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前編


退屈な日常には、スパイスが必要だよぉ?



 ねぇ?と、小首をかしげて男は薄ら暗く笑った。

纏わりつくような声が耳の奥を這って、少女は首を振ってそれを追い払う。

しかし、人の不幸を楽しむかのような男の表情が、彼女の喉を絞めようと首周りに巻きついたままであった。


感じた息苦しさに、思わず首を覆っているストールに手をかける。

しかし手をかけたものの、少女はそれを外すことも緩めることもなく手を放した。


薄い布でできたそれは確かに夏物であったのだけど、眩暈を起こしそうな夏の最中では些か不釣合いに見える。

それがクーラーの効いた街角の喫茶店の中ならば、なおさらだ。

まるで首周りにある見られてはならない何かを、覆い隠しているかのような。


 少女の一連の動作をしっかり見て、その上その理由まではっきりと分かっておりながらも、男は何も見なかったフリをしてグラスを拭く手を止めて、ふらりとカウンターから外れた。

カラン、とドアベルの音が一度。

そうして男は何食わぬ顔をして、顔を強張らせた少女の前に戻ってきた。


少女は真夏だと言うのに、手の半分まで覆うようなカーディガンを着ている。

足がすっぽりと隠れてしまう長いロングスカートに、サンダルやミュールの類ではなく靴を履いていた。

首には厳重に巻かれたストール。

少女の肌が外気に晒されているのは、細い指先と青ざめた顔だけだ。


寒いのでは決して無い。

店の中はクーラーがついているとはいえ、女性向けカフェとして運営しているこの店が、冷えに弱い世の女性達を考慮していないはすがなかった。

現に、男の制服は五部袖で、忙しく動き回れば暑くなるくらいだ。



 とはいえ、カウンターに一人座る少女が、真夏に快適な室温に設定されている店内で重装備をしているのは事実であるので、男は暖かい紅茶を差し出す。

こういう気遣いができるからこそ、奥まった立地の悪い場所でありながらも、客足が途絶えないのだと男は自負している。


もちろん、他の理由もあるのだけれど。

女性受けのよい甘いマスクと、安心感のある落ち着いた声で男はほくそえんだ。

そうして、椅子に縮こまって、おどおとと周囲に視線を彷徨わせる少女の前に肘をつき、組んだ手に顎を乗せて顔を覗き込んだ。


「その様子だと、僕のあげた魔法は上手く効いたのかな?ねぇ、シンデレラのお義姉さん?」


 大丈夫、誰にもわからないし、誰にも教えないよ。

もう店は閉めたから、誰も入ってこない。

日差しが暑いから、ブラインドも全部下ろしちゃったしね。

僕とキミとだけの秘密だよ。


甘い口調で囁くように、男は告げる。

無垢な少女を傀儡にする麗しい悪魔のように。


「その、名前で、よばないで」

 言葉をつませながらも、辛うじて少女が抵抗したのは少女に対する呼び名だった。

シンデレラ。

男がそう呼ぶ人物は、確かに少女の義妹だった。


母親が再婚した男の連れ子。

彼女がシンデレラなら、母親の連れ子である少女はシンデレラの義姉だ。

姿形は美しくとも、心は醜い義理の姉。



 必死の思いで搾り出した言葉にも、男は満足げに薄笑いを浮かべるのみだった。

少女の非難がましい視線を受けながらも、気にするそぶりも無く紅茶を勧める。

少女は、男の顔と紅茶のカップを暫く見定めると、飲まないとまたその名前で呼ぶよ?という男の言葉に諦めてカップを持ち上げた。


一口、入れたての紅茶の良い香りがして、僅かに生姜の味を感じた。

口に残った甘い後味に、少女の身体から僅かに緊張が取れる。


「ジンジャー・チャイだよ。美味しいでしょう?」

 身体もあったまるしね。


少女の重装備が寒いのではないと知っておきながら、まるで何も知らないように男は微笑む。

少女が紅茶を飲んだことに満足すると、男は愉快そうに話し出した。

店内には男と少女の他には誰も居ない。

それが魔法を買う際のルールだった。


喫茶店マスター兼自称魔法使いという胡散臭いこの男から、少女は魔法をひとつ買ったのだ。


「いやぁ、押しも押されぬ代議士サマの義理の娘さんが、こうしてウチの店に来るくらいだからね。ずいぶん退屈を紛らわせると思っていたんだよ」


 義理の父親の事が出て、少女は紅茶をもつ手を強張らせる。

母親の再婚相手は、世間的にはずいぶんの立派な人物であった。

互いにバツイチ子連れとは言うものの、新しい家庭は表面上はどこまでも円満に見えている。


ご近所さんは、玉の輿になった母親と少女に厭味のようなものを言うこともあるが、概ねそれらは羨望にすぎない。

代議士である義理の父親は滅多に家に帰ってこないが、夫婦仲はよい。


しかしそれは、家庭が円満で在るとの同意ではない。

「可愛そうなシンデレラがね、この前も僕のところに来たんだ。可愛そうに、あの子の手はアカギレでずたずただったよ。来ているものもうすら汚れて、あれじゃあ舞踏会にもいけないねぇ」

「…そんなの、知らないわ」


 嘲るように紡ぐ言葉に、少女は乱暴にカップを置いた。

カップの半分ほど残ったジンジャー・チャイが、激しく揺れる。


アカギレなどたいしたことではない。

舞踏会に行けないなどと知ったことか。

彼女の悪夢は、親の再婚から始まったのだから。


それに比べれば、着ているものがみすぼらしいなどと、瑣末なことに過ぎない。


「この前は、お義姉さんから灰を投げつけられたってねぇ?あぁ、でもそんなことは君に比べればずいぶんとマシか。何せ君は、燃え尽きた灰じゃなくて火のついたものを、身体に押し付けられてるんだからね」


 腹いせに何にもしらないシンデレラに灰皿を投げつけたって、悪くないよねぇ?


