086 食う者食われる者
過去の歴史を紐解けば、人と人との争いが起きる最大の原因は、資源の奪い合いであるとわかる。
食料や、鉱石や、燃料など――豊かな暮らしを求めて、人は他者から何かを奪う。
だからこそ人は夢を見る。
“もしも無限に尽きない資源が存在するとしたら”。
かつてこの世界にも、それを実現しようと動いた技術者たちがいた。
そして彼らは完成させた。
“空気からエネルギーを生み出す”――そんな夢の技術を。
結果として、資源の奪い合いは激減し、世界は以前よりも格段に平和になった。
生活も豊かになり、世界の人口も増え、このまま順調に発展していくかと思われた。
だがそんな中、とある研究者が気づいてしまう。
『これは無限のエネルギーなんかじゃない。我々はこの世界に存在する“何か”を消耗しているんだ』
その“何か”こそが、後に“存在質”と呼ばれる概念であった。
物体の存在を保証する物質。
物質の最小単位よりもさらに根源に位置する、絶対不変の摂理。
他の世界では精霊と呼ばれる存在がその代理を勤めていたが、この世界においてはただ単に“存在質”と呼ばれていた。
存在質の枯渇の兆候は、最初に少子化という形で現れた。
人間の番は十分な数いるというのに、生まれてくる子供が極端に減ったのだ。
また、植物や家畜の生育不良、海産資源の減少等、様々な面で問題が噴出しはじめた。
それまで存在質枯渇を叫ぶ研究者は学会でも変人扱いされ、村八分を受けていたが、実害が出始めると事情が変わっていった。
存在質は時間経過で回復しない。
この世界の中にいる限り存在質を新たに生み出すことはできない。
今さら、存在質の消費もなしに人類を存続することはできない。
その後にわかった事実は、そんな絶望的なことばかりだった。
多くの研究者が頭を悩ませ、どうにか世界を存続できないか考えたが、無駄に時間は流れてゆくばかり。
その間にも世界は壊れていく。
海は渇れ、植物も枯れ果て、大地は割れ、人はやせ細り、空は濁る。
もはやこの世界を救う方法は一つしかなかった。
『他の世界から存在質を奪おう』
とある研究者は言った。
それに反対する者はいなかった。
◇◇◇
それから数十年をかけて、人類が滅びゆく中、その装置――否、兵器は作られた。
侵略者。
他の知的生命体を滅ぼし、自分たちの糧とする――その業の深さを理解しているがゆえに付けられた名だった。
最初は今ほど規模は大きくなく、それこそ世界とつながる赤子程度のサイズだった。
それは自己増殖を繰り返し、徐々に強さを増していく、そういう兵器だったから。
こうして動き出した侵略者は、近くにあった手頃な“世界”を食らい、存在質を補充した。
途端に世界は息を吹き返し、青い海も、青い空も、緑豊かな大地も復活する。
人々は歓喜した。
侵略者を生み出した研究者を称賛し、神のように崇めた。
研究者たちも悪い気はしなかったので、それに便乗して偉そうに振る舞った。
侵略者の中に留まった、ただ一人を除いて。
◇◇◇
「他の世界を食らってまで生きる……私はその悪行が、機械的に、自動的に行われることが許容できなかったんだ」
椅子に深く座り、クロドはそう語る。
ドロセアたちもそれぞれ近くの椅子に腰掛けながら、各々異なる表情をしながら話に耳を傾ける。
戸惑うリージェ。
真剣なエレイン。
冷めたドロセア。
そして呆れ顔のマヴェリカ。
反応は綺麗に二分されている。
「そこで私は自らの意思をこの兵器の中に残すことにした。そして、侵略する世界に自らの写し身を配置し、滅びゆく世界を記録したんだ」
ドロセアたちの前にあるディスプレイに、様々な画像が連続して表示される。
それは過去、侵略者が食らってきた世界の数々だった。
クロドはその世界の住民として生活し、己の目でそれを見てきたらしい。
そんな彼の行いに対し――
『……それで?』
ドロセアとマヴェリカの声が重なる。
間まで一緒なので、思わず二人は顔を見合わせた。
その様子を見て、エレインが噴き出すように笑い、肩を震わせる。
「まさか被るとはね」
「気が合いますね、師匠」
「さすがに驚いたよ。でもここはドロセアに譲るよ」
「じゃあ私が言います。要はそれって、罪滅ぼしとか、そういうことしようとしたんだよね」
