087 残された世界
裂け目を抜け、自分たちの世界に戻ってきたドロセアとリージェ。
二人の乗る守護者エデンは、シェメシュの翼を使いゆっくりと地上へと降りていく。
「そういえばさ、背中の翼ってリージェの光魔術で飛んでるんじゃなかったっけ」
「私もよくわからないんですが、この世界を抜けたあたり燃費が悪くなった感覚があります」
ドロセアが背後を見てみる。
翼から放出される光の粒子は、通常の目で見た限りだと以前と変わらない。
だが彼女の右目には違うものが映っていた。
「あー……」
「何かわかりましたか?」
「光の粒子だったのが、シールドの粒子に変わってる」
「シールドだったら精霊関係なく動けるから、ですかね」
「たぶん。エデンの方が勝手に適応してくれたんだろうね」
だがその変化は、この世界から精霊が消え去ったことも意味している。
地上を見下ろすと、海は青く、大地には草木が生い茂っている。
だがその一方で、地上には無数の侵略者の死体と、精霊枯渇により発生した地割れの後が残っていた。
もっと近づけば、人間の死体も見えてくるのだろう。
「戻ったからといって、すぐに平和に暮らせるってわけじゃないんでしょうね」
「暮らすよ」
「そ、それは無理では……?」
「とりあえず故郷に帰って、その周辺の復興を目指す。リージェと二人なら、それも平和に暮らしてる範疇じゃない?」
「……確かに、今までに比べれば」
今までは、あまりに暴力に満ちた日常に身を置きすぎていた。
復興を目指すのも大変だろうが、それでも今日までの戦いに比べれば、遥かに穏やかに過ごせるはずだ。
「リージェの言う通り、大変かもしれないけどね。でもせっかくこうして生き残れたんだから、できる限り二人で一緒にいようよ」
「はいっ……それさえ叶えば、どんな場所だって幸せですもんね」
言葉を交わしていくうちに、地上が近づいてくる。
ちょうど真下あたりでは、橙色の守護者――オグダードが飛び跳ねながら両手を振っていた。
その隣には、エデンを見ながらはしゃぐジュノーの姿もある。
「テニュスとラパーパだ!」
「無事だったんですねっ!」
周囲にはスティクスやラトナの姿もある。
特にスティクスはボロボロで、スィーゼ本人もかなりの傷を負っていそうだが、それでも自らの両足で立っていた。
一方、戦場跡には大勢の兵士の死体もあり、地上での戦いの壮絶さを現している。
リージェは唇を噛み、嘆きの言葉をぐっと飲み込んだ。
今は帰還と再会を喜ぶ。
そう決めたから。
地上に降り立つと、ドロセアはエデンを解除し生身に戻る。
それを受け、周囲の守護者たちも光の粒子となって消えた。
「ドロセア、リージェっ!」
「無事で何よりデスーっ!」
駆け寄ってくるテニュスとラパーパ。
ドロセアは二人に抱きつかれ、もみくちゃにされた。
「あはは、二人とも元気すぎるって」
「誰かさんのおかげで休む時間があったからな」
「休む時間、ですか?」
「途中で侵略者の動きが止まったんデス。そのあと、また動き出したと思ったら急に空に戻っていったからびっくりしました」
顔を見合わせ、首を傾げるドロセアとリージェ。
少なくとも二人は侵略者の行動にそのような影響を与えた覚えはなかった。
そんな彼女たちの反応を、スィーゼが訝しむ。
「スィーゼが思うに、あれは君たちがやったことだと思うが」
「あー……たぶん私たちじゃなくて」
「マヴェリカさんとエレインさん、ですね」
リージェがその名前を出すと、アンタムはきょろきょろと周囲を見回す。
「あれー? そういやあの二人いなくなーい?」
「侵略者の内部に残ってたんだけど、追ってくる様子がなくて」
「もしかしてあの中で……」
「いや、それは無いと思うけどね」
表情を曇らせたリージェの言葉を、ドロセアは即座に否定した。
他数名もうんうんとうなずく。
特にテニュスは腕を組みながら、しみじみと言った。
「あたしも同感だ。あいつらがそう簡単に死ぬとは思えねえ」
「死んでも死ななそうデス」
それは何かの比喩ではなく、実際に死んでも死なないのである。
今ごろ世界のどこかで目を覚ましているに違いない――それが共通認識だった。
なのでマヴェリカとエレインの心配は必要ない。
