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080 それは楽園ではない

 



 その日の夕方ごろから、王都近辺に仮設された兵営にて奇妙な言葉が広まりだした。




『王魔騎士団を思い出せ』




 どこが発端かはわからない。


 だが伝染は早く、夜になる頃にはほぼ全ての兵士たちがその言葉を口にしていた。


 最初は意味のわからない暗号かとも思われたが、言われたとおりに思い出してみると、強烈な違和感が生じる。


 思い出せない。


 いるはずの人間が、いない。


 少し遅れて、噂話に尾ひれが付いた。


 彼らは侵略者に食われたのだ、と。


 侵略者に食われた人間は、他の人の記憶からも消え去るから思い出せなくなる。


 もちろん事実かどうかを確かめる術はない。


 だが恐怖と不安が兵士たちに伝搬していく――




「誰がこんな言葉を広めたのかと思えば」




 兵営にあるテントの一つ、普段は会議室として使われている場所に、軍の重役が集まっていた。


 彼らの視線が向かう先には、二人の騎士団長と、一人の()騎士団長の姿があった。




「アンタムさん、スィーゼさん、そしてテニュスさん。お三方が揃って、クーデターの真似事ですか」




 王国軍の将軍、レイノルドが眼鏡を光らせながら言った。


 軍と騎士団は別組織であるため、騎士団長であるスィーゼやアンタムとは、王国内においては同等の相手だ。


 スィーゼは首を振り、レイノルドの言葉を否定する。




「クーデターだなんてとんでもない、ただの忠告さ。そうやって王魔騎士団が消えている、とね」


「眉唾です」


「でもさー、実際に思い出せないっしょ」




 アンタムの言葉にレイノルドは眉をひそめる。




「では誰がそれをやったと?」


「クロド陛下だ」




 テニュスがそう言うと、彼は不快感をあらわにした。




「やはりクーデターではないですか」


「やはりも何も、最初からこのテントを包囲してんじゃねえか」


「大人しく捕まっていただけませんか」


「はいそうですかとはなんないって、あーしの部下がやられてんだから」


「ここを包囲している兵士は全員、守護者使いです」




 少なく見積もって二十名。


 やはりエレインたちが危惧していた通り、王国軍の兵士もかなりの数が守護者を使えるようだ。


 まあ、そのためにマヴェリカは情報を流していたのだが、今はそれが自分たちに牙を剥いてしまっている。


 だがスィーゼたちは動じることなく、変わらぬ様子で将軍との対話を続ける。




「ちなみに聞くけど、この中で守護者を使える人間はどれぐらいいるんだい?」


「軍の幹部だと半分ほどですね。確かにその半分を始末できれば軍は機能不全に陥るかもしれない――殺しますか?」


「いいや、逆だよ。こちらも気をつけるから、そちらも死なないように気をつけてほしい」




 そう言った次の瞬間、スィーゼは守護者を呼び出した。


 一瞬遅れて、テニュスとアンタムもそれに続く。


 テントの天井を突き破り、三体の巨人が兵営のど真ん中に現れる。


 将軍は他の将校と共に、互いにかばい合うようにしながら避難した。


 スィーゼたちも、彼らを傷つけるつもりはないので見逃す。




『ははっ、すっげー数じゃーん!』


『さすがに一斉に相手すんのは無理だな』




 周囲を取り囲む、様々な形状をした守護者たち。


 こちらが三体に対して、相手は二十体以上――数の上では完全に不利だ。




『じゃあ予定通りに頼むよ』




 だがスィーゼが軍の守護者にそう声をかけると、彼女たちの足元が揺れ、ズドンッ! と勢いよく地面がせり上がった。


 押し出され、空中に打ち出されるスティクス、オグダード、ラトナの三機。


