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081 空が落ちる

 



 身動きが取れなくなったクロドは、半分溶けた体でエレインに語りかける。




「精霊の声を聞きながら、その精霊の存在質をすりつぶすのはどんな気分なんだ、エレイン」


『最悪の気分よ。けど残念ね、精霊たちも“世界を救うためなら”と受け入れているわ』


「大した自己犠牲だ、感心するよ。いっそそっち側(・・・・)に振り切れてみてもよかったかもしれないね」




 ドロセアとリージェの乗る、守護者ネームレスがクロドに歩み寄る。


 近づいてくる間、守護者スルトごしにマヴェリカが彼に問うた。




『身動きが取れないだろうに、ずいぶんと余裕だねえ』


「そう見えるかな」


『ああ、いつでも逃げられるとしか思えない態度だ。てっきり、あんたの意識さえ潰せば侵略者の指揮系統は崩壊すると思ってたが――』




「少し、話をしよう」


『断る』


「聞いてほしいな。なぜ侵略者が他の世界を食らおうとするのか、気にならないかな? 言っておくが時間稼ぎのつもりは無いよ、これでも時間が止められて困ってはいるんだ。致命的でないだけで」


『チッ……やっぱりか。まあ見てればわかるが』


『時間が止まってるのに会話はできてるものね。つまり“止まってない部分もある”。そういうことでしょう?』


「他の世界から来た私が、この世界の精霊の理に従う道理は無いよ」




 しかし逃走は阻止できた。


 それは現在のクロドが使っているのが、この世界で生まれた、人間の肉体だからだ。


 精霊の理から逃れられるのは、視認できないそれ以外の部分だけである。


 実際、会話はしているものの、クロドの口は動いていない。


 そもそも“音”として認識しているものが、この世界で言うところの音と同一のものかもわからないのだ。


 何はともあれ、とにかくクロドは何かを主張したいらしい。


 それに最初に興味を示したのはリージェだった。




『精霊どうこうの話はよくわかりませんが、どうして侵略者は他の世界を食べたりするんですか?』


「文字通りの“食事”だよ。君たち人間と同じ、食べないと生きていけないんだ。私が繋がっている世界には、人型生命体だけでも百億人いる。一時期はもっと多かったんだけどね、随分と減ってその数だ」