問いかけられたクロドは、目を細める。
「無意味だとはわかっているよ。滅ばされる側の世界からしたら、記録が残ろうがなんだろうが関係はない」
「あ、わかってるんだ」
「それでも私は、この世界を守るために正しいことをしたと思っているよ」
「正しい、ね……」
呆れ半分のドロセアは立ち上がると、正面にある窓に近づいた。
背後の窓からは自分たちの世界が見えるが、こちらの窓からは――
「発展した街並み。幸せそうな人々。とてもじゃないけど、自分たちが他の世界を食べて生きてるとは思ってなさそう」
明らかにドロセアたちが暮らす世界よりも発展した、高度な文明を持つ社会が見えた。
隣にマヴェリカが並んで、同じように見下ろす。
「実際、知らないんじゃないのかい。さっき、軽くそこの端末から情報を見たけど、時系列がどうにもおかしい」
「驚いた、もう使いこなしていたのかい? 君たちの世界には無い道具のはずだけど」
「私を誰だと思ってるんだか。伊達に魔女と賢者を名乗ってないよ」
エレインは横目で文字の表示されたディスプレイを眺めながら、ふっと鼻を鳴らす。
彼女もすでに、そこに羅列された“見知らぬ文字”を解読し、理解しているようだ。
置いてかれ気味なリージェは、落ち着かない素振りできょろきょろと周囲を見回す。
それでもやはり手持ち無沙汰だったらしく、思い切って立ち上がると、窓際のドロセアに歩み寄る。
するとその足音を聞いて、ドロセアは振り返った。
「リージェはこっちに来ないほうがいい」
「どうしてです……?」
ほんのわずかな逡巡。
その隙に、エレインが疑問に答える。
「リージェみたいな人間は、普通に生活してる人たちを見たら迷うでしょう。この世界を滅ぼしていいのかって」
「あ……」
「私がそうだもの。だから近づかないの」
エレインの言葉に納得したリージェは、後退し自分の席に戻る。
そんな彼女を見て、ドロセアも窓際から離れてリージェの隣に座った。
そして寂しがらせぬように、手を握り微笑む。
「それで、話が逸れちまったが……私が思うに、この世界の人間は、侵略者の存在にすら気づいてないんじゃないのかい」
「そんなことってあるんですか? こんなに大きいのに!」
リージェがそういうのも仕方ないほどに、マヴェリカの発言は突拍子もなかった。
だが、クロドはそれを否定しない。
足を組み、目を伏せ、寂しげな笑みを浮かべる。
「人間は愚かで愛おしい。存在質が満たされ、豊かな生活を送っていても、殺し合いを止められなかった」
「何が原因で戦争が起きたの?」
ドロセアの問いに、自嘲ぎみに答えるクロド。
「宗教間対立だよ。さっき話した通り、侵略者を作った研究者たちは神のように崇められた。やがてそれは本物の神となり、それぞれ異なる宗教が生まれたのさ」
「調子に乗った報いね」
「私もそう思うよ。最終的には大量破壊兵器の応酬となり、一時的にだが人類は完全に絶滅した」
「みんな……死んだんですか」
「ああ、かれこれ数億年は前の話だよ。次の知的生命体が生まれるまで、色々と苦労したものさ。中途半端に装置だけは生き残って稼働を続けていたものだから、存在質の補充は続けなければならなかったしね」
数億年もの間、装置が動き続けていたというのも驚くべき話だ。
窓から見る限りだと、かなり未来的な進んだ文明を持っている――以前の文明はそれ以上に栄えており、自動的なメンテナンスを恒久的に行う仕組みも取り入れられていたのだろう。
「だからドロセアやマヴェリカの言う通り、この世界の人間は知らない。侵略者が存在することはおろか、自分たちが他者を食らって生きていることすら」
そう言って、クロドは窓から人々の営みを見下ろす。
その表情はまるで我が子を慈しむような、愛情に溢れたものだった。
親――あるいは、本物の神にでもなった気分なのだろうか。
「でもそれは罪じゃない、奪われていい理由にはならない」
別にドロセアたちもそれを責めるつもりはなかった。
疑問は単純な興味にすぎない。
だがクロドは、ドロセアたちが“無知”を理由に自分の世界の住民を殺そうとしていると受け取ったのか、怒りを孕んだ声を荒らげた。
