078 玩具は独り占めできない
「そもそもあれってどういう仕組みなのかしら」
マヴェリカとエレインは二つ並べた椅子に腰掛け、目の前に浮かぶ映像を眺める。
元はおそらく書斎として使われていた場所なのだろう、そう広くはないが壁側の棚には時の流れにより色褪せた本がずらりと並んでいる。
部屋自体はそう広くなく、椅子の位置がやけに近いのもそのせい――と、言い訳できるほどではない。
椅子を置いたのはマヴェリカだが、エレインは何も言わなかった。それだけのことだ。
「ドロセアの右目って、魔力を見ているだけなのよね」
映像の向こうでは、ドロセアの顔のない守護者が地面から現れたツタを操り、敵を捕縛し引きちぎっていた。
エレインは顔をしかめる。
その凄惨な倒し方――ではなく、守護者に使われ悲鳴を上げる精霊たちの声を聞いて。
「通常の魔術と守護者のそれは根本的に仕組みが違うわ。ただ魔力を見ただけで、他人の本能が具現化したものをコピーできるものかしら」
「私も正直そのあたりはわからないよ。エレインは“喪失”や“飢え”がドロセアを貪欲にしたと言ってたけど、クロドに食われたこと自体が彼女に何らかの変化をもたらした可能性はある」
マヴェリカは椅子に深く座り、背もたれに体重を預けながら言った。
「さらに肉体が変質したの?」
「そのあたり、エレインの方が詳しいんじゃないか。魔力を経由して体内を調べてもわからなかったのかい」
エレインは首を振り否定する。
魔力が人間の血液を循環している以上、彼女は相手が誰であってもその肉体の隅々まで調べ尽くすことが可能だ。
「以前の彼女と変わってることはわかったわ。けどそれがクロドに奪われただけなのか、それとも捕食による影響で変化したものなのかは判別できなかったの」
侵略者はこの世ならざるもの。
魔力はあくまでこの世の理。
歯がゆいが、神のごとき力を持っていても、魔力だけでは全てを見通すことはできない。
「だったら実戦で確かめるしかないねぇ」
「初陣で見えてくるかしら。悠長に待てるほど時間は残されてないわよ」
二人は再び、前方の映像に目を向ける。
そこではドロセアの守護者が放つ氷と刀が、敵の守護者をめった刺しにして撃破していた。
「心配いらないさ、リージェが一緒なんだから」
飢えたドロセアは、周囲の知識を異様な速度で吸収する。
だが得た力を十全に発揮するには、隣にリージェがいる必要があった。
もっとも、今の欠けたドロセアに、その理屈がどこまで適用できるかは不明である。
◇◇◇
敵の守護者を撃破した直後、民家の屋根を突き破り新手の守護者が現れる。
『また出てきました!』
これで三体目だ。
戦闘態勢を取るドロセア。
『確かに倒してるはず』
敵の守護者は、中身の侵略者ごと徹底して潰している。
だというのに、現れているのはおそらく撃破した守護者とほぼ同じものだ。
いや、形状や動きに多少の違いはあるが、実際に刃を交わす者の実感として、“使い回されている”という感覚がある。
ドロセアたちが侵略者と戦う間、ミダスは裂け目の封鎖に集中していたが、そんな彼は新たな気配を感じ取った。
『つか、倒すどころか増えてねえか?』
別方向に、新手の守護者が現れる。
『おそらく別個体』
クロドがドロセアを潰すために戦力を投入したようだ。
おそらくアンタムたちの方は、敵が一体減っているはずである。
『侵略者が守護者を使ってる時点でよくわからないのに!』
ドロセアは飛びかかってくる守護者を蹴り落とすと、ミダスを妨害しようとするもう一体に接近する。
