010 無責任
森の開けた場所でドロセアとテニュスは向かい合う。
テニュスは少女が扱うには大きすぎる剣を手に。
ドロセアはテニュスの剣に似た、しかし一回り小さなシールドで作られた剣を握る。
両者の距離は10メートル以上離れており、とてもではないが剣の間合いではない。
だが距離を詰める様子もない。
「いくぜドロセア、今日は失敗すんなよ!」
「大丈夫、同じミスは二度と繰り返さないから!」
彼女たちは柄を握る手に力を込め、腕に術式を浮かび上がらせ、その場で剣を振るった。
斬撃は――さもそれが当然であるかのように飛翔する。
両側から放たれた刃は空中で衝突すると、ドロセアのものだけが弾けて消えた。
当然だ、大きさからしてテニュスの方が上だった。
元の剣の違いもあるのだろう。
もちろん両者の腕力や技量の違いもある、出会いから四ヶ月程度で達人と素人の差が縮まるはずもなかった。
しかし――
「二発当てれば落とせるッ!」
ドロセアのその動きは、素人の四ヶ月後の姿にしては異常だ。
彼女は素早く二発目の斬撃を繰り出し、テニュスの放ったそれを撃ち落とした。
「上出来だドロセア! 次は動きながら行くぞッ!」
前進し、ドロセアの側方を取るテニュス。
右から放たれる斬撃に反応し剣を振るうドロセア。
より実戦に近い形式での鍛錬が始まる――
(ジンがドロセアを褒めてた理由、今なら痛いほどわかるな)
実際に幾度となく手合わせをして、テニュスは理解した。
そもそも普通に考えて、魔術も使わずに斬撃が飛ぶはずがない。
これは才能のある人間が、古くから伝わる剣術を習熟して初めて為せる技だ。
テニュスの場合、そこに火属性の魔術による筋力強化を交えて威力を高めている。
剣術と魔術の複合――ただ剣術を身につけるよりも、さらに複雑な技術が必要になる。
だがドロセアはどうだ。
出会ってからほんの四ヶ月で、すでに戦いの中で使いこなすようになっている。
(マヴェリカも言ってたな、ドロセアは飢えた獣だって。話しててもそんな感じはしない、どこにでもいそうな普通の女の子だってのに)
とはいえ、実力はまだまだテニュスの方が上である。
彼女にはまだ、高温の炎を纏っての攻撃が残されている。
こうして打ち合うことができているのは、テニュスが考え事をする余裕があるほど本気ではないというのもあるし、互いに剣術のみを使うという縛りがあるからでもある。
(そうだ、ドロセアをイカれさせているのは――)
例えば今みたいに、無自覚な苛立ちからほんの少しテニュスが力を込めたなら。
一段階上の斬撃を放ったのなら。
(そんなにリージェってやつが好きなのかよ、ドロセア!)
ドロセアは素早く二発の斬撃を放つも、それだけでは撃ち落とせない。
避けきれないと思った彼女はとっさにシールドを張って、テニュスの攻撃を弾いた。
「ごめん、うまくいかなかった」
額に浮かんだ汗を拭い、肩を上下させながらドロセアは頭を下げる。
テニュスはここでようやく、感情の介入が調整を狂わせたことに気づいた。
「いや……今のはあたしのミスだ、ドロセアは悪くねえよ」
「んーん、ちょっと手加減が緩んだだけで対応できなくなるなんて、やっぱりまだまだなんだね」
「そりゃ四ヶ月程度で追いつかれてたまるかってんだ」
「それでも追いつきたいの、リージェが待ってるから」
焦らない、焦らないと何度言い聞かせても、やはり焦りは消えない。
ドロセアがここで過酷ながらも幸せに過ごしている間も、リージェは苦しんでいるはずだから。
常に胸の中にリージェへの想いを宿らせるドロセア。
そんな彼女を見てテニュスはわずかに目を細めると、軽く息を吐き出し提案する。
「一回休憩にしようぜ」
「まだやれるよ?」
「あたしが休みたいんだ、付き合ってくれよ」
「そっか……じゃあ休む」
ドロセアが微笑むと、テニュスの頬も自然と緩んだ。
◇◇◇