話題が途切れると、アンタムは空を仰いでため息をついた。
「それにしても……あーしたち、これからどうするかねー」
「スィーゼとしては、まずは明確な統治者を置くべきだと思うけど」
「つっても王族は残ってねえんだろ?」
「じゃあ、教皇猊下とか、ですかね」
ラパーパがフォーンのことを口にすると、アンタムは寂しげに目を細めた。
「あの人は死んだ。あーしらをかばってね」
「そうだったん、デス、ね」
「偉い人、みんないなくなっちゃったんですね……」
沈むラパーパに共鳴するように、リージェも悲しそうに目を伏せる。
するとドロセアは、テニュスとスィーゼの方に視線を向けた。
「偉いって言ったら、騎士団長もそれなりになんじゃないかな。一時的にでもそういう役割を代理することはできないの?」
すると、そう言われたテニュスたちの視線が――アンタムに集中する。
「……なんであーしのこと見るの?」
「王族が残ってねえっつったが、そういやアンタム、お前王族じゃねえか」
「暫定的な統治者としてふさわしい地位にあるとスィーゼは思うよ」
そう言われた彼女は、露骨に嫌そうな顔をした。
「えー、やだやだやだー! あーし絶対にそーゆーの向いてないぃー!」
「すごく向いてなさそうな駄々のこね方デス!」
「部下にも慕われてるみたいだし、案外向いてそうだけど」
ドロセアの言葉に、アンタムに付きそう部下二名が反応する。
「確かに、あの団長が国王様になったら素敵だと思います!」
「私たちも国王直属の騎士になれます。大出世です」
「そんな俗物的な理由で目をキラキラさせるなし!」
もはやアンタムの味方は誰も居なかった。
というより、彼女以上の適任者がこの場に存在しないのである。
再び深々とため息をついた彼女は、腰に手を当て、しぶしぶそれを受け入れることにした。
「はぁ……わーったし。ただし暫定的、だからね? たぶん他にも生き残ってる王族はいるから、あとでそいつらと話し合って正式な国王を決める。それでいーい?」
「指揮系統をはっきりさせるのが目的だ、スィーゼとしてはそれで十分だよ」
スィーゼの言葉に、他の面々もうなずく。
するとアンタムは自らの両頬をぺちんと叩いて気合を入れると、気持ちを切り替えた。
先ほどよりはキリッとした表情で最初の命令を下す。
「んじゃ、みんな疲れてるとこ悪いけどさ、生き残りに声かけて、ここに集めてくんないかな。あとついでに、食べれるものと飲めるもの探してきてよ。飲み物はお酒だとなおよし!」
「えっと……お酒、ですか?」
首をかしげるリージェに、アンタムは微笑みながら答える。
「片付けとか死んだ人のこと考えたりとか、やるべきことは色々あるけどさ、あの戦いの直後にそれは無理じゃん。このまま放っておいたら、未来を悲観して、せっかく生き残ったのに自害するやつとか出てくるかもだよ?」
「まずは自分たちの生存を祝って士気を上げるってことか」
「そーゆーコト。こっからの諸々の対応も戦いみたいなもんだからね。つか、ご飯食べないとあーしが倒れそう」
腹を撫でるアンタムの仕草に、みなが頬を緩める。
するとそんな中、誰かのお腹がぐぅと鳴った。
視線がドロセアに集中する。
彼女は慌てて両手で自分のお腹を隠すと、頬を赤らめた。
「んふふ、ドロセアもそうっしょ?」
「意識してなかったけど、そうみたい」
ドロセアが苦笑いしながらそう返すと、今度は全員が笑い声を漏らす。
おかげで空気も和んだ。
穏やかな気持ちのまま、王の命令を果たすべく、彼女たちは動き出すのだった。
◇◇◇
同時刻、大陸のどこかにある深い森の奥――そこに不自然にぽつんと建つ一軒家で、一人の女が目覚めた。
柔らかいベッドの上で、木の天井を見上げる。
するとその視界に、やたら好みな顔をした、少し気の強そうな女性が映り込んだ。
「おはよう、エレイン」
一般的な女性の声よりはわずかに低い、ハスキーめな音。
それが耳を震わすだけで、エレインは楽園にいるかのような幸せに包まれる。
だがその幸福感は、罪深い味をしていた。
彼女は口元に笑みを浮かべながらも、申し訳無さそうに語る。
「死ぬ間際にね、生き恥をさらすぐらいなら、いっそこのまま目を覚まさなければと思ったわ」