 まるで最初からそうなることがわかっていたかのように、宙でもバランスを崩さない。


 呆然と兵士たちが空を見上げる中、それを実行した守護者は包囲網から抜け出し、距離を取る。




『包囲を突破される――まさかお前、裏切ったのか!?』




 王国軍の中には、騎士への憧れや尊敬の念を抱く者がいる。


 スィーゼは前もってそういった人間に声をかけ、離反工作を行っていたのだ。


 時間がなかったため、引き込めたのは彼一人だけだったが、それでも逃げるには十分だ。


 ずぅん、と地面を揺らしながらスィーゼたちは着地する。


 裏切った兵士もそこに合流した。




『ありがとう、助かったよ』




 スィーゼの言葉に、兵士の乗る守護者は満足気に頷く。




『逃がすな、追えーッ!』




 背後から守護者の軍勢が追ってくる。




『すげえ圧迫感。とっとと逃げるぞ!』


『あんなの相手してらんないよねー』




 どこかおちゃらけた様子でそう言いながら、逃げる四人。


 兵営から離れ街道へ、平原を抜け、そして畑に近づいていく。




『まんまとついてきてくれたね』


『猪突猛進が過ぎる、まともな指揮官がいねえんだな』




 スィーゼとテニュスがほくそ笑む。


 そして畑の手前で彼女たちは足を止めた。




『逃げるのを諦めたか……陛下に逆らう反逆者め、大人しく投降するんだな!』




 血気盛んな兵士が前に出て、啖呵を切る。




『ごめん、そうはいかないんだよねー』




 アンタムが軽い調子でそう言うと、背後の畑から無数の光が放たれる。


 光が止むと、そこには十体を越える守護者が並んでいた。




『まさか……王牙騎士団か!?』


『その通り』


『王魔もいるよー』




 アンタムがそう言うと、王魔騎士団の所属らしき守護者が小さく手を振った。


 どうやら乗っているのは、数日前に街で合流した二人の女騎士のようだ。


 すると、王国軍守護者部隊の背後から、彼らをかき分けるように一体の守護者が前に出てくる。




『王の牙が陛下に楯突きますか』


『その声、将軍も守護者を使えたんだね』




 それは先ほどのテントで、スィーゼたちと交渉を行っていたレイノルドだった。


 将軍と呼ばれるだけあり、元々S級魔術師だったことに加え、守護者の習得も一般兵より早かったらしい。




『しかし奇妙ですね。伏兵を用意しているのなら、挟撃にすればよかったものを。なぜ堂々と前に現れたのか』


『スィーゼたちも軍も、侵略者と戦うという目的は同じだよ。志を同じくする人間相手に、挟み撃ちをした上で脅迫という手段を取りたくなかった』


『あくまで話し合いにこだわると?』


『王魔騎士団を思い出せ』




 スィーゼは、呪文のようにその言葉を唱える。




『魔法の言葉だと思わないかい? これを言うだけで、軍の関係者は誰もが違和感を覚える』


『世迷い言に付き合うつもりは――』


『でも思い出せないっしょ。みんなの顔』




 アンタムがそう言うと、レイノルドは言葉に詰まった。


 それでもなお、彼は自らの立場を崩さない。




『……たとえそうだったとしても、陛下がやったとは言い切れないはずです』


『スィーゼも同じ意見だよ』


『でしたら刃を収めるべきでしょう。侵略者との戦いを前に戦力を減らすことど馬鹿馬鹿しい話もない』


『だがこの“陛下を殺したくない”という感情もまた、偽りの記憶により生み出されたものに過ぎない』


『あくまで、陛下が偽物であるいう主張を曲げるつもりはないのですね』


『“もし本物の陛下が侵略者に食われていたら”――そっちの不安の方が勝っているんだ』




 国王への忠誠心が強ければ強いほど、真実が明かされたときの後悔は大きくなるだろう。


