第6話 見舞い、そして決意
「――それじゃ、今後どう行動するかを決めようか」
現在、午前8時ジャスト。場所は学校の廊下。集まっているメンバーは、志具とななせ、それに菜乃の三人だ。
三人が集まっているのはほかでもない。先程ななせが言ったように、これからの方針を決めるためだ。
それなら教室内でもいいじゃないか、とい意見があってごもっともだが、それは志具が嫌がった。……というのも、クラス内にいればクラスメイトたちの好奇心の視線が突き刺さるためだ。転校生二人と仲よくするのは、それなりに衆目の的となるらしい。……まあ、原因の半分以上はななせがつくり上げたものなのだが。
それに、マリアのことも理由のひとつだ。ここ最近――ななせたちが来てから、マリアは今までにないくらい自分にスキンシップをはかろうとしてくるのを、志具は感知していた。教室内でななせたちと話し合っていれば、高確率でマリアも話に入ってくるだろう。そうなるのは避けたかった。
そのため志具たちは今、人目があまりつかず、人もよらない場所を見つけて、こうして話し合おうとしているのだ。念のため、菜乃に誰か近くに来たら知らせるように、ガードをつけて。
「話すも何も、今は辻斬り事件の件の解決が先だろう」
と、志具。
とはいえ、
「まあ、それはわかっているんだけど、犯人の目星がついていないというのが現状なんだよなぁ……」
と言って、ななせは後頭部に手を組む。お手上げだ、と言わんばかりの態度だった。
「魔術で人探しの術とかないのか?」
「あるにはあるけど、今回は使えないぞ。人探しの術には、その人の手がかりとなるような私物が必要なんだ。犯人が誰かわかっていない上に犯人となる手掛かりとなる物も見つかっていない今じゃ、使おうにも使えないんだ」
なるほど。魔術も万能というわけにはいかないようだ。
「相手もなかなか用心深い性格のようでな。『村正』の影打をほかの人に持たせて、自分は表には出ないようにしているみたいだ」
要は影武者に活動してもらって、本丸はその陰に隠れてこそこそとしている、というわけか。
志具はそう解釈する。
「……なぁ。『村正』の影打を所持しているのが全員元被害者というのは、何か関係があるのか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって君、私を襲った男の傷跡を探していたではないか。あれは『村正』による傷を探していたのではないのか?」
志具が指摘すると、ななせは目を丸くさせ、
「へぇ~。けっこう観察してるんだな、お前」
感心感心とばかりにななせは言った。その様子だと、どうやら図星のようだ。
するとななせは、『村正』のことについて、話し始める。
「お前の言ったとおり、あのときあたしが探していたのは、『村正』によってできた傷を探していたんだ。『村正』の能力のひとつに、『村正』に斬られた人間は、真打の所持者に自由に操られてしまうというのがあるもんでな」
「吸血鬼みたいだな」
吸血鬼の話のひとつに、「吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になり、従者となる」というものがあるのを、志具は思い出した。
ななせは、ああ、と頷きを返し、
「それだけじゃない。『村正』の影打は魔力によって複製できるようなんだ。ただ、魔力で創った『村正』の影打は、ある程度のダメージを受けたり、使用者の意識がなくなったりすると消えるようになっているんだ」
昨日、自分に襲ってきた男が持っていた刀も、志具が『グラム』で叩き折り、男の意識をなくしてやると消えたのを、志具は思い出す。
なるほど、と志具は納得し、
「そうやって証拠となる凶器を消せば、真犯人を追うための手がかりもなくなるわけか……」
そうだ、とななせは肯定する。
