011 双撃
数日後、ドロセアはマヴェリカが旅の準備を進めていることに気づいた。
荷物の量からそこまで長期間離れる予定ではないようだが、どこへ行くのかはまだ聞いていない。
マヴェリカは家を空けることがあれば前もってドロセアたちに伝えていたので、その行動に違和感を覚える。
夕食後、彼女は意を決して直接聞いてみることにした。
「師匠、どこかに出かける予定なんですか?」
問いただしたわけではなく、ただ疑問に思ったから聞いただけだ。
だが答えるマヴェリカの表情は険しかった。
「ああ、明日からとりあえず一週間ぐらい空ける予定だよ」
「何の用事なんだ。そんなにかかるならあたしらが付いていった方が早く終わるんじゃねえのか」
「王都まで人に会いに行くのさ、久しぶりだからゆっくりしようと思っててね」
「王都……ですか」
リージェのいる場所だ。
だがドロセアはまだ自分が教会に対抗しうるだけの力を得たとは思っていない。
マヴェリカが自分を連れて行かないのは、そういうことなんだろう。
「一番連絡を取り合っていたジンが行方不明だろう? 他とも話をしておきたいと思ってね」
ジンの名前が出ると、ぴくりとドロセアが反応した。
横目でテニュスの様子を伺うが、何も知らない彼女はドロセアの視線にすら気づかない。
「探してくれるってことか」
「付き合いの長い相手だからね、このままってわけにはいかないだろう」
「助かる。王牙騎士団が壊滅状態ってことは、まともに探せてねえだろうしな」
「もしかして、リージェのことも……ですかね」
ドロセアがリージェの名前を呼ぶと、今度はテニュスが反応する番だった。
彼女は気まずそうにドロセアに視線を向けるが、やはりこれも気づかれない。
「ああ……結局、ジンはリージェと接触できなかったみたいだ。もっと教会と近い人間にも話してみようと思うよ」
「ありがとうございます」
だがこの場で一番気まずい思いをしているのはマヴェリカだろう。
ジンとリージェの現状を両方把握しているのは彼女だけなのだから。
礼を言われるたびに胸が痛んだ。
それでも、子供の二人にそれを背負わせるべきではないと判断した。
(二人に知らせるのは全てが終わったあとでいい。その前に起きそうな戦いは私が引き受けるさ)
まずは騎士団を壊滅させたのが本当にリージェなのか確かめる。
本物だったら、ドロセアが生きていると伝えれば正気に戻るだろう。
次にジンの身動きを封じて捕獲する。
ドロセアの協力があれば、魔物化していても元に戻すことができるはずだ。
最終的にはドロセアもテニュスも真実を知ることになるが、慕っている相手と殺し合いになる事態は避けられる。
翌朝、宣言通りにマヴェリカは家を出た。
手を振って彼女を見送る二人は、明らかに気負った様子の背中を見てどこか心配そうだった。
◇◇◇
マヴェリカは王都に到着すると、まっすぐに王城へと向かった。
衛兵に名前を告げ、王との謁見を要求する。
もちろん最初は困惑と嘲笑にさらされたが、それはいつものことだ。
マヴェリカの存在を知るのはごく少数だけなのだから。
だが王導騎士団の団長シルドが偶然通りがかると状況は一変。
彼は大慌てで王に取り次ぎ、すぐさま謁見は実現することとなった。
ぽかんとする衛兵たちを尻目に、堂々と王城へと足を踏み入れるマヴェリカ。
謁見の間に入った彼女は、玉座に座る国王サイオンに向けて「よっ」と軽く手を上げた。
「マヴェリカさん、よもやあなたが王都に姿を現すとは」
サイオンは立ち上がると、階段を降りてマヴェリカの元に歩み寄る。
「お久しぶりだな。息子を預けた以来だろうか、お変わりないようで何よりだ」
「あんたはずいぶんと老けたみたいだね。体調を崩していたんだろう?」
「恥ずかしながら、病弱は卒業したつもりだったのだがな」
「そうだったねえ、うちに来てたときも何度も熱を出して寝込んでた。けど王都に戻る頃にはすっかり健康になってたはずだけど……」
