第5話 聖剣『グラム』
時刻は七時。まだ夜は浅いというのに、道を行く人影はいっさいなかった。
原因はわかっている。辻斬り事件のせいだ。事件の全容がまだ解明されていないということもあり、住民は不必要に夜、出かけるのをやめているのだろう。外の空気がどことなく鋭く、冷たいものに感じられるのは、決して体感温度だけが原因ではなかった。心理的な、辻斬り事件に巻き込まれたらどうしようという不安が、肌を撫でる夜風を一層辛いものにしている。
誰ひとりとしてすれ違うことのない道を、志具は黙々と歩んでいく。
ななせがどこにいるのか、実のところアテが全くなかった。どうせすぐに帰ってくるだろう、と思って、詳しい行き先を彼女から聞くのを忘れていた。
そのことを後悔していたが、もう今更どうにかなるものではない。志具はとりあえず、住宅地を中心に探すことにする。もしかしたら、帰宅中のななせとはち合わせるかもしれないと、そんな期待を込めての選択だった。
そんなときだ。閑散とした、街路灯が一定間隔で設置されている道の先に、人を見つけたのは。
黒いスーツを着、カバンをもったサラリーマン風の男。
帰宅の最中なのだろう、と志具。
正直、志具は内心ほっとした。ゴーストタウンのように道を歩いていても人と全くすれ違わないことに、少なからず気味の悪さを感じていたのだ。
二人の距離は徐々に縮まり、やがて二人はすれ違いざまに軽く会釈する。その際、人のよさそうなサラリーマンの容姿が目に映った。
そのまま二人は背を向け、距離を離していく――――と、そのときだった。
「うっ……!」
うめき声に、志具は振り返る。
するとそこには、カバンを地面に落とし、身体をくの字に曲げ、ガクガクと震えている男の姿がった。
「大丈夫ですか!」
異変を感じ取った志具は、すぐサラリーマンの男に駆け寄ろうとした。
……が、その瞬間、志具の眼前を銀色の光が走った。はらりと、志具の髪の毛が数本、宙を踊った。
何が起きたかわからない。だが、無意識的に男との距離を後方に飛び退くことで広げた。
そして、男の姿を視界に捉える。
「なっ――!?」
刹那、志具は驚きに目を見開く。そこには、先ほどとは別人かと見違えてしまいそうなほどに変化をした、男の姿があった。
肌の色は健康さを一切失った土気色。焦点がどこに定まっているかわからない生気を失った虚ろな眼。そしてなにより、志具が驚いたのは、彼が持っているものだった。
それは、刀。
先ほどまでなかったものが、確かにそこにあった。
装飾が一切ない、シンプルな姿をした日本刀が――。
志具の頭によぎるのは、この町で頻発している辻斬り事件。
テレビの向こう側のものだと思われていた事件が、今こうして現実に、自分の目の前に存在している。
身の内からわき立つ感情は、恐怖。全身を凍てつかせるように、恐怖が血液の流れに沿って全身を駆け巡っていく。
突然のアクシデント。思考が凍りつく。ただただ、目の前のものを見つめるだけで、動くことができない。
幽鬼のように揺らめく男が――動いた。
足をバネのように弾かせ、男が刀を振り上げて迫ってきた。
それで我に返る志具。彼はとっさに左へとステップを踏んだ。すると男の刀の軌道が逸れ、空を斬る結果となった。
回避に成功した志具は、そのまま男の脇を通り過ぎる。その際、背後でヒュンッと風を切るような音が聞こえた。男が振り返りざまに刀を振るった際のものだったが、志具にはどうでもいいことだった。
今の志具が考えていることはただひとつ。――どうやってこの状況を打破するか、だ。
志具の頭は、先ほどまでとは一転、驚くほどに冷静さを保ち始めていた。相手の攻撃をしっかり見切って、回避できたのが理由のひとつだ。危機的な状況に追いやられると、パニックを起こす人と頭の芯が急速に冷えて冷静になる人がいるが、志具はその内の後者だった。追い詰められれば、それだけ思考が落ち着きを取り戻す。彼にとって一番嫌なのは、中途半端な危機だった。命を失うほどの危険ではないが、日常をとことんまで乱される事件、とか……。
志具は考える。自分が置かれた危機的状況から抜け出すための方法を。