「それに人類の愚かさを説くのなら、君たちだってそうじゃないか。見てごらん、あの滅びつつある世界を!」
彼が指し示したのは、栄えた我が世界とは対照的な、枯れゆくドロセアたちの世界。
「守護者……存在質、つまり精霊を食らい尽くす暴虐の化身。あんな非効率的な兵器を全世界規模で使えば、ああなるのは明らかだった。マヴェリカ、エレイン、君たちはあれを承知の上でやったんだろう!?」
そして魔女と賢者を責め立てる。
お前たちの行いは間違いだ、と。
しかし今さら動じる二人ではない。
マヴェリカはむしろ歯を見せて笑ってみせた。
「仕方ないじゃないか、私は精霊をぶち殺したかったんだ。エレインだってそうだろう?」
「ええ、そうね……もう彼らの声は聞こえない。胸の苦しさはあるけど、それ以上に救われた気分だもの」
「たった二人のエゴのために世界は滅びる」
「そりゃ申し訳ないことをしたねえ」
「確かに君たちは勝利した。けれど、だからといって、滅びゆく世界に残った数千万人のために、私の世界で生きる百億人を殺すなんて間違ってる!」
お前たちが滅びるのは侵略者のせいではない、守護者を使ったからだ。
だから滅びの運命を受け入れろ。
自分たちの世界に手を出すな。
クロドはそう言いたいらしかった。
さらに彼は、こう続ける。
「もし君たちが望むのなら、この世界で暮らせる場所を用意しよう。愛する人と生きる――それさえ叶えば、無理をする必要なんて無いはずだ」
生きる場所を用意する。
この豊かな世界で。
それはかなりの譲歩のようにも思えるし、おそらくそれでも幸せにはなれるだろう。
だが――当然、ドロセアたちがそんな提案を受け入れるはずもない。
「ねえクロド、侵略者って今までいくつの世界を食べてきたの?」
「……何の話だ」
「何万個、何億個……それぐらい食べたんじゃないかって思うんだけど」
「……」
「そこで暮らしてる人って、何兆人とか、そういう数だよね。数千万人のために百億人を殺すのは間違ってる? モラルに溢れたかっこいい言葉だね。じゃあ、百億人のために数兆人を殺す方がもっと間違いじゃない? 正義を語るなら、今後も他者を食らい続けるこんなクソみたいな世界、とっとと滅ぼすべきじゃない?」
黙り込むクロド。
ドロセアは立ち上がり、彼に近づきながら言葉を続ける。
「言っておくけど、私は別に正義を振りかざすつもりはないから。そんな言葉で説得しようとしても無駄だって言いたかったの。私は侵略者を滅ぼして自分の世界に戻る以外の結果を選ぶつもりはないから」
その目を見ているだけでわかる。
対話など無意味だと。
彼女が、己の中にある絶対的な価値観を曲げることはないと。
「どんな方法を使ってでもリージェと二人で故郷に戻って幸せに暮らすの。他は無い。交渉の余地なんて最初から無い。ただそれだけ」
偶然にもその道の途中に、“世界滅亡”という壁が立ちはだかっただけ。
だから壊す。
それが路端に転がる小石のように些細な問題であっても変わりはない。例外は無い。
リージュと生きる人生を邪魔するなら潰す。
それだけだ。
「その結果として百億人が暮らす世界が滅びたとしても心の底からどうでもいい。元はと言えば、あんたたちの方から仕掛けてきた戦いなんだから。滅ぼされたくないなら、滅ぼさなければよかった。ただそれだけでしょ?」
クロドの目の前まで近づき、覚悟の決まった瞳で相手の目を直視しながら、そう言い切る。
恐怖と同時に、敬意すら感じる、ドロセアという存在の中央に突き刺さった、真っ直ぐな軸。
それを見せつけられて、クロドは思わず頬を緩めた。
「……やはり、そうなるか」
「満足げね」
エレインの指摘も、彼は否定しない。
「クロド・ガイオルースの人格はドロセアのそういう部分を理解して、憧れていたからね。君たちのように一人のために百億人を見捨てられれば、どれだけ楽なことか」
もう何億年も同じことを繰り返してきたのだ。
とっくにクロドの心はすり減っている。
自分で選んだ道だ――けどいい加減に解放してほしい。
そんな想いもあったのだろう。
「わかったよ……どうやってあの世界を救うつもりかは知らないけど、侵略者を破壊するのなら好きにしたらいい。中枢に入り込まれた時点で、どうせ勝ち目はないんだから」