心労がたたってか、サイオンは年齢以上に老いて見える。
病み上がりというのも理由なのかもしれないが、王位継承権争いが激化するのも納得できるというものだ。
「ここは長話するには向いていない、落ち着いた場所に移るか」
「時間はあるのかい?」
「いくらでも作ろうではないか、恩人が足を運んでくれたのだから」
マヴェリカは照れくさそうに頭をかいた。
そして二人は謁見の間から応接室へと場所を移した。
◇◇◇
「サイオン、あんたは改革派が裏で何を企んでるのか、どこまで把握してるんだい」
柔らかなソファに腰掛けたマヴェリカは、単刀直入に尋ねた。
サイオンはゆっくりと頭を横に振る。
「主流派と改革派の対立はあくまで教会内部で起きている。いくら国王と言えど介入できることではない」
「けど教会、細かく言えば改革派は王位継承争いにおいて第二王子についてる。無関係とは言えないだろう」
「見ての通り今の私は健康だ。病み上がりで痩せて見えるかもしれんが、医者からもお墨付きをもらっている」
「王位継承については心配もしていない、と? 王牙騎士団の一件についてはそうも言っていられないはずさ」
サイオンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
軽くため息をつき、マヴェリカは言葉を続ける。
「強力な魔物が現れたという方向で事態の収集を計ってるみたいだけど、民の間にもかなり不安が広がってる。なにせ光属性の魔術で殺されたっていうんだからね、教会の関連を疑うものが出てきてもおかしくはない」
「教会は明確に関与を否定している。そもそも教会は治療のために修道女を派遣する際、騎士に護衛を依頼する立場だ。王牙騎士団と敵対する理由がない」
「王牙騎士団が改革派を探ってたことは、あんただって知ってたはずだろう」
腹を探られたくない改革派が、王牙騎士団を全滅させた。
マヴェリカが考えているのはそんなシナリオだった。
「その様子だと、積極的に命令はしていないが黙認していたってところかい」
「ジンから報告は受けていた」
「止めなかったんだろう」
「……止めた方がよかったのか」
「改革派の蛮行を放置していいっていうんならね。そもそも私の報告書を読んでるんだから、赤い薬をはじめ連中の妙な動きは把握してるはずなんだ」
「……」
「あんたの場合、嫁さんの一族がガイオン教の熱心な信者だから強気には出られなかった、そんなところだろうね」
幼少期にサイオンの面倒を見ていたことがあるマヴェリカは、結婚相手のことも知っている。
当時はそこまでガイオン教に入れ込んでいるわけではなかったが、義理の祖父母は歳を経るごとに信仰心を強めていき、妻を経由してサイオン自身にもプレッシャーを与えるようになった。
おそらく教会もそれを利用しているのだろう。
「政は……そう単純ではないのだ」
「わかってるよ、私だって。でもこのままじゃ、奴らはますます増長するよ。聖女の血を使ったのかはわかんないけど、騎士団長すら凌駕する化物を連中は手に入れてるんだ」
「そこが解せぬのだ」
苛立たしげに拳を握るサイオン。
「改革派が教会の権威を高めることに執着するのはわかる。しかし過剰な武力を手にして、国家の転覆を企てるのは理解できん。王国と教会は持ちつ持たれるの関係で成立しているはずだ」
「そこが……見誤る最大の理由かもしれないね」
「マヴェリカさんは理解しているのか」
「あくまで予想に過ぎないけど――」
一息置いて、マヴェリカは告げる。
「改革派は、教会の権威のために動いてなんかいない。彼らの行動理念はガイオス教とはまったく関係ない場所にある」
サイオンは眉間に皺を寄せ聞き返した。
「教会にいながら、彼らはガイオス教徒ではないと? では何のために!」
「人類の進化」
「何だ、それは」
「考えたことはないかい、このまま人間の魔力量が増えていったらどうなるんだろう、と」
