084 魔女の征く道
王都上空で戦う簒奪者。
さらにそれよりも高い高度にて、マヴェリカとエレインは戦っていた。
空中にいる侵略者は地表近くのものとわずかに形状が異なっており、体が少し小さくなった代わりに翼が生えていた。
マヴェリカの守護者スルトが手にしたレーヴァテインの杖をかざすと、わずかに空間が歪む。
その歪みに触れただけで、侵略者たちは粒子へと分解され破壊されていく。
エレインの守護者シンモラは、手から複数本の鎖を伸ばす。
それらの鎖は相手を捕縛するまでもなく、ただ触れただけであらゆる行動を制限していた。
それは動きを止めるという意味ではなく、“生命活動”そのものを止める禁忌の力。
明らかに他の守護者たちを上回るその能力により、二人は一度の動きで千にも迫る数の侵略者を撃破していく。
『現在全人口のうち三割が死亡――すでにこの戦いで三千万人の人間が――』
エレインの意識には、常に世界中の魔力経由で収集された情報が流れ込んできていた。
自動的にではなく、彼女は自らの意思でそうしている。
エレインのどこか悲しげな呟きを聞いて、マヴェリカは彼女の守護者に接近すると背中合わせの状態で問いかけた。
『撃破数は?』
『……』
『エレイン、どれぐらい倒せてるかって聞いてるんだ!』
『およそ二億体よ』
『上等ッ!』
マヴェリカは歯を見せてニィっと笑うと、近づいてきた侵略者をフルスイングの杖で殴る。
生じた衝撃波は、殴られた敵の背後にいる群れにも波及し、空を歪ませながら一瞬で数千体の侵略者を破壊し尽くした。
『嘆く必要なんてあるもんか、人は、自分の命以上の“成果”をこの世に刻んだんだッ!』
『もっと本音で言えばいいのに』
『言ってエレインを励ませるかい?』
『今の私は――そっちの、残酷過ぎるぐらい真っ直ぐなマヴェリカのほうがいいわ』
そんなリクエストを受け、さらに上機嫌になったマヴェリカ。
一方で数百体の侵略者たちが前方から一斉にエネルギー波を放ち、守護者スルトを狙う。
しかしスルトはローブをはためかせ、それらすべてを弾き返す。
逆に反射されたエネルギー波で侵略者たちは翼を折られ、大地へと堕ちていった。
『何億人死のうが、エレインさえ生きてりゃそれでいい!』
そのあまりに素直すぎる言葉に、今度はエレインが微笑む。
『ふふ……ふふふっ……ねえマヴェリカ、いくつか聞いてもいい?』
『今さら隠すことも無いさ』
『人の身を捨てたあなたが王族と接触した理由、それは魔術の発展を加速させるためだったんでしょう?』
マヴェリカの行動原理、それは徹頭徹尾、エレインを取り戻すことだ。
人並みの情はある、だがそれで己の行動を変えることはない。
長年続いてきた王族との交流も、そのうちの一つであった。
『あなたは医療技術の発展で人類の数が増えることも、それで侵略者が攻め込む時期を早める可能性も気づいてたのよ』
結果として、侵略者たちは精霊たちの予測よりも百年早く、この世界に攻め込んできた。
『私や精霊たちの“計画通り”に進めさせない、ただそれだけのために』
『買いかぶり過ぎだ』
『ひょっとすると、ドロセアにも干渉してたんじゃない? 幼少期の、記憶にも残らない頃の彼女と接触して、シールドを使うように促した、とか。エルクがリージェの血を手に入れ、彼女が魔物化したのもそう。逃げた先でマヴェリカと出会うなんて奇跡的な偶然、そんなものが――』
『私は必死にやってただけだよ、エレインを取り戻すために』
『そうね、あなたはずっと真っ直ぐだった』
エレインの心境を現すかのように、彼女の放つ鎖は曲がりくねり、複雑に絡み合う。
そんな迷いの中にありながらも、触れた侵略者は容赦なく問答無用の死を与えられているのだが。
『そんなマヴェリカが怖くて、直視できなくて』
『だからまんまと引っかかったのかい』
マヴェリカが思い出すのは、数百年ぶりにエレインと再会したスペルニカの屋敷のこと。
まだあのときのエレインは、肉体が不完全なまま、自らの脚で歩くこともできず、醜い姿を晒していた。
『おかげで、あんたの“完全な魂”は私の手元にある。いつだって蘇らせられる場所にね』
『やっぱり……私に会いに来たのは、転生魔術を盗ませるため、だったのね』
『今の役目に殉じるエレインが、理由もなく私を傍に置くなんて“幸せ”を受け入れるわけがない。必ず理由を作ろうとする、そう思ったんだ』
それはマヴェリカが繰り返し言っていたことだ。
エレインは必要以上に悪役であろうとする。人の心がわからない化物を装おうとする。
罪悪感ゆえに。
そんな心理を利用し、マヴェリカはエレインに自らの魔術を盗ませたのである。
簒奪者たちがドロセアに敗北し、そして転生して蘇った時点で――エレインの魂はマヴェリカの手元にあり、彼女の勝利は確定したのである。
エレインは、今の自分の肉体が半年しか保たないのを、魂の損傷のせいだと思っている。
実際、魔術を用いて己の魂を調べればそういうふうに見える。
だがそれは、マヴェリカが捕獲したエレインの魂を切り分け、傷つけ、あたかも不完全な魔術により損傷したかのように見せかける――そんな工作の甲斐あってのことだった。