「だったら今度は私が地獄まで迎えにいってやるよ」
「あなたなら本当にやりそう」
どうあっても逃げられない。
だったら逃げる必要なんてない。
そんな最低な言い訳をする。
だが最低なんて今さらだ。
エレインは、開き直るという選択をしたのだから。
「おはよう、マヴェリカ」
手を伸ばし、マヴェリカの頬に触れる。
それに引き寄せられるように顔が近づいてきて、二人の唇が触れた。
柔らかく暖かな感触、そしてふわりと漂う甘い香り――それは四百年もの間、彼女が本当に欲しがり続けてきたものだった。
唇を離すと、エレインは自嘲的に笑う。
「目眩がするほど完璧な肉体だわ。ふふっ、さっきまで“世界の外”で死にかけていたのが嘘みたい」
「その肉体を完成させるまで何年かけたと思ってるんだい、完璧に決まってるだろう」
「でも……その体を自分の手で壊すんでしょう?」
そう言って、マヴェリカの手を抱き寄せ、指先で鎖骨を撫でさせる。
その色っぽい仕草に、魔女の喉がごくりと鳴った。
「あら、マヴェリカどうしたの。顔が真っ赤よ」
「人間として生きてた頃でもそんなことしたことなかっただろ……耐性が無いんだよう」
子供っぽく唇を尖らせるマヴェリカ。
エレインはくすくすと笑った。
「だいたい、そういうエレインだって真っ赤じゃないか」
「当たり前じゃない、私だって慣れてないんだから」
「まったく。無理しなくていいんじゃないか、ずっと一緒にいたら自然とそういうことも平気になっていくさ」
「急ぎたい気持ちもわかってよ、四百年もキス止まりで足踏みしてたんだから」
そう言って、二人は再び唇を重ねる。
そんな彼女たちのやり取りを――部屋の入り口から見ている二人組がいた。
「あー……これは、いつ声をかけてよろしいのでございましょうか」
「わー、大人だぁ」
イナギとアンターテだ。
彼女たちもマヴェリカとエレイン同様、転生し、この家で蘇っていたのである。
その声に気づいた二人は顔を上げる。
「あら、あなたたちもいたの」
「完全に忘れてたよ」
そして再び唇を重ねた。
「うわー、わー」
「そのまま続けるのでございますか!? 子供の教育に悪いので一旦止めてください! ほら、アンターテも驚いているではございませんか!」
「その子、指の隙間からばっちり見てるぞ」
イナギが確認すると、アンターテの指の隙間は割と広めに空いており、視界はほぼ隠れていなかった。
「めっ、でございますアンターテ! めっ!」
「将来の参考にしようと思って……」
「だっ、誰を相手にそのような……ことを……」
「わかった上で聞いてそうな感じね」
「保護者としての感情との板挟みになってるな」
「解説しないでいただけますか!」
明らかにおちょくってくるマヴェリカたちに対し、吼えるイナギ。
そのおかげか、漂っていた桃色の空気はすっかり霧散していた。
彼女は咳払いをすると、話題を切り替える。
「わたくしたちはこんな話をしにきたのではございません、お礼を言いに来たのございます!」
「蘇らせた件なら別に礼なんていらないぞ、頼まれてやったことでもないからな」
「ですがわたくしたちが頼んで――」
「その前から二人を生かすことは決まってたのさ、これでも弟子のことを少しは考えてるってことだよ」
「つまりマヴェリカさんは、スペルニカでの戦いの時点ですでにわたくしたちを生かすつもりで動いていたと?」
「そゆこと」
「結局、ぜんぶこいつの手のひらの上だったんだね」
アンターテが感謝半分、呆れ半分といった表情で言うと、マヴェリカは肩をすくめた。
「エレインにも似たようなことを言われたが、これでもかなり苦労したんだぞ? 裏ですべてを操っていた……みたいなイメージは大間違いだ」
「どこまで本当なんだかわからないわね」
「エレインまで疑うことはないだろう……」
がっくりと肩を落とすマヴェリカ。
その様子は本気で落ち込んでいるようにも思えた。
これはあくまでイナギから見た感覚だが、今のマヴェリカは以前よりも子供っぽく見える。
長年の呪縛から解き放たれた――それはエレインだけでなく、彼女もそうなのかもしれない。
「まあ、礼がいらないと言うのでございましたら、お言葉に甘えさせていただきます。わたくしたちは早々に旅立つつもりでございますので」
