エピローグ 踏み出す決意
翌日。
午前中の授業を終えた志具は、弁当類を持って、校舎の屋上へ向かった。
長い階段を上がり、観音開きの冷たい鉄扉を開けると、そこには――
「……いないか……」
広い屋上を見渡しても、人っ子ひとりいない。
いつも誰よりも早くやってきては、志具たちが来るのを待っていた後輩の姿は、どこにもなかった。
……まあ、無理もないか。昨日の今日だしな……。
町をにぎわせていた辻斬り事件の犯人。それがいつも顔合わせしていた時分の後輩だったことに、志具は今でもそれなりの衝撃を受けている。
ちなみに昨日、廃病院に集まった人たちは、一時は気を失っていたものの、全員意識を取り戻した。意識を回復させた人たちは皆口々に、「どうしてこんなところにいるんだ?」というようなことを言っていたが、志具たちは答えられるはずもなかった。マリアも当然ながら、例外ではなかった。近くにいた志具たちに、「何か知らない?」と訊かれたが、志具たちは白をきりとおしてみせた。
「早いぞ、志具。そんなに急ぐなって」
扉が開き、次にやってきたのはななせだ。どうやら志具の後を走ってついてきたらしい。
志具の姿を発見したななせは、ホッと息をつくと、志具と同じように周囲を見渡す。
「……いないのか。あいつは」
「まあな。まあ、あんな事件を起こした後だからな。色々とあるのかもしれないな」
色々、というところは言葉を濁す志具。その言葉の中身を察知したななせは、それ以上追及しようとはせず、「そうだな……」と相槌を打つ程度に終わった。
落下防止用のフェンス越しに景色を眺める志具の隣にななせはつくと、彼と同じように外の景色を眺め始めた。
志具は横目で、ななせを見やる。そよ風に吹かれ、髪をなびかせ、どこか遠い目をしている彼女の姿は、神秘的な雰囲気をもっていた。
そんな彼女に、志具は意を決して、話をする。
「……なぁ、万条院。ひとつ相談があるのだが……」
「ん? どうした? 急に改まったような声を出して」
笑いを漏らしながら、ななせは訊く。それほどまで今の志具は、生真面目な空気を醸し出しているのだろう。
だが、それも仕方ないことだ、と志具。なにせこれから口に出そうとしている決断は、生半可な覚悟ではないものなのだから。
「私も……魔術師になることはできないだろうか?」
「魔術師に?」
驚きに目を丸くさせるななせ。その反応から察するに、まさかそういう発言が飛び出すとは想像していなかったのだろう。
「どうして?」
当然の疑問を口にするななせ。
志具も、その問いがくるのは予測していた。志具は一呼吸の間を置いて答える。
「私は……知りたいのだ。私の両親がたどった軌跡を。今まで知りえなかった、自分の両親のことを、自分自身の手で」
両親が身を置いていた、魔術師の世界。
志具は、単なる親バカでバカップルだった二人のことしか、両親のことを知らない。そんな二人が自分に見せなかった一面を、志具はどうしても知りたかった。
「だけどそれは、お前のご両親が隠したかったことかもしれないんだぞ」
ななせの声は、真摯な色を帯びていた。
彼女の言っていることは、理解できないでもない。もし両親が志具に、魔術師としての道を歩んでほしいのなら、自分たちの存在を隠すことはなかっただろうし、志具をオカルトから遠ざけるような真似もしなかっただろう。それをするということは、志具の両親が彼に魔術師の世界に身を置いてほしくなかったという表れだったかもしれない。
……まあ、本人たちはどこにいるのかどうかわからないので、確認のしようがないが、と志具。
だが、それでも志具は、
「なら、なおさらだな。家族間で隠し事などという水臭いものを払拭するためにも、知る必要がある」
「……意外と強情なんだな、お前って」
「ああ。自分でもびっくりだ」
ななせと志具はそう言いあうと、互いにふふっと口元を緩める。
ななせは、意外と強情な志具に対して、半分呆れ半分見直したという意味合いを込めて。
志具は、自分自身の内にあった意外な一面に対して純粋に。
「それに、それだけが理由ではないさ」
「というと?」
ななせが訊く。
志具は彼女の顔をじっと見つめる。彼は、正直に言うべきか逡巡している目をしていた。
ななせは「?」とばかりの顔をしている。鋭い勘を発揮してくれていないようでなによりだが……。
――……やむを得んな。
ここまで言ってしまったのだ。後には引けない。
そう思い、志具は「もうひとつの理由」を白状した。
「……君に負担をかけさせないためだ」
「あたしに?」
ああ、と志具は彼女から視線を逸らして、話を続ける。
「君は、私のことを護ってくれると言ってくれた。それは素直に嬉しかったよ。……だが、君の言葉を素直に受け入れられない自分がいたのも事実なんだ」
「どうしてだ?」