近くにある小川へと場所を移すドロセアとテニュス。
二人はちょうどいい高さの岩に座り、素足を澄んだ流水にひたしていた。
「んー、冷たいねぇ」
「田舎でしか味わえない気持ちよさだな」
「そういやテニュスって生まれも都会なんだっけ」
「故郷は都会ってほどじゃねえが、森には囲まれてなかったな」
共に過ごした四ヶ月という時間は、故郷の話すら平気でできるぐらい二人の心を近づけていた。
「ここにもここの良さがあるが、都会もそれはそれでいいもんだぞ」
「私は逆に田舎しか知らないから、王都に行ったらびっくりするかも」
「まずは迷うだろうな」
「森では迷わないのに……」
「来たときはあたしが案内してやるよ」
「それは楽しみだなー」
「まあ、いつそんなときが来るかわかんねえけどな」
そう言うと、テニュスは少し寂しげな笑みを浮かべた。
ドロセアは心配そうにそれを横目で見る。
「ジンさんも大変なんだと思うよ」
「けどもう四ヶ月だ。あの王牙騎士団が追っかけてもそんなに時間がかかる相手なのかねえ、“正しき選択”ってのは」
「そこら中に散ってるから、組織を全部潰すのっていうのはすごく難しいんでしょ?」
「王都周辺に潜んでる奴らだけでも全滅させれば、あたしとジンが狙われる心配はねえはずなんだよ」
「他にも何か来れない理由があるとか」
「だったら手紙とかで使える方法はあるはずだろ。それすら来ねえってことは……」
テニュスにとって、ジンは唯一の家族のような存在だ。
その家族から一ヶ月以上も連絡が途絶えている。
見捨てられた――そんな言葉が彼女の頭には浮かんでいた。
「でもな、今のあたしは別に構わないって思ってんだ」
「そう……なの?」
「だってここにはドロセアとマヴェリカがいる。新しいあたしの居場所だよ」
満面の笑みを向けてくるテニュス。
しかしドロセアは気まずそうに、そっと目をそらす。
「でも私は、いずれいなくなるよ」
「まだ先の話だろ」
「できるだけ早い方がいいと思ってる」
「なあドロセア」
テニュスはぐいっとドロセアとの距離を詰めて、逃げ場を無くすように顔を近づけた。
「もしあたしが『どうしてもドロセアやマヴェリカと一緒にいたい、ずっとここで暮らしたい』って頼んでも……その考えは変わんないのか」
「変わらないよ」
今度は、まっすぐに相手の目を見ながらドロセアは答える。
迷うことすらなかった。
「私はリージェを必ず救い出す。そのために、今の私はここにいる」
怖いほどに澄んだその目を見て、テニュスはふっと笑った。
「すげーな……本当に強い人間ってさ、そういう芯みたいなモンが真ん中にずどーんって刺さってるもんなんだろうなあ」
「テニュスの方が強いよ?」
「そういう意味の強さじゃねえよ。いや、そういう意味でも合ってるのか。とにかく、何があっても絶対に諦めないっつうの? そういう決意が、ドロセアからは伝わってくるんだ」
ドロセアからは、それが空元気なのか、本気で言っているのか区別は付かなかった。
「ドロセアはあたしの目標だよ。お前みたいになりたい」
「それを言ったら、テニュスだって私の目標だよ」
そう言われたのがよほど嬉しかったのか、テニュスは歯を見せて「にひひ」と笑う。
「よしっ、続きはじめるか!」
「うん、もっともっと強くならないと」
「ああそうだな、あたしも負けてらんねえ」
「まだ私が負けてるんだけど」
「でもドロセアのが成長が速いんだよ、このままじゃいつか追い抜かれちまう。負けないぐらいのスピードで強くなんねーとなあ!」
岩の上で立ち上がった彼女は、森に響き渡るほどの声でそう宣言した。
直後、ふいに後ろを振り向く。
「……ん?」
「どうしたのテニュス」
「今、師匠がいたような気が」
木の幹のところで人影が動くのをみたのだという。
しかし一瞬の出来事で、気配すら感じることはできなかった。
◇◇◇