 本物の忠誠とは守ることか、それとも暴くことか。


 もっとも、スィーゼの場合はジンへの想いも関連しているので、一重に国王への忠誠だけで語ることはできない。


 しかし、レイノルドにも疑念はある。


 王国の中枢に近い立場だからこそ、ゾラニーグ、ドロセア、カイン、そして王魔騎士団の面々――そういった人間の欠落(・・)に、大きな違和感を抱いてしまっている。


 本来ならば、相手が王牙騎士団であろうと、国王に刃を向けようとした時点で、問答無用で攻撃すべきだ。


 だがまだ刃を交えず、こうして言葉を交わしている。


 それこそがレイノルドの心が揺れている証拠であった。




『迷ってんなら、あたしらに付き合えよ』




 テニュスが挑発するように言った。


 彼女の視線はレイノルドの守護者ではなく、背後にある兵営の方に向いている。




『どういう意味です』


『殺せなくても、クロドが死ねば嫌でも気づく。だったらそれまで、ここであたしらと遊んでようぜって言ってんだよ』




 テニュスがそう言った直後、兵営に見慣れぬ守護者が出現する。


 それも複数体だ。


 音でそれに気づき、振り返るレイノルド。




『まさか――これは陽動!?』




 ◇◇◇




 スィーゼたちの包囲、及び追跡に参加した守護者は、王国軍が保有する数のおよそ半分。


 本拠地の防衛用に残された戦力は二十体だ。


 一方、奇襲を仕掛けてきた謎の守護者はおよそ十体であった。


 また不思議なことに、奇襲を仕掛けておきながら、守護者を呼び出す前の兵士を殺すことはしない。


 まるで相手に守護者を使わせることが目的であるかのように、その出現を待ち受けていた。




『あー、だりぃ。できるだけ殺すなってのも難しい注文だな』




 思わず黄金のゴルディオスに乗ったミダスは愚痴る。


 そんな彼の隣には、色とりどりの花で飾られた女性形の守護者の姿があった。


 守護者アフロディーテ――乗っているのはシセリーだ。




『ふふっ、実戦前のトレーニングだと思って軽くやりましょうよ』


『そりゃいい考えだ』




 前方から王国軍の守護者が迫る中、二人を取り巻く空気はどこか穏やかだった。




『数の上ではこちらが有利だ、何があっても俺たちで陛下を守るぞ!』


『うおぉぉおおおおーッ!』




 王国軍は二対一の数的有利を確保しつつ、襲撃者に対処する。


 最初に王国軍と衝突したのは、石像のような姿をした灰色の守護者。


 羽や葉の形をした装飾が施されており、それはカルマーロが暮らしていた島で信仰されていた、神の偶像によく似ていた。


 イコン。


 それが彼の乗る守護者の名である。




『不安。恐怖。疑念。憎悪』




 イコンの肩や背中に魔法陣が浮かび上がり、そこから黒い霧が吹き出す。


 兵営はランプで薄暗く照らされていたが、そんなわずかな光さえも覆い隠し、完全に闇に閉ざしてしまった。




『な、なんだ? 目眩ましか!?』


『神にすべてをさらけ出せ。神に身を委ねよ』




 黒い霧は守護者の内部にまで溶け込み、搭乗者の脳へと干渉する。




『う、うわあぁぁっ、やめろ。入ってくるな! 俺の中を見るなあぁぁああっ!』


『違う、僕は疑ってない。僕は陛下を信じてるんだ。国のために、正しいことを。王魔騎士団は、陛下は関係なくて……!』


『救い……? 救ってくれるのか? あなたが……』


『神様を信じれば、僕たちは……救われる……?』




 不安を煽り、増幅させた上で、彼らの目の前に現れるのは神――すなわち守護者イコンである。


 生じた信仰心により戦意を喪失させ、仲間へと引き入れる。


 物理攻撃ではなく、搭乗者の精神に直に攻撃を仕掛けるのが、カルマーロの乗る守護者イコンの特徴であった。