「男の意地って、やつなのかもしれない……。護られてばかりではなく、男である私は、君を同じように護ってやりたいのだ」
今の志具には、幸いというべきか、力がある。『グラム』という力が。
それは自由に行使できないものだが、全く無力というわけではない。
それに……、と志具。いつの日か、この聖剣をうまく扱える日が来ると信じている。……いや、使いこなしてみせる。
志具はななせの顔をちらりと見る。ななせは……ポカンと口を半開きにさせていた。そのような言葉がくるとは、予想していなかったと言わんばかりの顔だ。
だが、ハッとすると、ななせは眉根を引き締め、志具に尋ねる。
「一度あたしたちの世界に足を踏み入れれば、二度と普通の日常には戻れないぞ。――後悔はしないな?」
それは、志具の覚悟のほどがどれほどかを確かめるための問いだった。
同時に警告でもあった。興味本位で足を突っ込むのはよせ、という、ななせからの通告。
ああ、と志具は二つ返事。答えるのに、間は必要なかった。
自分の決意のほどがどれだけ通用するのかわからないという不安は当然ある。
今回の事件で色々と危ない目に遭った。「死」という今まで霧のようにぼんやりとしたものを、肌でしっかりと感じることにもなった。そのことが全く怖くない、といえば嘘になる。
だが、ここで立ち止まっていては、両親の背は追いかけられないという思いが、その不安をかき消していた。
自分の心は変わらない。そのことを、即答することではっきりとその意志を表してみせる志具。
即答する志具に、ななせは「わかった」と頷くを返す。そして、志具に手を差し伸ばした。
「ようこそ、魔術が飛び交う非日常な裏世界へ。――これからよろしくな。志具」
差し伸べられた手は、友好のしるし。これを握れば、後戻りは不可能。平穏な日常との別れ……。
それを志具は、
「――ああ。こちらこそよろしく。万条院」
躊躇わずに掴んだ。自分の心は、すでに決まっている、という意志を示した。
彼女の手は温かかった。同時に、強く握られていた。その強さの度合いは、これから自分に降りかかるであろう苦難を表しているかのようだった。
志具はそれに、同様の力で対応する。力強く、己の覚悟のほどを示さんとばかりに。
「……にしても」
やがて握手を止めたななせは、半目になり、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
嫌な予感がする。……いや、これはすでに予測できていた事態だった。
志具は、あのような宣言をする以上、こうなる運命も同時に覚悟していた。……が、いざ来るとなるとやはり嫌だ。
「あたしを護る、か……。聞きようによっちゃ、プロポーズとも取れなくないな、今の発言」
「なっ⁉」
志具の想定の範疇の外の爆弾を落としてきたななせ。
志具は驚嘆するしかない。
「あ~、おしかったな~。さっきのを録音していれば、いざというときの弱みに……」
「待て、ななせ。今、『弱み』と聞こえたのだが……」
「ん? ああ、気のせい気のせい。ゼロ割ほど」
「気のせいではないではないか! それは!」
それにゼロ割って……。そんな言葉初めて聞いたぞ……。
慌てふためく志具を見、ななせは「アハハハハ……!」とからからと笑う。陰湿さがまるでない、明るい笑いなのだが……志具にしてみれば不快なものだった。
「まあ、なにはともあれだ。これから色々と決めないといけないな。許婚として、バッチリサポートしてやるから、安心していいぞ。……ん? どうした?」
ななせがそう言うのも、志具が何とも複雑な表情をしていたためだ。ありがたいような、そうでないような……。
「なんだよ~。あたしじゃ不服ってわけか?」
「いや……。許婚っていうのは、私に近づくために仕方なしにやっていたのではないのか?」
ずっと志具はそう思っていた。現にななせも、否定しなかったはずだ。
それを聞き、ななせは目を皿のようにした。まるで信じられない、といわんばかりの顔だ。
次の瞬間、ななせは小悪魔的な笑みを浮かべると、志具の首の後ろに手を回し、強引に顔を近づけ――――キスをした。
「――⁉」
目を白黒とさせる志具。柔らかくも瑞々しい感触が、自分の唇に合わさる。
一秒が一分も一時間も長く感じられるほどに引き伸ばされる時間……。
五秒ほどで志具の唇を解放すると、ななせはニカッと白く健康的な歯を見せつけ、
「好きでもないやつに、キスなんてできるわけがないだろ?」
悪戯っぽく言ってのけるななせ。不覚にも志具は、ドキンと己の鼓動が一瞬高鳴るのを感じた。
だが、すぐに頭をぶんぶんと振って考え直す。
「わ、私は君にその……恋愛感情を抱かせるようなことをした覚えはないぞ?」
「あったよ。ちゃんと」
あっけらかんと答えるななせ。そんな彼女の顔を見ると、志具は頬が熱くなるのを感じた。
……いや。認めん。認めないぞ、私は……!
