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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第2章 銀腕の戦士
16/20

第3話 ゴールデンウィーク、開始

 カーテンの隙間から差し込む朝の陽光を受け、マリアは夢から覚めた。


 眩しい陽光に一瞬目を細めながらも、決して不快な感じはしなかった。むしろ、やっとこの日が来てくれたという、ワクワク感のほうが、ずっと勝っていた。


 楽しみを未来に置いておくと、時間の進むのが早く感じるというものだった。同時にじれったいと思う気持ちもあるが、それ以上に胸の高揚感のほうがはるかに勝る。


 そして、今日からゴールデンウィーク。前々から約束していた、旅行の日がやってきたのだ。


 マリアは時計を見る。時刻は六時半。休みの日は八時くらいまで眠っているマリアにしてみれば、かなり早い起床だった。それだけマリアが、今回の旅行を楽しみにしていたということだ。


 今回遊びに行く海上都市エデンがある大阪までは、新幹線でいく。新幹線乗りのキップは十時のものを買っている。時間に余裕をもたせるために、九時半には新幹線乗り場前に集合するようにと、志具たちと約束していた。


 ……志具君……。


 彼の名が心の中から浮上したことで、マリアは夢のことを思い出す。


 あれは、マリアが初めて志具と出会ったときのこと。


 冷めついていた心が、彼と出会い、触れ合うことで、ゆっくりと溶けていったときのこと。


 ありていに言えば、マリアは志具のことが好きだった。あのときは出会って間もなく、北欧に引っ越しをしてしまったが、だからこそわかったのだ。


 短い付き合いだったが、あのとき自分は間違いなく、彼に恋心を抱いていたのだと。


 北欧にいたときも、志具のことが忘れられなかった。見知らぬ土地で暮らすことに不安を覚えていたとき、彼は心の支えになってくれていた。


 だから、約五年ほどで日本に帰ってき、堂守学園に編入したとき、志具に出会えたときは、たまらなく嬉しかった。


 ……まあ、志具君はわたしのこと、忘れてしまってたんだけどね。


 唯一、彼と再会して不満に思った点は、それだけだった。……まあ、共に遊んだ時間が非常に短い間だったから、忘れてしまっていても仕方のないことなのかもしれないが……。


 当時、マリアは志具に自分のことを憶えているか、ということを訊かなかった。


 どうしてか? それは、志具との関係性を変に歪めたくなかったからだ。ここで変にしつこく訊いた結果、距離を置かれたくなかったのだ。


 憶えていないならそれでいい。ただそれなら、あのとき以上に彼との関係をより密にしていこう。――そう、マリアは誓った。


 ……にしても……。


 マリアは昔の志具のことを思い出すと、クスリと笑みがこぼれた。


 今のクールな彼とは、まるで別人のようだった。あのときの彼は。


 ただ、時折見せる彼の仕草を見ると、あのときの頃から何も変わっていない点があるのも事実だった。


 特に、あのが来てからは、より謙虚になった気がする。


 …………。


 それを思うと、少しばかり悔しい気がしてならない。自分のほうがはるかに長い間彼と接しているのに、ここ一ヶ月にも満たない間で、あそこまでスキンシップがとれている彼女に、マリアは憧憬と悔しさの念を抱いていた。


