもしれない。


 ギルドを出入りするのは、大半がチンピラのような人相の悪い者ばかりだったが、中には人の良さそうな冒険者もいた。


 そういった人物が建物から出てきたところを狙って、声をかける。




「あ、あのっ! 私を助けてくれませんか!」




 メーナ自身、急だし厚かましい頼み事だともわかっていた。


 それでも冒険者は足を止め、振り返ってくれた。


 二十代の男女一人ずつのペアだ。




「どうしたのお嬢さん」


「ひどい怪我だな、誰かに襲われたのか?」




 メーナはこくこくと必死にうなずいた。




「お父さんは殺されて、お母さんは行方不明で、姉は、私を逃がすために屋敷に残って……」


「そんなひどいことが起きてるなんて。衛兵には言ったの?」


「言ったけど、追い出された……」


「ひどいな、賄賂が無いから話を聞かなかったのか」


「お願い、助けてっ! このままだとお母さんも姉も死んじゃうのっ!」




 必死になって頭を下げるメーナに、女性は寄り添う。




「顔を上げて、もちろん助けるわ。いいわよね?」


「ああ、困ってる人は放っておけないからな」


「ありがとうございます、ありがとうございますぅ……」


「ふふっ。それで犯人はどんなやつなの?」


「レイヴンっていう冒険者です」




 その名前を出した途端、二人の冒険者は固まった。


 困った顔でお互いにアイコンタクトを交わし、男の方が首をふる。


 女は悲しげな顔でそっとメーナから離れる。




「……待って」


「ごめんなさい、それは助けられないわ」


「ああ、俺たちも命は惜しいからな」


「待ってぇっ! 今、誰かが助けてくれれば助かるんです! 家族がっ、お母さんとミーシャがぁっ!」




 必死に呼びかけるメーナ。


 すると女性は、ぼそりと呟く。




「冒険者殺し……」


「お、おい。やめろよ」




 なぜか男の方は焦った様子でそれを止めたが、彼女は言葉を続けた。




「東通りの裏路地にね、ギルドで依頼を貼り付ける場所と同じような、ボロボロの掲示板があるの。そこに依頼を書くと……ギルドじゃ扱わないような依頼も、解決してくれるらしいわ」


「そ、それ、本当ですか?」


「そんな都市伝説みたいなの無責任に話すなって!」


「何も無いよりマシじゃない! それに実際、ゼッツ派の人間が殺されてるんだし」


「あ、ありがとうございますっ! 私、すぐに向かいますっ!」




 わずかな希望を胸に抱き、メーナは走り出す。


 その直後、二人の冒険者の前に別の冒険者が現れる。




「何の話をしてたんすか」




 二人の顔がこわばった。


 それはエルクが特に親しくしている手下の一人、カウデスだったからだ。


 彼は目だけが笑っていない異様な笑顔で、彼らに迫った。




 ◇◇◇




「東通りの裏路地、ここのことかな……」




 浮浪者が徘徊し、捨てられたゴミが放置された王都の暗部。


 そこに、女冒険者が話していた掲示板が設置されていた。




「あった、これだっ!」




 丁寧にもペンが近くに置かれていたので、それを使って依頼を書き記す。


 屋敷の場所と、置かれた状況と、自分の名前と――




「よしっ、これで……あとは、待ってたらいいのかな……」




 何もできない時間は歯がゆかったが、メーナはひ弱だ。


 手の甲にも何も印は刻まれていない――つまり選別の儀を受けるまでもなく、魔術の才能が無いいうことである。


 エルクの手下どころか、そこらにいる浮浪者に襲われても抵抗できないだろう。


 彼女はひとまず、ゴミが積み上がった空き地の影に身を隠した。


 そこで時が過ぎるのを待つ。


 そして二時間ほど経った頃、にわかに周囲が騒がしくなった。


 顔を上げると、裏通りをなぜか冒険者たちが走り回っている。


 中には、掲示板のことをメーナに教えてくれた二人の姿もあった。


 彼女はお礼を言おうと立ち上がり、冒険者にかけよる。


 メーナを見つけた女は、とても悲しそうな顔をした。




「……いたわ」




 女がそう言うと、周囲からぞろぞろと冒険者が集まってくる。


 中には――




「どうして……レイヴンが……」




 絶対に逃げたかった男の姿もあった。




「メーナぁ……僕のことを捕まえるよう、衛兵や冒険者に頼んだんだってぇ? わかってないなぁ、自分の立場ってやつがァッ!」


「ひぐうぅっ!」




 レイヴンはメーナを見るなり、手の甲で頬を叩く。


 彼女は腫れ上がった頬を片手で押さえながら、恐怖に潤む瞳で悪魔を見上げた。




「無能ならッ!」




 さらにレイヴンは、メーナを足裏で何度も踏みつけた。




「無能なりに媚びて生きろよッ! そもそも生意気なんだよその顔がッ! その目がッ! だから痛い目に合うんだろうが生きる価値もないゴミがぁぁぁッ!」


「ひぅっ、いぎぃっ!」




 その凄惨な暴力を見て、女冒険者は繰り返し「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し呟いていた。


