王子によると私は悪役令嬢で、妃にはヒロインとやらをご所望らしい。
甘沢林檎先生の『短編10本ノック企画』参加作品2本目です。
※主人公以外が転生者です。異世界転生転移タグは転生者が主人公以外の場合は該当しないとのことです。
それは、通っている学園の渡り廊下を歩いているときだった。
「アリア!お前はまたマーガレットにくだらん嫌がらせをしているらしいな!」
唐突にかけられた棘のある声に、アリアはうんざりとした気持ちで振り向いた。
目の前には一組の男女。金髪碧眼の見目麗しい長身の男子生徒と、その彼の腕に巻き付くようにして寄り添う茶髪に茶色の瞳の小動物のような小柄な女子生徒だ。通う生徒のほとんどが貴族であるこの学園で、婚約者同士でもない男女の距離感としてはとてもじゃないがありえない。
男の方が険しい目でアリアを睨みつけ、糾弾の声を上げている。
「殿下、いい加減にしてくださいませ。私はそのようなことはいたしません」
「だが、お前は」
「そんなことをしても意味がありませんもの。殿下も良くおわかりでしょう?」
殿下、と呼ばれるこの男性。実はアリアの婚約者でもありこの国の第二王子、クライドである。
クライドはアリアの言葉に不快そうに表情を歪めた。
だが不快に思っているのはアリアの方だった。
(約束が、違うじゃない……)
そろそろ、潮時か。そんな風に思いながら、アリアは心の中でため息をついた。
◆◇◆◇
アリアとクライドが婚約したのは10年ほど前、2人がまだ8歳の頃。
「お初にお目にかかります、スター公爵家が娘、アリアです」
「初めまして、アリア嬢。第二王子のクライドです」
婚約が決まり、初めて顔を合わせた時のことだ。まだあどけない顔でにこりと笑ったクライドに、アリアは自分はとても運がいいと思ったのを覚えている。
(なんて素敵な王子様だろう?)
将来、自分はこの人の妃になるのだ。そう思うと素直に嬉しかったし、胸は高鳴った。
しかし、そんなときめきは長くは続かなかった。
「しばらく2人で過ごすといい」
そう言って両陛下や両親が退室し、メイド達が話の聞こえない距離に下がった瞬間。それまで優しくアリアを見つめていたクライドはその表情を一変させた。
「先に言っておく。お前が俺の妃になることはない」
「……は?」
アリアが公爵令嬢らしからぬ声を出してしまったのも無理はない。
「理由を、お聞かせいただいても?」
なんとかその言葉を絞り出したアリアに、渋りながらもやっと口を割ったクライドが語ったのは荒唐無稽な内容。
「お前は悪役令嬢だ」
「は?」
いわく、クライドは未来に起きる出来事をいくつか知っている。そしてその未来の中でアリアは「悪役令嬢」と呼ばれる存在で、いつか現れるクライドの最愛の人、「ヒロイン」とやらを見下し、虐げ、ついには犯罪に手を染めるのだとか……。
なんだそれ。どこの三文芝居のシナリオだ。
その時のアリアの心の声である。
だがしかしあまりにもクライドは真剣な様子で。
だから、アリアは提案したのだ。
「ならば、この婚約は取りやめにしていただきましょう」
「それはダメだ!」
「なんで!?」
つい砕けた口調が飛び出してしまったアリアは悪くないだろう。
そして、クライドの答えは最悪だった。
「別の、善良な令嬢をあてがわれてしまうだろう!それではその令嬢が不憫だ。俺と結婚できると期待し、夢を見てしまうのだから。罪もないのに可哀想じゃないか」
それでも自分は「ヒロイン」しか愛せない!
芝居がかった仕草でそんなことを宣うクライドにアリアは苛立った。
(私だって善良なつもりだし罪なんてないし、可哀想ですけど?)
