30話 アリ狩りと鏡の少女
ガヤガヤと騒がしい下流地区。分厚い鉄筋コンクリートの壁に囲まれた霞が関シティの貧乏人たちが集まる地区。それが下流地区らしい。たしかに、遠くに見える先に、もう一層コンクリートブロックの壁があるのが目に入る。そこには中流階級以上の人間が住んでいるそうな。
たしかに下流地区との差は歴然としている。下流地区は廃墟ビルを改装しており、窓ガラスにひびが入っているのは当たり前、ビルが半壊しているのも当たり前だ。
本来は電気が点灯しているはずの看板は割れて壊れており、錆びついてタイヤもエンジンも無いシャーシだけの車を屋台代わりに使っている者たちもたくさんいる。
見える限りでは中流地区もビルなどは半壊しているのも見えるが、下流地区よりは遥かに綺麗そうだ。
かなりの税金を長年納めるか、有能な冒険者と認められなければ入れないとか。
いたいけな美少女に取り憑くおっさんは、アリスぼでぃでてこてことと目的地へと向かう中で、隣を歩く積み木屋の支配人から世間話に見せかけて、色々と話す中でこの街の情報を掴んでいた。
なんだかなぁと思う。最下流地区、即ちスラム街は勘弁だが、下流地区はオリハルハで自分が住んでいた地区に似ていて親近感が湧くからだ。
治安が少し悪いのは困るが、それ以外は活気があってこちらのほうが良いと思うのだ。まぁ、オリハルハでも金持ち地区に住んだことがないから比べられないんだが。
怪しげな肉を売る屋台。動くかどうかもわからないパーツを売る露店売り。酒場ではギャハハと男たちの笑い声が聞こえてくる。
人々は薄汚れた格好はしているが、そこには独特の怪しい活気があった。きっと、肉を買うのに値引きを仕掛けて、掘り出し物のパーツを探し、酒場でクエストを受けるのだろう。
この雰囲気が好きだ。だが、金持ちになればこの意見も変わるのであろうか。……変わりそうだな。高価な酒を片手に美女を横抱きにして、ガハハと笑っていそうな感じがする。
おっさんは自分の性格を把握していたので、楽な方に楽な方に流れていくだろうと簡単に予想ができるのであった。
………だが、オリハルハコロニーと大きく違うところがある。そこがおっさんは気に食わなかった。
現在少女の姿の鏡。即ち鏡少女はむぅと口元を不機嫌にして思うのだ。なぜ、この星は子供を大切にしないのかと。
「鏡、じゃない。アリスたん。機嫌悪いわねっ? なにかあったの?」
支配人とは反対側に歩く花梨が尋ねてくるので、むぅと唇を尖らせる。むぅむぅと唇を尖らせるので、なぜか花梨が目を瞑り唇を突き出してくるので、頭突きを食らわせておく。
「不機嫌なのは子供をこのシティは大切にしないからです。なぜ12歳で孤児院から放逐するんですか? 最低15歳だと思うんです。『選ばれし者』でもなければ、15歳にならないとレベルは上がらないのですから」
スキルポイントが手に入らないと、スキルが手に入らない。それは何もできないと同義語である。子供をそんな状況で放逐するとは信じられない。大人になったら、死ぬ可能性が出てくるというのに。
「ん〜……このぼろぼろなシティで孤児院があること自体凄いことじゃないかなぁ? 私はその方が驚きだったけど」
花梨はこの悲惨な状況を受け入れている様子なので内心で驚く。やはり『選ばれし者』は俺たちと感覚が違うのだ。
実のところ、未だにゲーム感覚の花梨は小説やアニメでこういう悲惨な状況を見たことがあることに加えて、現実感がなかったので、のほほんとそう答えたのだが。またもや鏡からの好感度を下げた花梨である。きっと花梨は乙女ゲームを攻略することは無理だろう。
「そうなんですか? 普通は孤児院なんかないんですか? コロニーには必ずありますけど。試験管ベイビーを山程作りますからね」
大人になるとすぐに死ぬことがあるし、開拓で人手はいくらでも必要なのである。なにしろ『選ばれし者』がすぐに街やらコロニーを作るので。そのために大量生産され、そして大人になるまでは孤児院で常識とスキルの力を学ぶ。
「それは本当なんですか、潰れちゃった屋の支配人さん」
なので、孤児院自体がないとは予想外であったので、支配人へと本当なのかと尋ねると、支配人は困り顔で頷く。