ちなみに、イナギとアンターテがこの戦いの後も生存できるというのも同じロジックだ。
マヴェリカなりの弟子への思いやりとでもいうべきか。
スペルニカでドロセアとエレインが戦っている最中に、屋敷に仕組まれていたエレイン作の転生魔術に細工を施し、ついでにイナギとアンターテの完全な形の魂を自らの手元に捕獲していたのである。
『あーあ……私、死ねないんだ』
そう、つまりエレインも、イナギも、アンターテも、死ねない。
いや、今の肉体は死を迎えるだろうが、また目を覚ます。
今度は完全な魂。完全な肉体で。
『みんな死んでくのに。私を信じて付いてきてくれた簒奪者たちは、人の身すら捨てて、この世界の殉教者となって』
『満足して逝ってるだろうよ』
『そうね……そして私も、そうなりたかった』
視界に写る侵略者を尽く撃墜しながら、エレインは嘆く。
世界のどこかで今も戦う、仲間のことを想って。
きっと彼らも信じているはずだ。
この戦いの果てに、自分たちの教主たるエレインも命を使い果たし、死ぬはずだと。
まさか往生際悪くこの世界にしがみついて、魔女と幸せになるなんてこと、ありえないはずだ、と。
最悪の裏切りだ。
最低の開き直りだ。
エレインの理性はそれを軽蔑する。
しかし――本能は。というより本心は、また別の感情を抱いている。
『さっき言ってた、私がエレインや精霊の計画を阻止しようとしたって話だけどさ。一点、間違いがある』
マヴェリカの言葉に、エレインは首を傾げる。
『どんな間違い?』
『私が邪魔したかったのは精霊たちの計画だけだ。いや、そもそも“エレインの計画”なんてもん存在したのか?』
その指摘に、エレインは目を細め悲しげな表情を浮かべた。
己の肉体を分解し、世界に“魔力”という概念を生み出す。
そして人類が魔力を用いた技術を発展させていくうちに、人間が持つ魔力量は増えていき、やがて臨界点を越える。
誰かが手を下すまでもなく、すべての人類は魔物化し、侵略者を迎え撃つための尖兵となる。
その計画は、果たしてエレインが考えたものなのか。
彼女が常に精霊の声を聞いていたのだとすれば、それはただの受け売りではないか――マヴェリカはそう考えていた。
『あいつらはエレインが優しくて、勇敢で、世界の危機を煽れば断れないことを理解した上で、お前に取り憑いた。そこにエレイン自身の望みなんてあったのか? お前の望みは――』
――私と添い遂げることじゃないのか。
うぬぼれが過ぎると思いながらも、そう思わずにはいられない。
二人が人間だった頃、共に過ごしてきた日々はそう思えるほどに甘ったるかったから。
そして四百年経った今、マヴェリカはその頃に抱いていた愛情をそのまま――いや、あの頃よりももっと強い愛情を抱いている。
エレインもまた、どう考えてもマヴェリカへの想いを忘れたとは思えない行動を取っている。
両思いだ。
同じ気持ちを抱いている。
だとするのなら――精霊ごときのために命を捧げたいなどという願いが、彼女の本心であるはずがないではないか。
そんなマヴェリカの熱い想いを感じてか、嬉しそうに微笑むエレイン。
そして彼女は言った。
『私からも一点、間違いを訂正させて』
『どこか読み違えてたかい?』
『精霊が私を選んだ理由よ。彼らは――いいえ、彼は別に、私が優しいからとか、勇敢だからとか、そんな理由で選んだわけじゃないわ』
今度はマヴェリカが首を傾げる番だった。
エレインのことは大抵理解しているつもりだったが、こればっかりは全く知らない情報だったからだ。
『その前に伝えておくとね、精霊たちは別にマヴェリカのことを恨んだりしてないわ。むしろ、自分たちの滅びを自分たち自身が招いた物だと受け入れてる節すらある』
『はっ、意外だねえ。あいつらがそんなに殊勝な生き物だったとは。じゃあ今、こうやってすり潰されて使い捨てられても、それを受け入れてるってのかい?』
レヴァテイン――破壊の杖。
その力は文字通り、対象をただ単純に破壊することができるが、そんな現象を引き起こすには少なくない精霊の命が必要である。
一振りごとに、エレインには大量の断末魔が聞こえている――そのはずだった。
『ええ、まさにその通りよ。と言っても、最初に比べればという話になるんだけどね。ドロセアがあの剣を使ったときは地獄絵図みたいに混乱していたけど、今はずいぶんと落ち着いてるわ』
解せない話である。
精霊とは、自分たちが生き残るために人類を魔物に変えるような外道だ。
少なくともマヴェリカの認識ではそうだった。
『彼らの世界にも上下関係ってあるのよ。物事は上位の精霊の思い通りに動いて、大半を占める下位の精霊はそれに逆らえない』
『エレインを選んだのも、その上位の精霊の都合だったと?』
『花嫁にしたかったんだって』
さらっと言われたその言葉に、マヴェリカは守護者ごと動きを止める。
『……あ?』
直後、眼前に侵略者が迫ってきて慌てて杖で破壊したが、それでも心は落ち着かない。
花嫁? 誰が? 何のために?