マヴェリカの言っている意味を理解できないサイオンは、首を傾げるばかりだ。
「魔術師等級も最初はA級までしかなかった、けど魔力が増えるのに合わせてS級なんて枠が新しく作られた。これは人類の持つ魔力量が年々増加していることが原因だ」
「望ましいことではないか」
「このまま魔力の量が増えて風船が割れるように溢れ出したら――人類は、今のままでいられると思うかい?」
ここで、彼はようやく彼女の主張の一部を理解する。
しかし、それは信じがたいことだ。
真っ先に浮かぶのは疑念。
それを眼差しから感じ取ったのか、マヴェリカは軽く諦めたように目を伏せる。
「マヴェリカさん、何を言いたいんだ」
「本当はあと100年の猶予があるはずだった。けどあいつらは前倒しにしたんだ、私が考えるよりずっと早く動き出してしまった」
「私にもわかるように説明をしてくれないか」
「信じてもらえないさ。いや、信じたとしても公表なんてできやしない。国がひっくり返っちまうからね。だから個人的に頼むしかない、理由も告げずに、情に訴えて」
悪手だとはわかっている。
だがそれに頼らなければならないほど、マヴァリカが思うより早く事は進行している。
「改革派を力ずくで潰してくれないか、国民からの反発を覚悟の上で」
王に――そのようなことができるはずがなかった。
彼が安定した統治を行えているのは、教会の後ろ盾の存在が大きい。
失ったところですぐさま王の座を引きずり降ろされるわけではないが、多少なりとも国内で混乱は起きるだろう。
ゆえにサイオンはゆっくり首を横にふる。
「……すまないが、マヴェリカさんでもそれは聞けない頼みだな」
「そうかい……まあ、そうだろうね。けれど私にも譲れないものはある」
最初からそうなるとわかっていたマヴェリカは、しかし寂しげに立ち上がる。
「先に謝っておくよ、今から少しばかり王都を混乱させる」
そしてそう宣言するのだった。
◇◇◇
教会本部の地下に、青年の怒声が響き渡る。
「どういうことですか。なぜ、彼女がここにいるのですッ!?」
カイン王子は、テーブルを挟んだ真正面に座る聖女を見て、そう声を荒らげた。
リージェはゆりかごに眠っているはずだ。
彼女を改革派の思い通りに操るには、洗脳でもしない限りは無理なはずなのだ。
「ご存知の通り、王牙騎士団は改革派の金の流れを追っていました。あのまま放置していれば、いずれカイン王子が我々に資金提供している事実にも気づいてしまったでしょう」
「では……王牙騎士団を攻撃したのは、本当にこの聖女リージェだったというのですか」
ゾラニーグの説明を聞いて、カインの背中に冷や汗が浮かぶ。
生き残ったスィーゼの証言は一部の人間しか知らない。
だがどこから発生したかはわからないが、改革派の間では『聖女様が天罰を下された』という噂が流れていたのだ。
「聖女の力は、世界の平和のために使うはずではないのですか」
「平和のために必要な尊い犠牲でした」
「言葉遊びはやめてくれ、人が死んでるんだぞッ!?」
珍しく口調を崩して怒鳴りつけるカイン。
しかしゾラニーグは肩をすくめるだけ。
「では聞きますが王子、あのまま彼らを放置して計画が白紙になってしまってもよかったのですか?」
「もっと他に方法が……!」
「彼らは王の牙、抵抗する者を力で叩き潰すしか方法を知らぬ連中です。あの場で動かなければ、潰されていたのは我々の方だった。無論、カイン王子も例外ではありません」
動揺するカイン。
王牙騎士団の恐ろしさは父から聞かされている。
恐ろしいからこそ、頼もしいのだと。
改革派とカインの間にはっきりとした繋がりがある以上、カインがその標的に選ばれる、というのは決して脅しや妄想などではない。
「それに聖女の血の素晴らしき力の証明にもなりました。騎士団長ですら一撃で屠るこの絶大な力――世界平和すら簡単に成してしまうと思いませんか?」
「恐怖政治でも始めるつもりですか」
