20話 錆れた街がよく似合うおっさん
ザーザーと雨が空から降り注いでいた。今は春のようで気温が高いから問題はなさそうだと、街の住人たちは傘をさして、慌ただしく歩いていく。
薄汚れた街であった。正面門から入り込み、少し道を逸れると姿を表す。窓は破れているが、木板で塞がれているものも多く、街角には扇情的な格好の女性が立っている。
ゴミがバリケード代わりになっているか、この街の複雑さに拍車をかけているのか、細道を塞いでいるところが多々ある。
酒場らしき店にはピンクでどぎつい色のネオンが昼でも輝いており、店の中からギャハハと昼にかかわらず、男たちの下品な笑い声が聞こえてきた。
フード付きとコートを着込んだ作業用のツナギを着たおっさんこと、頭が良くて狡猾な鏡は息を吸うと店の扉に手をかけ……
かけなかった。
くるりと体を翻すと、普通の道へと歩いていく。
「無理だから。おっさんのデビューはもう歳だから無理だから」
狡猾そうな鋭い目つきのおっさんは、小心者らしく愚痴を言いつつこの場を足早に離れた。だって怖いんたもの。怯懦なおっさんにはスラム街の酒場デビューは厳しいのである。
「あれだけ準備したじゃない! レベルだって3になったのよ! 私なんか2のままなのに」
モニター越しに、マイハウスで待機している花梨が不満そうに口を尖らす。
「ふざけるなよ、花梨! レベル3でも1でも変わらないよっ! 戦闘力25から35に上がっただけだろ」
35でも25でも、余裕でクリーチャーに殺されるんだからな? わかってる? おっさんは死にたくないのだからして。
まぁ、対応策は用意してきたけどさ。文句は言っておかないと、この娘は酷いことをゲーム感覚で押し付けるから怖い。
「その代わりに超能力空間にスキルポイント全振りしてスキルレベルを鍛えて10まで上げたじゃない。空間超能力でぶいぶい言いましょうよ」
「レベル10でも攻撃系はないの! 防御と移動系だけなの! おっさんは延々と亜空間倉庫からアイテムを取り出しては仕舞ってを繰り返してノイローゼになりそうだったよ!」
モニター越しに醜い争いをするおっさんと花梨である。
「それよりもハンターギルドを探しましょう。賞金首リストを確認しに行きましょうよ」
花梨と同じくモニター越しに、爛々と目を輝かせてアリスが話に加わる。賞金首は高レベルで機動兵器持ちではないと倒せないと思うのだが、ワクワクと顔を輝かす可愛らしい少女の期待をおっさんは壊せなかった。というか、無理でも突撃しに行きそうな予感がビシバシとしてきたりします。
いつの間にか雨は止んでいた。
現在、鏡は一人で霞が関元警視庁シティに来訪していた。かなりの広範囲をコンクリートの分厚い壁で守っている都市である。
なぜ一人かというと、花梨が私とアリスは目立つかもと言ってきたからだ。目立ってなんぼのハンターだから、構いませんとアリスは反論したが、低レベルハンターをカモとする高レベルキャラがいる可能性が高いと言われて、渋々諦めた経緯がある。
なので、鏡が潜入してきた。一応、あれから雑魚クリーチャーを探し回りレベルを上げて、低い戦闘力をカバーできる専用装備を作ってきたので、大丈夫なはずだが……。
不安である。それに花梨がこれだけでかい街でもハンターギルドが無い可能性があると忠告してきたのも気になるところだ。
「街を歩き回れば、ハンターギルドも表示されるだろ」
シティにハンターギルドが無いなんて、いくら『選ばれし者』の言葉でも信用できない。なので、歩き回る予定の鏡であった。
疲れそうだなぁ。嫌だなぁ。怠惰が発動しているよと、猫背になり、しょぼくれた表情でぐったりしながら、疲れた足取りで歩くおっさんは金目の物も持たなそうで、スラム街の連中も気にはしなかった。
さすがはおっさん。ごく自然に周囲に溶け込むスキル持ちであったりした。スキルではないのかもしれないが。
しばらく歩いて、たしかに花梨の言うとおりだと、鏡も納得した。マップ内にはハンターギルドの事務所の名前がない。というか、武器屋や雑貨屋らしき店の前も通ったのに、店のマークが出てこない。これはかなりおかしいことであった。
「なんでマップにハンターギルドどころか、ショップの名前もでないか? 『宇宙図書館』は絶対的な知識を持っているわ。……それはね」
結果を見た花梨の言葉に俺はゴクリと息を呑む。アリスはゴクリと燻製肉を食べる。なんということでしょう、家の扶養家族は仮想空間でアイテム袋に入れたご飯を食べることに成功した模様。さっきから食べている燻製肉。何個目だろうか。特性に暴食は無かったよな?