『おらおらおらおらァ! 俺の邪魔をするな、道を開けぇッ!』




 それとは対照的に、手足に鋭い爪を生やした、人狼のような守護者が暴れている。


 守護者ヴァナルガンドを操るのはガアムだ。


 彼の場合、守護者の形状は、自身が魔物化したときとそう変わらない姿をしていた。


 半ばヤケクソのような暴れ方をしながら、周囲の兵士たちの意識を惹きつけている。




『若いのう。わしも負けてられん』




 一方、彼の近くでヴェルゼンの守護者も戦っていた。


 手にした槍で、王国軍の剣を弾くその守護者の名はウルスラグナ。


 猪の頭部を持つ、彼の国で信じられた武神の姿をしていた。




 ◇◇◇




 守護者と守護者がぶつかり合う兵営において、その力を持たない一般兵は逃げ惑うしかない。




「うわあぁぁああっ! 守護者だ! 踏み潰されるッ!」


「逃げろっ、人間が勝てる相手じゃない!」




 触れれば死――そんな状況の中、生き延びるため、必死で外へ逃げようとする兵士たち。


 そんな彼らに、味方の流れ弾が迫る。




「駄目だ、もう終わりだ……」




 散弾のように放たれる炎の魔術。


 守護者が受ける分には大したダメージは無いが、生身の人間が受ければシールドでも防ぎきれず、一瞬で肉体が溶けてしまうようなとんでもない威力だ。


 兵士が腰を抜かし諦めたそのとき、頭上から降りてきた巨大な“手”がそれを遮り、彼を守った。


 見上げる兵士。


 そこにあるのは、王国とは違う――異国の地に伝わる甲冑と呼ばれる鎧に似た騎士。


 名を守護者シナトベと言った。




「な、なんで、敵なのに守って……」


『人命を奪うために来たのではございません。さあ、お逃げなさい』




 イナギがそう告げると、兵士は這いつくばるようにして逃げていった。




『イナギはやさしいねー』




 隣に立つ守護者はヤフチャール。


 氷の女神をモチーフにしたその姿は、鎧というよりはドレスに近い。


 乗っているのはアンターテだ。




『そういうアンターテも――』




 前方から今度は大地の魔術が飛んでくる。


 冷気の壁がそれを空中で凍らせ、地面に落とした。




『流れ弾が行かないように気を遣っているではございませんか』


『まあ、イナギみたいになりたいから』


『……戦いが終わったら死ぬほどかわいがってもよろしいですか?』


『楽しみにしてる』




 二人は軽く言葉でじゃれ合うと、再び戦いに集中するのだった。




 ◇◇◇




 いたるところで戦いが起きる中、国王の守りは手薄になっていた。


 相手が守護者であればどうしても目立つが、生身でその間を抜けていけば――クロドの元にたどり着くのも容易い。




「お前たちは――ぐわあぁぁあっ!」


「陛下を……やらせは……ぐふっ」




 ドロセアとリージェは護衛の兵士を軽くひねると、玉座で頬杖をつくクロドの前までやってきた。




「来たか」




 二人が来ても、彼に驚きはない。


 この邂逅を予測――いや、楽しみに(・・・・)していたのだろう。


 彼の口元には笑みが浮かんでいる。




「わたしが、そこにある」




 ドロセアはクロドを指差すと、そう言った。




「ああ、返してほしいのかい」


「当然ですっ!」




 声を荒らげるリージェ。


 するとクロドは立ち上がり、演技がかった喋り方で言う。




「悲しいよリージェ。愛し合ったお兄ちゃんにそんなことを言うなんて」


「記憶を捏造して他人の心に潜り込む人に、愛なんてわかるはずないでしょう!」


「的を射たことを言われると傷つくなあ」




 苦笑いするクロドの背後の景色が歪んだ。


 そこから現れた侵略者の口は、素早くドロセアに迫る。




「ドロセアさんっ!」