意味はわからない、わからないが――嫌な予感がして、“怒り予備軍”のようなドロドロとした感情が、心の底の当たりで熱されつつあった。
そんなマヴェリカの心境を知ってか知らずか、エレインは話を続ける。
『後でわかったことだけど、贄は誰でも良かったの。何なら複数人でも。多少の選別は必要だけど、“精霊の声を聞く”という役割を背負うのが私一人である必要はなかったのよ』
エレインは自らの命を捧げて、全人類に精霊と対話する術を与えた。
しかしそんなことをせずとも、精霊がその気になれば、全人類の数パーセントに対話能力を与えることはできたのだ。
そして、そんな人間が子供を産み、能力を継承していけば――数百年もあれば、人類と精霊は完全なコミュニケーションを取ることができていたはずである。
それはすなわち、人類がすべてエレインと同等の能力を持つことに等しい。
全人類魔物化と比べれば、何とスマートなことか。
『けど、私を選べば一石二鳥でしょう? 私が人間をやめて、精霊と近しい存在になってくれれば、侵略者に対抗する手段になるし、その上位精霊がほしいものも手に入る』
『精霊がほしいもの……花嫁……? エレイン、が……?』
『捕食されるのは私の一部。彼らの糧となり、ある意味での交わりでもあり……』
『ふざけるなっ!』
マヴェリカが怒りに任せて腕を振るうと、その風圧で数百体の侵略者が消し飛んだ。
スルトの瞳も、赤く烈しく光を放つ。
『ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ! 何だよそれ。エレインが、私たちがこの四百年、どれだけ苦しんできたと思ってるんだ!? 世界を救うためなんて大層な口実があっても不愉快だったのに……花嫁だと? 交わりだと!? 精霊はッ、汚らわしい精霊がッ、私のエレインをぉおおおおッ!』
声がかすれるほどに激烈なマヴェリカの怒り。
対するエレインは、力なく笑うしかなかった。
『ふふ、馬鹿げた話よね。こんなの、正当化の言い訳でも並べないとやってられないじゃない。世界を救う使命とやらに心酔して、最後は死ぬつもりでやり遂げないと、とてもじゃないけど……こんな汚れた私がマヴェリカに愛されるなんて結末、あっていいはずがないもの』
『そんなわけあるか! 悪いのは精霊だろう? エレインに、幸せになる以外の結末なんて必要ないんだよッ!』
『今さら、こんなの言い訳にすぎないわよね。だから、ずっと、申し訳なく思ってて。あなたを巻き込んだこと。あなたを何百年も孤独にしたこと。こんな馬鹿げた誰かの欲望のために、辛いを思いをさせるなんて、って』
『私が諦めると思ってたのか?』
『そうしてほしかった』
それは、マヴェリカに苦しんでほしくなかったから。
そして、自分自身を罰してほしかったから。
『だって、私は嫌な女だから。だってね、あなたに追いかけられる四百年間は、ただ辛いだけじゃなかったの。身勝手だって思いながらも、本当は、本当は……』
エレインはわかっていた。
こんなことを言ったところで、マヴェリカを突き放すことなんてできるわけがない。
むしろもっと強く抱きしめられる。
彼女はそういう女だ。
でも本当は、本心では、そうしてほしいと思っているのかもしれない。
同情して、嘆いた上で、壊れるぐらいの強さで抱きしめてほしい、と。
そういうところも、嫌な女だと思う。
『ねえ、マヴェリカ』
でも、それでも。
そんな自分を人生を賭して愛してくれた人がいるから。
“私は幸せになってはいけない”なんて馬鹿げた自己満足は、これで終わりだ。
震えた声で告げる。
『私を諦めないでくれて、ありがとう』
ずっと言いたかった、その言葉を。
ただそれだけで、こんなにも心が軽くなる。
だから言えなかったのだ。
私は許されてはならないから。
傷つけてきたマヴェリカに寄りかかるなんて、やっていいはずがないから。
これで“お前みたいな身勝手な女は必要ない”と切り捨ててくれるならいいのだけれど。
そうはならない。
マヴェリカは、こういうとき――
『エレインッ!』