数時間後、ドロセアとテニュスは鍛錬を終えて家に戻る。
そして例のごとく、あの狭いシャワールームで汚れを落としたあと、リビングでやけに真面目な顔をしているマヴェリカに迎えられた。
彼女は「まずは座りな」と促す。
二人は顔を突き合わせ首をかしげたあと、警戒しながら腰掛けた。
マヴェリカが口を開く。
「二人に謝らないといけないことがある」
そう言って彼女がテーブルの下から取り出したのは、新聞だった。
王国全土で週に一回発行されているもので、近くの村にも一日遅れで入荷する。
そういえば、ここ最近は売り切れていて見かけることすらなかった。
「なんでこれでマヴェリカが謝るんだよ」
「村の人らに頼んで、あんたたちの目に入らないようにしてたんだ」
「王牙騎士団……壊滅……!?」
ドロセアが見出しを読み上げると、テニュスは目を見開いて立ち上がる。
そしてドロセアを押しのけるほどに前のめりになって、記事に顔を近づけた。
「な、何だよこの記事。しかも一ヶ月前じゃねえか。ど、どうなってんだ、何が起きたんだッ!?」
「師匠、ジンさんはどうなったんですか!?」
「つか知ってたのかよ、こんなことが起きてたって!」
「まあ落ちついておくれ」
「こんなのが落ち着けるわけねえだろうがッ!」
「そうですよ師匠、いくらなんでもこんなもの知らされて冷静になれるわけないです!」
「まあ……そりゃそうなるか。先に言っておくと、私は一ヶ月前から知ってたし、それを二人に伝えない決断をしたのも私だ」
「だから何でだよッ!」
ついにドロセアはマヴェリカの胸ぐらを掴んでしまった。
しかしよほど申し訳ないと思っているのか、マヴェリカはそれを振りほどこうともしなかった。
そして悲しげに、眉をへの字に曲げて告げる。
「一ヶ月前のテニュスだったら、とっくに私のこと殴ってたろう」
「な……そ、それは……」
「それから家を飛び出して一人でも犯人を追おうとしたはずさ」
「今もそのつもりだ!」
「でも出ていかないだろう。それは、あんたにとってこの家が大事な場所になったからだ。違うかい?」
「っ……」
ドロセアはそこで気づく。
やはり先ほど、マヴェリカは小川の近くで自分たちを見ていたのだと。
「私だって……ジンのことが心配だよ。けどね、だからってあんたたちのこと放って探しにいくわけにいかないだろう」
「マヴェリカ、あんた……」
自然とテニュスの手から力が抜けていった。
マヴェリカはくしゃくしゃになった襟元を直すこともなく、テニュスを諭す。
「今、こうして落ちついて話せているのは、間違いなくあんたが成長した証拠だと私は思うよ」
「師匠は、話すタイミングを伺っていたんですね」
「気ぃ使いすぎなんだよ、師匠のくせして」
マヴェリカは剣術を教えることはできないが、魔術の知識は誰よりも高い。
剣士に囲まれて鍛えられてきたテニュスの魔術は、マヴェリカに言わせれば“雑”なのだという。
この四ヶ月で、そこをかなり修正されてきた。
つまりドロセアだけでなく、テニュスにとってもマヴェリカは師匠というわけである。
「で、状況はどうなってんだよ。“探しにいく”ってことは、ジンは死んだわけじゃねえんだろ」
「ああ、そうだね。死体は見つかっていない、おそらく敵に連れさられたんだろうね」
「王牙騎士団を壊滅させる敵って、一体なんなんですか?」
「私にもわからない。騎士たちの多くは……その」
「焼死体で見つかったんだろ」
テニュスは気を使われるのを嫌って、自らそう口にした。
「あんま気にすんなよ、騎士団にいれば人間の死には嫌でも直面する」
「慣れても傷つかないわけじゃないだろう」
「それより焦らされる方が嫌なんだよ。あいつらは何で焼かれちまったんだ」
「抵抗した形跡も無い……つまり反応できないほどの速度で、一帯が焼き尽くされたってことだろう」