 今日からの旅行は、マリアにしてみれば勝負の時だった。


 自分からあの娘に気持ちを鞍替えさせようとしている彼を、もう一度自分に振り向かせるために。


 ベッドから出、マリアは鏡の前に立つ。全身がうつし出されているその鏡の前で、マリアは両手に拳をつくり、


「よしっ。がんばるぞ――!!」


 気合いに満ちた声を上げるのだった。



――――◆――――◆――――◆――――



 朝の六時半。志具は目覚まし時計が鳴るよりも早く目を覚ました。


 すばやく掛け布団をどかし、上半身を起こす。


 そして、部屋を見渡した。


 室内は水を打ったような静けさだった。ただ、一階のキッチンからは、何かを料理する音が聞こえていた。十中八九、菜乃だろう。いつもいつも、朝早くからご苦労なことだ。


 ――と、そのときだった。音を立てることもなく、部屋の扉が開かれたのは。


 来たか……、と志具。


 じっと志具は、扉を注視する。


 ドアの隙間をじっと見つめていると、その隙間から室内を見渡す目が現れた。


 その目と志具の目が、ピタッと一致した。


 視線を交差させたまま、時間が止まったように両者は動かない。


 時間にして十秒ほど。その時間をもって、室内を覗き見ていた目は、扉が閉じられるのに合わせて――なくなった。


 そして、扉の向こうから、「チッ」というあからさまな舌打ち。


「…………何しているんだ、ななせ」


 扉の向こうの主に、志具は語りかける。すると今度は、勢いよく扉が開かれた。先ほどとは真逆である。


「何しているもなにも、お前こそ何してるんだ! 志具!」


 開口一番の大声。目覚めたばかりなので、正直やめてほしいと思う志具。


 それよりも、なぜ自分は怒られているんだ? 怒られるべきは、勝手に他人の部屋に踏み込もうとしていた彼女のほうではないのか?


 当たり前の疑問がわき立つ志具。だが、こんな些細な疑問は、ななせの前では通用しないことを、志具は知っている。


 ななせはというと、はぁ~、とぞんざいな溜息をつき、腕を組むと、


「せっかく未来の嫁がかいがいしく夫の布団の中にもぐりこみ、おはようのモーニングコールとともに朝の誓いのキスをしようとやってきているのに、先に起きているというのは何事だ!」


「かいがいしい女性は舌打ちなんてしないと思うが……」


「もっと空気を読め、志具! 男子なら大金はたいてでもやってもらいたいシチュエーションを、あたしがタダでやってやろうって言っているのに!」


「タダより高いものはないというが……?」


「というわけで志具。テイク2、行くぞ!」


 ことごとく志具の発言をスルーして、ななせは部屋から退場する。


 ただ、扉の向こうからは、何とも言い難い人の気配がしており、あからさまにスタンバイしているのがわかる。


 志具は付き合うつもりは毛頭ないので、さっさと着替えることにする。


 タンスから衣類を取り出し、パジャマを脱いで、上半身が裸になったところで、


「……ん?」


 背後から視線を感じた志具。振り返ってみると、そこには扉の隙間から顔だけをだし、「ほうほう」と頷き、裸体に熱視線を向けているななせがいた。


「……なにしている?」


「裸体を見ている!」


「なに誇らしげに言ってるんだ! 君は!」


 ズバリ指摘され、ななせは「むっ、そうか……」と呟くと、顎に手をあて、思案顔。


 そして、妙案が浮かんだ、とばかりの表情になると、


「……お、お兄ちゃんの、ハダカんぼを見てるんだよ?」


「……寒気がするからやめてくれないか?」


「さ、寒いの? お兄ちゃん。……だ、だったら……妹のわたしが温めて、ア・ゲ・ル」


 言うとななせは部屋に侵入し、扉を閉めると、自分の服に手をかける。


「な、なにするつもりなんだ、君は」


「ねぇ、知ってる? 裸同士で抱き合うと、身体が温もるんだよ? お兄ちゃん」


 服の裾に手をかけ、まくりあげ始めるななせ。


 魅力的な柔肌の面積が増え、やがてはブラジャーの下部が見えそうになったところで、


「と、とりあえずそのキャラをやめろ!」


 視線を逸らし、志具は言った。


 するとななせは、ニヤッ、と笑うと、服を脱ぐのをやめ、


「どうだった? ちょっと興奮したか? 志具~」


 と、意地悪っぽく言ってみせた。


「べ、別に興奮なんてしていない!」


「あははっ。志具ったら、顔が真っ赤だぞ~? なにか期待してたんじゃないのか~?」


「してないっ! 全然してないからな!」


「ちなみにさっきのは、『甘えん坊で兄に恋心を抱いている義妹』を演じてみたんだけど……どうだ? 迫真の演技だったろ?」


「百点満点中十点だ!」


「一応評価はするんだな」


 なっ、と志具はさらに顔を熱くさせる。つい律儀に答えてしまった自分が恨めしい。


 ななせはおかしいとばかりに、あはははは……、とからっとした笑いを上げる。


「……と、そうだそうだ。志具、そろそろ朝食ができるから、早く着替え済ませて下りてこいよ~」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ななせは部屋から出ていった。