地面から出てきたツタが巨大な鎧を絡め取ると、地面に叩きつける。
そうしてちょうど目の前にやってきた敵を、氷のスパイクで徹底的に貫き破壊する。
胸部の操縦席付近から血が飛び散る。
侵略者の死を確認すると、ドロセアはぼそりと呟いた。
『これはつくりもの』
『えっ?』
『刻んで寄せ集めた、ハリボテ』
言われみれば、とリージェは改めて敵の守護者を観察する。
複数体の守護者を斬り刻んでくっつけた結果、胴体と手足の太さ、長さが合っていなかったり、複数の武器が曲がってへし折れたような形になってしまっている。
つまり、そのために犠牲になった守護者の持ち主がいるはずだ。
『クロドは……こんなに大勢の人を!』
『タガが外れた』
『ドロセアさんを取り込んだことで、ですか?』
『……それはわからない』
決定的な分岐点は、カインの死だ。
もっとも、本格侵攻が近づくたびにクロドの動きが雑――良く言えば大胆になって来たのは間違いない。
そんな話をしているうちに、倒したはずの二体が再び現れる。
そのとき、ふとリージェは気づいた。
『ドロセアさん、目がっ!』
右目が真っ赤に充血して、血を流していたのだ。
『平気』
『そんなわけありません!』
とてもそうは見えないリージェは、思わず声を荒らげた。
怒られたドロセアは、少ししょんぼりしているようにも見える。
『あと少しで視えそうだから』
『何が、ですか?』
『わからない』
『とにかく、時間を稼げばいいんですね』
『そう。かんがえる、じかん』
一体何を見ようとしているのか、ドロセアは呂律すらも回らなくなってくる。
不安しかなかったが、彼女がそう言った以上、リージェは信じるしかない。
襲いかかってくる二体の守護者。
横に飛んでそれを避けるドロセア。
だが攻撃はしない。
どうせ倒してもまた復活するだけなのだ、今は避けて、思考に集中したいということらしい。
『攻撃はわたしに任せてください!』
それを補うため、リージェが動く。
『これはドロセアさんの守護者であると同時に……わたしの守護者でもあるんです!』
守護者の形状が変化し、両側の肩甲骨付近が盛り上がると、そこから新たな腕が現れる。
この二本の腕は、リージェが自由に動かせるものだ。
再度飛びかかってきた敵に向かって、その両腕を突き出す。
同時に、手の甲から針が突き出た。
『刺し貫きますッ!』
針は敵機の操縦席付近を刺し貫く。
『あうっ、う、くうぅぅっ!』
なぜかリージェはうめき声をあげた。
見ていることしかできないミダスは、突き刺さった針が赤く色を変え、脈動していることに気づく。
『何かを……注いでるのか?』
数秒後、敵の守護者が光の粒子になって消えていった。
そしてその内側から――
「キシャァァァァアアアッ!」
魔物に成り果てた人間が出てくる。
『守護者が解けただと!?』
『わたしの血で“人間の部分”を魔物に変えました』
『そうか、侵略者は人間を経由しねえとこの世界に干渉できねえ……魔物と侵略者を共存させるためには、相応の処置が必要だ』
『これでひとまず侵略者は表に出てこれないはずです』
侵略者は異なる世界の存在。
この世界で活動するには、裂け目を使い環境そのものを変えたり、人間に寄生する必要がある。
そしてそれは、人という生命体に適応したやり方。
魔物という別種に変わってしまえば、侵略者はこの世界に具現化できない。
だが、リージェの血によって魔物に変えられた人間は、地面でビクビクと痙攣していた。
『急いでそいつを潰せリージェ! もう適応しかけてるッ!』
