幕間 非日常への扉
幼いころから、志具はひとりでいることが多かった。両親が外で仕事をすることが多く、家に戻ってくることが少なかったためだ。
親がいない間は、近所の親しい人に面倒を見てもらっていた。志具は特に、手のかかる子供ではなかったため、近所の人も快く引き受けてくれた。
小さなころからひとりでいることを余儀なくされていた為か、志具は自分で考え、その上で自分の行動をするということに長けていた。自立するということを早く覚え、怜悧な思考を幼いながらに手に入れていた。言ってしまえば、大人びた子供だった。
それでも、やはり肉親とのコミュニケーションは嬉しかったと、志具は記憶している。血の繋がっている、ということもあるからだろうか。それだけで無償の愛情が手に入ることが、志具には嬉しかったのだ。後にも先にも、こういった情を与えてくれるのは家族くらいのものだろう。
それは、志具が小学一年生になったときのことだ。両親が家に帰ってきた。
近所の家に預けられていた志具は家に戻り、両親のもとで生活をした。
家族との水入らずの交流を、志具は喜んだ。
ただ、頭のキレが災いしたのか、志具は薄々ながら勘付いていた。父親の様子が、どこか真剣な色を帯びていることに。
普段、TPOをわきまえず、いつでもどこでもイチャイチャのバカップルぶりを披露する親が、こんな鋭い気迫を潜ませるのは、かなり珍しいことだった。……いや、珍しいどころではない。今までそんなことはなかった。だからこそ、幼い志具は敏感に感じ取ったのかもしれない。
それは深夜。
草木も眠る丑三つ時に、志具は父親に眠っているところを起こされた。
「大事な要件があるんだ」
それだけ言うと、父親はついてくるように志具に指示した。志具も逆らわなかった。
連れられた場所は、階段の下にある小部屋の扉の前だった。その部屋は普段鍵がかけられており、開いた場所を見たことがなかった。
その扉の鍵を、父親は開けた。
最初に志具の視界に入ってきたのは、地下へと続く階段だった。
そのことに志具は驚いた。……というのも、両親からはこの部屋は物置部屋だと聞かされていたからだ。
どういうことだろう。まさか地下に物置部屋があるということなのだろうか。
幼い志具の好奇心がくすぐられた。……が、同時に頭のどこかで赤信号が点滅する。これ以上進むのは危険だ、と。
だが父親は、後についてくるように言ってくる。その顔は穏やかだが、どこかピリッとした空気をまとっていた。
志具は逡巡したが、やがて地下に行ってみるという選択肢を下した。それは好奇心だけに突き動かされたものではない。ほかにももっと、親に対する気持ちがそうさせたのだった。
父親がいるのだから、何かあったときはどうにかなる、と志具は考えていた。それは子供が親に抱く、無邪気な信頼感からきていた。
地下まで続く階段は螺旋を描いている上に長く続いているので、志具は目が回りそうになった。……が、かまわず先へと進む。
どこまで続くかわからない上に真っ暗闇だった。足元すらも満足に見えない。さすがに怖くなったのだが、父親が途中で手を握り締めてくれたので、不安が軽減した。
階段を下り続けて三分ほどだろうか。ぼんやりとだが、視界に光が入ってきた。やっとか……、と志具は安堵する。暗闇というのは、それだけで人を畏怖に駆り立てるものだ。子供である志具にしてみれば、なおさらその恐怖にも過敏になる。
光に導かれるように、志具は父親に引っ張られるように階段を下りる。下へと進めば進むほど、光は強さを増し、やがて視界が光でいっぱいに満ちる――――、
「……え?」
眩い光に目を細め、やがて目が慣れたところで入ってきた光景に、志具は驚きの声を上げる。
視界いっぱいに広がった光景。それは古臭い物置部屋などではなかった。
天いっぱいに広がる蒼穹。小高い丘なのだろか、なだらかな坂を描きながらも、周りはどこまでも続く緑の芝が広がり、芝を撫でるようにそよ風が吹いている。
清々とした風景に、志具は目を白黒させる。
そして思う。――ありえない、と。地下の空間に、こんな景色が広がっているはずがない、と。
志具はもときた道を振り返った。すると、まるでそこだけ周りの景色からくり抜かれたように長方形の空間があり、そこに階段があった。……が、その階段が薄らとその存在を消して行っていた。まずいと思い、階段に手を伸ばすが時すでに遅し、伸ばした手は空を掴むばかりだった。蜃気楼のように階段は消え、だだっ広い芝生の海の中にひとり、取り残された。