「現場にはあのジンさんもいたんですよね。私はジンさんの本気を見たことは無いですけど、テニュスの本気よりもさらに強いんですよね? そんな人を一瞬で倒せるとはとても思えません」
「ああ、あたしは見たことあるが比べ物にならねえよ。速すぎて見ることすらできねえ」
「敵はそれ以上に強かった、としか言いようがないね。今回の一件は王国の方でもトップシークレットなのか、新聞でも大したことは書いてないのさ」
「なんとかして知ることはできねえのか」
「生き残ってた人はいないんですか?」
「一人……奇跡的に生き延びた人間がいる。その人物から話を聞ければ、新聞には書かれていないことが知れるかもしれないね」
テニュスは「一人か……」と呟いた。
見出しには“壊滅”と書かれていたが、具体的に誰が死んだのかまでは記されていなかった。
だがマヴェリカの言い方からして、現場にいて生き残ったのは、本当にその人物一人だけなのだろう。
「誰で、どこにいるんだ?」
「副団長のスィーゼだよ。あんたが嫌いな、ね」
「あいつが……!」
「仲が悪かった人、だよね」
「スィーゼの方があたしのことを嫌ってたんだよ。だが、あいつからなら話は聞けるだろ、あたしと同じだからな」
人を嫌う理由は様々あるが――テニュスとスィーゼの場合、それは“同族嫌悪”と呼ばれるものなのだろう。
「今ごろジンを助けられなかったこと、死ぬほど悔やんでるはずだ」
◇◇◇
ドロセアたちは馬車で一日かけて、スィーゼの実家のある町までやってきた。
実家は大きなお屋敷だ。
どうやら彼女は領主の娘のようで、出迎えた父親は現れた子供二人を見て怪訝そうな顔をした。
だがマヴェリカの手紙を受け取るとすぐに表情を変え、領主が直々にスィーゼの元に案内してくれることになった。
「本当に師匠って何者なんだろう」
「裏で王国を操ってる闇の王とかなんじゃねえの」
「ありえる」
ありえないが、そんな馬鹿げた話すら出てしまうほど謎は深まっていた。
スィーゼの父が言うには、事件が起きた場所で全身に火傷を追った彼女は三週間前から静養しているのだという。
精神的なショックが大きいらしく、面会できるのは一人ずつ。
まずは面識のあるテニュスがスィーゼに会うことになった。
一人で部屋に入ると、そこにいたのは――
「さぞ哀れんでいるんだろうね、このようなスィーゼの姿を見て」
全身を包帯で隠した、副団長の姿だった。
彼女はベッドで上体だけを起こして、テニュスの方に顔を向ける。
「教会で治療を受けたんじゃなかったのかよ」
「遅かったんだ。傷自体は塞がったけど、痕が残ってしまってね」
包帯をめくると、赤く爛れた肌が見えた。
元は“美”に力を入れていたスィーゼだ、火傷痕だらけの体を見せたくなくて隠しているのだろう。
テニュスは「ふん」と鼻を鳴らすと、ベッド近くに置かれた椅子に腰掛けた。
「生き残りはあんただけだ。ジンが守ったのか?」
「いや、ジンを守ろうとした。けど生き延びたのはスィーゼだけだった」
「シールドの展開が間に合わないほど速い魔術か。焼かれたってことは炎だったのかよ」
「いや、光だね」
光という単語に、テニュスの右まぶたがぴくりと反応する。
「教会関係か?」
核心を突く彼女の問いに、スィーゼはわずかに笑みを浮かべた。
喜びというよりは、自暴自棄といった様子の笑顔ではあったが。
「聖女リージェだよ」
「な……」
「彼女がスィーゼたちの前に現れて、全てを光で焼き尽くした」
「リージェだと? んなバカな、あいつは教会本部に幽閉されてるはずだ!」
「見たんだから、そうとしか言いようがない」
「見間違いじゃねえのか!?」
「名乗ってもいたよ」
「嘘、だろ……」
テニュスはリージェとの面識は無い。
だからこのとき真っ先に思い浮かべたのは、ドロセアの顔だった。
「ドロセアになんて説明したらいいんだよ」
「彼女も一緒に来ているんだよね」
「ああ」
