第6話 緊急事態
自分たちが泊まるホテルに荷物を預けると、志具たちは早速、当初より予定していた場所へと向かった。
向かった場所は、大型複合施設。
そこは、エデンでも有名な大型複合施設で、飲食店やアパレル、雑貨、ボーリングやエデン産の特殊技術を用いてのゲームが遊べるアミューズメントスペースなどがあり、観光客の人気スポットのひとつになっている。
建物は、外からの明かりを多く取り込めるようにガラス張りになっており、内部は清潔感に満ちていた。床の細かなほこりやゴミは、掃除ロボットが通行人の邪魔にならないように移動し、除去している。新装開店したばかりかと思ってしまうほどの綺麗さだった。
志具たちが今いるのは、アパレル屋だった。和洋中、様々な衣類が取り揃えてある店であり、ななせによって連れてこられたのだ。
女性のものだけではなく、男性用の衣類もあったので、旅行に来たことだしということで、志具も自分用の衣類を購入しようと、紳士服コーナーに向かおうとしたが、
「……なんだ? この手は」
志具の手首を、ななせが掴んで放さない。
「志具~。女の子引き連れて服屋に来てるんだからさ、やることあるんじゃないのか?」
「やること?」
「ああ。男のお前がやらないといけないことさ」
ニカッ、とななせは笑う。その笑みにはあの意地の悪さは感じられなかったが、それでも志具には、嫌な予感がした。ななせのしでかすことは、だいたいロクなことではないのだ。主に自分自身に。それを経験で理解しているゆえに、志具がななせの言葉に警戒を抱くのは、至極当然のことだった。
志具の疑心暗鬼な半眼に対し、ななせは「はぁ……」と肩を落とし、ため息をもらす。それは、やや落胆したような色を滲ませていた。このくらい、察してくれよな、と顔を上げたななせの表情が雄弁に語っている。
――そんな顔をされても困るのだが……。
と、志具。なにせ志具は、ななせたちが来るまで、女性との交流はマリアとなずなくらいしかなかったのだ。そんな彼に、乙女心なるものを理解せよというのが、どれほど難しいことか……。東大の試験問題で満点を取る以上に、志具にとっては難しいものだった。
「やれやれ、本当にわからないのですか? 志具様」
と、菜乃。
「わからないものはわからない」
と、志具が答えると、菜乃は黙って首を左右に振る。それどころか、基本的に志具の味方であるマリアですら、どうにも微妙な表情を浮かべているのだ。
――な、なんだ? 私がなにをしたというのだ?
さすがに戸惑う志具。まさかこうにも、女性陣全員が自分の敵に回るとは思っていなかったのだ。
「……志具君。本当にわからないの?」
耐えかねた、とばかりにマリアが志具に問いかける。
あ、ああ……、と志具はしどろもどろな回答。
「……はぁ……。志具……、そんなんだから、お前は今まで彼女いない歴=年齢を更新し続けているんだぞ?」
「余計なお世話だ!」
「でも今回の場合、ななせさんのほうに分があるように思えるよ」
マリア⁉ と志具。どうやら彼女が、この件に関しては、ななせの味方に回っているのは確実らしい。
「志具様。さすがに鈍感が過ぎますよ」
菜乃もやや幻滅、といった具合だ。
「な、なんだ? 私がすることがあるのなら言ってくれないか?」
ここは彼女たちの要求を聞き、素直にそれに応じたほうがいい。そう判断した志具は、女性陣に押されながらもそう尋ねた。
女性陣は各々の顔を交互に見ると、
「……ま、いきなり察しろというのは無理があるか……」
「ですね。なにせ志具様には、こういった経験がないのですから……」
「志具君……。こんなときのためにわたしを使ってれんしゅ……いや、なんでもないよっ!」
ため息混じりにそんなことを言うななせたち。マリアだけは、やや話のベクトルが逸れているように感じられたが……。
ななせは、コホン、と咳払いを一つ。そうして人差し指を志具に突き付けると、
「志具! あたしたちの衣装の批評をしろ!」
「ひ、批評?」
志具は、自分でも驚くくらいの素っ頓狂な声を出した。
ああ、とななせは頷き、
「男がこういった場所に女性と行ったとき、やることといえばこれだろ?」
そ、そうなのか? と志具。いかんせん、志具には理解の及ばない領域だった。……が、ななせは「そうだ!」と力を込めて肯定した。