ミダスが慌てて声をあげる。
するとドロセアが動き、守護者が続けて二体の魔物を踏み潰した。
『ありがとうございます、ドロセアさん。それにしても、適応が思ったよりも早い……!』
『すまん、たぶん俺のせいだ。共存の前例を作っちまった、あの経験をどこかで共有してたのかもしれねえ』
アーレムでドロセアと戦ったエルクは、体内に侵略者と魔物を同時に宿していた。
その他にも、魔物と侵略者を共存させる研究が複数進んでいたため、統一した意識を持つ侵略者はそれを覚えていたというわけだ。
ただし――魔物に変えたところで、疑似守護者を形作るためのリソースが削がれるわけではない。
中型侵略者という駒が一匹消えるだけ。
クロドは回収したリソースを別の侵略者に注ぎ、差し向ければいいだけだ。
新たな二体の守護者が、ドロセアたちの前に現れる。
『ですが、過剰な魔力による魔物化は、変質後の姿に個体差があります』
使い捨てであるがゆえに、彼らに恐れはない。
また、遠隔武器の類は歪んでしまうと狙い撃てないためか、あまり使ってこない。
馬鹿の一つ覚えのように駆け寄り、歪な武器を振り下ろすか、掴みかかるかの二択である。
リージェはまた、例の針で血液を流し込み、侵略者を魔物へと変える。
『前例があるからと言って、すぐさま対応することはできない。つまり、急いで潰せばっ!』
そして今度は自らが操作する両腕で叩き潰した。
『っ……!』
ぐちゅっ、という感触がフィードバックされる。
人ではないが――人殺しに似た感覚が、肉体に響く。
『リージェ』
ドロセアは思考を中断し、リージェに声をかけた。
『なんでしょう、ドロセアさん!』
『だいじょうぶ?』
不意打ちのように投げかけられた身を案じる言葉。
特別な意味など何もないのに、たったそれだけで、リージェの心音はどくんと跳ねる。
ふわふわとした幸せが全身を包み込む。
『問題ありません。心配してもらえただけで心臓がバクバク言ってます。いくらでも血が作れそうです!』
『そうはならねえだろ……』
聞こえてきたリージェの言葉に、思わずツッコミを入れるミダス。
そしてまた守護者が現れ、それをリージェが潰し――そのループが続く。
(だがどうする、見たところ相手は息切れ知らずだ。何匹いるかわかんねえ侵略者が残ってる限り、あの守護者は途切れない)
さすがに中型侵略者が億も存在することはないだろう。
それでも周辺地域から集めれば千体ぐらいはいるのかもしれない。
(一方であのお嬢さんの血は有限。そのあとドロセアが動きはじめたとしても、いずれ魔力は切れる)
終わりのない戦いは、精神面でも負担をかける。
魔術や守護者の強さはメンタルでも左右されるため、心が弱るのは避けたいところだった。
(かといって俺も裂け目から離れるわけにはいかねえ。何か手はあるのか?)
もっと根本的な――あの守護者が二度と現れなくなるような、単純な破壊以外の手段があれば。
そう思い頭をひねるが、ミダスの手札をどんなに組み合わせても、そんなものは見つからなかった。
『ふぅ……はぁ……っ』
十体以上を撃破したところで、リージェの息が切れてくる。
貧血というほどではないが、血を使えば体調面に影響が出てくるのは当然だった。
『リージェ』
『まだ行けます!』
『もうだいじょうぶ』
ただ一言、それだけ言って微笑むドロセア。
彼女の充血していた右目は、元に戻っている。
だがその黒目の闇は深く、リージェは見ているだけで引き返せない奈落まで引き込まれてしまいそうだ。
(一体、その目は何を見ているの……?)