そう言い残し、クロドの姿はすぅっと消えた。
「いなくなっちゃいました……」
「話は終わったってことかな」
「最初から交渉の余地はない。それに尽きるわね」
侵略者が何なのかを知れた、という意味では収穫はあったし、マヴェリカやエレインとしては時間稼ぎもできた。
もっとも、“これからどうするか”を知っているのはその二人だけだ。
ドロセアとリージェはほぼ同時にマヴェリカに視線を向ける。
そしてリージェが口を開いた。
「でも、これからどうするんですか? 精霊が枯渇したなら、私たちの世界は滅びるしかないんですよね?」
マヴェリカは立ち上がると、部屋の右側の壁に手を当てた。
すると壁はガラスに書き換えられ、“外の風景”がそこに映し出される。
「うわっ!? ど、どうやったんですかそれ!」
「師匠、今の魔術じゃないですよね」
「うだうだとクロドの野郎が長話をしてる間に、この空間や侵略者の仕組みを解析してたんだよ。エレインと二人でね」
「精霊は死んでも魔力の機能は死んでないわ、頭の中で情報をやり取りできるのは便利ね」
魔力によって自然現象を操ることはもうできないが、シールドをはじめとした“魔力そのもの”を利用した魔術はまだ使える。
マヴェリカの情報圧縮や、エレインの魔力経由の通信魔術は健在ということだ。
「ドロセア、あれを見てくれるか」
マヴェリカは自分が作り出した窓から外を指し示す。
正面の窓は百億人が暮らす世界、背後の窓はドロセアたちが生きる世界を映し出していたが、右側のここにはまた別の光景が投影されている。
「世界と侵略者が繋がってる部分ですね、へその緒みたいに」
「あんたの右目で、あれの構造はわかるかい?」
ドロセアが左目を閉じて、右目だけで接続部を見つめる。
すると魔力ではない、他の何かで作り出された物体の細かな構造が見えた。
「何となくですけど、見えます。明らかに前より視えるものが増えてて、集中してると頭が痛くなってきますね」
「魔力を通り越して存在質そのものが視えるようになってるからね。クロドに中途半端に食われた副作用だよ」
「頭痛って……お姉ちゃんは大丈夫なんですか、それ」
「体にはよくないだろうね」
「そんなっ!」
「リージェ、平気だよ。右目に意識を集中させなければ日常生活に支障はきたさないし、色んなものが視えて便利なのは間違いないんだから」
「むぅ……」
リージェは納得していないようだが、ドロセアに抱き寄せられるだけで不満は霧散していった。
「それでドロセア、視えるついでで質問なんだが――あの管、引っこ抜けると思うか?」
「引っこ抜く、ですか。まあ、癒着ではなく、突き刺すような形にはなってますね」
「その際のケーブルの損傷は?」
「他世界の存在質なんで、私たちの世界と同じように考えていいのかはわかりませんが……あの密度なら、一度ぐらいなら、耐えられるんじゃないかと」
「マヴェリカさん、お姉ちゃんに何をさせるつもりなんですか?」
「エデンを使っての最後の大仕事だよ」
聞きたいのはそういうことじゃない、と言わんばかりにリージェは頬を膨らます。
ドロセアは苦笑する。
ここに来て隠すことではないだろうに、相変わらずマヴェリカは意地が悪い。
「大丈夫、危険な仕事じゃないから。早く終わらせて故郷に帰ろ」
「わかりました……お姉ちゃんがそう言うなら」
そして二人は手を繋いで、部屋の出口へ向かう。
扉を抜けて外に出ると、そこはエデンの操縦席内だった。
『そういえば……突撃して、気づいたらあそこにいたんでしたね』
『意識だけの空間なのか、それとも本当にワープしてたのか、よくわかんない場所だったね』
目の前には、脈打つピンク色の心臓のようなものがある。
足元ではラグナロクが突き刺さっているが、刃は途中で止まっており、破壊されたようには見えない。
エデンはそのラグナロクを足場にしてジャンプし、シェメシュの翼を使って飛翔する。
『あの管を引っこ抜くんでしたっけ』
『そう。あとは師匠たちが調整はしてくれると思う』
こうしてドロセアたちは“へその緒”と世界の接続部へと向かうのだった。
◇◇◇
侵略者の内部に残ったマヴェリカとエレインは、並んで椅子に腰掛けて、ディスプレイと向かいあう。