『この世界の数十倍もいるの……』


「それを存続させるためには、他を食らうしかないんだよ。仕方なく――」


『だから何?』




 彼の真意を察してか、ドロセアは冷たくクロドを突き放す。




「君たちの勝利はすなわち、百億の死を意味し――」




 なおも彼は懲りずに“揺さぶり”をかけようとした。


 守護者ネームレスは無言で刀を振り上げると、容赦なくクロドをぶちゅっと叩き潰す。




『優しさに漬け込むクズが』




 助けたい命があるから仕方なく――そんな理屈はドロセアやマヴェリカには通用しない。


 しかしリージェやエレインはそうはいかないのだ。


 彼女たちは優しいから。


 耳を貸そうとしてしまうから。


 それを見越した上で、クロドは最後の戦いを前に、精神攻撃を仕掛けてきたというところだろう。


 もっとも、だからといってリージェたちが戦いをやめるはずもない。


 苦し紛れの反撃、とでも言うべきか。




『光が散らばっていく……』




 潰れたクロドの死体から、白い光が湧き上がり、空へと舞い上がっていく。


 だがそのうちの何割かはネームレスに近づき、装甲をすり抜け、中にいるドロセアの体内へと入っていった。


 じわりと、失われたものが戻ってくる。


 埋められなかった寒さや寂しさが消えていく――


 目を閉じて“自己”を噛みしめるドロセア。


 だが取り戻したのは彼女だけではない。




『戻ってきた……記憶が……ああ、そうだ、わたし……』




 どう呼んでいたかすら忘れていた。


 それがどれだけ悲しいことか、理解しているつもりだった。


 けどいざ取り戻してみると、事態はもっと深刻で、恐ろしいことだとわかる。


 こんな――呼吸よりもありふれた、愛おしい存在のことを忘れていたなんて。




「お姉ちゃんっ!」




 ネームレスの操縦席内で、リージェは前にいるドロセアの背中に抱きついた。


 ドロセアは目を開くと、リージェの手を離すことなく体の向きを変え、自らも抱き返す。




「うん、私だよ。私はちゃんと、私に戻れた」


「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんっ……!」


「リージェ……ごめんね、近くにいたのに、独りにしちゃって……」




 二人の頬が涙に濡れ、声も震えている。




「辛かったのはお姉ちゃんですっ!」


「あはは……さすがに、今回はそうかも」




 恐ろしさすら忘れてしまう恐怖。


 取り戻した今だからこそ、その恐ろしさはドロセアの身にしみている。




「戻ってきて、本当によかった……!」


「うん、うんっ」




 おぞましい悪夢は終わり、守護者ネームレスの姿も変わる。


 のっぺりとした、特徴のない外見から、本来の二人の守護者――エデンの形へと。


 再会を果たした二人のやり取りを外から聞いていたマヴェリカとエレイン。


 一通り見届けると、彼女たちは視線を空へ向けた。




『クロドのやつ、“この世界”に縛られた部分だけを切り捨てて、本体は逃げたか』




 この世界の他者から奪った存在や記憶は、どうしてもこの世界の法則に縛られる。


 だが逆に言えば、それさえ捨ててしまえば自由に動けるというわけだ。




『彼はドロセアを警戒していたわ、だから存在も返したくなかった。けれどこうして奪い返された以上、彼は――』


思惑通り(・・・・)、強引にでも世界の境界を突破してくるだろうねぇ』




 見上げる景色の向こう――黒に染まっているはずの夜空に、亀裂が入っている。


 それは星の光ではない。


 まるで誰かが落書きしたような、不自然な“白”だった。




 ◇◇◇




 クロドの死は、他の面々にも大きな影響を与えていた。


 王都付近の畑にて王国軍と戦っていたテニュスたちも、ドロセアのことを思い出す。




『戻ってきた……なあラパーパ、今、戻ってきたよな!?』




 ラパーパの守護者、ジュノーをかばうように前に立ち、敵守護者の振り下ろした剣を受け止めながらテニュスは言った。


 それを受け、ラパーパは障壁で敵の魔術を受け止め頷く。




『はいっ! ドロセアさんのこと、しっかり思い出せました!』


『ああ、なんであたしはこんな大事なこと忘れてたんだ? 国王もやっぱ思った通りじゃねえか! 本物の国王は死んでたんだ。カイン陛下は、クロド様に殺されてたっ!』




 テニュスから聞くまでもなく、王国軍の兵士たちもそれを思い出していた。


 攻撃の手が緩む。


 困惑が広がる。


 スィーゼの守護者、スティクスと鍔迫り合うレイノルドもそのうちの一人だ。




『スィーゼは思い出したよ、レイノルド』


『く……』


『認めたくない気持ちはわかる。けど君だって理解しているはずだ、本物の陛下は――』