アリスはこれで満腹ゲージのフォローも完璧ですと喜んで、絨毯の上を子猫が遊ぶようにコロコロ転がっていた。後で料理を作るようにお願いしてきそうな予感がします。そしておっさんに美少女の願いを断れる選択肢はない。
というか、花梨の言葉であるが
「たぶんハンターには意味のないアイテムばかりなのよ。なんかこの間助けた少女や倒した盗賊、変なことを言ってなかった? マナがどうとか。マテリアル式じゃないのかも」
「なるほどな、即ち、その答えはというと」
「そう、ゲームのせか」
「未開地だと言うわけだ。原始的な科学なんだろ? たまにそんな惑星あるみたいだしな。『宇宙図書館』にマテリアル式を使う文明を持たないゴリラの惑星とかあると記されていたし」
「………『AHO』って、ムカつくぐらい色々なストーリーをぶち込んでるものね。そうなるのか……」
はァァァと、なぜか花梨は落ち込んじゃったので戸惑う。なにか変なことを言っただろうか。
「それがわかれば話は早いよな。宇宙船の素材を集めて脱出すれば良いんだろ? 宇宙船はレベル100で最低限の船がドックを使用すれば建設できるしな。長丁場になるなぁ」
『選ばれし者』の力を手に入れた世界の主人公である俺だ。一人で宇宙船も作れちゃうだろう。スキル上げが面倒くさいが。それでもコロニーにいた頃は考えもなかったことができるようになっているのだ。宇宙船の建造もできるはずである。
「にしても、問題がある。この惑星は単位がゴールドじゃない」
店の商品は全て日本語で書かれている。そしてそこは銀河標準通貨であるゴールドではない。円と書かれていた。
この街に来る1週間前に、クエストで手に入れた古代通貨の単位である。今の手持ちは2万円。飯とかも買えるだろうけど……。
「オリハルハなら数千万ゴールドだよなぁ?」
そう考えると、使いたくない。亜空間倉庫から取りだして、透かしを見るように天に翳す。迷うぜ。おっさんはケチっているわけでもないが、それでもなぁ……。金額が巨額すぎる。
「鏡、その考えは意味がないかもしれません。普通に通貨として使われているとなると……」
がっかりした表情でのアリスの言葉に、そのとおりだと今更ながらに気づき舌打ちする。大量にこの絵札はこの街にあるに決まってる。
我ながら思いつかなかったのはアホだったと自嘲しながら歩こうとして
「おっとごめん」
俺の腰ほどの背丈の子供がぶつかってきた。
『エマージェンシー 自動戦闘開始』
目の前に真っ赤な表示が現れて、体をマテリアル回路が走る。次の瞬間、鏡の身体は勝手に動き、ぶつかってきた子供の首元を掴み、地面へとアスファルトを砕くだろう力で叩きつけようとする。
「だめーっ! 鏡っ、攻撃したら駄目よっ」
慌てて叫ぶ花梨の言葉を聞いて、俺はすぐにオートバトルを停止させる。
本来ならばアスファルトに叩きつけて、お仕置きをするパターンだ。だが、花梨が指示に従うようにしないと大変なことになると言うので、そっとアスファルトに置く。
「いだっ」
それでもかなりの痛さを感じたらしく、子供は顔を顰めたが。
「本来は体力1残しにするお仕置きなんだ。幸運だったな」
この脆弱なアスファルトにヒビが入るほどの威力で全力で叩きつける予定だったのである。
「か、鏡? 今、子供を殺そうとしなかった? かな?」
花梨が顔を恐怖に変えて聞いてくるが、心外だ。おっさんも怒るときは怒るよ?