「もう行ってしまうの?」
「だってここにいたって、エレイン様たちの邪魔するだけなんだもん」
いたずらっぽくアンターテが言うと、エレインの頬に軽く赤みがさす。
今まで散々見せつけておいて、変なところで初な反応をするものだ、とアンターテはくすりと笑った。
「ふふ、それにわたしも邪魔されたくないし」
続けざまの小悪魔ムーブ。
今度はイナギの頬が赤らむ。
するとマヴェリカが、そんな彼女に声をかけた。
「ああ、最後に言っておくけど――」
「何でございますか」
「魂が欠けてるとか言ってたろ、私。あれ嘘だから」
「嘘、と言い切るのでございますね。ではこの肉体に宿った魂は完璧なものであると?」
「その認識で正しい。精霊が居なくなった以上、簒奪者の肉体がどうなるかはわからないが、早死にの心配はいらないからな」
「アフターケアもばっちりでございますね。それでも礼はいらないと?」
「二人きりにしてもらうのが最大の礼だ」
「ふ、承知いたしました」
その言葉を最後に、イナギとアンターテは手を繋いで部屋を後にした。
しばらくすると、離れた玄関の方からもドアが閉まる音がする。
「本当に行っちまったなあ」
「自分で追い出したんじゃない。お小遣いでも渡しておいた方がよかったんじゃない?」
「大丈夫だろう、イナギってやつはしっかりしてそうだ」
刀は持っていないし、超振動ももう使えないが、持ち前の身体能力だけでどうとでも戦えるだろう。
この世界にはもはや魔物も存在しないのだから、大きな危険に遭遇することもない。
「そういえば、さっき二人の魂とか肉体のこと言ってたけど……」
「ああ、何か気になることでもあったのか?」
「もう魔物にはなれないと思うから、それも伝えておけばよかったと思って」
「ああ、精霊がいないからねえ、いくら魔力が増えたところで肉体に直接的な変化は生じないだろう」
「全人類の魔物化も完全頓挫ってところね」
「別にどうでもいいことじゃないか、精霊たちの都合だ」
「そうは言うけど――四百年も付き合ってきたんだもの、思うところはあるわ」
寂しさとか、悲しみではない。
大雑把にいうと感慨深い、といったところだろうか。
長い間、目標にしてきたものが消えて、空虚感のようなものがある。
いや、目標自体は果たされたのだ。
マヴェリカと共にあれば他には何もいらない。
それが“答え”なのだろうが――何かを失ったかのような、そういう幻肢痛めいた苦しみは、しばらくは続くだろう。
「これからどうするの?」
「どうって、エレインと生きていくに決まってるだろう」
「寿命は? 普通の人間みたいに死ぬ? それとも永遠に二人で過ごす?」
「どっちも素敵な提案だねえ、一度ぐらいは年をとったエレインを見てみたいって気持ちもある」
「私も、そういうマヴェリカを知りたいわ」
「生まれ変わったあとはともかく、最初の人生すらも見てなかったのかい」
「怖かったのよ。私を置いて年老いていく貴女を見るのが」
置いていったのは自分のくせに、置いていかれるような気がした。
まあ、老衰で死んだと思ったら転生して蘇っていたのを知ったときは、精霊ぐらいしか見てないからと涙を流して喜んだものだが。
その姿を例の上位精霊に見られて揉め事になったとか、ひどい目にあったとか――そんなのは、今はもうどうでもいい話だ。
「じゃあ一回普通に生きて、そのあと転生してみるか」
「結局そうするのね」
「当たり前だろう、どうせ死んだら地獄行きだ。だったらこの世で限界まで人生を謳歌してみるさ」
天国や地獄が実在するかはさておき、マヴェリカも、自分が地獄行きになるような所業を繰り返しているという自覚はあった。
だが償いだとか、報いだとかを受けるつもりはない。
知ってるからこそ逃げ続ける。
「それに、一応は役割ってやつも考えてるんだ」
「らしくないわね」
「私もそう思う。なんつうか、精霊をぶっ殺した責任感というべきか、そういうものが希薄ながら私の中にもあったわけだ」
「希薄って自分で言う?」
「九割ぐらいどうでもいいと思ってるからな」
あっけらかんと言い切るマヴェリカに、エレインは思わず「クズねぇ」と呟いた。
「そういうクズが好みの女もいるってことだ」