『カイン陛下は……死んでしまわれたの、ですか』


『クロドに食われてね』


『兄弟で殺し合い。しかも、その一方は侵略者が化けていたとは……』




 レイノルドの守護者の両腕から力が抜ける。


 彼は膝から崩れ落ち、絶望していた。


 将軍まで上り詰めた男だ、忠誠心は誰よりも強い、


 まだ戴冠して日は浅いとはいえ、カインのことを生涯守り通すつもりでいたのだろう。


 だというのに、その死を今日まで認識することすらなかったのだ。


 不甲斐なさと、悔しさと、悲しみと――途方もない無力感が押し寄せているに違いない。


 そしてそれは、アンタムも同じだった。




『……やっと思い出せたし』




 うなだれる守護者ラトナ。


 そこに駆け寄る、二体の守護者――彼女たちは、今となっては数少ない王魔騎士団の生き残りだ。




『団長……みんなの顔や名前、取り戻せましたね』


『これで弔えます』




 それは現状において、最大限前向きな励ましだった。


 二人も辛いはずだ。


 それでも団長を支えようとしてくれる以上、アンタムは心を強く持たねばならない。


 だが、それでも――




『うん……ああ、少し会わないだけで、こんなにたくさんの……みんなが……っ』




 涙はこぼれる。




 ◇◇◇




 クロドのテント付近で保護されていた教皇フォーンは、戦場から少し離れた小屋に避難していた。


 みすぼらしい布切れの上に腰掛け、ボロボロの窓から外を眺める。


 遠い目をする彼に、お付きの聖職者が尋ねた。




「教皇猊下、いかがなさいましたか」


「カインとゾラニーグの記憶が蘇ってきたのだよ」




 そう言われて、従者も気づく。


 国王と改革派のトップ――そんな重要人物の記憶が、今まで消えていたことに。




「はっ……た、たしかに……なぜ私は今まで忘れて……」


「経緯はどうであれ、自分の跡を継ぐはずだった人間が、もうこの世に誰もいないとは……」




 公にはされていないとはいえ、カインはフォーンの息子だ。


 そしてゾラニーグは、次の教皇を任せようと思っていた人物である。


 二人とも、知らぬうちにこの世を去ってしまっていた。


 加えて、空には亀裂。


 その向こうからは、夜の闇に紛れて、化物たちがこの世界に入ってこようとしている。




「終わりを感じるな。いや、変わろうとしているのか? 世界が――」




 ◇◇◇




 ドロセアとリージェは、操縦席内で無言で抱き合い続けている。


 最初は互いの涙を拭い合うように頬をこすりつけていたが、今は単純に相手の存在が愛おしくて、その温もりを感じたくて、身を寄せ合っていた。


 あまりにハグが長いので、マヴェリカが口を出す。




『感動の再会はほどほどにしておきな』


『無理です、師匠』


『師匠って言葉を久々に聞けたのは嬉しいが、こっからが本当の戦いだぞ』




 本当の戦い――そう言われ、しぶしぶ体を離す二人。




『空を見なさい』




 エレインから言われるまでもなく、ドロセアとリージェは空を見上げていた。


 そこに異変が起きていることは、前もって聞いていたからだ。




『一部だけ、白い』


『そこから黒い粒がいっぱい出てきてるような』


『あれは全て大型侵略者だ』




 遠目なので豆粒程度の大きさにしか見えない。


 だが、現段階ですでに百体を越えている。


 あれが地上にたどり着けば、街の一つや二つは一瞬で消し飛ぶだろう。




『体が千切れるのもいとわずに、狭い亀裂から強引に入り込んできてるわ』


『もう塞げないんですか?』


『無理だ。規模が大きすぎる』




 そもそも、マヴェリカもエレインも最初からあれを塞ぐつもりなどなかった。


 裂け目への対処は、あくまで時間稼ぎに過ぎないという認識である。


 結局、大元を倒してしまわなければ、侵略者による捕食は終わらない。




『来るんですか』




 ドロセアがそう聞くと、マヴェリカは頷く。




『ああ、押し寄せてくるぞ。十億匹が』




 リージェがごくりと喉を鳴らした。


 何度かその数字は聞いていたが、実際に戦うとなると、どれぐらいの規模なのか想像もつかない。


 そしてその時がやってきたということは、マヴェリカたちがやることは一つだ。




『まさか、この前話していたあれ(・・)をやるつもりなんですか?』


『当然だろう、そのために準備してきたんだ。なあ、エレイン』


『……そうね』


『私たちは99%の人類を救うためにやるんだ。やらなけりゃ100%死ぬ。悪いことじゃあない、違うか?』


『……』


『わかっちゃいたが、本当にお人好しだな。そういうところに漬け込まれて、大役を請け負っちまったんじゃないのか。あるいは、頼んだ側もお前がそういう人間だとわかった上で――』


