1話
全身を激しい痛みが襲う。岩肌に横たわるこの身体に、冷たさが伝わってくる。ということは少なくとも感覚までは失っていないということだ。激痛に耐え忍びながら、骨まで砕けているであろう手足を必死に動かす。魔物も、アイツも、居ないところへ。安全なところへと這って進む。
「クソっ……よくもオレを……アイツは成り替わろうと――」
回復薬の瓶を2本ほど飲み干すと、足の痛みが少しだけ引いた。歩けるようになるまではまだ時間がかかりそうだが。
脳裏に奴の姿がこびり付いて離れない。
「絶対に生き延びて……殺してやる……何をしてでも――」
少年は魔物の蔓延る地下深くで誓った。自分を殺そうとした偽物への復讐を。
――――――――――
「増えろっと」
森の中、偶然見つけた高級茸に手をかざすと、全く同じものがもう1つぽん、と生成される。それを籠に入れると、後ろを付いてくる爺さんがぼやいた。
「なぁランちゃん、そろそろ帰って寝たほうがいいんでねか。明日は大事な試験なんだべ」
気付けば夕陽が地平線に差し掛かっている頃で、もう夕飯の支度をしなければいけない時間帯だった。明日の試験に備えて今日は早めに寝なければいけないのに。
「そうだね、そろそろ帰ろう、爺さん」
そうだ。早く明日に備えなくては。なんたって明日は――
「子供の頃からずっと夢見た入団試験の日なんだものなぁ! 」
爺さんが俺の心情に割り込んで話しかけてくる。肩をばしばしと力強く叩き激励の言葉を繰り返した。まるで本当の父親のように俺の夢を応援してくれるその優しさに、思わず頬が緩む。
「そうだね」
――アルス。それが今俺と爺さんがつつましく暮らしている国の名だ。豊かで広大な土地に、数十万もの民が暮らしている。俺と爺さんが暮らしている山小屋は、首都のレイアの近くの山の中だ。街からはそこまで遠いわけではないが、他の人間は滅多に小屋に来ることは無い。爺さんと俺も街に訪れるのは大きな買い物をする時くらいだが、明日レイアを訪れるのは買い物のためではない。
「ほらランちゃん、食え食え」
「ありがと、爺さん」
明日は小さな頃から夢見た、アルス国の王命騎士団入団試験の日だ。王命騎士団は第一から第五騎士団までで構成されていた――が、20年前から第六騎士団が新しく編成された。王曰く『退屈しのぎ』だそうだ。通常の試験さえ受ければどの騎士団の兵士になることもできるのだが、第六だけは他と違う点がある。家柄や過去の経歴など一切関係なく、いきなり第六騎士団長になれる試験が毎年開催されるのだ。腕に自信のある荒くれものやかつて薄暗い仕事に手を染めていたものまで様々な人種が集まるこのお祭りは、街の人たちにとっても恒例の行事だ。試験は至って単純、現第六騎士団長との直接勝負に勝利することだ。そのために今日この時まで努力してきた。剣術も、魔法も、狡い戦闘技術も――そして異能も。
「ごちそうさまでした」
爺さんがいつもよりも少し多めに作ってくれた晩飯を俺は綺麗に平らげると食器の片づけをし始める。まあ少し待て、と爺さんが俺を呼び止めコップに手をかざした。すると透明な水が爺さんのしわくちゃの手からコップへと注がれた。
「爺さん……それは……」
「爺さん特製爺さん水だ。明日大事な試験なんだべ。飲め」
「あ、ありがとう……」
爺さんの異能は手から水を生成する能力だ。全く戦闘向きではないし貴重というわけではないが、便利ではある。手から出た水も蒸留して作った水よりも不純物が少なく綺麗で、飲み水としてはこれ以上の純度の水は世界に存在しない程だ。
「どうだ、美味いべ」
「はい……そこはかとなく」
確かに味自体は言うことは無いのだが、この水は致命的な欠点がある。生成される水の温度は爺さんの体温と同じなのだ。
「生温かくておいしいよ……うん」
俺の異能もコレに負けず劣らず、といったところか。お世辞にも戦闘向きとはいえないものだ。
「そうだ、ラン。昨日燻製にした肉増やしてけれ」
「はいはい」
爺さんが持ってきた燻製肉の塊に右手をかざすと、全く同じ肉の塊がどこからともなく生成された。そう、俺の異能は――。
「爺さん……俺勝てるのかな。こんな異能で。こんな――『複製』なんて物を増やすなんてだけの異能で……」
爺さんは俺の方をちらりと見たが、すぐに顔を背けて燻製を戸棚にしまう。そして再び真っすぐに俺の瞳を見つめて言った。
「ラン……――」
陽光が集まった人たちの上に燦燦と降り注ぐ。レイア街の中心部にある闘技場、そこは騎士団長の座が目当ての人々で溢れていた。大剣、レイピア、トンファーに弓矢など、実に様々な武器を皆用意している。
「次ッ」
良く通る綺麗な少女の声が響く。その声の方向に視線を向ければ、大男が淡い水色の髪をした少女の足元に倒れ込んでいるではないか。近くには手から離れてしまった剣が無残に地面に転がり、それを掴んでいなくてはならぬはずの右腕は、胴体とは既に切り離されていた。ああ、あの少女が――。
「次の挑戦者は!? 居ねぇのか! それとも私が強すぎてみんなビビっちまったかぁ? 」
周りの人々が彼女の喉笛へとその武器を突きつけない理由は、彼女が今喋ったとおりだろう。現・第六騎士団団長、若くして第五騎士団の副団長を打ち倒したという彼女の名は。
「アリシア・スカーレット……」
思わず口から彼女の名が出る。
「おっ、今私の名前を呼んだな……お前か、どうだ、戦るか? 」
アリシアが俺の方を見てにこりと微笑んだ。彼女が持つ片手剣にはまだ先ほどの男を斬った血が滴っている。
「……ああ。そのために来た」
選んだ武器は彼女と同じ型の片手剣。闘技場に踏み込み、彼女の方へと近づいていくほど周りの我関せずだった奴らの野次が大きくなっていく。この中に本気でアリシアに挑むつもりだった奴は何人居るのだろうか。
「ランだ、よろしくな。アリシア」
「みんなの愛しのアリシアだ、せいぜい私に殺されないよう頑張りな……。てかいきなり呼び捨てにすんじゃねえアホ」
剣の柄を握る左手に、力を込めた。