「問題ない」




 彼女は右腕に守護者を纏うと、それを軽く弾き返した。


 そして今度は逆に、その右腕に模倣した侵略者を作り出し、クロドに差し向ける。


 彼は横に飛ぶと、その牙を回避した。




「おっと、いざ口を向けられるとこんなに怖いんだね」


「あなたがさんざんやってきたことです」


「根源に訴えかけてくる死の感覚……見てくれ、私の手が震えている」




 持ち上げた彼の手は、本当に小刻みに揺れていた。


 どうやら演技ではないらしい。




「初めてだよ、こんな気持ち」


「そんなことはどうでもいいんです。早くドロセアさんを返してください!」


「本当に僕に興味を示さないんだね。ドロセアの感情は僕の中にある、悲しいと思っているのは事実なんだよ?」


「気持ち悪いです」


「わかりあえないか……」


「侵略者は言葉でわかりあえない相手だって、あなた方の行動が教えてくれたんです」


「賢い判断だ。だったらどうする?」


「殺す」




 ドロセアは短くそう言うと、クロドに飛びかかった。




「そう、それでいい」




 振り下ろされた守護者の腕を、彼もまた守護者の腕で受け止める。


 弾き返されるドロセア。


 そしてクロドはそのまま、守護者を呼び出した。


 リージェにとっては見覚えのある、白銀の騎士である。




「あれは……わたしとドロセアさんの守護者!」


「わたしたちも」


「はいっ!」




 ドロセアとリージェは手をつなぐと、祈るように目を閉じて、守護者を呼び出した。


 相変わらず名前の無い、外見上の特徴も見当たらないのっぺりとした鎧。


 仮に名を付けるとしたら、守護者“ネームレス”だろうか。




『個性も面白みもない鎧だね』




 両者が向き合うと、クロドは挑発的にそう言った。




『私の守護者エデンと比べると雲泥の差だ』




 リージェが反論しようとしたが、それより前にドロセアが口を開く。




『ちがう。おまえのそれは、ちがう』




 エデンではない、偽物だ。


 ドロセアはそう言いたいのだろう。


 リージェも、いざこうして相手の全身を見てみると、細部が異なることに気づいた。


 些細な変化なのだが、わずかな歪みや形状の変化があり、見ていて不安になる形をしている。


 夜の闇の中、足元から炎の光に照らされているためか、余計におどろおどろしく感じられた。




『綺麗に奪い取ったはずなのに再現できなくてね、形にするのに苦労したよ。細部こそ違えど、名乗る分には問題ない仕上がりだろう?』


『それは、二人で一つ』


『そうだね』


『お前は――』


『私も二人だよ。なあ、カイン』




 彼がそう呼びかける。


 すると操縦席の空間内にいるもう一人が言った。




『にい……さま……にい、さま……』




 か細く、弱々しい声で。


 カインと呼ばれたその肉塊は、人の形をしているものの、髪や目、鼻といった人間が持ちうるパーツを持っていない。


 黄色と紫の、侵略者然とした物体であった。


 唯一、頭部の真ん中あたりに縦に切れ目が入っており、そこが開閉することで声を発している。




『誰の声……ですか?』


()が愛した、かわいそうな弟さ』


『お前が、食べた』


『そう、私が食べた、哀れな弟だ』


『愛する人を食べて、存在すらなかったことにするなんて。そんなの、愛してるって言えるんですか!?』




 感情的なリージェの言葉をぶつけられ、クロドは天を仰ぐ。




『つまりはこれも、愛のような形をした別の何か――ああ、そうか、ドロセアが言った“ちがう”とはそういう意味か。守護者を形作るのに必要な愛が偽りに過ぎないのなら、この守護者自体も――楽園(エデン)()まがい物(アポクリファ)とでも名乗るべきか』