「あたしは、お前の服の好みがわかって嬉しい。お前は、自分の好みのコスチュームを女の子が着ているのを見て眼福。――どうだ? 一石二鳥、誰も損はしないだろ?」
いや、私はそんな趣味はないのだが……、と言おうとした志具だが、喉元まで言葉が込みあがってきたところで、それを飲み込んだ。先程、ただでさえ波を立ててしまったのだ。ここで不用意に、女性陣の神経をさらに逆立てるような発言は控えるべきだ。――そう考えたのだ。志具は、失敗からなにかを学び取ろうとする男なのである。
その結果、志具は「あ、ああ……」となんとも曖昧な返事をした。
しかし、ななせたちはそれを「その通りだな」というニュアンスで受け取ったようだ。満足そうに頷いていた。
「……てなわけで、志具! よろしく頼むぞ!」
と、ななせは志具をレディース服スペースに連行される。こういう場所には耐性がない志具にしてみれば、なかなか辛いものがあった。
別に志具は、女性が嫌いというわけではない。無論、男を恋愛対象としてみているという、そっち系の男でもない。志具はいたってノーマルな性癖の持ち主だ。
ただ、慣れないのだ。男性と女性は、全く別の生き物のような気がしてならないのだ。たとえ種族が同じであったとしても。そのため、苦手意識が自然と湧き起ってしまう。
将来的に、志具自身も治さないといけないな、とは感じている。だが、苦手意識が志具の心の中に、木のように深く強く根ざしているため、なかなか払拭できそうにない。
そういう中にいたので、ある意味、ななせたちが居候し始めたのは、志具にとっては荒行事も同然だった。これがプラスになっているか、マイナスになっているかと訊かれれば、志具は「マイナスだ」と答えることだろう。要は、女性に対しての苦手意識が、さらに強くなっていた。相手が単に悪いのかもしれないが……。
志具は女性陣が試着室に入ったのを確認。その近くで待機しているように命じられていた。
観光客が多く集う施設の中ということもあり、この店も客が多い。女性服スペースにいる志具に、ほかの客の視線がちらちらと突き刺さる。
――……気まずいな……。
他人の視線にさらされるのは、どうにも慣れない。志具は携帯電話を、特に意味もなくいじる。主に、溜まっていたダイレクトメールを順に消去する作業をしていた。
すると、不意に試着室のカーテンが開かれる。
「よう、志具。この服どうだ?」
一番乗りはななせだった。
志具はオシャレというものに関して、いたって無頓着だった。ゆえに、ななせが身につけている衣類の詳細はわからないのだが、全体的に漂うカジュアルな雰囲気は、ななせらしさが出ていた。
「ああ……。似合っていると思うぞ」
「なんだそれ。もっと詳しく教えてくれよ」
私にそんなことを求めるな、と志具は声を大にして言いたかった。
志具がうんうんと唸り、ななせの身なりをどう説明しようものかと考えあぐねていると、次が来た。
「志具様。わたしの格好はどうですか?」
菜乃だった。彼女は純白のワンピースを着ていた。下品にならない程度に可愛らしいフリルがつき、青のリボンが首元にアクセントとしてつけられている。全体的に清楚な感じがしていた。
菜乃の容姿は、まさにそのような感じがするのだが、志具は彼女の腹黒さを知っているため、どうにも納得できないところがあった。また似合っているというのが、なんとも憎らしい。
ふふっ、と微笑みを浮かべて志具の感想を待つ菜乃。それはどこか余裕があるものだった。
「……似合っているぞ」
「志具様。それだけですか?」
不服そうな菜乃。どうやら「似合う」という言葉だけでは足りないらしい。ななせといい菜乃といい。
だが志具には、そうとしか言えなかった。そもそも、異性を褒めるということを、志具はあまりしたことがなかった。そんな機会に巡り合えなかったからだ。志具からも、そういったシチュエーションは、これまでの人生で避けていたことだった。
そのツケが今、回ってきているのか、と思うと、なんとも辛い。
二人の女子が志具から詳細な感想を聞こうと、じっと眼差しを向けていた。
そのとき。
「し、志具君……」
おずおずとした調子の声。それはマリアのものだった。どうやら彼女も、試着が完了したらしい。
志具がそちらへと振り向いた。
淡い、派手ではない清楚さが感じられる色合いと服装だった。脚を見せるためなのか、短めのパンツだ。ただ、もともとマリアは肌が白いうえに、脚が長く綺麗だ。それもあり、素足を見せるそのファッションは、ありといえばありだった。