一番手っ取り早いのは、大声を上げて助けを呼ぶことだ。ここは住宅地。叫び声を上げれば近隣の住民が何事かと外に出てくる可能性が高い。
だけど、それは同時に危険も伴う。その人たちまで危険に巻き込んでしまうという危険が。
志具は男の様子を観察するが、彼が正気を保っているとは思えない。無差別に周囲の人間を斬りつけるなどという暴挙に出る可能性は、十分に高いといえる。
他人のことを考えている場合か、と人は思うかもしれない。自分の身を守ることを最優先にすべきだ、と。しかし志具には、そういうことは元来からできない性格なのだ。他人にそれほど関心を持たない割に、変に私事で人を巻き込もうとしない。自分に降りかかった火の粉は、自分で払いのける。そういう人なのだ。
ゆえに志具は、先ほど考えた案を却下した。だが他に立案があるのかと言われれば、実のところない。ないが……今最優先ですべきことはわかっている。
そのとき、男が刀を構え、突撃してきた。
速い。だけど、直線的だ。
志具は相手を引きつけ、ギリギリのところで男の脇をすり抜けた。
そのまま全速で、男の方向とは逆のほうへと疾走する。
なにをするにしても、こんな狭い道ではなにもできない。志具は逃げながら、男のことを誘導する。
時折後ろを振り返ると……いた。男はゆらゆらとした動きながらも、志具のことをしっかりと追っている。動きがまるで泥酔した人のようだが、それでもなかなかの速度を誇っているのは、けっこう恐いものを感じる。
やがて志具がやってきたのは、住宅地の中に子供たちの遊び場としてつくられた公園だった。
あの土蜘蛛とかいう怪物と出会った場所。ななせと初めて出会った場所。
夜ということもあり、人影はひとつとしてない。公園を囲むように配置された街路灯が、人工的な白い光で公園内を照らしていた。
公園に入り、志具は振り返ると、男が入口を塞ぐようにそこに立っていた。けっこうな距離を走ったというのに、男は息ひとつ切らしていない。とてもではないが、普通ではなかった。
心の深淵からわき立とうとしてくる恐怖心を抑えながら、志具は男のことを見据える。
酔っ払いのような素行ながら、虚ろな生気の宿っていない目は志具をしっかりととらえており、そんな目で見つめられると自分の生気までも吸い取られてしまいそうな気がした。
――殺される。
そんな言葉が頭の中をよぎる。
ニュースでは、ひとりの死者も出ていないと報道されていたが、自分がその第一号となることは、あり得ない話ではない。ましてや相手は正気がないのだ。正気のない人間が何をしでかすかわからないことは、実際にこうして対面すれば嫌でもわかること。
――死ぬのか? ここで……?
死神が、自分の首筋に鎌を当てているような気がした。次の瞬間には、その首が跳ね飛ばされるのではないか、という恐怖が忍び寄っていた。
男はふらふらと陽炎のように揺らめきながらも、ゆっくりとした足取りで志具へと向かって行く。先ほどまで一足飛びのようにすばやく一直線にこちらに向かってきていたことを考えると、今のその足取りはまるで、死の恐怖を志具に深く植え付けているためにわざとやっているのではないかと思えるほどだ。
じっくりといたぶられながら、生を奪われる。
――……ふざけるな。
恐怖とは違う感情。それが恐怖を喰らうかのようにその姿を表わし始めた。
――こんなところで――
恐怖がその感情に蹂躙されていく。
身体の自由を奪っていた畏怖の感情が、別の感情によって塗り替えられていく。
心臓の鼓動が高まる。
どうしてか、自分でもよくわからない。
ただ、ひとつだけはっきりしていることがある。
それは――、
――死んで、たまるか――――‼
直後、夜の闇をかき消すような光が、公園を明るく照らし出した。
「なっ――!?」
突然の現象に、志具は驚きの声を上げた。無理もない。なにせ、その光の発生源は、彼の左胸だったからだ。
青白い光。それはやがて形を創り始めた。志具の左胸から突き出すように、棒のような形を――。
光にめげず目を凝らすと、それは柄だということがわかった。
柄。何の柄か?