アリアの気持ちなどつゆしらず、クライドは失礼な上にしつこかった。
「婚約はするが、絶対に勘違いするな」
「俺の愛を万が一にも得られるとは思うな」
「絶対に俺とマーガレットの愛の邪魔をするんじゃないぞ」
「マーガレットを虐げるなどもってのほかだ」
「いいか、これは俺からお前への慈悲だ。知っていてむざむざお前を破滅させるのも忍びないからな」
何が慈悲だ。ヒロイン・マーガレットなど知ったこっちゃない。
そう思うも、クライドがこの婚約を受け入れる限り、アリアから拒否などできようもない。まだこの腹立たしい言動を両親の前で見せてくれればどうにかしてくれたかもしれないが、あいにくクライドはアリア以外の前でアリアに対してとても優しく紳士的だったし、きっとこれからも人前では猫をかぶるに違いない。
アリアは考えた。どうせ逃げられないのならば、この婚約の中に自分にとっての利点を見つけてやろう。
「そこまでおっしゃるならば、契約書を作りましょう」
「契約書だと?」
「ええ。私は絶対に殿下とヒロインとやらの愛を邪魔しない。仮の婚約者になる条件として、殿下は私に不利益になるような方法では婚約解消を行わない。そしていずれきたる婚約解消はお互い合意の上で決めたものだと今すぐに書面に残すのです」
「……なるほど」
一瞬虚をつかれたような顔をしたクライドは、悪くない考えだと思ったのか神妙に頷いた。
「それから、あまりに私に利点がない仮婚約ですので、1つ条件をつけさせていただきたいのです」
クライドの荒唐無稽な「未来」の話によると、アリアは悪役として活躍する中で類稀なる魔法の素養を発揮し、それを犯罪に使うと言うことだった。
なんだそれ、と腹は立つが、魔法の素養が本当にあるならば喜ばしいことである。どうせなら伸ばしたい。どうせならば、特別な魔法も……。
アリアが願ったのは、婚約者として王宮書庫の本を自由に閲覧する権利だった。
それから10年。アリアとクライドは人前では仲睦まじい婚約者同士であり続けた。2人になると不遜な物言いも多いクライドだったが、「未来」についての警戒心が強いだけで何も悪い人間ではなく、アリアとクライドはいい友人として関係を築いていた。
だから1年前、クライドが語った「未来」の通りにマーガレットという女子生徒が学園に転入してきた時、アリアは驚きながらも心から祝福した。
そして、クライドがマーガレットと仲を深めている傍らで、婚約者でいる今のうちに、と一層王宮書庫に入り浸るようになった。婚約者としての交流にあてるはずの分の時間までクライドはマーガレットと過ごし、アリアは自分の時間を大事にした。
(あの2人が無事婚約することになったら、私は魔術師になるのもいいかも)
アリアは「未来」を聞けたことに感謝していた。知らずにいれば自分が道を踏み外したかもしれない、と考えてもピンとはこないけれど、小さな頃から王宮書庫で魔術書を読み漁り、自分の中に才能を感じていた。「未来」を知らなければこれほど熱心に魔法を学ぶこともなく、魔術師になる将来など考えもしなかったに違いない。
そうして2人の仮婚約は非常に上手くいっていたのだ。
それなのに、クライドは変わってしまった。
最初は王宮書庫からの帰り、逢瀬を楽しむクライドとマーガレットの姿を見た時だ。たまたま目が合ったクライドは、まるで邪魔するなと言わんばかりの目でアリアを睨みつけた。アリアは返事の代わりに軽く頷き、すぐにその場を後にした。
そうしていつだって釘を刺すような態度のクライドの邪魔をしたことなど、1度だってなかったのに。
クライドはここにきてあれほど嫌がっていた「未来」の通りになるのを望むかのように、ありもしないアリアの非道な行為を糾弾するようになった。仮とはいえアリアとの婚約が結ばれたままの今、非常識ともいえるレベルで学園のあちこちでべたべたとイチャつくクライドとマーガレットの姿が目撃されている。
契約書に書かれた約束を、アリアは守っているのに。
まさかクライドがこんな風に約束を破るような真似をするなど……。
最近ではアリアの周囲でクライドやマーガレットを非難する声が大きくなってきている。このままではまずい。
アリアは10年前に交わした契約書を手に、王への謁見のために王城へ向かうことにした。
◆◇◆◇
(なんだ、これは……!)
クライドは、混乱の中にいた。
体の自由が効かない。意識はあるのに、ずっと何かに絡めとられているかのように、じわじわと主導権が奪われていく。もはや自分がなすことのどこにも、自分の意思など存在していない。
「マーガレット、今日も君は愛らしい」
「ああっ、クライド、嬉しい……」
ヒロインであるマーガレットが頬を赤らめ、自分の胸にしなだれかかってくる。クライドは彼女の髪を指ですくように撫でて、愛しさを隠しもせずに抱きしめる。
周りが、遠巻きにそんな自分達を冷めた目で見ているのが分かる。
(やめてくれ!!)
