22話 スリの少女は怪しいおっさんに出会う
簡単な仕事のはずだった。しょぼくれたおっさんが万札を持って悩んでいるので、サッと掏れば終わり。そのはずだった。皆もやっているところを見たことが何度もある。
適当にポケットに押し込んでいたので、そのポケットから盗ればいいだけ。一昨日保護年齢12歳を越えた、越えてしまった、もはや孤児院にいられないマユの初仕事となるはずであった。
だが気づいたときには自分は掴まれて宙に浮いていた。なにが起こったのかと困惑する中で、アスファルトに叩きつけられそうになっていた。
死がマユに迫っていた。いとも簡単に。走馬灯を見る時間もなく。
相手の顔が見えた。私を見る目には怒りも殺意も感じられなかった。スリにあったから殺す。そこにはなにも感情がなかった。
しかし、死ぬとわかってもマユにはなにもできなかった。風を感じるほどの速さでアスファルトに叩きつけられようとするのを呆然と他人事のように見ているだけであった。
だが、叩きつけられる寸前に手加減されて、ふわりとゆっくり降ろされた。硬い地面の上なので多少は痛かったが、その程度であった。
マユは九死に一生を得た。
虫でも潰す感覚で殺そうとしてくる男を見る。恐怖が心に巣食うが、逃げようとしたら殺されるかもしれないと思ったからだ。
よく見ると、しょぼくれたおっさんの目つきは鋭く、狡猾そうに口の端を釣り上げていた。身体がブルッと恐怖で震える。
危ない人間だったと悟る。なぜか宙を睨みながら考えている。と、私へと顔を向けて、不機嫌そうにデコピンをしてきた。
バチンと音がして、結構痛かったが、これぐらいなら耐えられる。それで興味を失ってくれれば幸運だとマユは思いながら、立ち去ろうとしたら
「この惑星の子供は死ぬらしいからな。気をつけろよ」
よくわからないことを言ってきた。誰でも死ぬと思うのだけど? 私を殺す気はなかったのだろうか? 危険なおじさんに見えるが……。違うのだろうか?
そうして私の手のひらよりも大きな燻製肉を手渡してきた。
「やる」
と、言いながら。なぜスリに食べ物をくれるのだろうかと困惑したが、相手の気が変わらないうちに口に入れる。
そしてびっくりして、目を大きく見開いた。燻製肉といったら、塩の味しかしない、靴の革と同じぐらい硬い物だと相場は決まっている。なのに、それを覚悟して噛み切ろうとしたら、あっさりと解れて食べることができた。
触るとカチカチだ。だけど口に入れるとあっという間に柔らかくなった。しかも肉の旨味があり、塩っ気もちょうど良い。
今まで肉といったら、クリスマスなどで極稀に食べれる物しかなかった。ちょっぴりのお肉だが、それでも肉を食べることがあまりないマユたちにとってはご馳走だった。それが燻製肉のカビが生え始めた在庫処分のためのセール品でも。
だが、この肉は違う。マユはその美味しさに他のスラムの人間たちに奪われないためにも、一気に食べ尽くした。食べ尽くして、ちょっぴり後悔した。昨日からなにも食べていなかったから、スリを始めようと決心したのだが、こんなに危険なことだとは思わなかった。
もうスリはやめておこうと決心し、そしてそのためにも貰った燻製肉を少しとっておけば良かったと。
その後で、日雇いの仕事を斡旋しているところはないか、おじさんは尋ねてくるので、冒険者ギルドを案内することとした。おじさんはこちらに悪意はなさそうだったし、スリを許してくれたことと、食べ物をくれた恩もあるから。
歩きながら、駄目元でもう一つ燻製肉をくれないか聞いてみたら、あっさりとくれたし。おじさんは安物だからと口にしたが、こんなに美味しい燻製肉が安物なわけはない。でも、おじさんは本当に安物だと思っているようであった。
このおじさんは何者なのだろう? ご飯をあげるから家を教えてくれと聞かれた時には教えたかったが、根無し草の私に家なんかない。悔しくて仕方ないが、それなら出会ったときにやるよと言っていたので、毎日少しだけ探してみても良いかもしれない。