志具の脳裏に浮かぶは、ひと振りの大剣。
もしかして、という思いとともに、志具はそれを手で掴み、身体から引き抜いた。
光が形づくる。志具によって表に出されたそれは、徐々にその姿を明確にしていく。
光が形づくるのは大剣。志具の身丈よりもはるかに巨大な。
光の中から現れたのは、まごうことなき、あの大剣だった。
二メートル程の巨大な幅広の刀身は肉厚で、重量感が出ていた。
柄はくすんではいるものの純金であることがわかり、その柄の後ろには青い宝玉がはめ込まれている。
間違いない。あの夢で見た大剣だ。
ただ、これだけ巨大な剣であるにもかかわらず、志具は重さというものをまったく感じていなかった。まるで自分の身体の一部であるかのような感覚さえ感じてしまう。
志具は男に向き直ると、男は突然の事態に驚いたように、その足をとめていた。そして僅かだが、身体を戦慄かせていた。
おびえている?
志具にはそう思えた。突然出現した大剣に、正気を保っていないながらも畏怖を感じ取っているようだ。
互いに面向かいながら、膠着すること数秒。
男が剣を振り上げ、こちらに向かってくるのを、志具は見た。
志具はそれを、真っ向から迎えうつ。大振りの上段からの攻撃に、志具は下方から逆袈裟に大剣を振るった。
刀と大剣が交差する。金属音。だが、それもほんの一瞬。
大剣の重い一撃に、刀が耐えきれず、即座に真っ二つに折れたのだ。
折れた刀身は虚空を舞い、はるか遠くに吹っ飛ばされる。
勝敗は決した。あまりにもあっけなく。
直後、変化が起きた。
「あ……あ……ああぁぁぁぁ…………」
男が意味のまとまらない声を上げ、がくがくと震えだしたかと思うと、次の瞬間にはまるで糸の切れたマリオネットのように、その場に倒れ込んだ。
――死んだ……のか?
恐る恐る男に近づき、様子を確認する。口元からすぅすぅという音が聞こえるところから、どうやらちゃんと生きているようだ。ホッと胸を撫で下ろす志具。これで死んでいたら、なんとも後味が悪いというものだ。いくら追い詰められていたからとはいえ、正当防衛で相手を死なせるのは、あまり気分のいい話ではない。
と、そのときだった。
かさり……
小さな足音に、志具は視線を男から音のした方へと移動させる。
移動させた視線の先――公園の出入り口に、ひとりの少女が突っ立っていた。
驚きに表情を変え、目を大きく見開いている、その少女は――、
「ま……万条院……」
今度は志具が驚く番だった。
志具が捉えた視線の先には、自分の許嫁だと自称する、万条院ななせの姿があった。
突然のななせの登場に、志具は思考が停止する。
どうしてここに? いつからそこに?
止まった思考に、疑問が次々と投げ込まれていく。
志具とななせの二人は、互いに互いの視線を交差させていたが、ななせの視線が、志具から少し逸れた。
気になった志具は、彼女の視線をたどる。たどった先には――、
――……っ! まずいっ!
失念していた。自分の片手には、己の身の丈を超えるほどの巨大な剣が握られていたことに。
ななせは志具の持っている大剣にくぎづけだった。
どうする? 今更隠そうにももう遅い。ごまかしようがない。いやそれより、これはいったいどうやったら消えてくれるんだ? まさかずっと出たままってことにはならないだろうな?