王族として十分な教育を受け、意識もプライドも高いクライドにとってこの状況は辱め以外の何でもなかった。
「アリア!お前はまたマーガレットにくだらん嫌がらせをしているらしいな!」
言いたくもないセリフが、また口をついて出てくる。こんなことが言いたいわけではない。アリアが嫌がらせなどしないとクライドが誰よりもわかっている。
クライドがアリアに向かって叫んでいるのはただひとつだけ。
(アリア……!助けてくれ!!)
クライドには、別の世界で別の人間として生きた記憶があった。その世界のクライドが生きた国は貴族も王族も存在せず、全員が平民という今では考えられないような場所だった。
そこで、クライドは今世の自分や自分を取り巻く人間の「未来」を知ることになったのだ。
クライドは前世でもその中に描かれたマーガレットに好意を抱き、彼女と結ばれるクライドの姿を羨んだ。そして、純真無垢で可憐なマーガレットを手にかけようとする悪役令嬢を憎々しく思った。
そんな記憶を思い出したクライドは、自分が恋焦がれたマーガレットと結ばれる将来に胸をときめかせ、彼女を傷つけ悲しませる相手、悪役令嬢のアリアの好きにはさせないと誓った。
だが、実際はどうだろうか。
牽制のため、何とも傲慢で酷いことを言っている自覚はあったのに、アリアは怒りも取り乱しもせず、冷静な態度で契約書を交わそうと提案してきた。
仮の婚約者として過ごす中で、アリアの人となりを知った。友人として仲を深め、気安い関係になり、クライドは徐々にアリアに対して心を許していく。
愛情を育まなければいけないというプレッシャーがなかったのも良かったかもしれないが、アリアはクライドの前では公爵令嬢や王子の婚約者ではなくただのアリアとしての姿を見せてくれた。
そこには「未来」の中には描かれなかった無邪気さや明るさがあった。
互いに成長し、茶会や夜会で婚約者としてエスコートする機会が増えると、改めて感じるその洗練された美しさに息を呑むこともあった。
(いやいや、何を考えているんだ。俺にはマーガレットが……)
学園に転入してきたマーガレットは、記憶にある通り愛らしく、可憐な男爵令嬢で。
ただ、それだけだった。
本来クライドが好ましく感じていた、貴族にあるまじき距離の近さや気安さ、たどたどしくも微笑ましい未完成のマナーやその中に見え隠れする無邪気さ、誰もが遠慮する王子の自分に対しても物おじせず「もっと肩の力を抜いていい」「あなたは頑張ってる」「誰にだって自由に生きる権利がある」そんな甘言。太陽のようにくるくる変わる表情。楽しそうに声をあげて子供のように笑うその姿。
その全てに、クライドが魅力を感じることはなかった。王族であるクライドが、新鮮に感じ刺激的な存在として愛してやまないはずのヒロイン、マーガレット。
マーガレットはクライドが知るヒロインの姿そのものだった。何も違わない。たしかに自分が好意を抱くはずの彼女である。
ならば、なぜ実際にはクライドの目に魅力的に映らなかったのか。
簡単なことだった。皮肉にもクライドは前世でその全てを当たり前としていたのだ。今更その姿に新鮮さなど感じるわけもない。
おまけに前世の感覚を持ったまま王族として教育を受けさまざまなことを身につけたクライドからすれば、男爵令嬢とはいえマナーが足りず、勉強不足の甘えた令嬢にしか見えなかった。
そしてそんなマーガレットと接するたびによぎるのはいつも努力を怠らず、貴族として完璧に振る舞う美しい婚約者のこと。
クライドは認めた。自分は間違っていた。
だから、マーガレットに謝ろうと思ったのだ。
まだ多少言葉を交わすようになった程度の距離感ではあったが、自分が近づいたことによりマーガレットが期待しているのは明らかだったから。
(今まで、期待させてしまってすまない。今後は君とも節度ある距離での付き合いを望む。……私は婚約者を愛しているから)
そう、クライドはマーガレットと出会ったことによって、ついに自分の中に芽生えた恋心も自覚していた。
あれほどヒロインを妃にすると豪語し、契約書まで書かせたのだ。クライドがアリアの心を得るのは大変だろう。これから頑張らなくては。
そう思っていたのに。
「今まで、待たせてしまってすまない。今後は君には俺の最愛の恋人としてそばにいて欲しい。……君だけを愛しているから」
クライドは突然自分の口から飛び出したそのセリフに愕然とした。
そしてそれからのクライドに自由など全くなかった。まるで、操られるかのようにマーガレットだけを見つめ、マーガレットに愛を囁く日々。
アリアに偶然会った時には、心の中で必死で訴えた。
(助けてくれ!!)
