014 ネクストフェーズ
改革派筆頭のゾラニーグは、本物のリージェを教会地下から別の拠点へと移し終え、ほっと息を吐き出す。
「まったく、どいつもこいつも落ち着きがなさすぎるんですよ……」
彼は灰色の髪を手でかきあげながら、苛立たしげにそうぼやいた。
そんな彼の元に、移送作業に関わっていた部下が近づいてくる。
「ゾラニーグ様、施設の処分は完了しました。エルクが報酬を要求していますが」
「いくらでも払ってやってください、口止めさえできれば金に糸目は付けません」
「承知いたしました。それと主流派の者が地下への立ち入りを要求しているようです」
「構いません」
「……大丈夫なのですか」
「私を誰だと思っているんです?」
「わかりました、では呼んで――」
「その必要は無い」
背後から聞こえた声に反応し、部下はさっと道を開ける。
そこには、数人の聖職者を携えた主流派のトップ――サージス教皇代理の姿があった。
大柄で貫禄のある髭面に睨まれ、ゾラニーグは肩をすくめる。
「相変わらず恐ろしい顔をしていらっしゃいますね、サージス様」
「ゾラニーグよ、これは何の騒ぎだ。貴様らは一体ここで何を飼っていた。聖女はどうなっている!」
「全て教皇様からの許可は出ています」
「説明を求めているのだ!」
「前提の話ですよ。聖女の管理に関しても教皇様が我々に一任してくださったのですから」
「御託はいい、質問に答えよ」
話の通じないお方だ――とゾラニーグはため息をつき、しぶしぶ答えた。
「聖女リージェは死にました」
瞬間的にサージスの顔が真っ赤に染まり、怒りの形相を浮かべる。
「……貴様ッ! 管理を一任されたと言ったばかりだろうッ!」
「ええ、ですが今回ばかりはどうしようもなかったのです。未知の襲撃者による攻撃を受けてしまいましたので」
「そいつは何者だッ!」
「目撃者もいるのでしょう、“魔女”ですよ。彼女が突如として教会内部に現れ、破壊行為を行いました」
「何のために!?」
「我々の行っていた研究が彼女にとって都合の悪いものだったのかもしれません」
そう言って、ゾラニーグは部下に何かを催促する。
彼は慌てて鞄の中から書類を取り出し、上司に渡した。
ゾラニーグはそれをそのままサージスに手渡す。
「魔物化した動物を元の姿に戻す……実は聖女様にもご協力頂いていたのですよ」
サージスは訝しみながらも、研究内容が記されたレポートに目を通した。
「魔物の自然発生……それによって生じる人間への被害だけでなく、犠牲となる動物が増えていることにも私たちは胸を痛めておりました」
「仮にそれが事実だったとして、なぜ主流派に黙っていた」
「教会本部に魔物を連れ込んで研究する――そう言ってあなたがたは認めてくださいましたか? おそらく『神聖な場所に穢れを持ち込むな』と憤ったのではありませんか?」
「む……」
「昨今の魔物発生数の増加には、ひょっとすると何者かの陰謀が関わっている可能性もあります。邪教によるものか、はたまた他国の侵略か。魔女はそういった者たちの尖兵と思われます」
「狙いは聖女だったのか」
「研究そのもの、だったのかもしれません。命の危機に瀕した我々を、聖女様が守ってくださったのですから」
「そしてあの騒ぎになったわけか。死んだというのは……あの爆発で、か?」
「死体は確認できておりませんが、おそらくは」
ゾラニーグは表情一つ変えない。
まさかサージスも、ここまでゾラニーグが語った内容が何もかも嘘だとは思いもしないだろう。
すっかり丸め込まれた教皇代理は、しかし疑惑の目を閉じてはいなかった。
「どうするつもりだ」
「しばらくは公表しません。聖女が死んだとあっては主流派にとっても都合が悪いはずでしょう」