 しかし意外にも、レイヴンの暴行はさほど長くは続かなかった。


 彼は倒れ込んだメーナの髪をつかみ体を持ち上げる。




「さあ帰るぞ。本当のお楽しみはここからだ、母親とミーシャが待ってるぞぉ?」


「ううぅ……お母さん、ミーシャ……」


「あの二人、今どうなってると思う? お前が逃げた結果、どんな目に合わされたと思うぅ?」


「いや、いやあぁ……!」


「もう死んでるかもなぁ。でもな、どうせ帰ったら死ぬんだよ。もう決めたんだ、皆殺しにしてやるよお前らのこと! 安心しろ、次の獲物を見つけりゃ僕はなんにも困らないからなぁああ!」


「いやぁぁああああッ!」




 泣き叫ぶ少女を目の前にしても、冒険者たちは身動き一つ取れない。


 暴力に対する恐怖に屈した己を『情けない』と罵りながらも、誰一人として行動には移せないのだ。




 ◇◇◇




 レイヴンとメーナは屋敷に戻ってきた。


 玄関に入ると血の匂いが充満していた。


 食堂に叔父が放置されているのだろう。


 彼はそれを無視して、メーナを地下室へと連れて行く。




「お母さん、ミーシャぁっ!」


「う……あぁ……メーナぁ……」




 辛うじて声を出せたのはミーシャだけだった。


 二人とも全身傷だらけにされて、ぐったりと石畳の上に横たわっている。


 レイヴンはメーナを家族のいる場所に突き飛ばすと、見下ろしながら嗜虐的に笑う。




「さて、今からお前たちを殺すけど、簡単に殺してはやらない。なんたって僕をここまで苛つかせたんだからね」


「私が……私が死ねば、それで十分でしょう……!」


『お母さんっ!』




 母が二人をかばうように前に出て、両手を広げる。


 それを見てレイヴンは「くひゃひゃ」と笑った。




「んなわけねえだろうがメス豚ァ! 全員殺すっつってんだよ、言葉もわかんねえほどバカなのかよてめえは!」


「私の死体は好きなだけ辱めても構いません!」


「僕は、若い女を、辱めてぐちゃぐちゃにして殺したいのぉ! おばさんに興味なんてありませぇーんッ!」




 興奮の極致に達した彼は、目をぐるんと上に向けながらイカれた顔で母を蹴飛ばした。


 そして術式を浮かび上がらせ、人の頭ほどの大きさの岩を浮かび上がらせる。




「まずは腕ェ! 次に足ィ! その次は腹をぶっ潰して鳴かせたあとに頭を潰して殺す! これが楽しい人殺しの王道だ。メーナ、まずはお前の腕で“お手本”を作る。それを見て恐怖した顔を見せてくれぇぇえ!」


「メーナっ!」


「ミーシャぁ……!」


「べちゃって潰れちまえぇぇっ!」




 抱き合う姉妹の前で、レイヴンは腕を前に突き出――そうとしたが、できなかった。




「……あ?」




 肘から上(・・・・)だけが前を向いて、前腕がついてこなかったのだ。


 つまり、切れている(・・・・・)