『やらないとは言ってないわ』


『これはお説教だぞ、エレイン。その調子じゃあクロドの口車に乗せられて隙を作っちまいそうだったからな。相手も効くってわかってるから、こっちには百億人いるなんてふざけた話をするんだ』




 ふいっと顔を背けるエレイン。


 反応が子供っぽい上に、守護者がその動きをトレースしているので余計に滑稽だ。


 肩をすくめるマヴェリカは、ドロセアに話題を振った。




『しかしドロセア、やっぱり性格と好みってのは関係するものなのかねえ』


『それ何の話ですか』


『エレインとリージェ、ちょっと似てるところがあると思わないか? クロドの話を聞いて多少なりとも胸を痛めてそうなあたりとか』


『だったら私が引っ張るだけです、幸せになれる場所まで』


『若いねえ』


『人のこと言えないでしょう、師匠だって』




 エレインを見ながらドロセアは言った。




『ははっ、確かにそれもそうだ。私もまだまだ若いらしいぞ、エレイン』


『無駄話してないで、始めるわよ』


『はいはい、わかったよ』




 おそらく空気が和むような会話は、これが最後だ。


 エレインの集中に合わせるように、守護者シンモラの体が淡く光を放つ。


 それに呼応するように、大気中の魔力が発光しはじめた。


 魔力は一般的に目には見えない。


 それは一つ一つが持つエネルギーが小さいからだ。


 だが“守護者の知識”という比較的大きな情報を伝搬させるためには、一時的に大気中の魔力を結合させ、ある程度は出力を高める必要がある。


 それはまるで大量の蛍が舞うような神秘的な光景だった。


 その景色を見て、世界のどこかである少女は言った。




「うわあ、光がいっぱいできれい……」




 またある男は言った。




「まるで世界の終わりだ……」




 ひょっとすると、舞い散る光だけならば、ポジティブな感想を抱く人間は多かったかもしれない。


 しかし、空が割れている。


 その向こうには明らかにこの世界とは異なる白い景色が広がっており、さらにそこから大量の黒い“何か”が押し寄せてきている。


 突如として起きた異変を前に、それが世界規模の大災害(・・・)であると察する人間は少なくなかった。


 そしてついに、そのときはやってくる。


 人類の救済。


 あるいは、大虐殺。


 マヴェリカは己が持つ守護者の知識を総動員し、その力を扱うのに必要な最小限の知識を、限界まで圧縮し魔力に込める。


 守護者スルトの手のひらに浮かぶ光の玉は、人間の頭部よりも小さいものだった。


 彼女はそれを、守護者シンモラ――エレインに手渡す。


 シンモラは光を両手で大事に抱えると、それを一番近くの魔力の粒子にそっと当てた。




『さあ、破壊の叡智よ、駆け巡りなさい。全ての人類に、戦う力を――』




 知識が、全世界へと拡散されていく。


 光の速さで、瞬く間に人間の脳に莫大な量の情報が叩き込まれる。


 世界で何が起きているのか、あえて確認するまでもなかった。


 縮図はすぐ近くにあったからだ。


 兵営から逃げた、守護者を持たぬ兵士たち――彼らが、一斉に頭を抱えて苦しみだしたのである。




「ぐあぁぁあああっ! 割れる、頭がっ、頭があぁぁああっ!」


「何かが入ってくる、やめてくれ、そんなもの必要ない! 破裂する、頭がああぁぁあ!」


「お、おい、どうした! クソッ、頭痛が……ぐ……!」


「誰か聖職者を! 回復魔術を使える人間を呼んできてくれぇーッ!」




 反応には個人差があった。


 最も多かったのは、強烈な頭痛に悶え苦しむ人間だ。


 いくら最大限に圧縮し、効率化したといっても、専門家が訓練してようやく身につく知識を一瞬で脳に流し込むのには無理がある。


 むしろ副作用としては大人しいぐらいだ。


 その兵営で起きたような惨状は、世界中で繰り広げられていた。


 ある店では客が一斉に倒れ、ある家では家族が悲鳴をあげ、またある祭りでは――




「あ、頭が……割れ……があぁぁあああああっ!」




 脳が膨張し、頭蓋骨を割り、外に溢れ出す。


 そんな不運な(・・・)死に方をした者もいた。


 もちろん兵士の中にもそれはいる。


 花火のように爆ぜ、首から大量の血を噴き出す者。


 ザクロのように割れ、中から溢れ出す体液で地面を汚す者。


 頭痛に耐えきれず、ゆっくりと息絶える者も。


 だが、少数派(・・・)だ。


 考えようによっては、これから起きる戦いに参加しなくていいのだから、ここで死ねたのは幸せとも言える。




『兵士さんたちの声が……ここまで聞こえてきます』