「曲解ですよ。我々は全ての人類が等しく力を得ることを望んでいる、それはカイン王子もご存知なはずです。ご自身の体がそれを知っている」
すでにカインは、聖女の血から作られた薬物を接種していた。
そのおかげで、魔力は格段に向上している。
「元はB級魔術師だったあなたが、今やS級並の力を持っているんです。王子もおっしゃっていたじゃないですか、力を得たことで今までよりも他者に優しくできるようになった、と」
「それは……」
力とは心の余裕を生む。
つい先日、父親にも『風格が出てきた』と褒められたばかりだ。
そこには少なからず、魔力量の増加が関わっている。
「カイン王子の兄上はA級魔術師だ。あなたは、兄に劣るコンプレックスに悩んできた。しかしそれも解消できたのでしょう? 真っ直ぐな気持ちで兄上と接することができたと、あれほどまでに喜んでいたではないですか。こんなに素晴らしいことはない!」
そう、兄弟仲も以前以上によくなった。
全ては――聖女の血を接種したおかげなのだ。
「母上も同じことをおっしゃっていたでしょう?」
「吹き込んだのはあなたでしたか。何が目的です? わざわざこのような場を設けたんです、理由があるに違いない」
「ええ、改革派について大切なことをお伝えしたくて」
ゾラニーグは相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべながら、語り始めた。
「実は我々、ガイオス教の信者ではないのですよ」
突然のカミングアウトに、カインは「は……?」と口を開いたまま固まった。
「改革派と名乗ってはいますが、創造神ガイオスのことをまったく信仰しておりません。教会を良くしようと思って動いているわけでもありません」
「何を言っているのです、あなたがた教会はッ!」
「考えてもみてください、ガイオスは我々に何か与えてくれましたか? かつては姿を現して人類を導いていたといいますが、今や残っているのは名前だけ」
「魔術はどうなのです。人類に魔力が宿ったのは今から400年前と言われていますが、あれは突如として出現した魔物に対抗するため、ガイオス様が人類に与えた力では!?」
「違いますよ、あれはガイオスが与えたのではありません」
カインがこれまで真実だと信じてきたものが、全てひっくり返っていく。
「隠された、教会にとって都合の悪い歴史というやつです。今から400年前、王国に一人の人間が生まれました。名をエレイン・コンディータと言います」
「それは……誰なんですか」
「彼女は生まれながらに、精霊と対話ができる特異な体質を持っていたのです」
「魔術……」
「術式すら必要無かったそうです。彼女が精霊に語りかけるだけで、魔術と同等の現象が発生する」
砕けた言い方をすれば“超能力者”というやつだろう。
エレインは魔術という概念が存在しなかった時代に、現代のS級魔術師を遥かに超える能力を振るっていた。
「エレイン様は奇跡の子として、雨を降らせ乾いた土地を潤し、吹きすさぶ風で蛮族を追い返し、聖なる力で蔓延する病を治癒した。精霊の力で人々を救い、そして神のように崇拝されました。しかし彼女は苦しんでいた。なぜなら、自分の手で救えるのは見える範囲の人間だけだから」
ゾラニーグは慣れた様子でカインに歴史の真実を語る。
改革派とはいえ、彼も大司教までは自力でのし上がってきたのだ。
人に“聴かせる”語りは得意分野なのだろう。
「そこでエレインは自らの肉体を捨て、粒子へと変えて、世界中の人々の体内に宿ることを決意したのです。全ての人間が魔力を得て、魔術を使える世界のために――」
「そ、そんなことが……」
「我々は魔術のおかげで豊かな暮らしを手に入れた、創造神ガイオスよりもよっぽど神様らしいと思いませんか」
事実であれば、という前提条件はあるが――カインは確かにそのとおりだと納得し、頷く。
満足気に微笑むゾラニーグ。
「そう、我々はガイオス教ではなく、エレイン教の信者なのですよ。そして聖女とは、エレイン様の祝福を受けた選ばれし人間なのです!」