「思議様の仰るとおりです。ここは柴田の爺さんが私財を費やして経営しているので孤児院がありますが、他のシティにはあまりないらしいですな。それと積み木屋です、ワンダー様」
口素を引きつらせながら答える支配人に、本当なのかと頷く。ならば、この仕事は成功させたい。江戸時代から続く名門のホテルなんですと、なにやら言ってきたが放置する。
「『クエスト』でなんかあったの?」
「ん〜、そうじゃないんだ。ただ気に食わないってだけで。マユの状況にな」
花梨が不思議そうな表情で顔を突き出してくるが、鏡少女はポリポリと頬をかく。クエストは関係ない。通常ならこういうのは必ず『クエスト』が発生して、あっという間にハンターたちにクリアされるものだが、クエストは発生しないし、ハンターは自分しかいない。花梨もいるか。
だか、クエストは発生しなくても、残飯あさりのスキルレベルを上げそうなマユは助けたい。
「マユが可哀想だから?」
「あぁ、そうだよ。ん〜。そうですよ。理由はありません。なんとなく気に入らないのです」
アリスの口調に戻しながら答えると、花梨はなんだかへんてこな表情を見せてくる。なにか変なことをいったか?
「どうかしました、花梨? へんてこな顔がタコみたいな顔になってますよ」
「タコならアリスたんの頬に吸い付いちゃうけどねっ。……そうじゃなくて、思いやりがあるんだなぁと……ゲームキャラなのに」
ますますへんてこな顔になるタコな花梨の吸い付きを躱しながらチョップを入れておく。相変わらず人のことをゲームキャラ扱いするやつだなぁ。そこが相容れないよな。
「だから、この取引は成功させたいのですよ」
鏡少女は淡い優しい微笑みを浮かべ、花梨はその優しい表情を見て、なんともいえなさそうな微妙な笑みで返してくるのであった。
プティの根城はすぐにわかった。『アリ狩り』は下流地区でたしかに有名であり、支配人もそのクランの場所を知っていた。
そこは放棄されたファミレスであった。一階部分は駐車場になり、二階が店舗になっているタイプだ。もちろん放棄されたのだから、ファミレスではない。
駐車場部分にはトラックが何台かと、ベニヤで仕切られた解体小屋とか、小さな修理工場になっており、騒がしくハンターモドキたちが行き交いしている。
皆は機嫌良さそうに周囲とおしゃべりをしていた。
「昨日のアイアンアントの解体は旨かったなぁ」
「一ヶ月分の稼ぎを得られたからな。さすがは姐さんだ」
「ボーナス出るらしいぜ。なにしろタダで鉄が手に入ったからな」
ワハハと話す内容は昨日の取引のことらしい。どうやら話を聞くに、かなり儲かった模様。
「あ、アリスたんが恐怖の大王になるかも?」
どうやらボッタクられたらしいと気づいた花梨が、烈火の如く怒るのではと青褪めちゃうが、鏡はちっこい肩を竦めるのみであった。
「気にしませんよ。ハンターの取り引きは公正ではありません。この可能性は考慮していましたが、特段気にすることもないと考えたんです」
そうでなければ、クエストが発生しない。あのクエストはここのクランと知り合いになるのが目的であった。騙されるような取り引きでも、特には気にしなかったのだ。
アリスも気にしていませんよと、やけに美味しそうなハムステーキを食っているシーンがあるアニメ映画を見ながら、ビーフステーキに食らいついている。ビーフステーキはなかなか作らないから気にしてほしいです。
「というわけで、早速知り合いになった効果を使いましょう」
『宇宙図書館』はそこまで考えたクエストを出してくれたのだろうとも予測する。なにしろ『宇宙図書館』は世界の理を支配する神のようなものだ。今みたいな未来を予測して、『クエスト』を作り出したのだろう。
「あの〜、すいません。プティさんに会いたいのですが。友だちには恩を。詐欺師には鉄槌を漏れなく与えるハンターアリスが会いたいと伝えてもらえませんか?」
そこらに歩いているハンターモドキを捕まえて、ニコニコと小柄らな少女は可愛らしい仔猫のような微笑みで伝える。
なぜか、アリスを見て周囲の人間たちはどよめき、慌てて転げるように二階に登っていったが、転ばないようにね?