言い訳を探し出そうとしていると、大剣に変化が訪れた。
巨大なバイキングソードは優しい光に輝きだすと、やがて先端から光の粒子となり、志具の胸の中に吸い込まれていったのだ。
あとに残されたのは志具とななせ、それと気を失っているサラリーマンの男だった。
静寂。志具とななせは互いに見つめあいながらも、言葉を一言も発しようとはしなかった。志具の頭の中には、いったいどうやってこの場を穏便に済ませようか、という考えに終始していた。
……が、一向にいいアイディアが浮かばない。考えてみればそれも仕方のない話だ。もう、どうにもこうにも言い訳ができない。完全につんでいた。
そのとき、静寂を破るように、はぁ~、と溜息がその場に流れた。溜息をしたのは、ななせ。
溜息を漏らした後、ななせは自分の後頭部をくしゃくしゃと掻いた。
そして――、
「――そうか……。お前がそうだったんだな。もしかしてとは思っていたけど……」
え? と志具。
戸惑いを感じている志具に、ななせはさらに言葉を紡ぐ。
「お前が犯人だったんだな。真道志具」
お前が犯人。
その言葉は、瞬時に理解できた。
この町で起きている、連続辻斬り事件の犯人だったんだな、と。そう彼女は言ったのだ。
ななせの目つきは、割れたガラスの破片のように鋭くなっていた。まるで罪人を咎めるような目。それに志具は、慌てて首を振って否定する。
「ち、違う! 私はそんなことはしていない! むしろ逆だ! 私が襲われたんだ! この男に!」
必死の形相の志具に、ななせはあくまで冷たい視線を向ける。ななせを数秒、志具の足元で倒れている男を一瞥すると、
「信じられないな。だってその人、刀を持っていないじゃないか」
「それは……この人が気を失ったら消えて……」
ななせはこの前、辻斬り事件で使われている凶器は『村正』だと言っていた。だから彼女は、証拠として刀を見せろと言っているのだ。
だけど……それはもうこの場にはない。
消えてしまった。
それが事実だ。
志具は事実を言っている。
言っているのだが……信じてもらえるわけがないのだ。証拠がないのだから……。
ななせは案の定、ふっ、と鼻で一笑する。
「消えただって? 信じられないな、生憎。そもそもお前、――あの大剣はなんだったんだ?」
「あ、あれは……」
「志具。お前はあたしに訊かれたとき、言ってたよな。その大剣のことは知らないって。知らないやつが、なんで持っているんだ?」
「どうしてと言われても……私にもわからないんだ!」
「わからないといえば通ると思えば、大間違いだぞ」
相手を卑下するような口調。志具はありのままの事実を口にしているが、信じてもらえていなかった。
無理もなかった。傍からしてみれば、志具の言っていることは支離滅裂にもほどがある。
それでも、志具は言わないといけなかった。言わないと、自分の中の何かが折れてしまいそうで嫌だったのだ。
だが……出てこない。言葉が出てこない。それは彼女から放たれる追及の言葉に恐怖を感じているからかもしれない。志具には、彼女を納得させることができる言葉は、持ち合わせていないのだから。
「まぁ、あたしが言えることは、言い訳するならもっとうまい言い訳をつくりなよ、てことだな。志具、いくらあたしがお前の許嫁だって言っても、許婚のやることを一から十まで全部肯定してやる気はない。ムショに行って、悪事から足を洗うことだな」
そう言うとななせは、携帯電話を取り出した。彼女が通報するつもりなのは明らかだった。
志具は目の前が真っ暗になるような感覚がした。志具がもう少し、気をしっかり持っていなければ、このまま卒倒しても無理はなかっただろう。意識を現実にとどめていられるのは、志具の年相応以上のメンタル面のおかげだった。
だが、このままでは自分は通報される。まったくの無実なのだが、言ったところで耳を貸してくれない。それは相手がななせでなくても同じだろう。
いっそのこと嘘をついてやろうとも考えたが、すぐに思いとどまる。薄っぺらな嘘はばれる上に、自分の立場を危うくしかねない。ましてや今は瀬戸際。嘘をつこうものなら犯人だと断定されても文句が言えない立場にあるのだ。
高まる緊張に、視界が揺らぐ。すべてが夢であってほしいと思うが、これは現実だ。現実である以上、向き合わなければならない。
考える。
思考をフル稼働させ、今の状況を打破できる最善の道を探し出そうと模索する。
――と、そんなときだった。
「――なーんてな♪」
そんな軽い口調と一緒に、ななせは手に持っていた携帯をしまう。その行動に、志具は呆気にとられる。
「どうしたー? 志具。そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「いや……。てっきり警察に通報するのかと……」
ぽかんとした調子で言葉を連ねる志具に、ななせは我慢できないとばかりに「……ぷっははははははは……!」と笑いを吹き出した。静まり返った夜なので、その笑いはよく響く。