「そうか、それについてはこちらも同感だ。しかし研究の話については納得できん部分が多々ある。主流派の人間に調査をさせるが、構わんな」
「ええ、後ろめたいことは先ほどお話した分で全てです。ご自由にどうぞ」
そうゾラニーグが宣言すると、サージスは自分が連れてきた部下たちに顎で合図を送る。
彼らは散り散りになり、すっかり破壊された地下施設の調査をはじめた。
「教皇様に気に入られているからといって、あまり調子に乗るなよ」
そしてサージス自身もそう言い残して、ゾラニーグの前を立ち去る。
その大きな後ろ姿が遠ざかるのを見て、彼はため息をついた。
「話すだけで疲れる相手ですよ、胃に穴が空いてしまいそうです」
「……ゾラニーグ様、本当に調べさせてもよいのですか」
「ダミーの研究内容はあらかじめ用意しておいたものです、付け焼き刃ではありませんよ。それよりも私たちは“先”のことを考える必要があります」
主流派の面々に背を向け、階段へ向かうゾラニーグ。
部下は慌てて彼の後を追った。
「先、と言いますと?」
「聖女の場所を移した以上、研究の効率は落ちます。表に出て活動してもらうはずだった偽物も死んでしまいましたから、主流派との調整も必要になりますね」
「改革派の人数は日に日に増えています、そろそろ力ずくでも主流派を抑え込めるのでは?」
「油断は禁物ですよ。少なくともサージスがいる間は私は手を抜くつもりはありません」
階段を登りきり、広い場所に出る。
周囲には人の気配が無い、ゾラニーグと部下の二人だけだ。
「まあ、元よりあの偽物には大した期待はしていませんでしたからね。さほど大きな軌道修正は必要ないと思われますが――しかし彼らにも困ったものですよ、ただの道具に“簒奪者”だの何だのと余計なことを吹き込むのですから」
「余計なこと?」
ゾラニーグは、背後から聞こえる冷たい少女の声を聞いた。
彼の表情がこわばり、さっと顔から血の気が引く。
「こ、これはこれは、“簒奪者”様ではありませんか」
色素の薄い、肌も髪も小柄なその少女は、とん、とゾラニーグの背中に指を当てる。
「アルメリアは完璧な“簒奪者”ではなかったけれど、間違いなく私たちの同胞だった」
「それは理解しております」
「理解しているなら、なぜ私たちとの交流が余計だと?」
「い、いや、あの、私たちにも事情というものがございまして。“簒奪者”様にはおわかりいただけないかもしれませんが、政治といいますか、人間関係といいますか、そのあたりの調整は非常に難しく」
「言い訳は必要ない」
指から放たれた冷気が、ローブの布を凍らす。
伝わるひんやりとした感覚にゾラニーグは「ひえぇっ」と怯えた。
「あなたがクズの外道だということは私たちも理解している。それでも手を組んでいるのは、お互いに利益があると思っているから」
「そうですね……今のように良好な関係を続けていきたいものです」
「けれど必要以上に“簒奪者”を見下すような真似をするのなら――」
「滅相もございません、そのようなことはっ! エレイン様の使徒であるあなたがたのことを、私は心から尊敬しております!」
「胡散臭い男」
ズバッと切り捨てる少女だが、そのやり取りを近くで聞く部下も内心では共感していた。
当のゾラニーグは、これまた胡散臭い動作で目を伏せ、悲しげな顔をする。
「心外ですね、我々はこんなにもあなたがたに貢献しているというのに。それよりも私たちに何か説明することはありませんか?」
「なんのこと」
「魔女ですよ」
「ああ、ここを襲撃したっていう……そう、魔女……」
「選別の儀を受けた形跡は無いというのに、あの異常なまでの強さ。何なんです、“簒奪者”の関係者ではないのですか」
「確かに無関係ではない、あれは私たちの敵」
「つまりエレイン様の敵ということですか」
少女はそれにわずかな沈黙と逡巡を挟んで、こう答える。