最後の仕上げと言わんばかりに、彼は両手を広げてそう高々と宣言した。
◇◇◇
カインが教会本部を出たあと、応接室にてゾラニーグはリラックスした様子でクッキーをかじっていた。
対角線上に座るリージェはどこか呆れ顔だ。
「いやあ、上手くいきましたねえ」
「口だけは回るのですね」
「リージェ様のプレッシャーがあったおかげですよ。それでも緊張しました、信仰の鞍替えはそう簡単なことではありませんからね」
「わたしが思うに、すでに話し合いの前の時点で決着は付いていたのではないですか」
そう言って、ティーカップをを口に運ぶリージェ。
「戦いは始まる前から終わっている、なんて言葉もあるぐらいですからね」
ゾラニーグはクッキーを歯で挟むと、わざとらしくパキッと音を立てて半分に割った。
その直後、地下全体が大きく揺れる。
「おや、地震ですかねえ」
「そのような生ぬるいものではなさそうです」
続けて聞こえてくる爆発音と悲鳴――ゾラニーグは大きくため息をついた。
「この方角、“檻”の方からですね」
「それは大変ですね」
「あなたも無関係では無いはずですが――」
そう言いながらも、部屋から出ようとはしない二人。
すると扉が勢いよく開かれ、血相を変えた白いローブ姿の聖職者が飛び込んできた。
「ゾラニーグ様、大変ですッ!」
「やはり来ましたね。こういうときは慌てずに報告を待つのが正解です」
「そのようなことを言ってる場合では! 被検体が檻を破壊して脱走しました! 阻止を試みた数名が死亡し、施設も一部が破損していますッ!」
「だそうですよ」
「それは大変ですね」
「部屋の強度は十分だとおっしゃっていませんでしたか、リージェ様」
「想像以上に優れた剣士だったのでしょう。それに管理不足は教会側の問題、わたしには関係のないことです」
「他人事とは偉くなったものですね。しかし残念です、もう少しで脳みそと直にお話できそうだったというのに」
面倒そうに立ち上がったゾラニーグは、ぽんと聖職者の肩に手を置いた。
「まずは隠蔽から始めます、主流派の連中には事を悟られぬよう」
「ど、どう説明すれば……」
「都合のいいことに、本部で魔物が現れたのは初めてではありません。原因は同じということにしてしまえばいい」
「この施設の事はっ」
「もったいないですが実験道具は灰にしてしまえばいい、資料さえ残っていればどうとでも再起はできます。エルクに頼めば痕跡も残らないでしょう」
「では被検体の捕獲は!」
「後回しです。魔物の出現はそう珍しいことではありません、世間は世間なりの処理をしてくれるはずです。まずは我々の保身を第一に考えなさい」
悪びれもせず、全てを覆い隠そうとするゾラニーグ。
その面の厚さがあるからこそ、大司教になれたのだろう。
「しかし――リージェ様に復讐するならまだしも外に飛び出すとは、どこへ向かったのでしょうねえ」
「嬉しそうですね」
「魔物化した人間は、生前の記憶をわずかですが残しているようです。つまり彼が向かった先は――」
彼の口元に邪悪な笑みが浮かぶ。
何を考えているかは言葉に出さなかったが、リージェが代弁した。
「惨劇の生き残りか、あるいは消えた剣聖か」
「彼は目障りな男でしたから、仲間を道連れに破滅してくれるならこんな嬉しいことはありませんよ!」
感情をむき出しにして歓喜するゾラニーグ。
部下たちは大騒ぎだというのに、本人は呑気なものだ。
すると別の聖職者が部屋に入ってくる。
「ゾラニーグ様っ!」
「何ですかしつこいですね」
「ジンが脱走した際に空いた穴から、女が……」
「女?」
首を傾げた彼の目の前で、聖職者の姿が消えた。
かと思えば吹き飛ばされ、壁に叩きつけられている。
代わりに現れたのは、赤髪の魔女だった。
「騒がしいと思って来てみれば、まさか目的地に直通だとはねえ。ガイオス教もたまには気が利くじゃないか」
ゾラニーグは後ずさる。