『あの人たちを守りながら戦う余裕なんて無いから。今の痛みだけで終わるならそれでいいって考えるしかないよ』


『そう……です、ね。だって相手は、侵略者なんですから』




 苦しげだが、それでも納得し、飲み込もうとするリージェ。




『っ……』




 当事者たるエレインも、当然のように苦しんでいた。


 マヴェリカは呆れ顔でため息をつく。




『わざわざ聞いてるのかい、世界中の苦しみを』


『そうしないと……許されない気がするのよ』


『その割に私の声は聞いてくれなかったじゃないか』


『それは……』


『触れられない遠くばかり気にして、触れられる身近な世界を軽く見過ぎなんだよ、エレインは』




 エレインは何も言わなかった。


 すねたわけではなく、言い返せる言葉が何も見つからなかったのだ。


 何より、『その通り』だと思った。




『ああ……本当に聞こえるわけじゃないのに、大地も、空も、誰かの苦しみや憎しみで満ちている気がします』




 感受性の強いリージェは、なおも世界中に響き渡る苦しみを感じ取ってしまう。


 ドロセアはそんな彼女の手を取り、指を絡めた。




『こうしててもまだ辛い?』


『怖いんです。お姉ちゃんだけ見てると、怖くなくなるのが』


『いつか失うかもって思ってるからじゃないかな』


『そうなんでしょうか』


『事あるごとに離れ離れになって、不安にさせてきたから。でももう大丈夫』




 ドロセアは握った手にもう一方の手を重ねて、まっすぐにリージェの目を見る。




『これからは離さないよ、何があっても』




 きっとその言葉は口約束なんて軽いものではなく、契りとか、誓いとか、そういうものだとリージェは感じた。


 胸が高鳴る。熱を帯びる。


 脈絡もなく――彼女の口から、感情をそのまま形にした言葉がこぼれ落ちた。




『好きです、お姉ちゃん』




 そんな急な告白にも、ドロセアは微笑み、優しく返す。


 だって、わかりきったことだから。




『私も、リージェを愛してる』




 そして光に包まれた幻想的な風景の中、守護者の中で二人は顔を寄せ――唇を重ねた。


 触れるだけでなく、互いにその柔らかさを確かめるように長く、しっかりと。


 気づけば二人はしっかり両手の指も絡めている。


 特に音が聞こえるわけでもないので、やけに静かだな――とマヴェリカが思っていると、ガシャン、ズシン、と何者かが駆け寄ってくる。




『エレイン様っ!』




 人狼の姿をした守護者から、男の声が響いた。




『おや、ガアムくんじゃないか』


『お前には話しかけてない!』




 真っ先に反応していたマヴェリカに声を荒らげると、彼はエレインの乗る守護者の前に立つ。




『始まるんだな、戦いが』


『ええ。正真正銘、これが最後よ』




 ガアムはその答えを聞いて、なぜか黙り込み、動かない。


 彼はわずかにうつむいたあと、何かを決意したように顔をあげ、口を開く。




『……行ってきます』


『いってらっしゃい』




 エレインはマヴェリカを愛している。


 どうあってもそれは揺らがない。


 そう理解した上で、“それでも”と彼が求めたものなのだろう。


 今ばかりは、マヴェリカも何も言わなかった。


 あまりに些細で、健気な願いだから。


 送り出してほしい。


 そして――




『さようなら、エレイン様』


『さようなら、ガアム』




 ちゃんと別れを告げてほしい。


 たった、それだけの。




 ◇◇◇




 王牙騎士団と王国軍は一時停戦し、兵営に戻ろうとしていた。


 だがその道中、レイノルドが異変に気づく。




『兵士たちが苦しんでいる……? この光の影響ですか!?』


『スィーゼも知らないよ。おそらく、彼が説明してくれるんじゃないかな』




 スィーゼの視線の先に居たのは、こちらに歩み寄ってくる黄金の守護者ゴルディオスだった。


 ミダスは細かい説明を省いて、重要な部分だけをレイノルドたちに伝える。




『全人類が守護者を使って戦えるように、エレインとマヴェリカが処置(・・)したんだよ。あの頭痛を乗り越えれば、晴れて人類全てが守護者使いだ』


『あなたも簒奪者ですか』


『ミダス・ルービン』


『その名前、アーレムの元領主! 死んだはずでは!?』


『そしてこっちの世界一の絶世の美女がシセリー・アプロディア。色々あって墓から引きずり出された上に、今から死にに行くことになってる。というわけで、名前ぐらい覚えて後世に伝えてくれ。黄金のように輝いたナイスガイとナイスビューティーがいたってね』