「……いや、私たちの敵」
「何の違いがあるというのです?」
「知る必要はない」
「同士にそのような態度を取るとは、裏切られても文句は言えませんよ?」
茶化すゾラニーグ。
すると少女は殺気を放ち、灰色の瞳でじっと彼の顔を見つめた。
「あまりに聞き分けが悪いときは、折檻の許可は出ている。うかつな発言は謹んだほうがいい」
ゾラニーグの額を冷や汗が伝う。
彼の部下に至っては呼吸ができなくなり、青ざめた顔で口をパクパクと開閉させている。
「胸に、刻み込んでおきます……あ、そうだ。一ついいお土産があるんですが……」
頬を引きつらせながらゾラニーグがそう言うと、少女は殺気を維持したまま「何?」と首を傾げた。
「私が思うにあの魔女、捕らえていたジンを探しに来たのではないかと思うんですよ」
「可能性としてはありえる」
「それでですね、実は逃してしまったジンなんですが、その行き先を追尾できるように魔術的な処理を施していたんです。それが――奇妙なことに、ど田舎の森の中で途絶えているんですよ」
「詳細な地図を見せて」
「はいはい、ただいま!」
彼は大慌てで部下と共に地図を用意し、記憶していた場所にペンで印をつける。
「このあたりです。ジンは魔物になったあとも他の騎士たちの名前をうわ言のように呟いていましたから、彼が会いに行くとすれば仲間の生き残りでしょう。しかし生存した副団長スィーゼはここにはいない」
「他に誰が?」
「テニュスという、時期騎士団長と言われているS級魔術師がいます。彼女は数ヶ月前からどこかに預けられているとかで、行方知れずなんですよ」
「……S級魔術師を森の中で預かる?」
「匂いませんか? S級よりも強い謎の魔女、ジンとの関わり、そして森の中……」
そのとき、ふっと少女の殺気が緩んだ。
「確かに悪くないお土産」
「それはよかった」
「地図はもらっていく」
「どうぞどうぞ、お好きにご利用くださいませ!」
だから早くどこかに行ってくださいお願いします――と心の中で願うゾラニーグ。
すると、少女は己の周囲を霞で包み、姿を消した。
「い、今のは一体……」
「実物と会うのは初めてですか。彼女はアンターテ、“簒奪者”の一人です」
「では……」
目を細め、ゾラニーグは彼女を軽蔑するように言い捨てる。
「ええ、人の形をした化物ですよ」
◇◇◇
マヴェリカたちは家までドロセアを連れ帰る。
その大きさのせいで中には入れられないため、外に置いておくしかなかった。
ひとまずテニュスとジンは互いに体の傷を治療し、マヴェリカは地下室にとある資料を取りに向かっていた。
机の上に置かれた分厚い紙束――まだ綴られていないそれは、魔物化したドロセアの肉片から得られた“人間の魔物化”に関する研究成果をまとめたものだった。
それを抱える前に、マヴェリカは机に手を置いて考え込む。
「奴らはまだドロセアの存在には気づいてない、けどテニュスと私の関連性には気づいたはずだ。王牙騎士団に対してあそこまでの強硬策に出た以上、今度は……」
正直言って、彼女にも情はある。
一緒に暮らしていれば『もっと一緒にいたい』と思うし、本当なら鍛錬とか無しでもっと甘やかしてやりたい。
しかし、もうそうもいかないようだ。
「ジンを魔物化してそのまま逃したってのも怪しい。もし魔力をたどって居場所を掴むような技術が実用化されてたとしたら――」
彼女は悲しげな表情で何かを決意すると、資料を抱え階段を上り、リビングへ戻った。
ドスン、とテーブルの上に資料が置かれると、テニュスとジンの視線は同時にそちらに向いた。
「それが、ドロセアを救うために必要な資料、なのか?」
「まだ途中だけどね」
「これを全て頭に叩き込む必要があるな」
ただ量が多いだけでなく、専門用語だらけな上に、理解するにはマヴェリカ並の魔術の知識が必要だ。