 そして彼はシールドで剣を作り出した。


 精霊を食らうアーウォンの剣、そのまがい物を。




『ドロセアさん、来ますっ!』


『うん、構える』




 そしてシェメシュの翼より光を放ち、一気にドロセアに迫る。


 ネームレスもまた、剣を――シナトベの持つ刀を模倣し、それを受け止めた。




『模倣の剣――偽物同士仲良くしようじゃないか、ドロセア!』


『うるさい、死ね!』




 剣戟の音色が夜空に烈しく響き渡る。


 クロドの剣は鋭く速く、そして太刀筋はぶれることがない。


 剣術を修めた者の剣さばきだ。


 対するドロセアは、“刀”と呼ばれる細身の剣の扱いには慣れていない様子である。


 剣の振り方も乱暴で美しさとは程遠く、感覚や本能で対応しているように見えた。




『速い……です』




 こういった近接戦闘の時、リージェにできることはそう無い。


 目の前で繰り広げられる高次元の斬り合いに呆然とするしかなかった。




『どうだ、ジンさんに教えてもらった剣術は』


『元はドロセアさんのものでしょう!』


『彼は侵略者だ、ならば侵略者である私こそが正統な後継者だろう!?』




 激しさを増すクロドの斬撃。


 ドロセアは防戦一方となり、じりじりと後退していく。




『他人の真似事だけでどこまでついてこれるッ!』


『どこまで?』




 追い詰められているように見えるが、しかしドロセアの声に焦りは無い。




『お前を、倒すまで』




 振り下ろされる刃。


 それを滑らせるように受け流し、わずかにバランスが崩れたところを、地面からせり出したツタが絡め取る。


 無論、その程度の強度の植物で転ばせることはできない。


 すぐにツタは引きちぎられたが、“引きちぎる”という行動によりわずかな隙が生まれる。


 そこを狙い、鋭い刺突を繰り出すドロセア。


 クロドは即座にシェメシュの翼の出力を上げ、加速し横に飛んだ。


 ドロセアは『チッ』と舌打ちをする。


 一旦距離を離し、仕切り直したところで再び加速し、肉薄するエデン・アポクリファ。




『この間合いなら!』




 するとネームレスの額に白い宝玉が浮かび上がり、そこから光の球体が連続して放たれる。


 リージェによる牽制である。


 クロドは直進を諦め、わずかに横にずれそれを避ける。


 時間の確保に成功し、ドロセアが待ち構える時間を稼いだのだ。


 アーウォンの剣による薙ぎ払いを、縦にした刀で受け止めるドロセア。


 おそらく、本来ならばそれで受け止められないほど、エデンとネームレスの間には力の差がある。


 しかしこうして打ち合えているのは、エデン・アポクリファが、偽りの愛情を元に作られた紛い物だからに他ならない。




『模倣がオリジナルに勝てる道理など!』


『おぼえてる』




 クロドは至近距離から怒涛の連撃を繰り出す。


 だがドロセアはそれらを全て受け止めた。


 まるで未来を見ているかのような動きで。




『その右目は、時すらも見通すというのか?』


『わたしの体にも、染み付いている』




 クロドが使っているその剣術は、元々ドロセアが身につけていたものだ。


 未来など見ずとも、“自分がどう動くか”を考えれば自ずと答えは出る。


 また、扱いなれない刀も、使えば使うほどに慣れていく。


 少し前までは互角だったかもしれないが、今はもはやドロセアの方が近接戦における力量は上だ。


 振り下ろされる剣。


 その手首を打ち払う刀。


 ネームレスの蹴りが、エデンの腹部に突き刺さる。


 よろめいたところに、袈裟斬りが直撃した。




『ぐっ……』


『なにより――わたしの楽園は、ここにある。リージェが隣にいる、わたしの居場所が』




 それこそが“エデン”であると、ドロセアは主張する。


 一方でクロドは、エデンの持つ特殊装甲“エリオンの楽園”でさほどダメージは受けていなかったが、体を斬りつけられた痛みは感じていた。


 だがそれ以上に、自己矛盾で心が痛む。




『そうだ、ドロセア。私はお前を奪った。だが、私はお前にはなれなかったッ!』




 それは捕食が不完全だったからではない。


 致命的な何かが、彼から欠落していたからだ。


 そして何より、クロド自身がそれを自覚している。




『なぜだ、なぜ私はお前のように誰かを愛せなかった? なぜカインを殺した!? カインを殺せる私に、なぜ感情などというものがあるッ!』


『そんなの知りませんよっ! あなたの都合なんて!』


『ははっ、そうだな、その通りだ。私の都合に過ぎない――だから嫌なんだ、ただの捕食器官であればどれだけ幸せだったかッ!』




 世界を食らい、皆殺しにする。


 その世界の住人として暮らし、それを記録する。


 二つの役目。


 その矛盾。




『どうせ滅ぼすだけの世界で、なぜ意思を持つ一人の人間として生きなければならないのかッ! 創造者の感傷か? 罪悪感か? そうすれば何かから逃れることができたのか!? “私”にそれを押し付けてッ! 先に逝ってしまったくせに!』




 誰もそれに答えてくれる者はいない。


 なぜならみな死んでしまったからだ。


 誰一人として、その理由を知る者も、その痛みを知る者もいない。




『悪を受け入れて振り切ればよかったものを! いや。他者を食らい、己が生きながらえる――そんなもの、生命が存在する世界ならばどこでも当たり前にある食物連鎖ではないか! 悪ですらないんだよ! それを、それをッ!』