「そう思って一人ずつ入るように言ったんだよ。聞かれると都合が悪いじゃないか」
「……変に気が利くやつだな」
「だから副団長になれた」
自嘲っぽくスィーゼは言う。
「けれどそれは同時に、団長の器ではないということでもある」
「弱気なんてお前らしくもねえ」
「視力がね……戻らないんだ」
先ほどから、テニュスもおかしいとは思っていた。
顔はこちらを向いても、目線が合わないのだ。
「もう二度と、スィーゼの美しい姿を鏡越しで見ることもできない。もちろん、団長のこともね」
薄ら笑いを浮かべそう嘆くスィーゼを前に、テニュスは拳を握り震わせる。
王牙騎士団の副団長としてあまりに情けない姿が許せなかった。
「ジンは連れ去られたんだろ!?」
「そうだね」
「だったらまだ生きてる。そう信じるのが、あいつに憧れたあたしらの役目だ!」
「……」
「目ェそらすんじゃねえよ!」
「見えてないからそらしてないよ」
「屁理屈は聞いてねえ! さっきからウジウジしやがって、あたしに気持ち悪ィ嫌がらせしてた頃のやる気を見せてみろよ! スィーゼ・イーゴー!」
胸ぐらをつかみ、叫ぶテニュス。
しかしその言葉はスィーゼの心まで響かなかった。
「暑苦しいな」
「今の冷めたてめえにはこれぐらいでちょうどいいだろうがッ!」
「ジンがテニュスを預けたのは、正しい判断だったんだろうね。追い出したんじゃなく、次の団長を育てるための」
「だからっ! お前の気持ち悪さはそういうやつじゃなくって!」
「……ドロセアって子を呼んでよ」
「おいスィーゼッ! あたしの話を聞け!」
「伝えないといけないことがある」
「まさか、リージェのこと言うのか」
「それはテニュスにしか言わないよ。その子に伝えるかは君に委ねるから」
「じゃあ……ドロセアに何を話すんだよ」
「呼んで」
「チッ、いけすかねえやつ」
そう吐き捨てて、部屋から出るテニュス。
扉が閉まる直前、一度だけスィーゼのほうを振り向いたが、彼女はじっと前を向いて無表情なままだった。
◇◇◇
数分後、入れ替わる形でドロセアが部屋に入る。
彼女は椅子に腰掛けると、丁寧に頭をさげた。
「はじめまして、スィーゼさん」
「はじめまして。だけどスィーゼはドロセアのことジンから聞かされたよ」
「テニュスをいじめるのに私の名前を使ったそうですね」
「ンー、第一印象は最悪だね。心も醜い、加えて姿まで醜いときた。この姿、びっくりしただろう?」
「確かに驚きました、壮絶な戦場だったんでしょう。ですが醜いとは思いません」
「まだ14歳だろう、気を使わなくていいんだ。スィーゼは今のスィーゼが醜いことを理解しているから」
先ほどのテニュスの会話から立ち直れていないのか、スィーゼは心がネガティブ側に振り切ってしまっているようだ。
自虐が止まらない。
「みんなが焼け焦げて原型すら残っていないのに、一人で浅ましく生き延びたスィーゼが美しいはずがない」
「命があればできることはありますよ」
「美しいものいいだね。たとえば何ができる?」
「ジンさんを敵から奪い返すとか。あとは仕返しでしょうか、大切な人を傷つけた組織なんかは潰しておきたいですね」
「はは、暴力的だね」
「魔物化した後遺症かもしれません」
「場を和ますには……ブラックすぎるジョークだと思うよ」
自虐には自虐を。
スィーゼのそれを上回る毒で、彼女を正気に引き戻すことに成功したドロセア。
「困った、ペースを乱されたな」
「後ろ向きな気分から立ち直れたなら何よりです。では本題に入りましょう」
「強引な子だ。わかったよ、何を聞きたい? 知りたいことがあって来たんだよね」
「必要なことはテニュスに話したと思うので、話していないことを教えてください」
「ジンがどう連れ去られたか、とかかな」
軽く首を傾げるドロセア。
確かに大事な部分ではあるが、なぜそれをテニュスに話さなかったのだろうか。