 全人類の守護者化、そして死者の蘇生――あまりに色々なことが起きすぎて、レイノルドは困惑している。


 テニュスとラパーパは、少し後ろからそんなやり取りを眺めていた。




『どうも簒奪者のやつら、みんな生き返ったらしいな』


『つまりイナギさんたちも生き返ったってことデス!?』


『たぶんな。どうせマヴェリカが何かやったんだろうが……まあ、悪いことでもねえか』




 マヴェリカのことだし、まだ他にも何か企んでそうだが、とテニュスは悪い意味で彼女を信頼していた。


 一方、レイノルドが少し落ち着いてきたところで、ミダスとシセリーは話を再開させる。




『空を見ろ、亀裂が見えるか? あれは王都に現れた裂け目と同一のものだ、だがサイズは比べ物にならねえ』


『封鎖は不可能よ。これから人類は、侵略者と全面戦争に入るわ。勝敗はわかりやすく、種が滅びるか、残るか』


『そして俺たちは鉄砲玉として選ばれた。いきなり守護者が使えるようになって戸惑ってる奴らを導くために、率先して戦うんだよ』




 畳み掛けるように二人は話す。


 再びレイノルドは混乱し、頭を抱えている。


 対照的に、スィーゼは短くこう告げた。




『承知したよ』




 意外にも、すぐさまそれを受け入れたのである。




『物分りがいいな』


『侵略者の本体は少なく見積もって十億なんだろう? なるほど、それが事実だというのなら、全人類が立ち向かわねば勝負にならない』


『……王国を守ることにも繋がりますか』




 レイノルドも、徐々に納得しつつあるようだ。


 そんな彼の背中を押すように、アンタムが言う。




『あーしが思うに、人間同士で殺し合うよりは意味があると思うよー』




 そして最後は自分自身で、己を納得させる言葉を絞り出す。




『それに陛下を守れなかった罪は、人類を守ることぐらいでしか償えないでしょうからね。この命を燃やし尽くしてでも、戦い抜いてみせましょう』




 今は亡きカインを想い――世界を守る覚悟を決める。


 そんな姿を見て、テニュスは口笛を吹いた。




『ヒュウ、さすが将軍様。かっこいいねぇ』


『あーしらも負けてらんなくない? なんかかっこいーこと言っとこーよ』




 それは少しでも緊張感で張り詰めた場を和ませようとする、テニュスとアンタムなりの気遣いだったのかもしれない。


 だがそんな空気を読んでか読まずか、ラパーパは真剣なトーンで言った。




『ワタシが思うに、かっこいいのは生き残った人だと思いマス』


『……確かに、それが真理かもな』




 暗に、“命を燃やし尽くす”と言ったレイノルドに釘を差しているのだ。


 スィーゼもそれに便乗し、後ろにいる騎士団の面々を激励する。




『スィーゼも同感だよ。みんなも頭に刻み込んでおくんだ。生き残れば勝者、死ねば敗者だと! 君たちも守るべき人類の一員なんだ、くれぐれも命の無駄遣いはしないように!』