「まあね。それで、役割って?」
「存在質の番人」
それを聞いて眉をひそめるエレイン。
意味が伝わっていないのかと思い、マヴェリカは補足を付け加えた。
「人類が現存する存在質を消耗する技術なんて馬鹿げたものを生み出さないように、それを見張り、時に阻止する役目だ」
「今までの貴女と真逆じゃない」
「だからこそわかることもある。あとは、人類が安定するまではアンタム経由で色んな技術でも教えておくかねえ」
「また暗躍するの?」
「エレインだって頭に入ってるだろう、クロドのとこで見た知識のいくつかは」
侵略者の制御端末から、しっかりそういう情報も盗み取っていたマヴェリカ。
エレインも同様に、知れることは知れるだけ頭に叩き込んできた。
マヴェリカはもちろん、エレインも肉体を失っている間も、魔術に関する様々な実験を繰り返してきた身。
研究者として、新たな存在質が満ちるこの世界で色々と試してみたいとは思っていた。
「生まれ変わった世界には、この世界だからこそできることがたくさんある。失われたものは多いが、人が歩みを止めなければ、前の世界なんてあっという間に追い越していくだろうさ」
マヴェリカの言葉に、エレインは「そうね」とうなずく。
だがそれはそれとして、今二人がやりたいことは研究だとか、人類の未来について考えることではない。
意識の高い会話はここまでにしておいて、マヴェリカとエレインは仲良くベッドに倒れ込むのだった。
◇◇◇
それからの一年間は、瞬く間に過ぎていった。
世界人口の半数近くが死に絶え、文明は徹底的に破壊され、精霊が消えたことで魔術も使えないため、多くの人間が路頭に迷った。
治安は悪化し、回復魔術が使えないことで疫病も広がり、世界は次なる絶望に覆われる。
そんな中、王国では早い段階である程度の秩序が回復し、他の地域よりも復興が早かったという。
その立役者と言われたのが女王アンタム・ライオローズだ。
最初は暫定的な国王という立場だったが、他の有力貴族が尽く死んでいたり、生き残った貴族も厄介事から逃げるように王位継承を避けたため、なし崩し的にアンタムが女王を続けることとなった。
本人は乗り気ではなく、研究者を続けたがっていたそうだが、豊かな知識と巧みな人心掌握術を持つ彼女は皮肉にも国王として適任だったらしい。
もっとも、それは貴族の多くが命を落としたため、政治的な泥沼に浸からずに王国復興に集中できたのが大きいのだろう。
また、“生まれ変わった世界”の辿った道は、必ずしも絶望ばかりではなかった。
まず守護者の存在。
精霊が消えた現在でも、魔力そのものを動力源とする守護者は使用が可能だ。
もっとも、それに付随する魔術的な兵器は使えないが、重機のような感覚で使うことはできる。
瓦礫の撤去、人間や侵略者の死体の回収など――回復魔術が消えたことで怪我を治すことが困難になった一方、怪我や病気そのものの頻度を減らせたのは不幸中の幸いだろう。
そしてもう一つは、存在質の置換による世界の変化である。
精霊が消えたことで、この世界における物理現象の根本的な仕組みはごっそりと変わっていた。
また、百倍近く規模が違う世界から存在質を食らったことで、以前よりも存在質の密度が上がっている。
その結果、傷の治りが早かったり、植物の成長が早くなるなどの変化が生じたのだ。
そのうちデメリットも見つかるだろうが、現時点では特に、植物の成長が早くなったことが人類にとってはありがたい。
飢餓による死者を最低限で留めることができるからだ。
失われたものは補い、変わったものは最大限に利用し――王国がそういった変化を上手く活用できたのは、アンタムが元研究者だったから、という部分も大きいだろう。
やがて周辺諸国は、相対的に大きな発展を遂げる王国に助けを求め、特にカタレブシスなどは自ら王国への併合を望むようになる。
その結果、生じてしまった周辺諸国との軋轢等で、アンタムはいよいよ国王としての苦難を味わうことになるのだが――
それはさておき。
戦いを終えたドロセアとリージェは故郷に戻り、平和な日々を謳歌していた。
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