 べちゃりと、レイヴンの右腕が床に落ちた。




「これが本物のお手本だよ、レイヴン」




 少女の声がした。


 振り向くと――そこには、いないはずの亡霊が立っていた。


 黒いボロボロのローブを纏い、少女らしからぬ強烈な殺気を放ってはいるが、レイヴンが見間違えるはずがない。




「ドロセア……だと?」


「久しぶり、私が死んだとき以来だね」




 遅れて、彼を痛みが襲う。




「う、ぐおぉぉおっ! クソッ、クソがッ! クソッタレがぁぁぁああああッ!」




 初めて、彼の悔しげな叫び声が響いた。


 姉妹も母も呆然とその様子を見ていた。




「だ、誰なの……? メーナ、知ってるの?」


「あれが冒険者殺し? あの、Z級魔術師が?」




 手の甲には、“最弱の印”が刻まれている。


 対するレイヴンはC級魔術師だが、エルクたち同様にS級並の力を手に入れているはずだった。




「何でここにいるんだよ、何で生きてるんだよ! お前、死んだはずだろう、あのとき魔物になってぇッ!」


「地獄の底から戻ってきたよ」


「ふざけたことをぉおおおおッ!」




 レイヴンは残った左手を前に突き出し魔術を放つ。


 殺しを楽しむための手加減した魔術ではない。


 それは硬度を最大限まで上げ、速度も向上させた、高位の魔術師のみに許された“宝石の銃弾”である。




「まずはお前から死ねェ!」




 目視できぬ速度で射出された、超硬度の弾丸。


 対するドロセアは涼しい顔で剣を振るい、それを消滅(・・)させた。




「は……?」




 レイヴンは目を疑った。


 発動者だからわかる、今の消え方は異常だ。


 弾かれるでもなく、切断されるでもなく、完全に消えてしまったのだ。


 さらにドロセアの背中には、光輪が浮かび上がっている。




「んだよ……死ねよ、Z級なんだろ!? ドロセアなんだろ、お前ぇぇええッ!」




 続けて宝石を放つも、ことごとく消されてしまう。


 そのたびに、ドロセアの光輪は明るく強くなっていった。




「無駄だよ」


「け、消してるんじゃない……その剣、魔術を喰って、貯め込んでるのか……!?」


「魔力はたっぷりもらえたから、次は私から行くね」




 その瞬間、レイヴンは人生最大の悪寒を感じた。


 ドロセアが動き出した途端に、脳が警鐘を鳴らし、死への恐怖が溢れ出してきたのだ。


 とっさに出せる全ての魔力をシールドに込め、己の身を守る。


 一方でドロセアは、腕と脚に緑と赤の術式を浮かび上がらせ、床を蹴りレイヴンに襲いかかる。


 よく見れば、剣にも虹のような術式が浮かび上がっている。




(一体、同時に何属性を……扱ってるんだ……!?)