途方もない時間がかかるだろう。
テニュスはそのうちの一枚を手に取って、「ううぅん……」と頭を悩ませている。
その様子を見ながら、マヴェリカは言った。
「少し落ち着いて考えてみたんだが、二人にできることは無いかもしれないね」
テニュスは反射的に声を荒らげる。
「助けるって決めたんだ、何を言われようとあたしはやるからな!」
「二人がこの中身を理解するのには一年じゃ足りない。王国最強の戦力とも言える人間を拘束してようやく“スタート地点”に立つことしか出来ない。無駄だとは思わないかい?」
「無駄だろうと何だろうと、そうしないとドロセアのこと助けらんないだろっ! それともあたしらには何もするなって言うのかよ!」
「適材適所ってことさ。現在、王牙騎士団は壊滅状態。加えて王都でもちょっとした騒ぎが起きてね、住民の不安が高まってる」
マヴェリカの言わんとすることを理解した彼女は、さらに激情を高ぶらせた。
「王都に戻れって言ってんのか? ドロセアがあんなになってるってのに!?」
「あの子は私が責任を持って治療するよ、あらゆる手段を使ってね」
「だからそれをあたしが手伝うって言ってんだよ!」
「できることはほとんど無いよ」
「雑用でも何でも構わねえ! 頼む、ドロセアのために何かさせてくれッ!」
ゴツンッ! と額をテーブルに打つほど勢いよく頭を下げるテニュス。
黙って二人のやり取りを見守るジンだったが、彼も訝しむようにマヴェリカを見ている。
「ジン、すまないがこの子を連れ帰ってやっておくれ」
「強引すぎないか」
「そうだよマヴェリカッ! さっきまでは一緒に助けるって言ってたろ!?」
「私もドロセアのあの姿を見て頭に血が上ってたんだよ。冷静になって、やるべきことを考えたんだ」
感情論で言えば、マヴェリカ、テニュス、ジンの三人でドロセアを助け出したい。
だが非効率的な自己満足に浸っているほど、余裕のある状況でも無かった。
ジンもそれは理解している。
「私は……ドロセアに救われた。彼女がいなければ、仲間を救えなかった上、化物になったまま朽ち果てていただろう」
「ああ、だからジンだってドロセアを助けたい、そうだよな!?」
「どちらが彼女のためになる」
テニュスを諭すように、ジンは問いかける。
「ここで治療のために1を成すのと、王都に戻りこの国の平和のために1000を成すこと。どちらがドロセアを守ることになる?」
いつの間にか二対一の劣勢に立たされていることに気づいたテニュスは、唇を噛み、それでも反骨心を捨てない。
「大人の理屈なんて知らねえよ。そうやって何でもそれっぽ理由を付けて諦めてきたから、教会が増長して、殺し屋が暴れ回って、そういう風になってるんじゃないのかよッ!」
テニュスは貴族同士の権力闘争をきっかけに、両親を失っている。
実行した殺し屋集団は教会と関係があり、教会はジンを魔物に変えた“簒奪者”を名乗る者たちと繋がっている。
なあなあにせずに、厳しく改革派を追及できていれば、あるいはテニュスの両親の死すらも防げた事態だったかもしれない。
それもまたジンは理解していた。
だからこそ、テニュスの言葉が胸に突き刺さり、何も言えない。
見かねたマヴェリカが、テニュスを手招きする。
「テニュス、こっちにおいで」
「あたしはこっから動かねえからな!」
「だったら私が動くよ、耳貸しな」
魔女が囁くと、怒りに満ちていたテニュスの表情は一変した。
「……何だよそれ」
恐怖、困惑、混乱――そんな感情が入り混じっていた。
脳にパイケーキをぶつけられて、ぐちゃぐちゃにされたようなインパクト。
感情を整理しきれず、テニュスはとりあえずそれを怒りというわかりやすく、使いやすい形に変えてマヴェリカにぶつける。