守護者ごしでも、強く抱きしめてくれる。
『私は……間違ってなかったんだな』
『うん』
『私は、正しかったんだ。破滅的だろうと自分勝手だろうと、突き進んできた道は、これでよかった! そうなんだな!?』
『うん……ずっと言えなかったけど。ふふ、今も“彼”は怒り狂っているけど』
『そんなやつミンチにでもしてやればいいんだよッ!』
気持ちのいい暴言は、聞いているだけでも心がすっとする。
エレインも、本当はずっとそう思っていた。
精霊なんて汚らわしい存在。
その汚らわしい存在に支えられる世界。
そんなものいらないから、マヴェリカだけを私にください、と。
だがそんな二人のラブロマンスを前にしても、侵略者たちは空気を読まない。
少しでも攻撃の手を緩めると、瞬く間に取り囲んで、二人を食い荒らそうとする。
伸ばされた紫と黄の腕。
二人は抱き合っているため、攻撃の手段は無い。
しかし――スルトとシンモラが放った光が、侵略者を襲った。
触れた瞬間、レーヴァテインの攻撃が当たったときのように、肉体は分解され、粒子化して消えていく。
『エレイン、お前を抱きしめたい』
『もう抱きしめてもらってる』
『違うんだ、守護者を通してじゃない、直に抱きしめたいんだッ! 今なら――今の私たちならできる、そうだろう?』
完全に想いは通じ合った。
心は一致した。
ならば、ドロセアやリージェと同じことが自分たちにもできるはずだ――マヴェリカはそう思ったのだ。
あとはエレインが心を開くだけ。
二体の守護者を包む光はさらに強くなり、そして守護者の肉体同士が混ざり合っていく。
内部にある二つの空間も一つに混ざりあい、マヴェリカとエレインは生身で向かい合った。
エレインはまだ申し訳ないという気持ちがあるのか、目を伏せている。
マヴェリカはそんな彼女に近づき、強引に抱き寄せた。
「私……すごく、馬鹿みたいな遠回りをしてきたんだろうね」
「ああ、そうだな。大人しく私と添い遂げておけばよかったんだ」
「うん。最後にたどり着くべき場所は、ずっと、すぐ傍にあったのに。誰かを助けるためとか、世界のためとか……考えなければよかった」
「私も反省してるよ」
「どうしてマヴェリカが?」
「あれだけずっと一緒にいたのに、やけに慎重だったからね。私がやるべきことは、エレインが余計なことを考えないよう、私で埋め尽くすことだったんだ」
私のことだけを考えてくれ、と言ってもエレインはそうはできない。
困った人を見つけたら、その人を助けられないかと考えてしまう。
助けられなかったら、そのことに胸を痛めてしまう。
それを止めるには、多少強引でも、他のことを考える余裕を奪ってしまうしかなかったのだ。
「ふは……」
「戻ったら、もっと私のことしか考えられないようにするよ」
「ふふっ、マヴェリカのヘンタイ」
「そういうことも言えなくする」
そう言ってマヴェリカは、再びエレインの唇を奪った。
二人が心を寄せるほど、守護者の放つ光は強くなり、光の範囲も広がっていく。
混ざりあった二体の守護者は人の形を失い、現在は何の模様も無い球体となって空中に浮かんでいた。
そこから明滅する光を規則的に放ち、近づく侵略者を破壊しているのだ。
守護者の内部にて、マヴェリカが椅子に座り、そして彼女に抱えられる形でエレインも座る。
エデンと異なり、操縦席が二つ用意されていないのだ。
そうして彼女たちが守護者と同調すると、放たれる光はさらに広範囲へと広がっていく。
それは“破壊の意思”。
腐りきった精霊も、クソッタレの侵略者も、何もかもを滅ぼすという強い思念が生み出した、“純粋なる力の塊”をイメージした守護者、ラグナロク。
『殺してやるよ侵略者ども、殺してやるよ精霊ども! 皆殺しだ! エレインを傷つけ、エレインの幸せを邪魔する――世界を形作る上位存在気取りの連中は一人残らず滅ぼしてやるッ!』
放つ光は、一体で億の侵略者を殺すほどの勢いで空へと広がっていく――
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