手元に投影された文字盤に指でタッチすると、画面に文字が浮かび上がった。
「未知の言語に未知の術式……しかし一度わかってしまえば、魔術と大差ないね」
「四百年の積み重ねが実ったってところかしら」
「積み重ねてなさそうなエレインが同じことやってると、さすがの私も自信をなくしちまいそうだ」
「別にいいじゃない、その才能ごとあなたのものなんだから」
「つまり私も天才ってことか」
「それは間違いないでしょう」
軽口を話しながら、“調整”を行う二人。
すると、消えたはずのクロドがどこからともなく現れた。
「何をしている」
てっきり、侵略者を破壊して、存在質の補充ができなくなった世界はそのまま滅びて――そんな終わりを迎えると思っていた。
「君たちは、侵略者を使って何をするつもりなんだ」
だが違う。
マヴェリカとエレインは、明らかにこの侵略者を使って、何かを成し遂げようとしている。
特に話し合ったような素振りが見えなかったところから、おそらく元の世界に居た時点でこうすることを決めていたようだが――
「存在質が無ければ世界は崩壊する。その世界を維持するには、他の世界を食って存在質を補充するしかない。そう言ってたのはあんただろう?」
マヴェリカの答えに、クロドの表情が硬直する。
「……まさか」
彼の脳裏に、“最悪の可能性”が浮かんだ。
それを裏付けるようにエレインが口を開いた。
「あなたが開いた戦端ですもの、あなたに閉じてもらうのが道理というものだと思わない?」
「やめろっ! そんなことを私にやらせるなぁぁぁっ!」
クロドはエレインに掴みかかったが、その手は体をすり抜ける。
実体がないのだから仕方がない。
「今まで食われてきたやつらの前で同じこと言えるかい?」
「そんなことをしたところで、今からやったところで間に合わない! 君たちの世界を食らうまでに四百年もかかったんだぞ!? そんな長時間、あの世界がもつはずがないだろうッ!」
どうにか阻止する口実を考えるが、そんな付け焼き刃が彼女たちに通用するはずもなかった。
「侵略者が他の世界に侵食する際、異なる世界に干渉するための“変換”の作業が必要になるわ。小型侵略者から始まり、中級侵略者に裂け目を開かせ、そこに大型侵略者が潜入するというプロセスが。けど今回の場合はこの世界と侵略者は同質の存在。その変換すらも必要ない」
自分たちの世界を救える。
侵略者も痛い目を見る。
味方は楽しい、敵は苦しい。
こんなにメリットしかない計画、実行せずにはいられない。
今のマヴェリカとエレインには、喚くクロドの声すら心地よく感じられた。
◇◇◇
エデンは管の接続部付近にしがみつくと、シェメシュの翼の出力をあげてそれをずるりと引きずり出した。
そして長さが不揃いな剣山のような端子を持ったまま、自分たちの世界の方へと移動する。
だが管の長さには限界がある。
侵略者の本体も引っ張ることになるか――と思いきや、マヴェリカたちのおかげで本体の方も移動をはじめた。
自らドロセアたちの世界に接近する侵略者。
そして、ドロセアは裂け目の近くにそれを突き刺す。
『入りました……ね』
『うん、ちゃんと繋がったみたい』
エデンは手を離し、侵略者の本体の方へ振り返った。
彼にはさんざん苦労させられてきた。
大勢の命も奪われた。
侵略さえ止めてくれればドロセアの目的は果たされるのだが、それはそれとして――相応の報いが無ければ納得はできない。
『さあ侵略者よ』
そしてついに、そのときが来たのだ。
『自分の世界を食らえ』
◇◇◇
王都にて戦っていたテニュスとラパーパ。
二人を取り囲む侵略者の群れは、少し前からなぜか動きを止めていた。
マヴェリカとエレインが侵略者の中枢で停止命令を出した影響だ。
だが、再びその異形たちが動き出す。
ただし今度は攻め込むのではなく――
『んお? 急に動きを止めたと思ったら、今度は……』
『空に、帰っていってます……』
撤退という形で。
呆然とそれを見送る二人。
近くで戦っていた騎士団の面々も、同じ光景を目にしていた。
『これってもしかしてさー、ドロセアたちがやってくれたってコト?』
アンタムがそう呟く。
傷だらけになり、膝をついていたスィーゼは、仲間の亡骸に囲まれながら天を仰いだ。