「待てよ、そんなの聞かされて“はいそうですか”って言えるわけねえだろ!」
「言ってくれないと困るんだよ。言っとくけど、私かなりあんたに入れ込んでるんだからね。大好きなのさ、テニュスのことが」
「こんなときに言ってんじゃねえよッ!」
怒鳴りつけても、マヴェリカは動じない。
むしろ包み込むように、優しげな微笑みを浮かべる。
そんな顔をしてる相手にさらに怒鳴れるはずもなく、テニュスの怒りは鎮火していった。
「帰ってくれるかい?」
改めて、そう確認するマヴェリカ。
テニュスは頷きはしないし、相変わらず不満そうな顔をしてはいるが――
「また会うからな」
もう頑なに拒絶はしなかった。
「もちろんさ、そのときはさらに成長したあんたの姿を見せてもらうよ」
「ドロセアのことちゃんと治さねえと承知しねえ」
「それは命に替えたってやり遂げる」
ここまで言い切るのだ、マヴェリカならやるだろう。
それで安心できたわけではないが――もはやテニュスには、『仕方ない』と割り切る以外の選択肢は残されていなかった。
◇◇◇
翌日、テニュスとジンは森を出た。
近くの村に馬車を呼び、王都を目指す。
荷車で二人並んで揺られながら、過ぎていく景色をぼーっと眺めるテニュス。
彼女はジンに視線を向けずに、少し不機嫌そうに問いかける。
「……王牙騎士団再建っつったってどうするんだよ。メンバーいねえんだろ」
「お前とスィーゼで育てるんだ」
「ジンも一緒だっつうの」
「いや……私は死んだことにしておいたほうがいい。魔物化した人間が元に戻ったことについては、時が満ちる直前まで黙っておいた方がいいだろうからな」
「時って、いつだよ……」
「さあな、だがそれは今ではない」
はぐらかすような物言いに、テニュスは眉間に皺を寄せた。
「だったら、ジンは何すんだ」
「もちろん裏でテニュスたちの手助けはするつもりだ。だが同時に、“簒奪者”を追おうと思っている」
「それって……騎士のみんなを殺したやつだよな。リージェの姿をしてたっていう」
「ああ」
「復讐するのかよ」
「あの場で殺された団員たちの仇を討つ、それが生き延びた私のやるべきことだ。結果として、それがマヴェリカさんやドロセアを手助けすることにもなるだろう」
「そう言われると止められねえよ、あたしもあいつら殺されっぱなしだってのは悔しいし。ただし、せめてスィーゼにだけは生きてること伝えとけよ」
かなり気力を失ったスィーゼの姿を思い出し、テニュスは少し寂しげだ。
「あいつの場合、視力を失ってもまだ立ち上がろうとするだろうよ。でも今のままじゃ時間がかかっちまう。ジンが生きてるっていう希望があれば、すぐにでも前に進むんじゃねえか」
「仲が悪いと思っていたが」
「普段ですら嫌いだってのに、落ち込んだ姿なんて見てらんねえよ。立ち直ってもらわないとあたしが気持ち悪いんだわ」
ジンは素直じゃないテニュスの言い方に、「ふっ」と頬を緩ませる。
彼女はそれを見て、少しだけ肩の荷が下りた気分だった。
せっかく人間に戻れたのに、ずっと険しい表情をしていたから。
しかしそれは彼女も同じこと。
テニュスは思う。
元気になったドロセアと再会しない限り、心から笑えるときは来ないのだろう、と。
◇◇◇
王都に戻ったテニュスを待っていたのは、王牙騎士団の事務仕事の数々だった。
なにせ、大半が戦死してしまったのだ。
これまでは辛うじて生き延びた騎士や、元々あの場にいなかった者で後処理を行っていたが、リーダーシップを取れる人間がいなかったのでうまく回っていなかった。
そこにテニュスが帰ってきたわけである。
元々、彼女のことを次期団長と認める騎士はほぼいなかったはずなのだが、ちょうどいい生贄がやってきた、ということなのだろうか。
