幕間2 思い出の品
自分にできた、唯一の友達。真道志具。
彼と出会い、彼とともに過ごす時間は、マリアにとってはダイヤモンドよりもずっと愛おしく、大切な宝物だった。
もっと彼と遊びたい。
もっと彼と一緒にいたい。
もっと彼と仲良くなりたい。
そんな気持ちが、彼とともに過ごす時間が増していくごとに、日に日に強くなっていった。
初めは嬉しかった北欧行き。
周囲の環境が変え、自分も変えようと決めたその決意。
今となっては、その決意も揺らぎつつあった。
彼と……志具と出会い、ともにふれ合うことで、自分は変われそうだと、マリアは思ったのだ。
だが、今となってはもう遅い。向こうの準備もすでに完了しており、今更子供ひとりが騒いだところで、引越しをするという事実はかわらないだろう。子供の我儘のせいで、親の仕事を妨害するわけにはいかない。幼い心ながら、そのくらいは察しがつくほど、マリアは大人だったのだ。
日に日に過ぎていく時間。彼との楽しい時間は、あと少しで終わる。それはまるで、火のついた蝋燭のようだ。蝋がとけ切ったとき、楽しみがなくなってしまうのだ。
「どうしたの? マリアちゃん」
引っ越しまであと1週間を切ったとき、ふと志具が、マリアにそう言葉をかけた。
「どうしたのって……なにが?」
「マリアちゃん。ここ最近、ずっと辛そうな顔をしてるよ?」
他人に言われ、マリアは初めてそのことに気づかされた。自分の今の顔は、表情は、はた目から見てもわかるほどに辛そうなものになっていたのか、と。
ずっと隠し通して、自分の胸の内にだけ留めておこうとしていた気持ちが、表情となってあらわれていた。そのことを指摘され、気づかされると、マリアの目から、自然と涙がこぼれ始めた。
「あ、あれ……? おかしいな……」
涙はとめどなく溢れ、乾いた砂地にこぼれおちていく。手でぬぐっても、ぬぐいきれない。
そんなマリアに、志具からそっと手渡されるものがあった。――ハンカチだ。
マリアはそのハンカチを受け取り、涙をぬぐう。ぬぐってもぬぐっても止まらないので、しまいにはハンカチで顔を覆った。それは、自分の泣き顔を見られたくないという、意地からきたものだった。
もう見られているのに、隠しても無駄なのに……。それでも、嫌だったのだ。
俯いているマリアの頭を、志具は優しく撫でる。親が子供をなだめるように。
嗚咽を漏らす。こんなに同年代の子に優しくされたのは、思えば初めてだったかもしれない。見返りも期待せず、純粋な優しさに満ちた善意を受け取るのは……。
嗚咽が止まるまで、涙が止まるまで、志具はずっと、マリアの頭を撫で続けた。
どれくらいの時間が経っただろう。不意にこみ上げてきた悲しみが治まった。
「……ごめんね。ハンカチ。あと、急に泣き出したりなんかして」
「いいよ。気にしてないから」
そう言い、柔らかな微笑を浮かべる志具。その笑顔は、見る者を安心させる、そんな魔力が込められているみたいだった。
「……なんで、泣いたの?」
少しの沈黙をもって、志具は恐る恐るといった感じで、そう訊いてきた。
無理もない。突然泣き出されもすれば、その原因が知りたいと思うものだ。
マリアはしばらく俯き、口を閉ざしていたが、やがて、話すことを決心した。
「……わたし、引越しするの」
ポツリと呟かれた一言に、志具は目を丸くさせて驚いた。
「どこに……いくの?」
「ここからずっと遠く。だから、もう会えないかもしれない」
そう……、と志具。その表情は少し寂しげだった。
だが、それはマリアとて同じだった。互いに同じ感情を胸に抱き、なんともいえない空気が、場を満たす。
「……ごめんね。今まで内緒にしてて」
「ううん。マリアちゃんだって話しづらかっただろうし、むしろ話してくれたことに感謝しているよ。突然いなくなられたら、僕もその……不安になるから」
言葉は優しさに満ちていた。……が、彼の表情は寂しげだった。そんな表情にさせてしまったことに、マリアは罪悪感を感じる。
ごめんね……、ともう一度謝るマリア。何度謝っても、謝りきれるものではないことは、重々承知だ。だがそれでも……そうせざるを得なかったのだ。
志具は、「ううん、いいよ」と俯き加減のマリアの頭を、優しく撫でる。優しさが彼の手のひらから自分に注がれているようで、マリアはまた泣きたくなった。
だけど、ここで泣いても彼を困惑させるだけだ。緩みそうだった涙腺を、根性でキュッと締める。
「ねぇ、志具君」
マリアは口を開く。
なに? と志具はマリアの次の言葉を待った。
「もしよかったらこのハンカチ、わたしにくれないかな?」
突然の申し開きに、志具は若干キョトンとする。
マリアは、少しでも彼とのつながりを持ちたかったのだ。それがどんなに儚いものでも、それを大事にすることで、これから訪れる引っ越し生活を耐えられるような……そんな気がして……。
「いいよ。あげる」
志具は、迷いもなくそう言った。
そんな彼に、マリアは「ありがとう」と言う。
自分の手のひらにある、志具のハンカチ。
それは今、自分の涙で濡れている。
だが、その涙が乾いたとき、自分はきっと、これからの生活に絶望せずに耐えられる。
そう、マリアは感じていた。