――◆――◆――



 志具が着替えを終え、一階に下りてみたら、ななせはすでに自分たちの席に着席していた。


「おはようございます、志具様。ご飯の用意はもうできてますよ」


 台所で調理器具の片付けをしている菜乃が振り返り、志具に挨拶をする。陽だまりのような微笑みとともにかけられた言葉に、志具は「おはよう」と言葉を返す。


 テーブルに並んでいる料理を眺める。大皿に添えられた卵焼き、焼きししゃも、カットされたトマトにレタス、そして各々の席に準備されているわかめと豆腐の味噌汁に白ご飯……。今日の朝食は和食メインのようだ。


「いつもすまないな、菜乃。いつも大変だろ?」


 毎朝、誰よりも一番早く起床し、このように食事を用意してくれる菜乃に、志具はねぎらいの言葉をかける。


「いえ、これがわたしの仕事ですので、お気になさらなくても結構ですよ。それにわたし、料理をつくるのは好きですので」


 その言葉には、無理をしているという色は感じられなかった。きっと本心なのだろう、と志具は理解する。


 その後、菜乃に「先に席についていてください」と言われ、志具はその通りに従った。


 志具の向かい側の席には、ななせがすでにスタンバイしている。


「おはよう♪ お兄ちゃん」


「……もうそのキャラはやめろ」


 ため息混じりに志具は言う。


 ななせは「悪い悪い」と反省すると、今度は普通に挨拶をした。思いのほかあっさり自分のいうことを聞いたななせに、志具は少し驚いたが、返事をしないのも失礼だと思い、彼女に「……おはよう」と言った。


 そのとき、菜乃がちょうど料理器具の片付けを終えたので、三人そろって食事を取り始めた。


「いよいよ今日が来たって感じだな」


 朝食をとり初めて間もなく、ななせがそう話を切りだした。ななせの言わんとしていることは、志具にも容易に想像がついた。


 今日からゴールデンウィーク。前々から考えていた旅行の日が、今日からなのだ。


 心なしか、ななせの声色は弾んでいた。素直に楽しみなんだということが、傍目からでもわかる。


 志具は、そうだな、と頷く。


「なんだよ、志具。お前は楽しみじゃないのか? 今回の旅行」


「楽しみだよ。ただ……顔に出ないだけだ」


 その言葉に嘘はなかった。旅行なんてするのは学園での修学旅行以外では、実のところ初めてだった。両親は昔から家を留守にすることが多かったし、生活費は振り込まれていたが、それで旅行に出かけようなんて考えは、浮かんでこなかったのだ。