仲間の大半が死に、絶対的リーダーだったジンもいなくなった直後だ、『自分がリーダーになる』と言い出せるはずもなく、テニュスはそこに収まるのにちょうどいい立ち位置だったらしい。
あれよあれよという間に団長代理という聞き慣れない役職が与えられ、面倒な仕事の数々を押し付けられた。
無論、裏ではこっそりとジンが手伝ってくれてはいたが――それでも、王牙騎士団の再建案の提出、それに関連する王族や貴族との調整、新団員の選別、遺族との面会など、テニュス自身が動かなければどうしようもない仕事も多い。
寝る暇も無い、とはまさにこのことだ。
彼女はちょっとした時間の隙間を見つけては、あまり人の来ない王城内の応接室などでこっそりと仮眠を取っていた。
ソファの背もたれに体を預け、目をつぶったまま天を仰ぐ。
「あー……マヴェリカんとこで座学に慣れといてよかったー……」
ドロセアがマヴェリカから魔術について教わっている間、テニュスも一緒にそれに参加していたのだ。
元々、テニュスは体を動かすのは得意だが、勉強の方はからっきしだった。
もしあの経験がなかったら、机に張り付いて一日中書類とにらめっこすることはできなかっただろう。
そのまま黙り込み、体を休めていると、突如として扉が開く音がした。
テニュスが「んあ……?」と体を起こしそちらを見ると、そこには金髪の男性が立っていた。
彼女は慌てて体を起こす。
「クロド王子っ!?」
そう、彼こそはこの王国の第一王子であるクロド・ガイオルースである。
弟のカインとは顔は似ているが、あちらが童顔であるのに対し、クロドの方は大人びているというか、少し影のある怪しげな印象の顔をしている。
正直に言うと、テニュスはあまり得意なタイプではなかった。
「わざわざ立たなくていいよ、世間話をしにきただけだから」
そう言って、クロドは向かい合う形でソファに腰掛ける。
テニュスは「は、はあ」と困惑しながらとりあえず座ることにした。
「あたしに用事ってことでいいんすか?」
「君はしばらくの間、行方をくらましていたよね。ジン団長は修行に行かせたなんて言っていたけど」
「修行は間違ってないっすよ。実際、あたしめっちゃ強くなって帰ってきたんで」
「それは顔を見ればわかる。ところでその修行、もしかしてマヴェリカさんのところでやったんじゃないかな」
「王子もマヴェリカのこと知ってるんすか」
期待通りの反応に、クロドはふっと微笑む。
「やはりそうか。実は僕もね、幼い頃に数ヶ月ほどあそこで暮らしたことがあるんだよ」
「マヴェリカ、王族関係の知り合い多くないっすか。ジンも確か、ガイオルース家の親戚だって聞きましたよ」
「僕ら王族は幼い頃に一度、マヴェリカさんの元で暮らして魔術を教えてもらうんだよ。誰よりも優秀な家庭教師だからね」
「そんな決まりがあったんすか」
「決まりというか、僕らが勝手に決めたこと? みたいだけどね。マヴェリカさんは『うちは子供を預かるところじゃないぞ』と言って嫌がるんだけど、こちらとしてはそれ以上に得るものがあるから」
「あー……あたしんときも似たようなこと言ってた気がしますね。口ではそう言いながらも、何だかんだで面倒見るの好きみたいっすよ」
「ははは、確かに。未だに父のことを心配して顔を見せるぐらいだからね。あの人は情が深くて、優しくて、心から尊敬に値する人だと思う」
まるで故人を悼むように、遠い目をして語るクロド。
テニュスは未だに彼が何の目的で自分に声をかけたのか理解できていなかったが、ついに本題に入る。
「だからこそ悲しいんだ、数ヶ月とはいえマヴェリカさんと一緒に暮らしたあの家が破壊されたなんて」
「……破壊、されたんすか」
「思ったより落ち着いた反応だね、こうなるってわかっていたのかな」
「まあ……」