 彼には彼なりの苦悩があった。


 地獄の炎に焼かれているかのような苦しみを味わい続けてきた。


 だが、それはそれとして――




『しらない』




 ドロセアには、関係のないことだ。




『お前の都合なんて、どうでもいい』




 いや、食われる側の世界、全てに関係のないこと。




『死ね』




 お前は、私から大事なものを奪った。


 だから殺す。


 その想いだけを刃に乗せて、一切の同情も無く、彼女はただ振り下ろす。


 クロドは剣を使い、あまりにまっすぐすぎる殺意を受け止める。




『殺してやる』




 ドロセアはそれを繰り返した。


 クロドを殺すために。




『返せ、返せ、返せ、わたしを、わたしの中のリージェを』




 彼の首を落とすことだけを考えて。




『返せえぇぇぇぇえッ!』




 斬撃の威力ではなく――その殺意の深さに、黒さに圧され、後退するクロド。


 彼は声を震わせ、感激していた。




『なんと利己的な――ああ、しかし、私はそれに憧れた! 私もそうなれたならとッ!』




 もし自分もそんな風になれたなら、役目など捨てて、どこかの世界で、その世界の住人として生きていけたのだろうか。


 そんな夢を見ていた。


 きっと無理だろうと、頭の片隅で気づきながらも。


 要するに、弱音だ。


 ただの破壊兵器に感情など与えたから、こうなってしまうのだ。


 気持ちが折れると、剣も弱くなる。


 まるで人間のように。


 押されて、押されて、弾かれて。




『今なら行けますっ!』




 そんなリージェの声が聞こえた時には――もう、ネームレスの刃はエデンの腹を貫いていた。


 操縦席への直撃は避けた。


 だがドロセアはなおも彼を潰そうと、柄を握る手に力を込め、ひねり、そしてぐぐぐ、と上に切り上げようとしている。


 ガゴッ、ガギッ、と金属の断末魔のような音が鈍く鳴っていた。




『真似事では勝てない……か。結局、自分に刺さる言葉だったな』




 エデンはその刃を手で押さえているが、押し返せそうにはない。


 このまま行けば、操縦席を両断されてしまうだろう。


 負けを認めたクロドはこのまま諦めるかと思われた。


 だが、結局のところ、彼は侵略者である。


 人としての感情が折れた。敗北した。


 その先にあるのは諦めではない。


 侵略者としての、装置としての己の発露であった。




『だが素直に返すつもりなど無いよ』




 どろりと、カインと呼ばれていた何かが溶けた。


 その後、守護者自体も溶け始める。




『何をするつもりですか……?』


『……逃げようとしている』


『そんなっ!』


『違うな。“本体”に戻るだけだ、この肉体を放棄して』




 守護者が溶けたことで、刀もするりと通り抜けた。


 その直後、クロドはかろうじて残ったシェメシュの翼を使い、一気にネームレスから距離を取る。




『待て、わたしを返せ!』


『君の存在は侵略者にとってあまりに危険だ、このまま持っていくよ』




 離れた場所でどろどろに溶け、守護者もろとも自らの肉体も放棄しようとするクロド。


 彼の肉体はあくまで侵略者の一端末に過ぎない。


 死んだところで“国王”としての立場は失うが、もはやここまで来てしまえば、それは侵略者にとって痛手でもなんでも無かった。


 むしろ、“食った”存在を取り返される可能性が消えるため、メリットの方が大きい。


 そして彼はそのまま“クロド・ガイオルース”という人格そのものも消し去ろうとしていた。


 過去に別の世界を食らったときと同様に、残るのは記録だけであり、記憶や感情は必要ないから。


 しかし――




『……止まった?』




 半分ほど肉体が消えたところで、消滅が止まる。


 眉をひそめ、己の両手を見つめるクロド。


 そんな彼を挟むように、両側に夜の闇に溶けていた守護者が現れる。




『まさか私らのこと忘れてたわけじゃないだろう』



 暗い赤と黒の装甲。


 血のように鮮やかな赤のマント。


 手には“破壊の概念”を具現化した終末の杖。


 それはマヴェリカが乗る守護者、スルトであった。


 そしてもう一体――




『逃がすはずないじゃない、不躾な盗賊には極刑がお似合いよ』




 青と白の装甲は、全体的に丸みを帯びたフォルムをしており、下半身にはスカートのような形状をした部位もある。


 マヴェリカ曰く、かつて彼女が“好みだ”と言ったエレインの服装に似ているらしいが、真偽は定かではない。


 エレインの乗るその守護者の名は、シンモラ。


 彼女の手にも、スルトの持つ杖と似たようなものが握られていた。




『魔女と賢者か……その杖で、時の流れを破壊したんだな。時の精霊の断末魔が聞こえてくるよ』




 忘れていたわけではない。


 だが、ドロセアたちの相手に熱中しすぎていたのもまた事実だ。


 クロドは逃げ場を失ったことを知ると、なぜか嬉しそうに微笑んだ。




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