しかし自由の効かない体でそれは嫌悪混じりの視線にしかならない。
睨みつけるしかないクライドに、心得ているとでも言うように頷きすぐに立ち去るアリア。
(俺が……俺がバカだったんだ。アリアに酷い態度ばかり取り、初対面で出会ってもいないマーガレットを妃にするなどと嘯いて……)
もはや絶望しかない。
事態はさらに悪化し、アリアの姿を見るたびに罵倒してしまう。ため息混じりにクライドを諭すアリア。さぞ自分を軽蔑していることだろう。
そしてついにその日はやってきた。
王に呼ばれ、謁見の間に入る。そこにはたくさんの大臣や主要貴族が待っていた。
「クライドッ!」
普通ならばこの場にいられないはずのマーガレットもいて、大声で自分を呼び勢いよく抱きついてくる。目上のものばかりの場で考えられないその態度に、あちこちから非難のざわめきが聞こえた。
そして、アリアもいた。
その手に持っているものには見覚えがあった。
……10年前に2人で作った契約書だ。
(もう、全て終わりだ)
絶望と諦めでクラクラしながら、クライドはアリアを見る。
目があったアリアは、静かに口を開いた。
◆◇◆◇
謁見の間に立つアリアは決意を固めていた。
この日のための契約書だ。
(まさか、約束が破られこんな風にたくさんの貴族たちの前でお披露目することになるとは思わなかったけれど)
本来であれば、この契約書を王に見せ、なんとか穏便に婚約を解消するつもりだった。
難しくとも、できると思っていた。強い政略結婚は必要がない程国は安定しているし、どうせならばアリアの家と王家の結びつきを強くするか、と結ばれたこの婚約。アリアが魔術師にでもなって王家に忠誠を誓えば問題はないはずだった。
だけどもう、そうも言っていられない。
謁見を申し出た時点では、まさかこれほどの人数が集められてしまうなど思いもしなかったけれど、それはもうアリアにはどうしようもないことだった。
王への挨拶を済ませ、寄り添いあうクライドとマーガレットをチラと横目で確認する。そして、そのまま契約書を王の元へ。
「私とクライド第二王子殿下との婚約を、この契約書の元に白紙に戻していただけませんでしょうか」
周りが俄かに騒めく中、王が受け取った契約書を確認していく。
「たしかに、契約を確認した。そもそも婚約解消はあらかじめアリア嬢から説明とともに打診されていた。……クライドとも合意の上ならばその申し出を受け入れる」
しん、と騒めきが一瞬で消え、あたりが静まり返る。
「アリア嬢と第二王子クライドの婚約を白紙に戻す」
王の言葉で、マーガレットがきゃあ、と喜びの歓声を上げた。次々と他の貴族たちからもざわめきやため息が聞こえる。
クライドは、笑顔でマーガレットを抱きとめているが、その顔が蒼白なことに気づいた者は果たしていただろうか。
アリアが、クライドとマーガレットにゆっくりと近づき、声をかけた。
「これで、あとはあなたたちが婚約をするだけです。私と殿下の婚約白紙を掲げて、お2人を祝福させていただいてもよろしいですか?」
「アリア様っ!ありがとうございます〜!」
アリアの申し出に、マーガレットは大喜びで飛び跳ねる。これまで何度もアリアに嫌がらせをされたと訴えてきた姿とは大違いだった。
「では、祝福を」
アリアが手を上に向かって翳すと、キラキラとまるで夜空にかける流星群のような光が謁見の間に降り注いだ。
あまりに幻想的なその光景に、集まっていた貴族や大臣は皆感嘆の声をあげ、もしくは言葉を失い息を呑んだ。
光はクライドとマーガレットを特に明るく包み込み、その美しさと華やかさにマーガレットはますます子供のように笑いはしゃいだ。
クライドの様子が明らかに変わったのは、その光がゆっくりと消え始めた頃だった。
「どうして……」
立ちすくみ、呆然と呟くクライドに、アリアは微笑みかける。
「おかえりなさい」
そんな2人の様子を見つめ、王は何か納得したように頷き、そばにいた側近に何かを耳打ちした。
「クライド殿下、意識ははっきりしていますか?」
「ああ……君が解いてくれたのか?……まさか、さっきの光が」
「はい、解呪の魔法です。殿下はおそらく、魅了にかけられた状態だったのかと」