 なので、志具の心は、それなりに浮足立っていた。ただ……それが表情としてなかなか出にくいというのが、本人の悩みだった。


「志具はもう少し、感情豊かになるべきだよな。そんなに無表情だと、顔の筋肉が強張っちゃうぞ~」


 そう言い、ななせは身を乗り出して志具の片方の頬を掴み、横に伸ばした。


「……食事中だぞ」


 志具はそれを、軽く手で払いのけると、卵焼きをひとつつまむ。


 ななせは、あはは、と笑うと、


「でも志具って、ぶっちゃけクールって感じじゃないよなぁ」


「なぜそう思うんだ?」


「だって……」


 ななせが不敵な笑みを浮かべる。


 いかん。嫌な予感しかしない……。


 そう悟った志具だが、もう時すでに遅かった。


 ななせは箸を置くと、自分の胸元をくいっと見せつけた。思わず志具はぶっと吹き出すと、慌てて目を逸らす。


「な、……いきなり何をするんだっ、君は!」


「あはは……っ。志具ったら頬が赤いぞ~」


「う、うるさい! 早くそれをやめろ!」


 慌てて胸元を隠すように言う志具。ななせはニヤニヤとした笑みを浮かべながら服を正すと、


「やっぱりな。冷静沈着で冷め切ったやつだと、そんなかわいい反応はしないぞ~。やっぱり志具はクールっていうより、単に性格が暗いだけだな」


「悪かったな。性格が暗くて」


 ぶっきらぼうに言い放つ志具。


 しかしここで、ななせの言葉は終わらなかった。


 でもまあ……、と言葉を続けるななせ。


「なんだかんだで、お前は良心的でいいやつだって思うよ。少なくとも、好き好んで他人を傷つけるような真似はしないやつだし、心根は優しいやつだしな」


「……」


「ん? どうした、志具?」


「な、なんでもないっ」


 首を傾げられ、志具は慌ててななせから視線を逸らす。


 正直、彼女からそうやって自分の評価を聞くことになるとは、思っていなかったことだ。しかもその内容はネガティブなものではない。


 素直に褒められ、志具としても反応に困ってしまった。なにか裏があるのでは? と、つい余計なことを考えてしまう。


 だが、ななせからそういった雰囲気は感じられないので、彼女なりの正当な評価なのだろう。そんな評価をされたことに、志具は少しばかり、嬉しく思っていた。


 ……まあ、これで日頃のセクハラ行為をやめてくれればいいのだが……。


 普通、このような不安を感じるのは女性のほうであるはずなのだが……、と志具。


 そんな複雑な気持ちを心の中で渦巻かせていると、うふふ、と菜乃が口元を隠し、笑みを漏らしていた。


「なんだ? 花月」


「いえいえ。お二人とも、仲がいいんだなぁ、と思っただけです」


「ああ。あたしと志具は、いつでもどこでもラヴ真っ盛りだぞ」


 花真っ盛りみたいに言うな、と志具は心の中で突っ込む。


「この様子なら、ななせ様が志具様の夜伽をなさるのも、時間の問題というものですね」


「その通り! まあ、あたしはいつでも準備オーケーなんだけどな! いつでもその時が来てもいいように、毎日が勝負下着だ!」


「さすがななせ様! 一途な乙女の鏡ですぅ!」


「私は断じて、そんなことは認めんからな!」


 一喝する志具。


 ななせと菜乃は、目を丸くさせて志具を見る。いきなり怒鳴ったから、やり過ぎたと反省でもしているのだろうか、と思う志具。


 だが、違った。菜乃は口をわなわなと震わせると、


「で……では、志具様はまさか……。わたしも混ぜてのダブルどんぶりがやりたいと!?」


「誰もそんなこと言ってない!」


「困りました……。わたしは確かに志具様のメイド。ご主人様のご所望とあらば、叶えて差し上げるのがメイドの勤め。しかし……このようなセクシャルなものとなると、さすがのわたしも考える時間が必要になってくるというもので……」


 もじもじと志具から視線を逸らし、頬を赤らめる菜乃。


 そんな彼女の肩をポンと叩くななせ。


「諦めろ、菜乃。志具はああ見えて……いや、ああ見えるとおり、むっつりスケベでマニアックな趣向の持ち主なんだ。そんな鬼畜ご主人のもとで働くと決まったときから、このような展開になることは決定事項だったのさ」


「ちょっとは私の話を聞けえええぇぇぇぇ――――!!」


 勝手に話を進めていく二人に、志具は魂の叫びを上げるのだった。



――◆――◆――



「いやですねぇ、志具様。ちょっとしたメイドジョークというものですよ」


「まさか志具~、さっきの話、本気にしていたのか~?」


 上品に微笑む菜乃と、小悪魔的な微笑を浮かべるななせ。志具は「本気にするわけないだろう!」と一喝し、食べることに意識を集中させる。そろそろこの二人の発言を真剣に受けるのはやめたほうがいいかもしれない、と心の中で思い始めながら。