心――いや、それよりもっと根底にある何かを見透かされている気がする。
『理解した』
新たに出現した二体の疑似守護者は、こちらに駆け寄ってくる。
一方でドロセアの守護者は、何かを抱えるように手のひらを上にして、両手を前に出す。
術式は無い。魔術ではない。
バチバチと雷光が爆ぜる。
シールド――ではあるようだが、普段のそれが引き起こす現象とは異なって見える。
やがて光が弾ける場所の周辺が歪み始める。
光の屈折なのか、はたまた実際に空間そのものが歪んでいるかはわからない。
ただ――その光景は、ドロセアの記憶にあるものと類似していた。
当然だ、彼女はそれを再現しようとしているのだから。
迫る疑似守護者。
その場から動こうとはしないドロセア。
ミダスとリージェが息を呑む。
敵は飛びかかり、眼前で武器を振り上げる。
そして――歪んだ景色の向こうから、それは現れた。
紫と黄色の脈打つ肉。
ずらりと並んだ歪な歯。
大きく開いた口は疑似守護者をその内側に捕らえ、そしてひと噛みで穿ち、潰す。
『ド、ドロセアさん、これって……』
『おいおいおい、それも“模倣”なのか!?』
それは存在質を食らう、侵略者の捕食器官そのものであった。
『おぼえてる。私は、食べられたから』
◇◇◇
「が、ああぁっ!」
クロドは胸を抑え、椅子から転げ落ちる。
「陛下っ!?」
室外にいた兵士が部屋に駆け込み、彼の体を支えた。
「いかがなされました、陛下っ」
「いや……問題ない、下がれ」
「ですがっ!」
「下がれと言っているッ!」
クロドらしくない、感情をむき出しにした声でそう命じられ、兵士は彼の身を案じながらも部屋を出た。
一人になったクロドは、机を支えに立ち上がる。
じくじくと心臓のあたりが痛む。
あれだけ捕食し蓄えた“人間の防衛本能”は、ごっそりと削られていた。
(ドロセア……やはり確実にあの場所で仕留めておくべきだったか)
仕留めそこねた最大の原因は、シールドによる妨害だ。
本来は魔術しか防げないはずの障壁に過ぎない。
しかしあの時、クロドに捕食されながら、ドロセアは視ていたのだろう。
侵略者という存在、その根底にある“存在質”の形を。
「なんとおぞましく、美しい力だ――」
侵略者に共通する意識は一つしかない。
つまり、それを食われれば敗北する。
致命的な危険を前に、クロドの口元には笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
ドロセアたちの戦いを屋敷で見守っていたエレインとマヴェリカ。
しかし、ドロセアによる疑似侵略者を見た途端、エレインは口を手で押さえた。
「う、ぷっ……!」
彼女は立ち上がると映像に背を向け、壁に手を当てて崩れ落ちそうな体を支えた。
マヴェリカは彼女に歩み寄ると、その背中を撫でる。
「エレイン? どうした、あれぐらいで気分を崩すタマじゃないだろ」
「あ、あれ……」
「ああ、いよいよ侵略者までコピーしだしたな。クロドに食われたことで、右目が“存在質そのもの”を見るようになったってところか」
「違うのよッ!」
必死の形相でエレインは訴える。
「魔術や守護者の模倣は魔力を使えばいいから理屈は通る。でも侵略者は別物よ、たとえ“視えて”いたとしても、再現するには同質の物体が必要になる。この世界においてそれに最も近いのは――」
そこまで話したところで、彼女はマヴェリカの表情に気づいた。
「ひっ……」
魔女は白い歯を見せて、悪辣に笑っている。
「精霊か」
彼女はもはや、エレインの前で隠すことはしない。
欲望を、憎悪をむき出しに、ドロセアを祝福する。
「素晴らしいよドロセアは、あいつらをすり潰して肉の粘土にしたんだな。なるほど、相手のやり方を参考にしたわけだ! はははははっ!」
その姿を見て、エレインは四百年前の過ちを悔いる。
精霊たちがドロセアの所業に注目しており、マヴェリカを見ていなかったのは不幸中の幸いと言えよう。
◇◇◇
疑似侵略者により敵の守護者を咀嚼し、飲み込むと、村は静寂を取り戻す。
『もう出てこない、みたいですね』
『撤退した……のか?』
理解の範疇を越えた光景を見せつけられ、リージェとミダスはまだ混乱していた。
一方、それを引き起こした張本人は、のんきにお腹をさすっている。
『おなかすいた』
『あはは、そうですね。村の人にお芋とか分けてもらいます?』
『ちがうの。たべても、おなかはすいたまま』
『あ……』
自分が食われたから、食い返せば取り戻せるかもしれない――ドロセアにはそんな気持ちもあったんだろう。
リージェは守護者の中で彼女を背中から抱きしめる。
『大丈夫です、必ず取り戻せます。わたしたちの手でクロドさえ倒せれば』
『ん……』
ドロセアは目を閉じて、リージェの手に自らの手を重ねると、温もりに身を委ねた。
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