 同情するような口調で、しかしはっきりと少女の醜い行いを非難して、男は笑った。

「なんで、それを…」

 弱った生き物をいたぶる目つきで、男は口角を持ち上げる。

整った男の顔立ちだから余計に、その薄気味悪さに背筋が凍った。


「言っただろう?僕は魔法使いなんだ。何でも知ってるよ。君の身体に残る焼け焦げた寒梅の蕾も、青黒く咲く牡丹の花も」


 残酷なまでに無邪気な微笑みを浮かべて、男は続けた。

少女のストールに覆われた首筋を、ぴたりを指してあざ笑う。

「君の首筋に残る、赤い情事の烙印も」


 少女は男の示した首筋を覆う。

見られたのかと疑ったが、そこには厳重に巻かれたストールがあるだけだった。

その下に、消えぬ烙印が押されているのは、少女とそれを刻んだ本人しか知らないはずだ。


何故それを知っている。

少女がひた隠しにしてきた、秘密を知っている。

見えるはずの無い服の下に隠れた、多種多様なあざを知っている。


少女は首筋を示す男の手を振り払って、睨みつけた。

男の歪んだ笑みが、大きく広がる。


「いいや、いや。僕は良いと思うよ。姿は綺麗なお義姉さん。寒梅も、牡丹も烙印も、どれも美しいよ。でも」

 男は少女の左腕を掴むと、有無を言わさずに袖を捲り上げた。甲高い悲鳴があがる。


細かい目盛りのように刻まれたいくつもの傷跡を眺めて、男は嘆息した。

価値ある美術品に傷が入ってしまったかのような、至極残念な口調を装いながら。

「この傷は、ちょっといただけないなぁ」


 美しくない。自分でつけた傷は良くないよ。


 悲鳴を挙げて、必死に抵抗するものの、少女を掴んだ手はびくともしなかった。

やめて。

はなして。

はなして。


弱々しい悲鳴が、男の笑みを深くする。

店の中には誰も居ない。


薄暗い部屋。

身動きできないように押さえつけられた身体。

誰にも届かない悲鳴。


少女はこの感覚を知っている。

酒臭いあの男の腐りきった吐息さえ感じそうだった。


何度も何度も繰り返される冷めない悪夢がよみがえり、男を叩く拳が震える。

しかし、男は少女を解放することなく、おびえきった少女の顔を覗き込んだ。



「内股にもあるでしょう?あぁ、そうか。こんなに切ったらもう切るところなくなっちゃうもんね。内股ならそうそう見えないし……」


 男はそこで思案するそぶりを見せると、うすら悪い笑みを浮かべた。

まるで、汚らわしいものを見るように、少女を見つめる。


「でも、君のお義父さんは知っているんだよね」


 不意に男は少女を掴んでいた手を離し、開放された少女は力なく椅子の上に崩れ落ちた。


 生き残ったロトは娘達を酒に酔わせて子を生したって言うし、禁忌とはいえそれほど珍しいことでも無いけど…でも、この場合酔ってるのは娘じゃなくて父親だよね。

おっと、違った。君とお義父さんは血がつながって無いから、禁忌には触れなかったね。失礼。


 少女は震える。食事に行くという名目で少女を連れ出し、暴行を加える義父の姿が脳裏をちらつく。


義父が帰るたびにもたらされる悪夢を終わらせたかった。

少女の悲鳴にさえ酔う義父を憎んだ。


だから、この男に頼んだのだ。

魔法使いを自称する奇妙な男に、悪夢が終わる魔法を頂戴、と。