 そのとき、ピンポーン、とチャイムが鳴った。早朝から来客か……、と思い、志具が席を立とうとすると、


「あっ、志具様は座っていてください。わたしが出ますので」


 と言い、菜乃が席を立ち、玄関まで向かっていった。こういうところは、メイドのイメージに沿うのだがなぁ、と志具。


 ななせと二人きりになった志具は、黙々と朝食をとることにする。時々、ななせが他愛のない四方山話を話すので、それに相槌を入れる程度で。


「……遅いな」


 菜乃が食卓から一時退場してから三分が経過しようとしていた。てっきり一分もかからないと思っていた志具にしてみれば、時間の経過がやけに長いと感じていた。


「何かのセールスの勧誘とかで困っているとか思ってるのか?」


 そう言うななせに、志具は「まあな」と返事をする。


 壁にかけられている時計の針は、そろそろ7時半をまわろうとしていた。ななせたちが来てわかったことだが、女性というものは、身支度に時間がかかるらしい。特に年頃の女子は、着ていく衣類のチョイスや化粧などに小一時間ほどかかるようだ。九時半には集合だと、マリアに言っているので、集合時間から逆算すると、余裕をもって、そろそろ身支度を始めないといけない頃合いだ。


「……少し見てくる」


 腹八分目までお腹を満たした志具は、食器類をシンクに置くと、玄関に向かった。


 玄関の扉は開けられており、菜乃の後ろ姿と、来訪者の姿が見て取れた。


 来訪者は女性だ。


 栗色の髪を肩まで伸ばしており、くせ毛なのか、髪の先端が外に跳ねていた。瞳も髪と同じ、明るい栗色だ。


 身にまとっている服は、どことなく警官の制服を彷彿とさせる、どことなく硬いイメージを抱かせる。


 背丈は百六十センチほどだろうか。菜乃とほぼ同じ身長のようだ。


 彼女は菜乃になにか言っているようだったが、志具の視線に気づいたらしい。ふと彼女と目が合った。


 そんな栗色の視線の先をたどる菜乃。


「あっ、志具様。いつからそこに?」


 驚いた様子の菜乃。どうやらこっちのことに気づいていなかったらしい。志具は菜乃に、「ついさっきだ」と言葉を返し、菜乃に近づく。


「貴方が……真道志具さん、ですか」


 近づいてきた志具を、栗色の髪の少女はじっ……と見つめる。頭のてっぺんから足のつま先まで、まるで品定めをするように視線を移動させると、ボソリと呟く。


「……なんだか、私のイメージと違います。どことなく暗い感じがします」


「……出会って早々の相手に、その言葉は失礼なのではないか?」


 とはいえ、否定ができないのも事実だが……、と志具。


 少女は、自分が言葉を発したことに、気づいていなかったらしい。頭の中の考えが、ついぞとばかり漏れてしまった、といった感じだ。ハッと我に返ると、慌てた様子で、


「す、すみませんっ。いや……その……、貴方のご両親と、イメージがあまりにもかけ離れていたものですから……」


「……? 私の両親と会ったことがあるのか? 君は」


 はい、と少女は柔らかい声色で答える。


 なるほど……、と志具はひとり納得する。この目の前の少女も、どうやらただ者ではないらしい、と。


 そんな志具の空気を察したのか、菜乃が少女のことを紹介する。


「紹介します。わたしの親友の西元にしもと佳織かおり、さんです」


「西元佳織です。出会って早々、失礼なことを言ってすみませんでしたっ」


 焦った様子で頭を下げる少女――西元佳織。失言を言ったことをすぐに謝ったりするあたり、悪い人ではなさそうだ、と志具。


「いや、かまわないよ。私もそこまで根にもったりはしてないから」


「そ、そうですか? なら……いいんですけど……」


 視線を伏せ、もじもじと身を動かす佳織。


 そんな彼女に、菜乃は「そうですよ」と言葉をかけると、


「志具様は根暗でどうしようもないほどの色魔ですが、基本的に人畜無害ですから」


「おい。だれが色魔だ」


「だって……今朝だってななせ様に、自分の裸体を見せつけて、『ところで、私のセクシーなボディを見てくれ。こいつをどう思う?』って言ったのでしょう? ななせ様から聞きましたよ」


 あいつ……。つくづく事実を捻じ曲げてるな。


 額を指で押さえ、眉根を寄せる志具。


「ほ、本当なんですか? 真道さんっ」


「違う。誤解だから、本気にしないでほしい」


 疲れがにじみ出ている声色の志具に、佳織は「わ、わかりました……」と頷く。それはどこか、「貴方も苦労しているんですね」といったニュアンスが含まれているような気がしてならなかった。