ただ、マリアがあまり穿き慣れていないのか、恥ずかしさから頬を赤くさせている。
「ど、どう……かな?」
伺い見るようなマリアの視線に、志具はなんともドギマギする気持ちを持ってしまう。相手が恥ずかしがっていると、それが伝染して自分も同じような気持ちになってしまうのは、人のというべきか……。
「あ、ああ……。似合っているぞ」
志具は、ななせと菜乃の服装を見たときと、全く同じ感想をマリアに返した。
それを聞いたマリアは、ますます顔を紅潮させて、照れくさい笑いを漏らした。ほかの二人が志具の感想に不服を申し立てたのに対し、マリアはそれ以上の言及をしてこなかった。どうやらマリアは、ただそれだけの感想で十分に感じたようだ。
「……ん? なんだ、万条院?」
針のような視線を感じ、そちらを向くと、ななせが志具のことを半眼で睨んでいた。
志具に訊かれると、ななせは、
「別に。なんでもない」
面白くない、とばかりにぷいっとそっぽを向いた。
――何なのだろうか、こいつは……。
散々人のことを振り回しておきながら、こういうときは勝手に機嫌を損ねている。少々、身勝手が過ぎるのではないか、と志具は思ってしまう。
そんな志具の肩を、菜乃がぽんと叩く。そして、
「志具様。乙女心は複雑なのですよ」
「……どういうことだ?」
「自分で考えてくださいな♪」
そう言うと菜乃は、ななせに言葉をかけ始めた。どうやらフォローをしているようだ。
乙女心か……、と志具は深いため息を内心で吐いた。乙女心というものほど、志具にとってわからないものはなかった。
やがて、菜乃のご機嫌取りが成功したのか、ななせはもとのテンションを取り戻した。
その後も、ななせたちのファッションショーは続いた。志具にしてみれば、いちいち感想を聞かれるので面倒なことこの上なかったのだが、同時に、今までに感じたことのない気持ちの昂揚感を得ていた。
楽しい、と思っているのかもしれない。面倒に感じている部分もあるものの、その中に楽しみも紛れ込んでいた。言い方は悪いが、それはまるで、ゴミの中から少量の金塊でも発見できたかのような、貴重なものだと志具は思った。
――……まあ、旅行に来ているからかもしれないな。
旅行に来ていると、自然にテンションが、否が応にも上がるので、その影響なのかもしれない。だが、そうだとしても、この気持ちは悪くなかった。
しばらく続いたファッションショーだが、やがて「これ以上すると店の人に迷惑だ」という志具の一言でお開きとなった。
――◆――◆――
「よっしゃ。次はどこに行く?」
満喫した、とばかりのななせの笑顔。ほかの二人も似たような様子だった。志具も志具なりに、楽しんでいたので、よしとする。
ジリリリリ…………
突然、警報音が施設内に鳴り響いた。直後、ズズウウゥ…………ンと、建物が振動する。
「なんだ⁉」
ただ事でないことは確実だ。
『緊急事態が発生しました。施設内にいるお客様、ならびに重合院の方は、ただちに経路に従って避難してください』
あらかじめ録音されているのであろう、事務的なアナウンスが流れる。
途端、床が緑色の光が走った。よく見ればそれは、矢印をしていた。どうやら、これに従っていけば、無事避難できるということらしい。
事態の異常を感じ取ったらしい。客が騒ぎ出した。
施設にいた客が、怒涛となって経路を沿っていく。従業員は、施設の人間という矜持があるのか、パニック気味の客を冷静に誘導していた。
志具たちは人の波に流されていた。少しでも妙な動きをしようものなら、足をもつれさせて転倒してしまいそうだ。
怒号が飛び交い、事態がうまく呑み込めない小さな子供たちがその大声で泣いていた。それを鬱陶しそうに一瞥する第三者。我先にとばかり、人の波を押しのけて身勝手に行動する大人……。人間、追い詰められたときに、本当の自分をさらけ出してしまうものだ。特に、普段は目を背けている、醜悪な部分を。それが人としての本質、といってしまえば、それまでなのだが……。
志具たち一行は、初めこそ寄り集まって移動できていたのだが、そういった周囲の人の割り込みによって、徐々にバラバラにされてしまう。気づけば、志具はひとり孤立してしまっていた。
――どうにかしてみんなと合流しないと……!