「連れ去られたのは間違いないんですね」
「死体が残っていなかったってことはそういうことなんだろうね。少なくとも敵の腕で腹部を貫かれたのは間違いないと思う、音だけでの判断になるけど」
「腕……手刀で人のお腹って貫通できるものなんですか?」
「ジンが言ってたけど、腕は魔物だったらしい。けどスィーゼが見たときは完全に少女の姿をしていたよ」
「変形したんですね」
ドロセアは自らの右腕に視線を落とす。
彼女も、やろうと思えば同じことができる。
ジンたちを襲った犯人は自分の同類なのだろうか――そんな予感が脳裏をよぎった。
「そして変形させられるのは自分の腕だけじゃないみたいだ」
「腕以外の部分も?」
「いいや、他人も」
「……ではジンさんは」
「あくまで覚えているのは音だけだよ。けれどあの肉をかき混ぜたような音……そしてジンの叫び声は、おそらく……」
「魔物化……してしまった」
ドロセアも聞けばわかるかも知れないが、音を残す方法など無い。
だが人の死が飛び交う戦場で幾度となく生き延びてきたスィーゼが言うのだ、“肉をかき混ぜた音”というのが、人を斬ったり、貫いたり、そういうときに出るものとは別種であるのは間違いないだろう。
「ああ、それともう一つ……少女はこんなことを言っていた」
そちらは本当に忘れていたらしく、ぽん、と手を叩いてスィーゼは言った。
「自分たちは進化した新人類で、旧き人類を淘汰する“簒奪者”。この世界の救世主だと」
ドロセアは目を細め、ぼやく。
「自分で救世主を名乗るなんて胡散臭いです」
「同感だよ」
スィーゼは肩をすくめて苦笑した。
◇◇◇
その後、すぐにドロセアたちはスィーゼの屋敷を発つことにした。
出発直前、スィーゼの父が二人に礼を告げた。
どうやら今日まで人とまともに喋ることすらなかったらしく、ネガティブに見えたあの姿さえもかなり立ち直った方らしい。
前へ進む馬車から屋敷を振り返ってみると、二階の窓に人影が見えた。
スィーゼだ。
見えていないはずなのに、出発に気づいたのは気配を察知したのか、はたまた音で気づいたのか。
「あいつは気持ち悪いぐらいねちっこいやつだ、どうせすぐに立ち直るだろ」
テニュスは嫌そうに言った。
内心では、ライバルの復活に期待しているに違いない。
しかし会話はあまり続かなかった。
互いに伝えられない秘密を、胸の中に秘めていたからだ。
◇◇◇
翌日、家に戻ってきた二人から、マヴェリカは話を聞いた。
テニュスは『騎士団を皆殺しにした犯人はリージェだ』と語る。
ドロセアは『ジンは魔物に変えられて連れ去られた』と語る。
「ジンといい、スィーゼといい、王牙騎士団はどうなってるんだい……? 私は魔術の専門家であって、心のケアの専門家じゃないんだ! 託されてもどうしようもないんだよぉぉ!」
二人が眠ったあと、酒を片手に愚痴るマヴェリカ。
せめて慰めてくれる人がいれば気も楽だったろうだが、預かっているのは未成年の子供。
サイオンは国王になってしまったし、ジンは知ってのとおりだ。
「スィーゼの元に行かせた私が悪いって言えばそのとおりだけど……だけどぉ。預かった子には幸せになってほしいっていつも願ってるのに、どうしてこうなっちまうんだろうねえ。サイオンやジンだってそうだ。政治だとか戦いだとかどうだっていいんだよ、子供の頃みたいに幸せに笑ってくれれば……それで……」
徐々に酔いが周り、マヴェリカの目が閉じていく。
「人間を不幸にしといて……何が世界の救世主だよ……エレインのバカ……」
潤む瞳を閉じれば、雫が一つ頬を流れる。
そのまま彼女は眠りに落ちた。
余談だが、翌朝マヴェリカが起きると肩にはドロセアのかけたブランケットが乗っていた。
それでもう一回泣きそうになったそうだ。
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