「ところで志具様。なにか用ですか?」


「ん? ああ、そろそろ身支度をしないと、集合時間に間に合わないぞって、言いにきたんだ」


「あっ。もうそんな時間なんですか?」


「ああ。準備に時間がかかるだろ? 早くしたほうがいいのではないか?」


 志具に言われ、菜乃は「わかりました。――では佳織さん、このへんで」と軽く会釈をすると、食卓のほうへと向かって行った。


 玄関に残される志具と佳織。


「そういえば、今日から旅行なんですよね。菜乃ちゃんから聞いてます」


「そうなのか? ……ところで、君は何のためにここに?」


 抱いていた質問を、志具はする。


 佳織は「それは……」と呟くと、口をもごもごとさせ始めた。それで、志具は察する。


「別にいいぞ。言いたくないことなら言わなくても」


「すみません。いずれ菜乃ちゃんから聞くことになることなんですけど、私から言うのはその……憚られるというか……」


 それに……、と佳織は、頬を薄いピンク色に染めると、


「私……男性の人に、その……慣れてなくて……。その……すみません」


 謝る佳織。


「別に謝る必要はないぞ。気にしてないから」


 手を軽く振って、そう言う志具。


 佳織は「そ、そうですか……」とホッと安心したような表情になると、


「真道さんって、優しいんですね」


 と、言った。


「優しいって……そんなのではないさ。だいたい、そんなので優しいとか他人に言っていると、簡単にだまされるぞ。特に男にな」


「そ、そうなんですか?」


 目を丸くさせる佳織に、ああ、と志具は答える。


 すると佳織は、「わかりました。以後、気をつけますっ」とビシッと敬礼してみせた。どことなく警官っぽく、様になっていた。


「で、では真道さん。私、この後も仕事がありますので……」


「そうか。気をつけてな」


 そんな志具に、佳織は「はいっ」と再度敬礼して、志具の家を後にした。



――◆――◆――



 身支度をし、旅行バッグの中身を最終確認をした後、家の鍵閉めやガスの元栓閉めなどをすると、時間はあっという間に過ぎていった。そのため、集合場所に到着する頃には、集合時間ぎりぎりの時間となっていた。


 自分たちと同じ旅行者のほかに、出張に出かけるサラリーマンなどの姿が、ちらほらと見受けられる。その中、太い柱の壁に寄り添うように立ち、あたりをきょろきょろと見渡す少女がひとりいた。


「マリア!」


 志具のその声にピクリと反応し、志具のほうを振り向くマリア。不安そうな表情は一変、花開くような笑みになるマリア。


 そんなマリアに駆け寄る志具。その後にはななせと菜乃が歩いてついてくる。


「すまない、マリア。待ったか?」


「ううん。大丈夫。わたしもさっき来たところだから」


 声を弾ませるマリア。よほど旅行に行くのが楽しみらしい。


「額面通りにマリア様のお言葉を受け取らないほうがいいですよ、志具様。こういうときは決まって、三十分ほどは待っているものですから」


「ど、どうしてそれを……っ! ……じゃなくてっ、別に、そんなに待ってないよっ」


 菜乃の言葉に、マリアはあたふたと反論する。


「本当なのか?」


「ち、違うよっ。菜乃さんの言葉を真に受け取らないで、志具君」


 必死な様相のマリア。深く入り込まないほうがいいな、と志具は察し、それ以上は何も言わなかった。


「さぁ、志具。いよいよあたしとのハネムーン旅行が始まるわけだけど……気分はどうだ?」


「……とりあえず、そんな君の発言がなければ、それなりに楽しめる旅行になりそうだがな」


「照れなくていいんだぞ? 家族水入らずの旅行だ。もっと自分をさらけ出せばいいと思うぞ?」


 そう言いななせは、志具の腕にがっちりと抱きつき、顔を近づける。


「ち、ちょっとななせさんっ! 近づきすぎだよっ! 志具君から離れて離れて!」


「え~。志具だって、悪い気はしてないはずだぞ? あたしの柔らかな二つのメロンちゃんを押し付けられているんだからな」


「メ、メメメメメロンっ、って…………。――志具君っ! そうなのっ? ななせさんのあまい果実を堪能して、脳がとろけてしまいそうで今にも野獣さんガオーっ! ってなっちゃいそうなの!? そ、そんなのわたしが許しません――――!!」