なるほど。どおりで真犯人が見つからないわけだ。真犯人は自分で増やした子分に任せて、表にまったく出てこないようなシステムを作り上げているのだから。
だとすると、
「八方ふさがりではないか……」
現在置かれている現状を知り、そんな言葉がついとばかりに口から出す志具。
ななせとしても、その言葉に返す言葉が見つからないようで、「まったくだ」と同意する始末だ。
どうにかしてこちらから攻める方法はないものか……。
志具は思考を巡らせる。真犯人を表に出させるための具体的な方法を探すために。
如何せん、向こうの思惑がよくわからない。
思惑のひとつに「真道志具を抹殺する」というのがあるのだろうが、単にそれだけならば、本丸が直々に志具のもとに来る必要はない。『村正』でつくった子分を当たらせればいいだけの話なのだから。
なにせ志具は魔術的な技能や知識はほとんどない。『グラム』が使えるというアドバンテージは高いかもしれないが、志具には『グラム』の能力を、具体的にはまだ知らないのだ。ななせたちに昨日聞いたが、如何せん『グラム』に触れることができなかったため、能力の解析がまったく行われていなかったのだ。そのため、『グラム』に頼り切るというような真似はしないほうがよかった。
それに、昨日の件で相手が『グラム』の存在に気づいている可能性もある。対策は前述した理由でされていないかもしれないが、向こうにやたらと『グラム』を見せびらかせるのはあまりよくないだろう。
なんとかして相手を表舞台に引きずり出すことはできないだろうか。
志具はその方法をあれこれと考えていると……、
「……なぁ、万条院。私が昨日襲われたのは、偶然だったのだろうか」
ひとつ、気になる点を発見した志具は、ふとそんな言葉を口にしていた。
「……? どういう意味だ?」
「いや……私もうまくは言えないんだが……。向こうが私のことを知っていて、今ではないと私を始末できないと判断を急いだということは考えられないだろうか?」
「今でないと始末できないって、どういう…………あっ」
志具の考えていることが読めたのか、ななせはハッとした表情になる。
「――要は、魔術師であるあたしがやってきて、お前を護衛していると向こうに気づかれたんじゃないかってことか?」
ああ、と志具は肯定。
相手は志具がひとりのところを狙ってきていた。それはもしかすると、ななせがいなかったから先手を打ってきたのではないか。――そんな思いが志具の中に浮かんでいた。
ななせは顎に手を添え、
「なるほど。そう考えると、ある程度は絞り込めそうだな。あたしと志具が何らかの関係をもっていると知っているのは、あたしらのクラスメイトと教師くらいだ」
「その中に事件の真犯人が?」
「まだわからないがな。でも可能性としては十分にあり得ることだ」
ななせとしても、できればそんなことは考えたくないのだろう。言葉のニュアンスにそういったものが含まれていた。
志具だってそうだ。彼だって、好き好んでクラスメイトのことを疑いたくはない。だけど、そう考えざるを得ないのだ、今は。
と、そのとき、校内に朝のホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。
「志具。話はまた今度」
「わかった」
志具は頷くと、ななせたちと一緒に、自分たちのクラスに戻ることにした。
――◆――◆――
昼休み。
いつものように志具たちが校舎の屋上に行くと、
「あっ、先輩さーん! こっちですよー!」
案の定、なずながいつもの場所で志具たちに手を振っていた。いつも通り、志具たちはなずなが確保していた場所で円になって床に座る。風で冷えた床の冷たさが尻に響いた。
ちなみにマリアは今日学校を休んでいるため、ここにはこない。教師が言うには風邪ということらしい。見舞いに行くべきか志具は悩んだが、実のところマリアの家は、庶民な志具には近づきがたいものがあるので、あまり行きたくないというのが本音だ。