男の称する魔法など、かけらも信じていなかったが、男はおぞましいほど美しい笑みを浮かべてその依頼を受け取った。

そして、高額な報酬の代わりに小さな小瓶をひとつ手渡した。

人を魅了する甘い声で、見ほれるような端正な顔立ちに薄く笑みを浮かべて、少女の耳元で悪魔がごとく囁いた。


これを、君を貶めた人間の杯に入れたら良いよ。大丈夫、誰にもわからないし、誰にも教えないよ。だから、これを彼が飲む酒に入れておいで。そうしたら、君は悪夢から解放される。



 そして、少女はそれを実行した。


「魔法の効き目はどうだった?僕としては結構自信作なの、あれ」


 ねーぇ、きいてる?


 恋人に囁くように、男は虚ろに視線を彷徨わせる少女に語りかけた。

少女から反応が無いことを確認すると、ひとり楽しげに少女の為に置いたカップを指先で弾いた。

場違いなほどに軽やかな音がして、ジンジャー・チャイが揺れる。


「じゃあ、シンデレラの話をしよう」

 男は少女の様子など気にも留めずに話し出した。


 かわいいかわいいシンデレラ。可愛そうな君の義妹。

僕は魔法使いだから、可愛そうなシンデレラには無償で願いを叶えてあげるの。贔屓じゃないよ。

シンデレラは何にも知らない無知で無垢な心をもってるからだよ。

シンデレラが舞踏会に行きたいと言ったら、みすぼらしい服を綺麗なドレスに、南瓜を馬車に、白鼠を白馬に変えてあげる。

無知なシンデレラは何で言ったと思う?

もちろん、舞踏会に行きたいって言ったよ。毎週毎週、着飾ってお父さんと食事に行く君が羨ましかったんだ。

それが、実はとんだ狂乱の宴なんて知りもせずにね。


そこで、僕は考えた。

どうしたら、シンデレラがお父さんと食事にいけるかってね。

お父さんの車があるから、南瓜の馬車も白馬も要らない。

でも、綺麗な服があっても、意地悪なお義姉さんがいつも邪魔してしまう。


じゃあ、むしろ、必要なものを与えるよりも、邪魔になるものを排除してあげたら良いんじゃないかって、僕は考え付いたんだ。


「君のことだよ、姿は綺麗なお義姉さん。」


 穢れた醜いお義姉さん。



 男はカップに指をかけて、くるくると中身を回した。

まだ熱が残るジンジャー・チャイ。立ち上る紅茶の甘い香り。


 ねーぇ、きいてる?まだ、きこえてる?


 かたかたと、少女の口元から震える歯の音がした。



 それでね、話は元に戻るんだけど。ちょっと退屈してたから、丁度いいスパイスを探してたの。

いいよね、大物代議士の謎の怪死。隠し味には歪んだ愛と醜い欲情。

だから、君の願いを聞いたんだ。


 ねーぇ、きこえてる?


「寒いの?これを飲みなよ。身体があったまるから」

 そうではないと知っておきながら、とぼけて男はカップを勧める。


「僕オリジナルのジンジャー・チャイ。隠し味には……そう、君にあげた小瓶と同じ、魔法の薬。」



 震える腕を持ち上げて、カップを払い落としたのが、少女ができた唯一の抵抗だった。

カップが中身をぶちまけて割れるけたたましい音と共に、指先から力が抜け、支えを失った身体が椅子から転がり落ちた。



 男は笑う。

 君の願いは叶えてあげたよ。もうこれで、永遠に悪い夢は見ない。



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