 思わず美しいと思ってしまうその色合いは、しかし彼にとっては“死”そのものであった。


 S級の魔力を全て込めて作ったシールドは、斬撃を受けるとまるでシャボン玉のように消える。


 先ほどのように食われた(・・・・)わけではない。


 単純に威力が高すぎて、一瞬で消し飛んだのだ。


 ドロセアがレイヴンの後方に着地する。


 トン、と足裏が床を叩くと、彼の残りの手足は全て数百分割されたミンチとなって地面に落ちた。


 ドチャッ、と残った胴体と頭だけが投げ捨てられる。




「ひっ、ひいぃぃっ、うわあぁぁぁああああっ!」




 レイヴンはまるで子供のように泣き叫んだ。




「誰かっ、誰かぁっ、教会の人間を呼んでくれえぇええっ! 死ぬっ、僕が死んでしまうんだあぁああっ!」




 使用人を追い出し、メーナたちを扱き使っていたのは彼自身だ。


 誰も助けに来るはずなどなかった。


 一方で、レイヴンの四肢切断を直視してしまった姉妹は、




「う……ひぃぃっ……」




 抱き合い、体を震わせながら恐怖していた。


 ドロセアはそんな彼女たちに、できるだけ怖がらせないよう笑顔で語りかける。




「ごめんね、嫌なもの見せちゃって。でも今からもっとひどいことするから、部屋から出ておいてもらっていいかな」


「あ、あなたは……?」


「ドロセアっていうの。メーナ、だったっけ。あなたでしょ、依頼を掲示板に書いたの」




 こくこくと頷くメーナ。




「あの内容通り、みんなを助けにきただけだから。あとはこいつを処分したら終わり」


「本当に、報酬とかは……」


「いらないいらない。個人的にエルク――いや、ゼッツと関わりがあってね。あいつの情報がほしくてやってるだけだから、気にしないで」




 話してみると、思ったよりも普通の人間のようだ、とメーナは感じる。


 だからこそ、レイヴンに対する容赦ない仕打ちが異常に思えて怖かった。


 彼女は言われるがままに、姉と母と共に部屋を出ていく。


 ドロセアはレイヴンと二人きりになると、床の上で苦痛に身を捩る彼に声をかけた。




「さて、と。レイヴンって、村に居た頃はエルクのおまけその1って感じでぜんぜん印象に残らなかったのに、偉くなったね」


「たすけてえぇ……死にたくない、死にたくないぃぃ……」


「力は人を変える。リージェの血の研究が進むほどに、こういうやつが増えていく」


「僕は、選ばれたんだぁ……聖女に、選ばれて……ひぐっ!」




 レイヴンの胸ぐらをつかみ、持ち上げるドロセア。


 二人の目が強制的に合う。




「現実逃避は許さないよ。他人にそれを強いてきたのはレイヴンでしょ」


「だ、だって、なんで……なんで生きてるんだ……そんなはず……偽物、か? はっ、そうかお前も聖女の血を取り込んだからっ!」


「確かに取り込んではいるよ。だからこそ、その扱いにも慣れてきた」




 ドロセアは左目を閉じ、右目だけで魔力の流れを見る。


 そしてレイヴンを掴む右腕に意識を集中させた。




「あ、頭が……熱い……なんだ、なにをぉっ!」




 彼の額が、内側からボコボコッと変形をはじめる。




「魔力障壁を使って全身からリージェの魔力を集めたの。全身を巡ってるからただ魔力を増強する恩恵だけを受けてるみたいだけど、こうして一箇所に集中させれば――」




 さらに変形は激しくなり、爆発するようにぼふっ! と頭の上半分だけが膨張した。


 押し出された眼球が飛び出し、口からでろんと舌を伸ばしてレイヴンは叫ぶ。




「ほぎょっ、あげえぇええええっ!」


「その一部だけを魔物化させることができる」


「にゃにぃっ! にゃにがっ、おひへえぇえっ!」


「まあ、中途半端な魔物化だから意識は完全にはなくならないんだけね。それが都合いいんだ」




 そう言って笑うと、ドロセアは左手に剣を握り、それをレイヴンの首に横から突き刺した。


 そのまま頭部を切断し、落下するそれの髪を右手でキャッチすると、胴体を蹴飛ばす。


 結果として生首だけがドロセアの手元に残ったのだが、




「は、はぎゃあぁぁあああっ!」




 彼はまだ元気に叫んでいた。




「脳だけを魔物化させたから数日は死なないよ。痛みや苦しみが好きなんでしょ、よかったね」




 しかしさすがに五月蝿いと思ったのか、彼女は近くにあった麻袋に生首を突っ込んだ。




「いい餌になりそう。エルク、釣られてくれるかなあ」




 ◇◇◇




 それから数十分後、エルクがアジトとして使っている店の前に、一つの麻袋が置かれた。


 手下はそれに気づき中身を確認すると、奥の部屋で女を侍らせくつろぐ首領の元に走った。




「エルクさん、大変ですっ!」


「んだよ、うっせえな。せっかくいい気分だったってのに」




 高価なガウンを羽織り、葉巻を加えるその姿は貴族そのものだ。


 よほど良いものを食べているのか、村に居た頃よりは太っているようにも見えた。


 手下のカウデスは、そんな彼の元に麻袋を運ぶ。




「こ、これっ、アジトの前に置かれてて、な、中身っ!」


「ちゃんと説明しろ。そのきたねえ袋が何だって――」




 開かれた中身を見た瞬間、エルクはそれが何なのか理解した。




「レイヴン……!?」




 レイヴンはエルクが見ていることに気づくと、満面の笑みで口を大きく開きながら声を発した。




「あぎゃぎゃっ、あげっ、げひゅ、えるくひゃっ、えるひゃはあぁあああっ!」


「生きてんのか!?」


「どういう仕組みかわかんないっすけど、そうみたいで」


「この形の変わり方、魔物になってんのか? だが教会でも見たことがねえパターンだ。いや待てよ、この頬の傷――」




 生首の頬には、ナイフで付けられた傷がついていた。


 よく見ると、それは文字になっており――




「ドロ、セア」




 いないはずの人間の名が記されている。




「ドロセアって、あのドロセアっすか? でも死んだはずじゃ!」


「一体誰だ……誰がドロセアを騙ってやがる。あの一件を知ってるやつなんて、俺ら以外にいないってのに!」




 浮かれ気分は完全に吹っ飛んだ。


 エルクは立ち上がると、怒りをあらわにしてカウデスに命令を下す。




「いや、いい。考えるまでもねえ。カウデス!」


「うっす」


「今すぐにドロセアを名乗ってる女を探らせろ。冒険者を総動員して、全力で叩き潰せッ!」


「はいっ!」




 こうして、ドロセアの獲物は動き出すのだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ドロセア格好いい(*゜Д゜*) [気になる点] 半年で何があったの……? リージェ大丈夫かな(´・д・`)
[一言] 楽しい楽しいゴミ掃除
[良い点] おしおきタイムきたー!!! [一言] 既にS級以上の強さっぽいけど、この感じだともっともっと強い敵と戦う事になるんだよね……
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