「そーいえば、今日幼馴染みさんは来ないんですか~?」
「ああ。風邪で休んでいるからな」
「ふ~ん……。お見舞いとか行かないんですか?」
それは……、と志具は口ごもる。
その反応を否定と受け取ったなずなは、
「駄目ですよ、先輩さん。せっかくの幼馴染み、フラグが立てば朝は家まで迎えに来てくれておはようのキス、昼のお弁当まで準備してくれて一緒に登下校してくれるというのに、大切にしませんと」
「どこのゲームの世界だ、それ。あとフラグって何のことだ」
志具がそう淡々となずなの話を受け流していると、なずなは半眼で志具のことを見つけ、
「……先輩さんって、すごく鈍いですね」
「ああ。こいつの鈍さはカメにも勝るからな」
ななせがなずなと一緒に、志具のことを攻撃する。その様子を一歩引いたところで菜乃が微笑んでいた。
志具はこの手の話題には疎い上に興味がない上、この二人の話にはあまり介入しないほうがいいということを、ここ数日で学びとっていたので、スル―を決め込む。
「でも、そうなると許婚さんも大変ですね」
「まったくさ。朝のおはようのキスをしようと部屋に忍び込んだらすでに起きているし、一緒に風呂に入ろうと目論んだらいち早く風呂から上がっているし……。ギャルゲーのヒロインだったらフラグがベッキベキに折れているぞ」
「ホントですよねー。……ちなみにキスって、どんな感じのものをするつもりなんですか?」
「無論。大人の熱いベーゼさ」
「うわあぁ~。お、大人の付き合いってやつですね、それって」
「その通り。ここから先は、中学生の君には少々刺激が強すぎるシチュエーションとか――」
「きゃああぁぁぁぁ! す、スケベすぎますよ~、先輩さ~ん!」
「なんでそこで私になるんだ!」
理不尽な指摘に、志具は思わず口をはさんだ。
だがそれでも話は続く。
「でも志具って、けっこうムッツリスケベなところがあるような気がするんだよ、あたしは。頭の中であたしや菜乃、マリアやお前を使って色々と現実では果たせないシチュエーションを考えているんだろうぜ」
「せ、先輩さん……。そんな妄想癖が……」
「私はそんなこと言ってない!」
「先輩さんって……淫獣なんですね」
「なぜそういう結論に達するんだ!」
「ムッツリスケベで淫獣……。これほど人に引かれるワードを自分ひとりで孕んでいるとは……。許婚のあたしがいてよかったな♪ 志具」
「君たちが勝手に膨らませた妄想だろう! 私は一言たりともそんなことをカミングアウトしたことはない!」
「さあ、わからないぞ~。お前のようなマジメっ子ほど、裏ではけっこうおさかんであることが多いからな」
キシシ……、と八重歯を覗かせて笑みを見せるななせ。
完全におもちゃにされていると志具はわかってはいたが、それでもついつい挑発に乗ってしまう。普段はそんなことがあまりないため、志具自身としても不思議だった。
だけど、このまま放置していては危険だということも事実。
ななせとなずな、このペアによる攻撃ならぬ口撃は、志具の精神を摩耗させていく。そしてなにより、なずなの教育によろしくない。この辺りで話の火を鎮火させなければますます炎上し、自分ひとりの力では抑えきれなくなるだろう。菜乃はななせの味方である以上、鎮火作業に協力してくれないだろうし、唯一自分の味方をしてくれるマリアは、今日風邪で欠席していてここにはいない。よって、志具ひとりで話を鎮めなければならなかった。
あれこれと考えている間にも、ななせとなずなの話はますます盛り上がっていた。話の内容としては……それはもう口に出すことさえはばかられるような猥談トークの数々。それをななせがなずなに言い聞かせているような状況だ。
一刻も早く、話を打ち切らせなければ……、と志具は思うものの、どう話に割り込もうものか悩んだ。もともと志具は口下手なので、こういったことは苦手なのだ。下手に話に割り込んで、二人の話のネタになるような真似は慎みたい。