ここまでは“想定内”の範疇で起きた事故だった。
だからこそ楽しむことができた。
しかし眼前に現れた魔女に関しては、彼はまったく知らない。
だから焦り、聖女に助けを求める。
「リージェ様、あの女は一体!」
「問題ありません、わたしが消します」
リージェの右手から、まばゆい光線が放たれマヴェリカを襲う。
だが彼女は立体的な形状をした独特のシールドを展開し、それをたやすく防いだ。
「十分実戦に耐えうるシールドだねえ、これは」
「奇っ怪な障壁……あなたは何者ですか?」
ようやくマヴェリカを“敵”として認識したのか、リージェは顔をしかめ立ち上がる。
「通りすがりの魔女だよ。それよりあんた、リージェ様って呼ばれてるんだねぇ」
「ええ、ご存知でしょう? 聖女リージェ」
「いやあ……私が知ってるリージェとはまるで別物だ」
彼女の表情、そして言葉から感じるられる感情で即座に理解する。
『ドロセアはこのリージェに恋などしない』
外見は間違いなく聖女だし、マヴェリカはリージェ本人と一度も会ったことはないが、間違いなく“あれ”はリージェ本人ではない。
そう直感したのだ。
「よかった、安心して殺せる」
「おかしな人。わたしは人類より一歩先にいるんですよ?」
「そういうのは人類に勝ってから言うもんだ」
お返しと言わんばかりに、リージェに氷の柱が叩きつけられる。
彼女は体から発した光でそれを溶かすと、音よりも早くマヴェリカに接近し、飛びながら側頭部に蹴りを放った。
マヴェリカはのけぞりそれを回避すると、バク転しながら魔術を発動。
足元から岩の槍がせり出し、リージェに襲いかかる。
彼女はそれを拳で叩き割り、前方に着地したマヴェリカを睨みつけた。
「あなたは何者ですか」
「“簒奪者”を名乗っておきながらマヴェリカの名も知らないのかい」
ゾラニーグは「ひいぃぃぃっ」と情けない声をあげながら部屋の隅で体を縮めていたが、勇気を出して二人の会話に口を挟んだ。
「リ、リージェ様っ、ここで戦ってはさすがに隠蔽工作がっ!」
「だそうです。場所を変えましょうか」
「付き合う義理はないね」
「無理にでも付き合ってもらいます――よッ!」
リージェは瞬時に敵との距離を詰め、光を纏った拳で低い姿勢からのアッパーを放つ。
マヴェリカはそれもシールドで受け止めたが衝撃を殺せず、浮き上がった体は天井に激突。
そのまま壁を破壊して地上まで吹き飛ばされた。
リージェは跳躍し、開いた穴から彼女を追う。
だが空の下に出た瞬間、お返しと言わんばかりに風の塊が彼女の腹をぶん殴った。
ギリギリでシールドは張ったが威力を殺しきれない。
口から「かはっ!」と空気を吐き出しながら、衝撃を受け吹き飛ばされるリージェ。
そこに追い打ちの火球が迫る。
リージェは体勢を崩しながらも光塊を投げつけ、それを相殺した。
両者の魔術が衝突し、王都上空で巨大な爆発が起きる。
「こうなったら隠れても無意味です。ド派手にやりましょう、魔女さん」
「簒奪者を自称するだけはあるか……ところであんた、ジンはどこにやったんだい」
「さあ?」
「痛めつけて引きずり出してやるよ!」
「ふふふ、本当に知らないのに」
大勢の住民が見守る中、聖女と魔女の本格的な殺し合いが始まった。
◇◇◇
一方その頃、ドロセアとテニュスは静かな森を並んで歩いていた。
マヴェリカがいなくとも買い出しは必要なので、二人で村へ向かっているのだ。
「マヴェリカ、心配だよなー」
「信じて帰ってくるのを待つしかないよ」
「そりゃそうだけどよ、どうせ一人で何か解決しようとしてんじゃねえの」
「……うん、かもしれない」
マヴェリカはお人好しがすぎる。
そして嘘が下手だ。
明らかに何かを隠して家を出た、今ごろどこかで戦いに巻き込まれているかも知れない――そうドロセアたちが心配するのも仕方のないことである。
「マヴェリカには敵わねえかもしんねえけど、あたしらもそれなりに強いわけだしさ。今度同じようなことがあったら、手伝えないか聞いてみようぜ」