急く気持ち。だが、こんな人の多いところでは、自由に身動きなどとれるはずもない。周りなど関係ない、とばかりに鷹揚に振る舞えばどうにかなるだろうが、志具はそんな自己中心的な行動は自制する人間だった。
どの道、この流れにまかせていれば、彼女たちに出会えるのだから……、と志具はそう割り切る。
そのときだった。不意に、志具の足元の緑色の光だけが、異様に眩く光りだしたのだ。
「な、なんだ⁉」
驚く志具。そうしている間に、志具の視界は緑色の光でいっぱいとなった。
次に体感したのは、唐突な浮遊感。重力の戒めから解き放たれたかのような、開放感。だがそれも2~3秒。すぐに身体が下に引っ張られる感覚を受けたかと思うと、ドスンと、床に豪快に尻餅をついた。
痛っ、と不意打ちの痛みに、志具は声を上げる。……が、目の前に広がっていた光景に目を奪われ、志具はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
そこは、この施設のメインフロアだった。
ただ、そこには自分以外の人間はひとりとしていなかった。出入り口のガラス扉は破壊され、大小のガラス片や瓦礫が散乱している。転々と、壊れた掃除ロボットが、火花を散らして動かなくなっているのも視認できる。
――いや、そもそも、私はどうしてこんなところにいるんだ?
自分は確か、避難していたはずだ。それなのに、突然、緑色の光に包まれたかと思うと、こんな場所に移動していた。
意味が分からない。ひょっとして自分は、ワープでもしたとでもいうのか?
オカルトチックな事象に、志具は頭を痛める。まさか科学の未来都市で、こんなオカルトに遭遇するとは思っていなかった。
だが、言ってしまえば、このエデンそのものがオカルトの塊というべきだ。外の世界とは一線を画した超高度な科学技術は、志具にしてみれば、すべてを論理的数理的に解決できる科学というより、神秘的なオカルト学と同じようなものだった。
不意に、志具の近くの床にめがけて、上方から巨大な物体が降ってきた。
ドッゴオオオオォォォォン、と豪快な音を振り撒き、着地した個所の床を踏み砕いた。あたりに欠片が無差別に散らされ、煙がもうもうと立ち上がる。
ごほごほ、と煙にむせる志具。やがて煙が晴れ、視界が明瞭になると、その正体が確認できた。
目の前にいたのは、言ってしまえば巨大な蜘蛛を模したロボットだった。
大小さまざまな銃口が顔をのぞかせている丸い胴を、メタリックな巨大な八本の脚で支えている。胴の下部には棒状のものが突き出しており、その先端が忙しなくぐるぐると動いていた。レンズのようなものがついていることから、おそらくはカメラか何かなのだろう。
それがふと、志具にピタリと向き、停止した。
すると、先程まで動きを停止していた蜘蛛ロボットが突然、起動を始めた。動き出した巨大な脚に踏みつぶされそうになり、志具はとっさにその場を回避する。
志具は鋭く尖った眼光を、蜘蛛ロボットに向ける。
突然のアクシデントに、いろいろと考えたいことはある。明確にしたい場所はある。だが、それらをひとつひとつ答えてくれるような相手は、ここにはいない。
ただ、唯一わかることがある。
ただ、偶然か、それとも必然なのか……。
この蜘蛛ロボットの狙いは、どうやら自分のようだということだ。