さてどうするか……、と思案に暮れていると、ふと菜乃と目が合った。目が合うや否や菜乃はウインクをこちらに返す。何かしらのアイコンタクトらしいが、彼女の考えがよくわからない。
首を傾げていると菜乃は口をパクパクと動かした。唇の動きから判断するに「助けてあげましょうか?」と言っている…………ような気がした。単に志具の「こうだったらいいな」という考えがそう解釈させているだけかもしれないが。
なにはともあれ、藁にもすがる思いで志具は両手を合わせて小さく頭を下げ「よろしく頼む」と返事をする。すると菜乃がにっこりと春の陽気のような微笑みを返した。「了解しました」という返事の代わりなのだろう。
正直、菜乃が味方になってくれるとは表思っていなかった志具としては思わぬ助け船のわけであり、彼女の働きに期待したいところだった。
菜乃はななせの肩を軽くぽんぽんと叩いた。
「ななせ様」
「なんだ、菜乃。せっかくいい話をしてるところなのに……」
「そうですよー。せっかく今、お風呂いっぱいにタコを放って許婚さんをえっと……しょくしゅぷれいというものをして、それを傍目から先輩さんが見て愉しんでいるという話をしてたのに……」
そんなマニアックなことした覚えはない! とツッコミを入れたい思いに駆られたが、ここはひたすら我慢だ。ここ数日で鍛え上げられた忍耐を、今ここで発揮すべきだ。
あらぶる心を鎮め、志具は菜乃の援護を期待し、静観する。
「愉しんでいるところ悪いですけど、そういう話は殿方がいないところでしたほうがいいですよ。今は真昼間の快晴の下、そういった猥談は控えたほうがよろしいかと。――ほら。志具様をご覧ください」
菜乃の言葉により、視線が志具に集中する。
なんだ? と首を傾げていると、
「女学生の猥談の様子を見て、志具様が興奮なさっています。表面上はクールを気取っていますが、夜中皆さんが寝静まったとき、今回のことをネタにして深夜のオカズにするおつもりなのですよ」
「そんなこと考えていない!」
失敗した。菜乃はやはり、ななせの手下だった。少しでも信じた私が馬鹿だったのだ。
後悔に駆られる志具。そんな彼に、ななせは憐憫に満ちた眼を向け、
「そうか……。志具、お前は変態だって出会ったときからわかっていたが、ここまでとはな……」
「先輩さん……。不潔です。不潔すぎますよ!」
なずなは幻滅したとばかりに顔を志具から背け、顔を両手で覆う。
だが、それらはすべて、志具をからかうためのポーズでしかない。
そのことを理解したとき、志具は顔を俯かせ、わなわなと身体を震わせる。
「………………いい加減、怒っていいか?」
そして発せられる一言。夜の闇よりもずっと深く暗い、声色。
場の空気が一瞬にして凍りついた。絶対零度ですら生ぬるいと感じるほどに。
「…………志具。その…………ごめん」
思わずななせが謝ってしまうほど、今の志具には有無を言わせぬ迫力があった。これから怒り狂って暴れられたほうがまだマシだと言えよう。
菜乃は目を丸くさせ、なずなは未知の恐怖に身体をカタカタと震わせ、ななせの後ろに移動していた。
その後、午後からの授業開始のチャイムが鳴るまで、志具が無言でパクパクと弁当を食する音だけが屋上に響くのだった。
――◆――◆――
放課後になると、志具の気持ちも落ち着いていた。
ななせや菜乃も、それを志具のまとっている雰囲気からそれを察し、彼に接する。ただし、まだ怒りの種が残っていないとも限らないため、いつもよりは少し抑えての接し方をすることに決めていた。
志具は荷物をカバンにしまうと、教室を出、下駄箱まで向かう。ななせと菜乃も、その後に続いた。
「なぁ、志具。どこ行くつもりだ?」
「よくわかったな。私がまっすぐ家路につかないこと」
下駄箱で靴を履き換えながら、志具は言うと、
「雰囲気でわかるさ。なにせあたしは、お前の許嫁なんだからな」