呆然とする志具。
「大丈夫さ、志具君」
にっこりと、父親は微笑む。それは頼れる父の顔だった。
父親は志具が気持ちを持ち直したことを確認すると、丘の上を目指して歩き始めた。
丘を登りきると、そこには立派な大木が一本、堂々とその身をかまえていた。
樹齢が何千年という単位だろうということが一目でわかるほどの、巨大な樹。その樹は果実をつけており、ぱっと見た限り、それはリンゴだった。リンゴの樹が、はたしてここまで巨大になりえるのだろうか、と幼いながら志具は不思議に思った。――と同時に、ここまでやってきた過程を考えると、どうにもこの樹も普通じゃないということは、容易に想像がついた。
その樹の丸太のような太さがある根の部分に、一本の剣が斜めに突き刺さっていた。その剣も巨木に負けないほどの大きさをしていた。
まず、幅広で肉厚な刀身だけで自分の身の丈を超えていることが一目でわかった。目測、二メートルはあるはずだ。バイキングソードというやつだろうか。昔やったテレビゲームとかによく出てきていたのでわかった。柄の部分はくすんではいるが黄金であり、柄の先端には海のように青い宝玉が埋め込まれていた。
威風堂々でありながらも、どこか哀愁としているその大剣に、どこか魅かれるものを感じ、志具はその大剣に近づく。そのとき、志具の父親が彼の手を放していたことに、志具自身は気づいていなかった。
志具の父親がじっ……と息子の行動を見つめていた。それに志具は気づかなかった。
そして、魅かれるがままに、その大剣に触れた――――そのときだった。
「――――っ!」
突如、頭に激痛が走った。まるで電気が走るように、その痛みは瞬く間に頭いっぱいに広がる。
激しい頭痛に苛まれ、志具は片手で頭を触り、その場に跪く。今まで感じたことのない頭痛に、意識が持っていかれそうだった。意識を現実にとどめるために、志具は必死に痛みにたえていたそんな時、新たな変化が起こった。
大樹の根に突き刺さっていた大剣が突如、白光に輝きだしたのだ。輝きは勢いを増し、目が眩むほどの発光量を帯びる。心なしか、大剣の光量が増していくごとに、頭痛が激しくなっているような気がした。
大剣はその全身を光で満たすと、野球ボールほどの大きさに小さくなった。そして、その場で浮遊し始める。その様はどこか威厳が感じられ、頭痛に苦しまされながらも志具は、その光球を見とれていた。
すると光球が、次の変化を起こす。あろうことか、志具に迫ってきたのだ。
志具はどうにか避けたかったが、身体がまるでその場で縫いつけられたかのように思うように動けなかった。そんな志具に光球は迫り、やがて志具の胸部分から、志具の身体の中に溶け込んだ。
――ドクンッ!
直後、心臓が跳ね上がるような感覚を得た。同時、全身が燃えるように体温が上がってき始めた。まるで炎の中に投げ込まれたかのようだ。
「――かっ……が……」
口から苦悶の言葉が漏れる。そしておもむろに左胸を片手で鷲掴みにした。全身が炎にでもなったかのように熱くなっていたが、中でも左胸――あの光球が溶け込んだところ――が特に熱かったのだ。
左胸に爪を引っ立て、その場に倒れ込み蹲る志具。助けを呼ぼうと、父親に手を伸ばす。
志具の父親は、真摯でいて、それでいて厳しい眼を志具に向けていた。その瞳にはなにかしらの迷いが感じられたが、何の迷いなのかはわからなかった。
ただ父親は、手を差し伸べるようなことはしなかった。助けを求めている人間の手を、掴もうとはしなかった。
ま……ずい……っ。これ……し…………。
断片的な単語が頭の中に浮かぶが、それを言葉として外に出せない。
しばらく痛みと格闘していた志具だったが、やがて身体を蹂躙する炎に、その意識はもっていかれた――――。
――――――志具君。
薄れゆく意識の中、声が聞こえた。
誰の声なのかわからない。そこまで思考が回らなかった。
――そう遠くない未来、君の周りの世界は大きく様変わりすることになる。今回のこれは、その困難に立ち向かうための、希望だ。
志具の返事を待たず、その声は次々と言葉を並べる。
――ごめんね、志具君。でも……君に託すしかなくなったんだ。無力な僕を……許してくれとは言わない。
何を言っているのかわからない。幼い子に、なにを言っているんだ? この人は……。
でも、とその声は続く。
――己が善とする真の道を、具のある志をもって突き進んでほしい、志具君。
そうすれば――――
君の未来は拓かれる――――――。