不思議なおじさんであったが、流れ者だろう。着ている服がボロボロではないが古びている。他の地区から来たのだろうが、お金を持っていそうにも、強そうにも見えない。
場末の冒険者ギルドを案内したら、また驚かされた。受付をからかってしまった。場末とはいえ、最下級のスラム街の住人相手のギルドとはいえ、からかうなんて命知らずにも程がある。
目立ったために、カモだと悟り、チンピラがつっかかっていったら、今度もあっさりと倒した。
というか、コンクリート床に生身の身体でヒビを入れてしまった。『魔導甲冑』を着てもいないのに。
周囲の人間がその様子を見て後退る。恐怖の表情に受付がなり、態度が丁寧に変わった。ガードマンが警戒するようにおじさんを睨んでいたが、なにもしなかった。
当然だ。このおじさんは『魔法使い』だ。生身で魔力を自在に操る超人である。通常は魔導機械を使わなければ魔法は使えないが、彼らは別だ。生身で魔法を使い、魔導機械を使えば、普通の人よりも遥かに高い威力を発揮させる。
ガードマンは普通の人のはず。『魔法使い』なら、こんな場末の冒険者ギルドのガードマンなんてやらないからだ。
おじさんは無手に見えるが、杖を隠し持っている筈。戦えばガードマンが死ぬ可能性は高く、この場末のガードをして、命を失うのは賃金的にも、己の命にかけても、割に合わないから、手を出すことはしなかった。
受付をからかう程の自信がある理由がわかった。たしかに場末の冒険者ギルドならそれぐらいやっても問題ないはずだ。
「魔風鏡様でよろしいでしょうか?」
「あぁ、よろしく」
受付が木板に魔風鏡と書く。その手が震えているが、それはそうだ。『魔法使い』に身分証明書ともいえない物を発行するなど命知らずにも程がある。
だが、おじさんは手渡された木板を珍しそうに眺めるだけだった。こんな物が身分証明書にねぇと、呟いているところから、以前は上流階級の他人事だったのではなかろうか?
ちょっと世間知らずっぽい。
このおじさんは魔風鏡と言うんだと、その様子を見て覚えておく。力ある者、しかも『魔法使い』と知り合いになるなんて、奇跡でもなければ、自分にはその機会は舞い込んでこないに違いないから。
その後に、アイアンアントの場所を聞いてから、おじさんは立ち去ろうとする。壁際に佇むチンピラたちがひそひそ話を始めていた。
どうやって取り巻きになろうか、早くも話し合っているのだろう。スラム街を仕切っているボスへと走る者たちもいる。
私も負けてはいられない。せめて名前を覚えてもらおうと、おじさんの裾をクイクイ引っ張る。
「ん、なんだ?」
また宙を睨んでいたおじさんが私に顔向けるので
「わ、私の名前はマユなのです。覚えてくれると嬉しいのですよ」
自分にできる、できる限りの笑顔を見せる。と、おじさんも名前を教えてくれた。
「マユね。俺はオリハルハコロニーの魔風鏡。ハンターを始めてみたんだ。美味しいクエストの情報があったらよろしく頼む」
ニヒルに微笑み、燻製肉をもう一つくれた。
「美味しいクエストがあれば、小遣いをやるからよろしくな。……こんなんで情報が入るのかねぇ」
最後のセリフはよくわからなかったが、コクコク頷く。ハンターとは冒険者のことだろう。上流階級の人が気まぐれに来たのだろうか? オリハルハコロニーとはその地区の名前なのだろうか? 疑問が渦巻くが聞くことはしない。機嫌を損ねないようにしなくちゃ。
そこで私は良いアイデアを思いついた。住居はないが知っている場所を知らせておけば良いんだと。
「鏡のおじさん。マユは孤児院の近くによくいるのですよ。孤児院の場所は………」
一応、最低限の治安が維持されている下級地区とスラム地区の間にある孤児院を教える。来てくれると良いのだけど。
「なるほどな。ちょっとこの街のマップがほしいな。なぁ、この街の案内図とかないか? あれば楽になるんだが」