「冗談だって、冗談。通報するわけないじゃねーか」
「でも……」
「わかってるって。お前がそんなことをするやつじゃないことくらい。短い付き合いでもな」
そう言うとななせは、志具へと歩み寄り、志具の目前で倒れている男の様子をしゃがんで観察し始めた。男の様子を顔から足先までくまなく観察する。そして、ななせの視線が右腕へと移動すると、おもむろに彼女は、男の袖をまくりあげた。
「なっ。なにしてるんだ?」
「ちょっと調べ物。……おっ、あった」
ななせは思った通りとばかり、そう言ってみせる。
彼女の視線の先にあったのは――切り傷だった。二の腕あたりに、何か鋭いもので切られたような痕跡が残っていた。
それを確認すると、ななせは男の袖を元に戻す。
「……万条院、いったい何を――」
何が何やらわからない志具は、そんな言葉を口にしていた。ななせは志具の顔を一瞥し、顎に手を添え、黙考し始める。
そして、
「まさかお前のほうが先に手がかりを見つけるとはなぁ。その上、やっぱりあの大剣の所有者でもあるみたいだし」
独り言のようにボソリと呟くと、ななせは立ちあがり、志具に振り向く。
「志具。お前に話さないといけないことがある。聞いてくれるか?」
その表情は、ここ数日でも見たことがないくらいに真剣のものだった。柳眉に力が込められ、相手に真摯な印象を与えるその表情に、志具はただただ、頷くしかなかった。
――◆――◆――
時刻は十一時をまわろうしている。
志具とななせが帰宅し、夕食をとり、風呂に入りといった一連のことをやってのけていると、ちょうどそのくらいの時間になったのだ。ちなみに、食事中からここまで、会話はほとんどないに等しかった。なんとも気まずいものだったが、それほど話が重要な件なのだろうということを推測すると、そうなるのもおかしくはない。ここに来るまでに、ななせも話す準備というものが必要だったはずだろうし……。
志具とななせは、居間にあるソファに、向かい合うように着席している。ソファの間にあるテーブルには紅茶が二つ。それぞれ志具とななせのものだ。菜乃はというと、ななせの後ろに控えていた。
沈黙の時が流れることしばらく。先手をうったのは志具だった。そうでもしないと、いつまでも沈黙が続くと思ったためだ。
「万条院。君は……その、私が使った大剣について、何か知っているのか?」
ああ、知ってる、とななせは即答した。
「あれは『銀の星』が保有していた『アーティファクト』のひとつ――グラムだ」
「グラム?」
「ああ。……もっとも、保有していたというよりは、誰も近づけないために、空間ごと通常空間から隔離させていただけなんだけどな」
そんなことが可能なのか……、と志具。オカルト的なことには、なかなか驚かされることばかりだ。
「お前の持っている『グラム』は、『アーティファクト』の内でも高位の、神格化された大剣だ。『銀の星』でも、見つけたのはいいが、近づくどころか、触れることすらできなかったから、さっき言ったように空間ごと隔離するしかなかったんだ。実際、それでどうにかなっていたんだ」
どうにかなっていた。その過去形の言葉に、志具は身が引き締まる思いをした。
どうしてそんなことになったのか。それは、志具自身が、断片的ながら事の成り行きを察したせいかもしれない。
だけど、と案の定ななせの言葉に逆説が入った。
「今から八年ほど前、突如として『グラム』が姿を消したんだ。セキュリティもしっかりとしていた。侵入した者が現れたら即座に警備の者に知られるような魔術的措置を施していたからな」
それでも、潜り抜けられた。その万全ともいえるセキュリティが……。
志具は黙って話の続きを聞く。
「うちの結社はもうおっかなびっくりだった。なにせそれは、神格化した聖剣の所有者が現れたってことに他ならないからな。そうじゃないと『グラム』に近づけるわけがない。どこぞの輩に盗まれ、所持されているのか一切足取りがつかめないものだから、上層部は血の気が引いたと思うぞ。――でも、『グラム』が盗み出されても、全然『アーティファクト』が絡んだ事件が起きていなかったから、今はあのときよりも、少しは落ち着きを取り戻しているんだけどな」
じゃあ、あれはやっぱり夢ではなかったのか、と志具。記憶はないが、やはりあれは……。
「この際だから白状しておくと、お前が昔立ち入ったあの階段下のあの部屋は、結社が創った特殊な鍵でしか開かないようになっているんだ。鍵で開けて、地下へと続く螺旋階段を下りて行くと、やがて現世と幽世の境界の空間にたどり着く。……まあ、お前はちゃんと憶えていないようだけど、真っ暗で何も見えない冷たい空間さ。そこで自分が行きたい場所をイメージすると、その空間にたどり着けるようになっているんだ」
「でも私はあのとき、どこに行きたいかなんて考えなかったぞ」
それなのに、どうして自分は『グラム』のところまで行けたんだ?