「魅了……だが、なぜ分かった?」
アリアは2人の時にしか見せない、得意げな顔で笑った。
「伊達に10年付き合ってきてませんから。殿下は出会った時から不遜で嫌な物言いも多かったですが、約束を破るような方ではありません」
アリアはクライドが変わってしまってから、ずっと考えていた。
契約書に書かれた約束を、アリアは守っているのに。
まさかクライドがこんな風に約束を破るような真似をするなど……。
絶対に、おかしい。
2人の逢瀬を目撃する度に、まるで邪魔をするなと言わんばかりに睨みつけられていたことにしてもそうだ。アリアの知るクライドならば、むしろ自慢するように得意げな顔で不遜な笑みのひとつでも浮かべて見せるだろう。
それに、本当に邪魔をするなと思っているならばさっさと契約書を王に提出し、婚約など解消すれば済む話なのだ。マーガレットを虐めているとありもしない罪を糾弾することもそう。初対面でアリアに期待するなと言い放ったクライドが、そんな回りくどいことをするなど考えられない。
きっとあの目には何か意味がある。だから、アリアはその度に頷いた。分かっている。そんな意味を込めて。
それから王宮書庫に入り浸り、あらゆる可能性を探るために本を読み漁った。
そしてついに該当しそうな魅了の魔法と、その解呪の魔法を見つけたのだ。
「アリア……俺を信じてくれて、ありがとう」
クライドはあまりの感激に打ち震えた。目を潤ませ、腕を広げながらアリアに近づこうとして。
しかし、その手がアリアに届く前に彼女は満面の笑みで告げたのだ。
「さて殿下。魔法は解けましたわ。やはり愛の告白はそのままのあなたでするべきですものね。あれほどマーガレット様との婚約を願っていらしたんですもの。これで憂いはなくなりました。さあ!ロマンチックな愛の告白を!今こそ夢がかなうときです!」
「ち、」
「ち?」
「違う!!!!」
クライドが顔を真っ赤にして叫んだのと、マーガレットがショックでその場にへたりこんだのはほぼ同時だった。
「そんな、どうして……」
クライドは王の命令で近くまできていた衛兵に目配せする。
「マーガレット、すまない……君への償いはする。だが私は君を愛することはできない」
魅了の魔法はただでさえ禁術。王族に使用したマーガレットは間違いなく重罪である。
だが、マーガレットが意識してその魔法を使用していたのかはまだはっきりしていない。これから調べが進み、それにより罪の重さも変わるだろう。
それに、クライドは最初の自分の態度が彼女にわずかでも期待を抱かせたのではないかと責任を感じてもいた。
純粋無垢で、夢見がちな、ヒロイン──。
そうしてマーガレットは、数人の衛兵に取り囲まれ連行されていった。
この事態に誰よりも混乱したのはアリアである。
「では、婚約の白紙はどうする?」
「なかったことに」
王とクライドのそんなやり取りも硬直したまま聞く羽目になった。
(どういうこと?クライド殿下はヒロインとの結婚を望んでいたんじゃなかったの?)
戸惑うアリアにクライドが向き直り、一歩、一歩と近づき。
そして、アリアの目の前に跪いた。
「殿下!?」
「アリア、聞いてくれ。何をいまさらと思うかもしれない。虫がいいこともわかっている。だが俺はこの10年で君に恋をしてしまったみたいだ。もう1度、俺と婚約をしてくれないか。……今度は、仮などではなく」
なんだこれは。まるで愛の告白ではないか。
現実を到底受け入れられないアリアは、王や他の貴族たちの目の前であることも忘れて、慌てて叫んだ。
「こ、こっちにも人生設計があるのよ!急にそんなこと言われても困るわ!」
そして瞬時に踵を返し、退出の挨拶も忘れて謁見の間を飛び出した。
「追わなくていいのか?」
揶揄うような王の言葉に、クライドは決意の目で頷いた。
「これまで多くの間違いを犯してきました。長期戦は覚悟しています」
(信じられない……!どういうことなの……!)
混乱のままに、アリアは王宮内の廊下を慌てて駆けていく。今日だけはそんなアリアを誰も咎めはしないだろう。
その目が潤み、顔だけと言わず首まで真っ赤に染め上げている意味に、気づいた者は果たしていただろうか。