全力で自分の胸中に芽生えた気持ちを否定しようとしていると、
ガタン……
出入り口方面から、なにやら物を落とした音がした。
振り向くとそこには、「あらあら」といった様子で目を丸くさせている菜乃と、自分の弁当を床に落とした、呆然自失のマリアがいた。
まさか……見られたのか!?
志具は冷や汗をたらし始める。
マリアはしばらく石造のように固まっていたが、やがて状況把握が済んだのか、顔を俯かせてカタカタと身体を震え始めていた。まさか、という気持ちが、確信に変わった瞬間であった。
「……志具君。これはいったい……」
「ち、違う! これは誤解だ! ――ななせ! 君も何か言ってやってくれ!」
「ん? 何が誤解なんだ、志具? あたしとお前は、将来夫婦になる仲だろ?」
ニヤついた笑みとともにそう言葉を返すななせ。こいつに助け船を求めた私が馬鹿だったと、志具は後悔する。同じような意味で菜乃も却下だ。
ブチッ。ななせの言葉を聞いた直後、何かが切れる音がした。……ような気がした。少なくとも、志具の耳には届いた。
俯いたマリアの顔が上げられる。その顔に張り付いていたのは――――笑顔だった。
ただ、その笑顔がまとっている空気は、さしずめ鬼のようだった。
「ちょっと、頭冷やそうか」
静かに、にこやかに、言い放たれる一言。昨日の戦闘など霞んでしまうほどの――恐怖。
恐怖の大王が、歩を進めて距離を縮めてくる。
圧縮された恐怖に堪え切れなくなった志具は――――逃走した。
「――あっ! 待ってよ! 志具君! ちゃんと説明してもらうんだからねええぇぇ――――‼」
かくして志具とマリアの追いかけっこが始まった。
――◆――◆――
二人の追いかけっこの様子を見ながら、ななせは思い返す。
それは、志具に恋愛感情を抱かせるようなことをした覚えはないぞ、と言われた時の、自分の返事。
――あったよ。ちゃんと。
あっさりと即答してみせたものだが、振り返ってみると顔が熱くなってきてしまう。
そう。志具本人は自覚してないが、ちゃんとあったのだ。
志具の言った通り、最初はただやむなしにやっていた感もあったと思う。今更否定するつもりはない。最初のキスは、向こうの気を少しでもこちらに振り向かせるために、また自分を言い聞かせるためにやむなしにやってた感があった。
だけど、今回のは違う。仕方なしではなく、したいからやったのだ。
彼が魔術師として生きるといったときの覚悟を決めた表情。あれは見る人を惹きつけるような、強力ななにかがあった。
その気持ちがまぎれもない本物なのだろう。きっとなずなとの戦いになったときには、彼はもう覚悟をしていたのではないのか?
中途半端な、有耶無耶な決意では、あそこまで大立ち回りできない。
その勇敢さと腹の決め方に、ななせは間違いなく惹かれたのだ。
――あたしを、せいぜい惚れさせてくれよ。
幼馴染と、まるで猫とネズミのような追いかけっこを繰り広げる愛しい人を見て、ななせは自分の気持ちが今以上のものになってくれるのではないか、という期待に胸を膨らませるのだった。
神奇世界のシグムンド 第1章 ――終――
お久しぶりです、青山モカです。
およそ5~6年ぶりの小説執筆となり、その復活の始まりとして連載させていこうとしているのが本作品です。
本作品は10年ほど前に連載させていたものに加筆・修正・編集を加え、さらに当時はもろもろの事情(リアルでの忙しさ等)で書けなかった完結まで向かって書こうとしている作品です。
幸いなことに、消えてしまったかと思われていた10年前のプロットが新しいPCの中にも生き残っていたので、昔のことを思い出しながら現代風にリファインしていけたらなぁと思っております。
とはいえ、本作品「神奇世界のシグムンド」はチート系や無双系といった完全無敵の主人公ではありません。どちらかといえば、何も知らない0の主人公がヒロインや敵との対峙、戦闘を通じて心の葛藤や迷いを生じさせながらも、決断し前へと進んでいく王道の主人公成長物語です。……あくまで予定ですが。
テーマも決まっており、それを徹頭徹尾貫いていこうと思っております。
なお本作ですが全3~4部作となっていますので、長いこと執筆することになりますが、最後までお付き合いしていただけたら幸いです。(4部はファンディスク的な内容になるので、もしかしたら3部で完結するかも……)
さて、長々とあとがきを書いてしまいましたが、次から2章の始まりです。
1章は全体的な視点で見るとプロローグ的な意味合いが強く、2章から本格的に物語が進んでいきます。
それではまた、皆さんと再会できることを祈って――――