「スリぐらいで殺さねえよ。というか、子供はどんな攻撃を受けても死なないんだ。部位破壊も無効。『宇宙図書館』が決めた子供を守る理の一つだな」
「え〜……。そっか子供を殺すと倫理規定に引っかかるから、そうなってたんだ。ヤバ、私の知らなかった設定だわ」
「なんだ知らなかったのか? わかったら、この子に弱パンチ連打を」
「ダメダメダメ、たぶんその子、今の鏡の戦闘力なら死んじゃうから。この惑星の住民は『宇宙図書館』の理があまり届いていないの。たぶん失われた地球だからね。ということにしておいて」
花梨が必死な形相で手を振ってくる。
『選ばれし者』の言い方は独特だと思いながらも驚く。まじか? そうだとすると、子供は簡単に死んじゃうじゃん。デカ鼠に齧られるだけで死ぬぞ? どうやって暮らしているわけ?
「そういうわけだから、手加減をものすごーくしてあげてね? 約束よ?」
「はぁ……わかった」
ちらりとアスファルトに倒した子供を見ながら頷く。子供は恐怖で顔を引きつらせて、身体を震わせて俺を見てきていた。
薄汚れたジャンパーとズボン、顔は真っ黒で髪もぼさぼさだ。男の子か女の子かもわからない。
俺は頬をかきながららため息をつく。仕方ねぇなぁ、優しくするか。
「弱デコピン」
「いだいっ」
軽く額にデコピンをしてお仕置き完了としておく。大人なら倒したあとに、持ち物を全て回収するんだが、子供はなにも持っていないからな。
周囲を歩く人たちは、俺達の騒ぎを気にすることもなく、通路の真ん中で邪魔だとばかりに避けていく。ここらへんはいつもどおりだな、うん。
「この惑星の子供は死ぬらしいからな。気をつけろよ」
「ご、ごめんなさいです」
子供に告げて、謝ってきたのを鷹揚に頷きながら、さて、どこに行こうかと顎に手をあてて考え始めて
「『クエスト』?」
ボードが突然現れた。内容はというと
『孤児に1日1回ご飯をあげよう』
報酬:毎回経験値100
と表示された。
「なるほど、マラソンクエストですね」
ゴロゴロして、猫パジャマを着込んでウトウトしていた可愛らしさの塊であるアリスがクエストを確認して言ってくる。
「みたいだな」
マラソンクエストとは繰り返しできるクエストである。カニの甲羅を納めろとか、花を摘んでこいとか。終わらないクエストだ。だいたい報酬はしょぼくれたものだが、簡単に終わるので、初心者ハンターは複数のマラソンクエストを街を駆けずり回って、繰り返し行う。塵も積もれば山となる、だ。
こちらが興味を無くしたと判断したのか、子供はこっそりと離れようとしたが、首根っこを掴んで引き戻す。
「な、何なのですか?」
「やる」
戸惑う子供に燻製肉を渡す。おずおずとしながら、子供は受け取り、自分の手のひらよりも大きな燻製肉を見て、こちらを見てきて戸惑うようにするが
「『クエスト』だからな。ほら、食え食え」
手をひらひらと振って勧める。子供はコクリと頷いて、一口齧ると、大きく目を開き、ガツガツと勢いよく食べ始めた。よほどお腹が空いてたらしい。
「住む場所を教えてくれれば毎日燻製肉をやるぞ?」
マラソンクエストだからな、覚えておいて損はない。
「なんだか事案の香りがするわっ」
「ほっとけ」
傍目には子供にご飯を親切めかしてあげて、家を教えてもらう犯罪者に見えるおっさんであった。通報からの牢獄行きコースだと思われる。見た目が狡猾そうなおっさんなので、そう思われても仕方ない。哀れなおっさんであったりする。
「えと、マユの家は教えられないのです。ごめんなさい」
子供もそう思ったのか、気まずそうに答えてくる。可愛らしい少女の声音だったので、身を守る術を覚えているのだろう。
「ま、それならそれでも良いか。その代わりに今度俺を見かけたら話しかけろよ? クエストが残っていたら燻製肉あげるから」
そう言って、どこに行こうかなぁとおっさんは迷う。ハンターギルドが本当にないなら、採掘士をやろうかなぁと。
そんなおっさんを不思議そうに子供が眺めていた。