「それがいいね。師匠も寂しい思いしないで済むだろうし」
「ははっ、違いない。一人が好きとか言っときながら、あたしらがいないと一人で家でしょんぼりしてるもんなあ」
二人が談笑していると、村の方から男性が手を振りながら駆け寄ってくる。
「ありゃ雑貨屋の店主だな」
「ドロセアちゃん、それにテニュスちゃんも。ちょうどよかった!」
「こんにちは、どうかしたんですか?」
「実は最近、また魔物が出てね。冒険者に依頼を出したんだ」
「前回ってのはあんときか……」
テニュスと出会う直前、ドロセアが一人で魔物を倒したときのことだ。
実はあの戦闘も、テニュスはばっちり見ていたらしい。
「次が出るの早いですね」
「魔物の出現頻度は年々増加してるみたいだね。けど今度は前よりも優秀な冒険者が来てくれたから、たぶん大丈夫だと思うんだけど……」
大丈夫と言いながらも、店主は不安げだ。
「じゃあ何を話しに来たんですか?」
「いやあ……その、大丈夫なんだけど……前回が前回だから、どうしても心配でね」
「あたしらに見てきてほしいってか?」
「まだ予定の時間よりは早いし、きっと気にするまでも無いと思うんだ。ただ、どうしても……なんていうかなぁ」
「嫌な予感がするんですね」
具体的な言葉で表現はできないが、漠然とした悪寒がある。
そういうときに限って予感は的中するものだ。
「わかりました、時間はありますしテニュスと二人で見てきます」
「本当か! ありがとう、助かるよ。もちろん戻ってきたお礼は用意してるから!」
「いっそあたしらで冒険者の獲物を奪い取ってきてやるよ」
「あはは、それは揉めそうなので遠慮してもらえると……」
苦笑いを浮かべながらも、協力を得られた店主はどこか安堵しているように見えた。
◇◇◇
村に到着後、冒険者が向かったという場所を目指すドロセアたち。
だがその方角の森に立ち入った途端、ドロセアは違和感を覚えて立ち止まった。
「森がやけに静かな気がする」
「あたしもそういうの少しずつわかるようになってきたよ。あのおっさんの嫌な予感ってやつ、当たってるのかもな」
獣たちの気配がまったく無い。
なにかに怯えて、身を隠しているのだろう。
そのまま二人が森の奥へと進むと、今度はテニュスが止まる。
「待てドロセア、前から人の気配が近づいてくる」
止まって観察すると、少ししてこちらに駆けてくる人影が見えた。
軽鎧を纏った男――おそらく依頼を受けた冒険者だろう。
彼は青ざめた顔で必死になにかから逃げるように走っている。
「はっ、はっ、はっ、はっ、来るな、来るなあぁぁぁあっ!」
追跡者を追い払うように声をあげ、腕をふる冒険者。
「大丈夫ですか!」
ドロセアがそう声をかけると、彼は必死に首を横に振る。
「来るな、お前たち! こっちに来るなあぁぁぁああッ!」
それは追い払うための声ではなく、警告だった。
そのとき、空間がわずかに歪む。
いや、実際に歪んだわけではないが、そう見えたのだ。
そして冒険者の体は輪切りにされ、バラバラになって地面に倒れた。
「う……な、何、今の……!」
「ドロセア、構えろッ!」
テニュスの声で我に返ったドロセアは、接近する気配に反応しシールドを張った。
途端にガギイィッ! と鋭い刃物で引っ掻いたような音と共に障壁は引き裂かれ、相殺しきれなかった衝撃でドロセアが転ぶ。
すぐさまテニュスが駆け寄り手を引っ張り起こす。
そして二人は背中を合わせ、剣を手に次の襲撃に備えた。
「とんでもなく速い何かがいる……!?」
「今の太刀筋、まさか――」
テニュスはドロセアから真相を聞くまでもなく自らたどりつく。
憧れた人だからこそ、気づいてしまう。
「ジン、なのか?」
テニュスの震える声を聞いて、ドロセアは罪悪感に唇を噛んだ。
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