王寺叶汰という男。
突然だが私の新しい担任はえらい美形である。
短めの黒髪に、眼鏡の奥の甘いタレ目に泣きぼくろ。優しげな眼差しは光少なめで社会人特有の酸いを知った死んだ目、などとは言い過ぎではあるが、やや疲れた目をしている。やる気というものが感じられない風貌はしているが数日で分かるほどには生徒に優しい人間だと思っている。
えらい美形という段階で転校初日から予感はしていたが、自己紹介の際に初対面のはずの担任の名に私は聞き覚えがあった。
吉良雅臣。
「アタシの王子様」の登場人物である。
例によって詳しい内容は覚えていないので記憶していることはこのくらいだ。当て馬か正規の両思い相手のどちらかではある。
彼は常に女子生徒に囲まれている教師で、その顔立ちや女子人気から一部の男子生徒にやっかまれてる様子もあるが、普通に良い先生なので男女問わず慕われている。
そして私はこの女子生徒の群れの中心に今から特攻する。基本的に一日中生徒に囲まれているようだから、こうする他ないのだ。
「吉良先生。お話中すみません、少しいいですか?」
女子生徒の間をぬって先生に近づくと、「何この女」という視線が集中する。ガチ恋勢もいるんだろうな、恐ろしい。
「ああ、大丈夫だ。どうした?」
「一昨日の進路希望の件で、用紙に記入しましたので確認お願いします。」
「お前何か高校生って感じしねえな。同僚と話してる気分だ。」
だろうな。どうも薄い記憶の「前世」の私とやらが私に染み付いているようだ。
ペラっとした用紙1枚片手で受け取り、その場でさらっと確認する担任。後ろや横から「何それー?」と覗き込む生徒たちを手で制している。
「…うん、問題ないな。うちのクラスの面談は皆終わってるから後は清水だけだ。今日の放課後でいいか?」
「大丈夫です。」
「よし。HR後、そのまま教室に居てくれ。」
「わかりました。失礼します」
軽い会釈をしてその場を立ち去る。背後から「あの子やたら礼儀正しいね。」「固くて草。」なんて女子生徒の声がちらほら聞こえるが、「あれが普通なんだよ! お前らが馴れ馴れしすぎな。」と笑い混じりに嗜める低い声が混ざっていた。
女子高生は無敵である。私にもそんな時期があったのだろうか。現在進行形でそんな時期を体感しているはずなのに、どこか遠い昔に感じられる。
などと思い出そうが出すまいが特段不都合の無いことに思いを馳せていたらあっという間に放課後が来てしまった。開け放した窓から入る風が緑の香りを運んでくる。暑いわけでもなく、寒いわけでもなく、涼しい風に欠伸が出た。
「おら!面談やるから散った散った!」
放課後も囲まれていた吉良先生が半ば無理やり生徒たちを追い出す。何をするでもなく教室に居残っていた生徒たちもちらりと私に視線を送ると、慌てて教室の外へと出ていった。私も立ち上がるが、そこでいい、と吉良先生は私の前の席に近づき、背もたれを跨ぐようにして座った。近い。この美形でこの距離感、勘違いする生徒も居るのではないか。ファン半分、ガチ恋半分な生徒たちがいるのも納得できる。
そんな私の考えていることを知ってか知らずか、先生は私の記入した用紙を見ながら口を開いた。
「清水は進学希望でうちの大学部希望だな?」
「はい。ちょっと言い方悪いかもしれないんですけど、正直に言えば県内の大学ならどこでもっていう感じです。高校卒業したら一人暮らしする予定なので、父親が転勤になったとしてもここに残ろうかと。」
「いや、わかるわかる。あまりうちの県の大学知らないしどんな学部で勉強したいかもあまり定まってないんだろ? それにうちは県外からスポーツ推薦で来るやつも難関大目指して来るやつもいるから高等部から寮もあるしな。」
「恥ずかしい話、ふわっとしてます。」
「2年の前半なんだ。そんなもんだよ。まあ3年まで時間かけてゆっくり自分がどうなりたいか、どうしたいか考えていくといい。今みたいに強制的に面談を設けることもあるが、いつでも相談してくれ。進路以外でもな。」
ふ、と先生の口元が緩む。いいタイミングでその言葉を聞いた。
「あの、先生。桜ヶ丘は申請届出したらバイト可って友達から聞いたんですけれど、何か条件とかはあるんですか?」
「ああ、バイトしたいのか。基本的には学業優先だから、成績を維持し続けられるようであれば保護者の承諾を得て申請届を担任まで出してくればいい。小遣い稼ぎか?」
「それもありますが、長くバイトしてたらいずれ社員登用のお声がけがあるかなあと思いまして。まだバイト先は決まってないんですけどね。そうなったら進学がアレでも採用試験を受けてしまおうかと。声がかかるかはわかりませんが。」
へらりと笑ってみせると、お前なあ、と零しながら先生は嘆息した。
「案外ちゃっかりしてんのな。」
「選択肢は多い方が良いのではないかと思いましたので。」
「バイトするってことは部活は入らいないのか?」
「その予定です。中学の頃は手芸部だったんですけど、ここには無いみたいなので。無理に何かに入るよりはお金を稼ごうかと。」
冗談めかして笑ってみせると、吉良先生は苦笑しながら進路希望用紙をファイルに綴じた。数秒して、部活で思い出した、とまた私の方を向く。
「委員会はどうする? つっても生徒会やそれに携わる、というか王寺が関わる機会がある文化祭実行委員やら中央委員やらはめちゃくちゃ倍率高くて今残ってんのは美化委員と図書委員くらいだけど。」
「委員会は入りたいと思ってました。ところで王寺って何でしょうか?」
「うちの学年の王子様だよ。まだ見てないか?爽やか好青年で成績優秀、スポーツ万能。いつも女子に囲まれてるぞ。そいつが中央委員なんだ。ちなみにその委員会に所属してる奴らの立候補から毎年生徒会選挙を行う。」
女子に囲まれてるのは先生もでしょう、という言葉が出てきそうになるのを慌てて飲み込む。
十中八九登場人物の1人だろう。
しかしながら、そこまで煌めいている男子生徒は私のクラスには見当たらない。違うクラスだろうしその他で接するようなこともまず無さそうなので、接触する機会があったとしてもそれ以上にはならないだろう。関わることも無さそうだ。