あっけらかんと、そう言ってのける。
「許婚って……。それは私に近づくための嘘ではないのか?」
「そ、それはそうだけど……」
「ならそう言った発言はするな。周囲の人に誤解を与えるからな」
トントンと靴のつま先を床に何度か叩き、しっかりと靴を履く志具。
ななせは、「はいはい、わかりました~」と投げやりな口調で返事をして見せた。
その後志具は学校を出ると、いつも通りの道を突き進む。寄り道すると言った割にはいつもと変わらない道を行くので、ななせは志具に訊く。
「どこに行くつもりだ?」
「マリアの屋敷だ」
「マリアの? 見舞いにはいかないじゃなかったのか?」
「初めはな。――だが、やっぱり気になってな」
ふ~ん、とななせは不敵な笑みを浮かべて、志具を見つめる。
そのことに気づき、志具は「なんだ?」と尋ねると、
「……いや。ずいぶんと気になってるんだなって思っただけさ」
「幼馴染みだからな。気になるさ」
「本当にそれだけなのかね~」
「どういう意味だ?」
ななせの考えていることがいまいちわからない志具。そんな彼に、ななせは「別に~」と答えを提示しようとはしなかった。
気になるものの、どうせくだらないことだろうと踏んだ志具は、それ以上追及しようとはしなかった。
そうこうしているうちに住宅地までやってきた。ここまでいつもと変わらない道をたどってきたわけだが、とあるわかれ道――志具とマリアがいつもわかれる場所で、志具はいつもとは違う道――マリアが通う道を選んだ。
その道を進んでいた道中、
「――あっ、先輩さん! こんにちはで~す」
正面から後輩のなずなが現れ、志具たちに向かってきた。
「なずな? どうしてここに?」
「どうしてここにって言われても、ボクの家がこの近くにあるからですけど?」
ごもっともな意見だった。見ればなずなは、一度家に帰ったのか、私服姿だった。可愛らしいバッグを肩から提げているあたり、これからどこかに出かけるつもりなのだろう。
「先輩さんたちは、家に帰るところですか?」
「いや。その前にマリアの家にお見舞いに行こうとしているところだ」
志具の言葉を聞くや否や、なずなはにやりと笑みを浮かべ、「ほうほう……」となにかを納得した様子。
「なるほどなるほど~。先輩さん、ここでフラグを折っちゃ将来の嫁候補が少なくなってしまうと思って、慌てて見舞いに行くつもりなんですね?」
なずなのそんな発言に、志具は溜息。どうやらこの後輩、徐々にななせに毒されつつあるようだ、と悟った瞬間だった。
「違うぞ。幼馴染みで親友だからだ」
「な~んだ。つまらないですね」
心底つまらないとばかりに、がっくしと肩を落とすなずな。
だが、すぐに元に戻ると、
「それじゃあ、ボクも一緒に行っちゃいけないでしょうか? いつも幼馴染みさんにはお世話になってるし、そのお礼も兼ねて。……駄目、ですか?」
懇願の眼差しを志具に向けるなずな。キラキラとした純粋な眼に、志具はうろたえながらも、
「別に私はかまわないが……いいのか? 君、これからどこかに出かけるつもりなのだろう?」
「いいんですいいんです。どうせコンビニで、夕食の弁当を買いに行こうとしてただけですから」
特に問題ない、といった調子のなずな。
本人がそう言っているのだから、大丈夫なのだろう。
そう志具は解釈し、なずなを連れた計四人で、マリアの家へと向かうことにした。
――◆――◆――
留美奈町の北側にある群山の入り口前と住宅地の終わりの境界線上に、マリアの家はある。
住宅地の数ブロックをまるまる取り込んだ広大な敷地。西洋風の壮麗な屋敷。このことからもわかるとおり、マリアは生粋のお嬢様である。
志具があまりここに来たがらないのも、庶民である自分が踏み入っていいものだろうか、という庶民的な不安の臆病さがあるためだ。自分の背丈をゆうに越す、鉄格子の厳ついながらも美的な何かを感じられる門を見れば、なおさらである。