『終わったのか……スィーゼたちの、戦いは……』
それは王都周辺に限った話ではない。
世界中を覆い尽くしていた侵略者たちが、全て空の彼方へと消えていく。
そして開いた裂け目から、“世界の外”へと出ていくのだった。
◇◇◇
「やめろ、やめろ、やめろぉおおおっ! 魔女め、よくもこんな残酷な真似ができたなぁぁぁぁッ!」
クロドの怒声が響き渡る。
彼の感情がヒートアップするのに比例して、マヴェリカたちは上機嫌になっていった。
「あっははははは! 残酷ねえ、こりゃ傑作だ。自分たちの方がよっぽど外道じゃあないか!」
「今までの行いの報いよ。もしかして普通に死ねるとでも思っていたの?」
「ふざけるな、死ねえぇぇえッ!」
彼には何もできない――と思われたが、突如として天井から無数の銃口が現れる。
どうやらマヴェリカたちが侵略者全体の制御を奪う中、クロドは二人を殺すための手段を整えていたらしい。
大量の銃弾がマヴェリカとエレインに降り注ぐ。
正直に言えば、それはシールドで簡単に弾ける程度の威力でしかなかったのだが――彼女たちはあえてそれを受けた。
元の世界に戻る手間を省くために。
血だらけになりながら、地面に倒れ込むマヴェリカ。
「さて、と……ごふっ、わたし、らも……」
同時に隣に倒れたエレインに手を伸ばす。
そして彼女もまた、マヴェリカと手を重ねた。
その表情は、銃殺されたとは思えない穏やかさである。
「ええ……帰り、まし……ぅ……」
そんな二人のやり取りを――再度放たれた銃弾が遮った。
綺麗にその眉間を撃ち抜くと、二人の体はびくんっ! と跳ねて、そのまま絶命する。
空間に残されたのは、ずたずたになった死体と、クロドだけ。
彼はデスクに座り、前のめりになりながら必死に端末に文字を入力し続けた。
「今からならまだ奪い返せる……っ、制御を、私の世界が食われる前に、侵略者の制御をっ!」
ドロセアたちの世界から撤退した侵略者たちは、本体に戻ることなく、クロドの世界へと向かっていく。
空から突如として現れた化物を見て、人々は悲鳴をあげる。
「どうして取り返せないんだっ! あんな、さっき来たばかりの文明も未発達な世界の人間に奪われたままだなんてッ! そんなことがあぁぁっ!」
断末魔が響く。
エネルギー波を浴び、大量の命が破裂していく。
大地が血で汚れていく。
元々他者の血でできた大地だ、それこそが正しい姿なのかもしれない。
「頼む、やめてくれ、何億年もかけて、大事に育ててきた世界なんだッ! 私の――私が守り続けてきた、世界なんだよぉおおおおおっ!」
孤独な空間に、誰からも忘れられた男の声は、無情に轟き続けるのだった。
◇◇◇
やがて数時間もしないうちに侵略者は世界を食い尽くした。
そして奪った存在質は、ドロセアたちの世界に補充されていき――荒廃した大地が、緑を取り戻していく。
精霊は死んだ。
魔術はもう使えない。
以前とは異なる法則で回る世界。
死者は戻らないため、再建にはあまりに長い時間が必要になるだろう。
だがそれでも、生きていける。
あちらの世界と違って。
『跡形も……無くなっちゃいましたね』
クロドの守っていた世界は侵略者に食い尽くされ、残骸すら残っていなかった。
エデンは自らの世界に突き刺したケーブルを投げ捨てる。
『そして戦いも終わったんだよ』
『もうこれ以上、大切な人を失いたくありませんから。これで、よかったんだと思います』
『……帰ろう』
『はい、お母様や……お父様にも、会いに行かないと』
そしてドロセアたちは、徐々に閉じつつある裂け目から戻っていった。
守るべき世界も失い、無数の平行世界が漂う海に放置された侵略者。
結局、彼はマヴェリカたちに奪取された制御を取り戻すこともできず、ただ膝を抱えて漂うだけの存在となっていた。
もはや他の世界を捕食することもできない。
これから徐々に己の存在質を消耗していき、数億年――あるいはもっと長い時間をかけて、自然消滅していくのだろう。
そこに宿った一人の人間の意識がどうなったのかは、誰も知らないし、どうでもいいことだ。
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