『うおぉぉおおおおおッ!』




 王牙騎士団の雄叫びが轟く。


 死ぬつもりで戦いに臨もうとしていたレイノルドや一部の兵士は、その様子を見て頬をほころばせた。


 一方でミダスとシセリーはどこか寂しげだ。




『死ねば敗者……か』


『そういう意味では、私たちは最初から負けてるわね』


『そりゃそうだろ、一度死んでるんだ。人生に敗者復活なんて無いってね』




 そんな言葉を交わす二人の元に、ヴェルゼンが近づいてくる。




『どうかのう』


『じいさん、急に現れたな』


『最後に一言ぐらい言葉を交わしておきたくてのう』


『で、こっから負けない方法があるってのか?』


『魔女に頭を下げる、というのはどうかのう』




 イナギやアンターテがそうしたように。


 ヴェルゼンはそう言いたいのだろう。


 だがミダスは軽く笑って流した。




『はっ、そりゃ無駄だ』


『何か知っておるのか』


『私がイナギと少し話をしたのよ。そのときにピンときたの、マヴェリカはどこまでも用意周到(・・・・)な女だって』




 シセリーは具体的なことを何も言わなかったが、ヴェルゼンはそれだけで『ああ……』と何かを察した様子だった。


 そして顎に手を当て、しみじみとつぶやく。




『わしが思うに、エレインの不幸はあの魔女に捕まってしまったことじゃなぁ』


『それって不幸なのかしら』


『本人にとっては間違いなく幸せだろ。ただし世界に……いや、精霊にとっては不幸だったかもしれねえけどな』


『ミダスの言う通りじゃ。精霊はなぜ、よりによって強引に引き離してまでエレインを連れて行ったのかのう』


『まあ、これ以上は死にゆく人間には関係ない話だろ。俺らが考えるべきは過去じゃねえ、未来だ』


『ほう、老い先短い死にぞこないにどんな未来があるというのだ』


『最後にどれだけ綺羅びやかに散れるか』




 守護者ゴルディオスは魔術で作り上げた黄金のコインを指で弾き、空に浮かせた。


 地上の光を反射して、肖像が掘られた金貨がきらりと輝く。




『俺はこの夜空を黄金で埋め尽くすつもりだ』


『だったら、私は黄金に負けないぐらい鮮やかな花を咲かせようかしら』




 そしてコインは、守護者アプロディアの手に収まった。




『かかかっ、老兵の亡骸からは何が芽吹くのやら』




 笑いながら視線を空へ向ける。


 星は徐々に見えなくなっている。


 それが空なのか、侵略者なのか、区別が付かなくなるまでそう時間はかからないだろう。




 ◇◇◇




 終末を前に、イナギとアンターテは守護者を解除し、静かに寄り添っている。




「ねえねえ、イナギ」


「どうかなさいましたか」


「怖いね」




 少し冷たい夜風が吹き、ザアァァと闇に紛れた草木を揺らす。


 わずかな沈黙のあと、イナギは空を見ながら、心細そうに言った。




「そうでございますね。いざ目視できる距離まで来てみると――ああ、まるで、空そのものが堕ちてくるようでございます」




 生身で見ているから余計に、だろうか。


 しかし、立ち向かえる力があったとしても、“空そのもの”と言うべき数を相手に、果たして戦うことができるのか。




「曇天でも晴天でもない、紫と黄の肉の空。押しつぶされずに生き残ることなど、できるのでございましょうか」


「でもほら、わたしたちは死んでも、マヴェリカがまた生き返らせてくれるから、マシな方なんだろうね」


「世界が残っているかわからないのでございますよ?」


「それは怖い」


「ですので、できるだけ戦うしかございませんね」




 どれだけ怖くても。


 いや、怖いからこそ――生き延びる可能性を少しでも増やすために、二人は戦うしかないのだ。