クラン『アリ狩り』の事務所兼酒場にて、乾杯とビールジョッキをカチンと合わせて、仲間たちはビールを飲んでいた。賞味期限などとっくの昔に切れた錆だらけで汚れて古いビール缶からビールを注ぎ飲みまくっていた。
いつの頃に作られたのかわからないビール缶でも、それなりに高価だ。だが、今日は金があるので問題はない。なにしろ金持ちの娘からアイアンアントの資源を掠めとったのだから。臨時収入は極めて大きかった。
昨日まではそう思い、気楽に飲んでいたプティであったが、今はビールジョッキを前に苦々しい表情となっていた。
それは目の前の部下からの報告を聞いたからである。
「大量のアイアンアントの魔力結晶をギルドに納入したのはおっさんだったということで間違いないんだね?」
「へい。聞いた話では中年の男で、『魔法使い』らしいです。かなり狡猾な野郎で、3倍の値段で魔力結晶を売り払って、嵌めようとしたギルド員から金をむしり取ったとか。そのギルド員は半狂乱になっているらしいですぜ」
トントンと指で机を叩きながら、苦々しい表情になる。想定外だ。あの娘は上流階級の娘だから、魔力結晶も適当に戦利品として持ち帰るのだとばかり考えていたのだが……。なぜ下流地区にその魔力結晶が流れているのかわからない。しかも相手は『魔法使い』ときた。
ギルド員から金をむしり取るなど、自分でも無理だ。それを平気で行う男が少女の後ろ盾だとすると……。
嫌な予感がしちまう。昨日の取り引きは失敗だったかもしれないとプティは考える。
その様子を数人が見て不安そうにしている。が、ドアが乱暴に開けられて、転がるように入ってきた男に注目する。
「なんだい? なにがあったんだい?」
入ってきた男へと怒鳴ると、汗をかきながら伝えてくる。それは考えうる最悪の事柄だった。
「昨日のアリスって娘が来てます! 詐欺師に会いたいと凄みのある目つき……。いや、目つきは可愛かったですが、多分怒っている感じできました!」
怒っていない。アリスはまったく怒っていない。怒って良いのは隠していた高品質ビフテキを食べられたどこかのおっさんだろう。仮想空間にいるアリス。食いしん坊アリスはおっさんの亜空間倉庫に仮想空間に限りアクセスすることに成功した模様。多分、仮想空間ではなく、別次元空間だとおっさんは疑ってます。
だが、男は後ろめたい取り引きだと知っていたので、自分目線のフィルターをいれて、騙されたので仕返しに来たのだと考えて報告した。
酒を飲んで、酔っ払っていたクランメンバーに緊張が走る。あの装備の少女と戦うのは嫌なのだ。数の差で勝てるだろうが、上流階級の娘を殺した下流地区の住人の末路など簡単に想像できてしまうからだ。
もちろんプティもその可能性は考えたが……。
「とりあえず会おうじゃないか。他に面子は?」
「フードを被った少女と、あれは……積み木屋のオーナーでしたね。あれ?」
報告しながらも、おかしいと男も考えたのだろう。だが、その答えにホッとする。仕返しに来たわけではなさそうだ。
それなら丸め込めるかもしれないと、舌で唇をぺろりと舐めて、プティはアリスと会うことに決める。
相手が怒っていないことを祈りながら。