その問いかけに、ななせは答える。
「行き場所を考えなくても、たどり着く方法はいくつかある。――ひとつは、他人の手に引かれて連れていかれること。これは、先導するその人の意志に引っ張られてしまうから行けるようになるんだ」
そういえば、あの夢のときも、自分は父親に引っ張られて連れて行かれていた。なら、それが理由か?
そう結論を導き出そうとしている志具に、ななせはもう一つの可能性を示した。
「もうひとつは……『グラム』のほうがお前のことを呼んだ可能性だ」
「『グラム』が?」
「ああ。『グラム』はさっき言ったように神格化して意思をもった聖剣だ。『グラム』の強い意思に、お前が引っ張られてあそこにたどり着いた、と考えることもできるだろうな」
だが……、と志具は言葉を発しようとしたが、ななせが、ああ、と頷きを見せると、
「にわかには考えにくい。だけど、意志を持った『アーティファクト』というのは、自分を扱うにふさわしい器である者を引き寄せようとする性質があるらしい。実際、『アーティファクト』所持者の中には、そういった輩も少なからずいるんだ」
「……そういえば、君も何か持っていたようだが」
志具は彼女と出会ったとき、炎をまとった剣をななせがもっていたのを思い出し、そんなことを言った。
「ああ、『桜紅華』のことか? たしかにあれは、あたしの使う『アーティファクト』だ。だけど……お前のような出会い方じゃない。あたしはただ、親から受け継いだだけだ」
そう発言するななせの顔には、心なしか陰が差しているように思えた。……が、それも志具が一度瞬きすると元の状態に戻っていた。
――気のせい、だったのだろうか?
「志具、話を戻しても大丈夫か?」
ななせがそう訊いてきたので、変に話をぶり返させるわけにもいかず、志具は「あ、ああ。大丈夫だ」とななせの話の続きを聞く姿勢に入る。
「『グラム』ほどの『アーティファクト』になると、その姿を適正者の前にしか姿を現さなくなる。……まあ極まれに、適正者でもない人間が目の当たりにしてしまうこともあるみたいだけど……そんなことは宝くじの一等を当てるよりも低い確率だ。……この意味が分かるか?」
「……私には、その適正があったと?」
「ああ。それもお前だけじゃない。――お前の父親もだ」
私の父親も? と志具は驚きの表情になる。……が、よくよく考えてみれば、それもそうだった。
それに、とななせはさらに驚愕の一言を口に出す。
「そもそもの話。『グラム』を一番に発見したのは、他ならないお前の父親なんだ」
驚いている最中、さらなる驚愕を叩きこんできたななせ。
志具は口を唖然と開いたまま、しばらく言葉が出てこなかった。
……が、なんとかして心を立て直すと、
「……だが、君の話から推測すると、私の父親も『グラム』の所有者になりえたのではないか? だというのに……」
なぜ、父親は所有者にならなかったのか……。
その志具の疑問に、ななせは首を左右に振る。
「わからない。『グラム』を発見したのはいいけど、マスターとなれなかったのか。それとも、なりたくなかったのか……」
まあ、そんなことはあの人にしかわからないことだな、とななせは途中で考えることを放棄する。
とりとめのないことをいくら思考しても無駄だということなのだろう。
「……私が君の結社から行方知らずとなっていた『グラム』のマスターということがこれで判明したわけだが……君はどうするつもりだ?」
私の処遇を、と志具はその言葉をあえて最後まで言わずに訊いた。それは、恐ろしい返事が来たときにごまかしを利かせるための、一種の逃げ道だった。