「ねえイナギ」


「なんでございますか」


「できるだけ、傍にいてね」




 甘えるように、アンターテは告げた。


 イナギは彼女だけに向けた、そして何よりも彼女の心から不安を取り除くその優しい笑みで、声で、こう答える。




「当然でございます」




 その一言ほど、勇気が湧くものはない。


 もちろんまだ怖いけれど。


 それはどうしようもないことだ。


 この空を見て――怖がらない人間など存在しないのだから。




 ◇◇◇




 上空から地上を見下ろしたとき、すでに大地は見えなくなっていた。


 ひしめく侵略者たちが全てを埋め尽くし、押しつぶそうとしている。


 それは捕食というよりは、もはや消化の段階だ。


 あとは溶かして分解するだけ。


 本来なら“締め”の段階であるにもかかわらず、それでも諦めない生命体との戦いというのは、侵略者にとっても初めてのことだった。




『おおよそ計算通り、強引な突破で三割程度が脱落しているようね』


『守護者の知識も行き渡った。第一段階は成功ってところか』




 侵略者の速度は、自由落下にしては緩やかだ。


 敵の第一陣が地上に到達するまで残り数分。


 マヴェリカはドロセアに最終確認を行う。




『ドロセア、リージェ。作戦は覚えてるな?』


『わかってますよ、師匠。合図が出るまでここから動きません』




 守護者エデンはエレインの描いた術式の中に立っていた。


 曰く、この世界の物理法則に従う存在ならば、中にいる物体を認識できない――とのことだが、一方で侵略者相手なので、それは絶対ではないとも言っていた。


 魔物化したエレインすらも撃破した守護者エデンは、明らかに通常の守護者よりも強力な力を持っている。


 クロドから存在を奪われ、様々な魔術を模倣できるようになった今、おそらくあの戦いのときよりも更にパワーアップしているはずだ。


 紛れもなく、人類の切り札である。


 ここぞというときまで温存しておくのが、マヴェリカとエレインの出した結論だった。




『ほ、本当に任せていいんでしょうか……』


『二人には一番大事な役目があるんだ、それまで体力を温存しておくんだね』


『さあ、私たちもそろそろ行きましょう』




 エレインに声をかけられ、守護者スルトはドロセアたちから離れていく。


 二人の守護者であるスルトとシンモラの戦闘能力は、本人たちにも未知数というのが正直なところだった。


 魔術師としては異様な能力の高さを持つ二人だ、その守護者も強力だとは思われるが――不確定要素は作戦のうちに含まず、ひとまずは“通常の守護者”という扱いで戦力に換算している。


 だが間違いなく強い。


 彼女たちにはそんな確信があった。




『二人で一億ずつ倒せば、他の人類はずいぶん楽になるでしょうね』


『私は全滅させる気でやるけどねえッ!』




 スルトは当たり前のようにふわりと浮遊し、迫る侵略者たちに自ら接近する。


 同様に飛翔するシンモラ。


 少し遅れてスルトを追いながら、エレインは思う。




(それは無理よ。だって、その前に……いや、あなたはわかって言ってるのよね)




 破滅の可能性を多く残しながら、人と侵略者の最終戦争が幕を開けた。




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[気になる点] いよいよ最終決戦………でしょうか [一言] 常にシリアスな空気な中でも合間合間でいちゃつく奴らに癒やされてきたけど…さすがにここから先はしばらくお預けになりそうでしょうかね… そして…
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