「お、落ちつけマリア。私がそのような人間に見えるのか?」


 志具がなだめようと、落ちついた声で言葉を紡ぐ。マリアは、ピタッと一時動きを停止させ、思案顔になる。


 よかった……、と安堵する志具。


 だが、


「む~……。でも、最近の志具君を見てると、その言葉もあまり信憑性がないような気がする……」


 疑心暗鬼な様子のマリア。


「だって志具君。ななせさんたちが来てから、心なしか楽しそうなんだもん」


「だ、誰が楽しいものかっ! いい迷惑なんだ! こっちは」


「そうかなぁ……」


「そうなんだ!」


 ジト……とした半眼を志具に向けるマリア。志具にはここ最近、ななせたちが来てからというもの、マリアは疑いの眼差しを自分に向けてくる回数が増えているような気がしてならなかった。


 だが、それもよくよく考えてみれば仕方ないことなのかもしれない。なにかあるごとに、ななせは志具にスキンシップをとってきている。それがたとえ一方的なものだとしても、第三者からしてみれば早々わかるものではない。


 マリアは、む~、と唸りながら志具の目を見て、嘘が本当かを見定めようとしていたが、やがて瞼を閉じ、うん、と頷くと、


「わかった。今は志具君の言うことを信じることにするよ」


「そ、そうか? ならいいのだが……」


 ホッと胸を撫で下ろす志具。そのとき、ふと腕に抱きついているななせと目が合った。半眼で志具のことを見つめるななせに、志具は言う。


「……なにか言いたそうだな」


「べっつに~。許嫁が傍にいるというのに、ほかの女の子を口説こうとしている未来の夫に、ちょっとした疑心暗鬼が訪れただけさ」


「別に口説いていたわけではないぞ」


 言葉を返す志具だが、ななせの様子が前とは違うような気がした。出会って間もないななせは、こういったことになっても、余裕の笑みを浮かべて対処していたはずだ。


 ……なにか心境の変化でもあったのだろうか?


 そんなことを思う志具だったが、深くは考えないことにする。ここでむやみに突っ込んでも、ろくな結果にならないことはわかっている。


 ななせは先刻のマリアと同じような疑心の眼を志具に向けていたが、やがて口元を緩めると、


「よし、わかった。そうだよな。お前が早々、そんなチャラチャラした言動をするとは思えないしな。――なにせ根暗だし」


「そうですよ、ななせ様。自分にもっと自信を持ってください。――なにせ根暗だし」


「志具君。そろそろ改札を通ったほうがいいんじゃないかな? ――なにせ根暗だし」


「おいっ! 前者二人はわかるとして、マリアのやつは何なんだ?」


「空気を読んでみました」


「読まなくていいぞ! そんな空気!」


「そうだよな。空気は読むものじゃないよな」


 と、ななせ。


「空気は……吸うものだ!」


 キリッとした表情を志具に向けるななせ。


「……なに君は格言を言いました的な顔をしているんだ?」


「してみたかっただけだ。深い意味はない」


 なんだか話の論点がずれたような気がしてならない志具。そんな彼の思いをくみ取る人は、ここにはいない。


「じゃあ、そろそろ改札抜けようじゃないか。中で待ってたほうが、すぐに新幹線に乗れるし、あたふたしないだろ?」


 そう言うとななせは、自分のキャリーバッグをひいて、改札口へと向かって行く。その後には菜乃がついていく。


「志具君っ、楽しい旅行にしようね」


 二人になったとき、マリアが志具に声をかけた。彼女の表情はまるで花咲いたような魅力的なものだった。


 そんな彼女に、志具は「そうだな」と口元に薄く微笑みをつくると、マリアと一緒に、改札を抜けるのだった。

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