志具はカメラ付きの呼び鈴を鳴らす。待つこと数秒、屋敷の関係者の声が聞こえてくる。
そこで志具は自分の名前とマリアの見舞いに来たという用件を伝えると、向こうで何らかのやり取りが行われ始めたのが聞こえた。
そして待つこと数分。屋敷で働いている使用人――メイドが門扉を開け、志具たちを招き入れる。使用人の後に続いていくと、志具たちはとある一室まで案内された。扉に掛けられている札には、「マリア」と書かれている。
使用人が扉を数回ノックすると、「どうぞ」とマリアの声が室内から聞こえた。「失礼します」と慇懃に挨拶し扉を開けると、そこには、
「――あっ、志具君。それにみんなも」
ベッドで上半身を起こし、志具たちの姿を見て表情を明るくさせたマリアがいた。志具たちを案内したメイドは、用件があれば申しつけくださいというような旨を伝えると、邪魔をしないように部屋から退室した。
それを見届けてからマリアは、
「見舞いに来てくれたんだってね。わざわざありがとう」
温かな笑みを志具に向けるマリア。
「マリアこそ大丈夫なのか? 風邪をひいたとのことらしいが……」
「風邪? …………ああ~、うん。そうだよ。――でももう平気だよ」
ほら、とマリアは自分が元気だということを誇示しようとする。……が、志具がすぐにそれを制止させた。あまり無茶はするな、という志具なりの気遣いだ。
だけど、志具は先ほどのマリアの返事のあいまいさが、どうにも気になった。
気のせいであってほしいが……。
心中であれこれと考えていると、マリアが首を傾げてきた。
「志具君? どうしたの? そんな難しい顔して」
「え、いや……その……」
「本当に風邪なのか? って訊きたいのさ。――な?」
隣のななせが、志具の心を代弁した。ウインクを向けてくるななせに、志具は「ま、まあな」と答える。いともたやすく心中を読まれたことに、志具は少々うろたていたのは、自分だけの秘密だ。
するとマリアは、表情に影がかかり、口が閉じられ、言葉が詰まった。この様子だと、風邪で休んだというのは嘘のようだ。
言おうか言うまいか、自分の中で葛藤しているのだろう。顔を俯かせて、眉間にしわを寄せて黙考し始めるマリア。
「……別に言いたくなかったら言わなくてもいいんだぞ」
あまり友人の思い悩む姿を見るというのは気分のいいものではない
そう思っての発言だったのだが、
「……ううん、いいよ。志具君には嘘、つきたくないし……。ただ――」
マリアの視線がななせ、菜乃、そしてなずなと移動する。その眼差しはどこか申し訳なさそうなもののように、志具には思えた。
そうして、マリアの眼差しの意味を察すると、志具は彼女らに振り向き、
「万条院、花月、なずな。悪いが、君たちはここで退室してくれないか?」
「えーっ! なんでですかー、先輩さん。ボクたちも話聞きたいですよー」
頬を膨らませ、不満を垂らすなずな。そんな後輩の襟首をななせは掴むと、
「そう言うな、なずな。その代わり、この屋敷の見学でもさせてもらおうじゃないか。それくらいいいだろ?」
ななせがマリアにそう訊くと、マリアは「うん。皆の邪魔にならない程度にならかまわないよ」と返答した。
「よっし。そんじゃしばらくそいつを貸してやるよ。――いっそのこと、あたしに取られないように既成事実でもつくればどうだ?」
「ば、馬鹿なこと言わないでよ! そんなことしないよ!」
意地悪く笑うななせに、マリアは顔を真っ赤にして否定する。
そんな彼女の顔が見れて満足したのか、ななせはなずなを引きずって、菜乃と一緒に部屋を出て行った。
それから二人は、沈黙し合う。
見つめ合うのはなんとも気まずいものがあったので、志具は視線を泳がせる。