しかし、ななせとて馬鹿ではない。そんな志具の隠した言葉なぞ、軽く見通している。現に彼女の眼は、そう語っていた。
その上でななせは、こう言った。
「安心しろ。言いふらすつもりなんてないさ。お前も言ってしまえば被害者みたいなもんなんだからな。しばらく様子を見て……機会が来たときに結社に報告をする」
どの道それは避けられないか、と志具。まあ、仕方ないといえば仕方ないのだが……。
そのナーバスな空気を察したななせは、先程の張りつめた口調から一転、普段の明るい調子になると、
「心配すんなって。無抵抗同然のお前を袋叩きにされないように、あたしがちゃんと護ってやるからさ」
身を乗り出し、向かい側にいる志具の肩を雑にバンバン叩いた。
「……っ、痛いからやめてくれ」
「愛の鞭だ!」
「違うだろ、絶対!」
「じゃあ調教の鞭だ!」
「余計に意味がずれてしまった気がするぞ!」
「じゃあSM!」
駄目だこいつ……。
けらけら愉快そうなななせを見、志具は呆れ顔だった。
そんな彼の頭の中に、こびりついたワード。
――護ってやる、か……。
彼女からその言葉を聞くと、どうしようもなく惨めな気持ちになる。
これで何度目なんだろう……。
「志具」
そんな彼を呼ぶななせの声。
考え事をし、俯いていた志具は顔を上げる。そこには、
「お前は、お前のできることをしたらいいと思うぞ」
どんな深い闇をもかき消さんばかりの、輝かしくも雄々しい笑顔があった。
――……いや、女性に雄々しいは失礼か。
一応、彼女も少女なわけだし……、と志具。
「おやおや~? 志具、ずいぶんと失礼なこと考えているんじゃないのか~?」
ギクリ、と肩を微動させる志具。
鋭い……。なぜわかったのだろうか?
「ふっふっふ~。女の感をなめてはいけないぞ~?」
「万条院……。君は……テレパシーでも使えるのか?」
ことごとく心を読んでくるななせに、志具はありえないと知りつつも尋ねた。
「相思相愛の中でのみ発動するテレパシーならもっているぞ」
「誰が相思相愛だ!」
断じて違う、とばかりに志具は声を荒げる。
「いずれそうなる運命なのだよ、志具。――ま、今のうちに攻略される覚悟を固めておくんだな」
「攻略って……」
「本作は主人公複数人、攻略対象ひとりの乙女ゲーです」
「需要ないだろ! そんなの」
「あたしに需要がある!」
えっへん、とななせは胸を張って言う。
需要がたったひとりなら、表に出るようなシロモノではないな、と志具は心の中で突っ込んでおく。
――……あれ?
……と、ここで志具は、奇妙な感じに気がついた。ただそれは、決して不快なものではない。
なんだ? と志具が内心で首を傾げていると、
「ん? どうした? 志具。腹でも痛いのか?」
「きっと陣痛ですよ、ななせ様」
「な、なに⁉ ついにあたしの子が生まれるのか!」
「私は男だ!」
ななせと菜乃の馬鹿なやり取りに、志具は反射的に言葉を放つ。
……と、ここでやっと気づいた。自分の何とも言えない感じが。
心が……軽くなっていたのだ。まるで、背負っていた荷物が軽減されたかのように。
――……もしかして、私のために?
と、ななせを見るが、ありえない、と判断を下す。彼女はただ単に、楽しんでいるだけだ。自分をおちょくって。
まったく、迷惑なことこの上ないな、と志具は内心で愚痴をこぼす。……と同時に、今回ばかりは感謝するか、という気持ちにもなる。
命を狙われ、変な力を勝手に習得させられている身の志具だが、その心持ちは不思議と穏やかなものだった。