「僕は父の許可を取り、諜報部の人を使って調べてもらっていたんだ。王都で聖女と殺し合う、なんてとんでもないことが起きたばっかりだろう?」
「あれは、驚いたっすね」
テニュスがマヴェリカとリージェの戦いを知ったのは、王都に戻ってきたあとのことだ。
彼女は『王都でちょっとした騒ぎが起きた』などとのたまっていたが、どこが“ちょっとした”なんだ、とテニュスが遠くにいるマヴェリカに向けてキレたのも記憶に新しい。
だがドロセアは絶対に治すと断言したマヴェリカが、リージェを殺すとは考えにくい。
おそらく死んだのはリージェの偽物だろうという推理はできていた。
「あの一件から繋がっているのかもしれないね」
「家は、どんな風に壊されてたんすか」
「今から二日ほど前に、巨大な氷の塊が落下してきてあの家を押しつぶしてしまったらしい」
「魔術……っすね」
「間違いなくね」
誰の手によるものかはわからない。
だがテニュスはなんとなく、そこに教会――改革派が関わっているはずだと、考えていた。
「その後、跡形もなく氷は消えた。跡地に残ったのは残骸と、地下室の入り口だけ」
「本がいっぱい並んでるあの部屋っすか」
「それもある。けれど少し調べてみると、僕たちが知らない部屋も見つかった。そこで奇妙なものが見つかってね――」
「何なんすか」
一拍開けて、クロドは少し低い声で告げた。
「死体だよ。しかも十体」
テニュスの瞳が見開かれる。
平静を保てずに、少し声も大きくなった。
「十……? そんな人数が、あの小屋にいたっていうんすか!?」
「それも全て、マヴェリカさんの体だったそうだ」
続けざまに聞かされる未知の事実に打ちのめされ、テニュスは頭を抱えた。
「マヴェリカの体が、十個? ど、どうなってんすか、それ……」
「父の頃から見た目が変わらないというのは聞いていたよ。魔術を使ったカラクリで若さを維持しているのかもしれないと思っていたけれど、ひょっとすると――体を使い捨てていたのかもしれないね」
その後、クロドは予定があると言って部屋を出ていった。
取り残されたテニュスは再び背もたれに体を預け、天を仰ぎため息をつく。
「なあマヴェリカ。結局、あんたは何者なんだよ……いいやつってこと以外何もわかんねえっての」
ここで愚痴ったところで、マヴェリカに届くことはない。
かといって、直接言いに行くこともできない。
居場所を知らないから。
「ドロセアの死体が見つかんなかったってことは、襲撃を受ける前に逃げ切ったってことだ」
テニュスは、マヴェリカの家を発つ前に聞かされた言葉を思い出す。
『ここは近いうちに、私なんかより何倍も強い化物に襲われる。残ったところで、皆殺しにされるだけさ』
事はマヴェリカの予言通りに進んだ。
つまりあの家を放棄し、別の場所に隠れるという意味だったのだろう。
「“簒奪者”か……クソッ、化物だかなんだか知らねえけど、絶対にそいつらより強くなってやる……ッ!」
◇◇◇
忙しい日々の中でも、テニュスは己の鍛錬を忘れない。
王牙騎士団の再建も進み、未熟ながらも新人の騎士が入ってきた。
三ヶ月が過ぎると、テニュスは正式に団長となる。
かといって何かが変わるわけではない。
これまでも団長代理として、団長と同等の権限を持たされて働いていたのだから。
裏ではジンからアドバイスを受けながら、騎士団は力を取り戻していく。
その間、幸いにも、改革派の動きはかなり鈍っていた。
何だかんだで、マヴェリカによる襲撃が効いたのだろう。
主流派からの監視も厳しくなり、身動きがとれなくなったに違いない。
順調ながらも忙しすぎる日々を過ごしていると、あっという間に時は過ぎ――ドロセアがあの状態になってから、半年が経った。
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