泳がせた先には、女の子らしいファンシーな置物やぬいぐるみのほか、書棚には漫画やティーンズ向けの小説が並べられていた。マリアはけっこう、日本のサブカルチャーにそれなりに精通しているのを、志具は長い付き合いから知っている。本人はそれを気にしているようだったが、志具が別に問題ないということを伝えると、ホッとした表情を浮かべたのを、志具は知っている。
「志具君……。あんまり部屋の中をじろじろ見るのは……その……」
「あっ。す、すまないっ」
マリアが恥ずかしそうにこちらを見ていたのを見て、志具は慌てて謝罪する。人の部屋を許可なくじろじろ見るのは、確かに礼を欠いていたなと、志具は思った。
「それで、どうして風邪をひいたなんて嘘を?」
ごまかすように、志具は話を本題へと切り替えた。
マリアは口を閉ざし続ける。志具に話すと決めたはいいが、いざ実行に移すとなると、色々と迷いが生じるようだ。
そのことを察する志具は、返事を急ごうとはしない。長年の付き合いでわかる。マリアは、一度決めたら実行するタイプだと。
口を閉ざし続けているマリアに、真摯な眼を向ける志具。そのとき、マリアが左手で右腕をかばっていることに気づいた。それは無意識の厚意なのだろうが、志具はそれに気付いた。
「……腕、どうかしたのか?」
ぴくりと、マリアが反応する。
するとマリアは観念したように、右腕の袖をまくり上げた。
まくり上げてあらわになる右腕には、白い包帯が巻かれていた。手首から二の腕にかけては血が固まってどす黒くなっており、生々しかった。
「それは……」
それを見て、いったい彼女の身に何が起きたのか、すぐに理解した志具。
マリアは、悲しげに瞼を伏せると、
「うん。志具君が察してる通りだよ」
その言葉が意味しているのはただひとつ。辻斬り事件に遭ってしまったのだ。
よりにもよって、幼馴染が……、と志具はショックを受けるが、それを表情に出すのは、抑えることに成功した。
マリアに安心感を与えるという意味で、平静を保ちながら志具は訊く。
「犯人は……捕まったのか?」
「うん。……でも、なにも憶えてないんだって。わたしを……斬ったことも」
間違いない。模倣犯とかではなく、自分たちが今追っている事件の犯人によるものだと、志具は把握した。
「身体には何の異常もないんだけど、今日は大事をとるようにって、親から言われて……それで休んだの」
「そうか……」
志具はどんな言葉をかければいいのか、わからなかった。こんなとき、自分の口下手が恨めしい。気のきいた言葉のひとつでもかけてあげられたらと思うが叶わない。
自分に対しての怒りのほかに、犯人に対しての憤りが心の底からふつふつとわき上がる。自分を狙っているのなら、初めから本人にかかってこればいいのに、それをせずに無関係な人を巻き込む犯人の意地の悪さが、志具には赦せなかった。
俯き加減のマリアの顔。その瞳には薄らと涙が滲んでいた。襲われた時のことでも思い出しているのだろう。できれば記憶の中から消したい恐怖。それが腕の傷を見ることで再びわき立っているのだ。
気づけば志具は、マリアの震える手を握っていた。それに驚いたのか、マリアは志具へと視線を向ける。
「すまないな。嫌なことを思い出させてしまって……」
「ううん。いいんだよ。志具君には嘘、つきたくないから……」
笑顔を向けるマリア。気丈に振る舞ってはいるが、悲しさが滲んでいる、そんな笑顔だった。
強いな、と志具は思う。だからこそ、彼女の助けになりたいとも思った。
そして、そうするためには、自分が為すべきことはひとつ――――
「――マリア。君の仇は、必ずとってみせる」
自分に言い聞かせるように言ったその言葉。
その言葉に、マリアは一瞬きょとんとしたが、やがて口元を緩める。
先ほどのような悲しさが滲み出ている笑顔とは違う。志具のことを頼りにしている――そんな笑顔だった。
その期待に、自分は応えなければならない。
胸の中で固く誓う志具。その期待は、必ず不意にしてはいけない。
どんなことになろうとも、絶対に果たさなければならないものだった。