やはり流れ者らしく、この街のことについてはあまり知らないようだったので、案内する。目的地は本屋だ。
案内したのはバラックのような本屋だった。ごうつく婆さんが経営しており、いつも脇に風弾のショットガンを持っていることで有名だ。汚い本屋で、紙の束や、古びたり、破れていたり、カビが生えていたりと、ゴミと言っても良い本が並べられている。
ボロい本屋だが、上級地区は真っ白に塗られている以外は、他の地区はそこそこ詳しく書かれている地図が売っている。そこそこな理由は、違法建築が下級になるほど多いので。スラム街なんか迷路みたいだし。
「千円か。なるほどなぁ。なぁ、電子で統括されているところないか? 端末があればなお良し」
「電子端末は貴重で高価なので、中級地区以上じゃないと見られないという噂なのです。中級地区以上はきちんとした身分証明書がないと入れないのですよ」
何も知らないんだなと私は説明してあげる。こんなの常識なのに。
「はぁ……電子端末が高価ねぇ……。これは酷い未開惑星だな。さすがは『宇宙図書館』が放棄した惑星だな……」
呆れたように肩をすくめるが、なんのことなのかさっぱりだ。おじさんの物言いは、まるで他の惑星から来たように思える。……それこそ、まさかなのです。
本屋に積み重ねられている雑多な紙の束から、店主のごうつくばり婆さんが地図を取り出す。私をチラチラと見るからスラム街の仲間なのかと考えているようだが、それにしてはこの街の地図を買うなんておかしいと考えているのは明らかだ。
「あぁ、この周辺の地図もあるか? クリーチャーの棲息地が書いてあると、なお良いな」
「あんた冒険者かい……。それは1万円だね。もちろん信憑性なんかないからね」
「良いね。地図があると無しでは、活動領域が変わるからな」
くしゃくしゃの1万円札を2枚取り出して、お婆さんに渡すおじさん。その札は汚れてもいるので、貯めるのに苦労したのではないかと思ったが、特段おじさんはもったいない素振りを見せない。
「はっ! 地図なんか買わないで、銃を買った方が良いとあたしゃ思うがね。まぁ、良いさ。金は金だ。貰っとくよ」
憎まれ口を叩いて、奪い取るようにおじさんの手からお札を取り上げると、お釣りを手渡す。そうして、雑誌の中から地図の束を押し付けた。
どうせこの男はすぐに死ぬんだろうという態度がミエミエだ。たしかに銃も持たないその姿を見ればそう思うのはおかしくない。
だけれども……このおじさんは『魔法使い』なのだ。それを改めて思い知った。
なぜならば……。
「ふーん。テキストファイルに保存。保存完了。マップオープン。お、たしかに地図が更新されたな。これならだいぶ楽になるか。婆さん、この雑誌はもういらないから、適当に捨てておいてくれ」
手にした雑誌が青い光線に一瞬覆われた。
そうして光が収まると、買ったばかりの本をお婆さんに放り投げたのだ。
「はぁ? あ、あんた馬鹿にしてるのかい? 返したって、もう金は返さないからね?」
その挙動にごうつく婆さんが怒鳴るが、冷たい目で涼しい顔でおじさんは受け流した。その視線を受けてビクリとごうつく婆さんが震える。なにかしら魔法が行われたのだと感づいたのだ。
「わからないな。紙媒体はすぐにマテリアルメモリーに保管するものだろ? ……あぁ、そう言っても伝わらないんだろうな、きっと」
呆れたように息を吐くと、おじさんは興味をなくして、くるりと身体を翻して店の外へと歩き始めた。
「あぁ、たしかマユ……だったかな? 暇な時はさっき教えられた場所に行ってみよう。じゃあな」
そうして、歩きながら振り向かずに手を振りながらおじさんは去って行った。きっとアイアンアントとか言うのを倒しに行くのだろう。
私のことなど、路傍の石のようにしか思ってはいないのだろうが……。
マユは必ず孤児院に一日一回顔を出すことを決意した。おじさんと出会うことで、なにかしら自分に良いことが起きるのではと信じて。




