イベントは早い者勝ち 3
哀れな被害者に向けて振り下ろされんとした戦士のその剣は、しかし彼女を切り裂くことはできなかった。その途中で止まったのだ。その服の袖口にキラリと光るなにかがある。
「これは……、釣り針?」
戦士が呟いた瞬間、彼の体は引っ張り倒された。釣り針の、その糸の、その先にいた誰かが釣り竿を大きく振ったのだ。
「おっと、すまん。手元が狂った」
第三者の声だった。
誰ひとり彼の存在に気付いてはいなかった。
その男は地面に引き倒された戦士の傍に歩み寄ると、その袖口から釣り針を外し、その具合を確かめるとやがて頷いた。いざ明かりに照らされてみれば、それはいわゆる釣り師装備で全身を固めた来訪者だった。
「よし、大丈夫だ。さあ、俺のことは気にせず続きをどうぞ」
「シンッ!」
「<闇討ち>」
釣り装備の男の、その背後の暗闇から盗賊が染み出るように現れて、絶妙のタイミングで短剣を振るった。にも関わらず短剣は男に届かなかった。いつの間にか男の手には片手剣が収まっている。それだけではない。盗賊のHPは2割ほどが削れていた。
釣りをしていればモンスターが釣れることもある。釣り師が主武器を釣り竿からメイン武器に切り替えるマクロを組んでいるのは自然なことだ。
「エドッ!」
「応よ!」
戦士が片手剣を振り上げて、振り下ろす。魔法使いは何が起きるのか決して見逃すまいと目を見張った。戦士の剣が男に到達するかと思われたその時、男はその剣筋を斬った。つまり振り下ろされるその剣の流れを、その上から斜めに切り裂いたのだ。戦士の剣は男に届かず、男の剣筋は戦士のHPを削った。
それはまるで悪い夢を見ているかのようだった。
いや、まさしく悪夢だった。
男はふらふらと立ち位置を変える。まるで酔っ払いだ。だが実際のところ、その動きは的確に戦士と盗賊から同時に攻撃を受けることを避けている。そして男は攻撃されるたびに、その剣筋を斬ってしまう。戦士と盗賊が一方的に攻撃を受けている。
神官の神聖術による回復で今のところ均衡は取れている。だがそれだけだ。MPが尽きればそこで終わる。あれほど巨大な飛竜を倒した4人がたった1人の釣り師装備の男に翻弄されている。
魔法使いは戦闘に自分も参加するべきか迷った。
対人戦において攻撃魔法は扱いが難しい。FFのある攻撃魔法をあの乱戦に撃ち込めば味方の足を引っ張りかねない。
だから魔法使いは頭を絞った。
人間相手だからこそ取れる手段もある。
「半分だ! その女から奪ったアイテムの半分を渡す!」
クリスティーナを連れ帰った報酬は100万G。彼女を身ぐるみ剥いだ結果が500万Gであるならば、お互いの取り分は250万G。どちらにとっても利のある取引だ。
少なくとも魔法使いはそう思った。
「いや、別にいらねーし」
男は盗賊の攻撃を斬って言った。首に入る。急所への攻撃だ。盗賊のHPがガクッと減って、神官が慌てて神聖術を唱える。
「じゃあ、一体何が狙いで、こんな場所に」
ふらりと男が動きのテンポを変えたかと思うと、一瞬で神官の隣に移動していた。速いのではない。虚を突かれた。そんな動きだった。
「ここは――」
男が何気なく振った剣が神官の首を狩る。的確な急所への攻撃で神官のHPが4割削れる。魔法使いは詠唱待機の終わった魔法陣で攻撃魔法を放つかどうかで迷った。迷ったこと自体が悪手だった。考えるより放てば良かったのだ。返す刃で神官のHPが残り2割にまで減少する。
「実装されている中でも辺境の最奥、ベルグリン山脈だぞ!」
「見りゃ分かるだろ。釣りに決まってる」
ブラフだ。そうに決まっている。魔法使いはそう思おうとした。だがそうするには彼は少しばかり賢すぎた。釣り装備の男が味方に与えているダメージ量からすると、男の職業は戦士でレベルは40前後というところだろう。もしカンスト戦士ならスタミナ残量次第ではあるが、急所への攻撃2発はカンスト神官を殺しきる。彼らがPKだからこそ断言できた。そして例えブラフだとして、それに何の意味があるというのだ。男は単独で彼らを撃退しかかっている。
「じゃあ手打ちだ。僕らは君に手出ししない。君も僕らがすることを見逃す」
「残念。売られた喧嘩は買う性質でね。先に手ぇ出したんだ。当然覚悟はできてんだろ?」
今度こそ嘘だ。先に手を出してきたのは男のほうだ。だが確か男は「続きをどうぞ」と言った。あのとき手出ししていなければ見逃されていた?
もはや神官に為す術は無い。近接職に接近された神官にできることは無い。神聖術の魔法陣は攻撃によってキャンセルされるし、移動しながら神聖術は使えない。対人パーティ戦においては、神官を如何にして守るかが肝だ。それが分かっていない彼らではない。分かっていながら対処しきれなかった。
そもそも動きながら戦う来訪者が稀なのだ。スタミナの関係でDECOでのバトルは足を止めての殴り合いが基本だ。だが理屈の上ではスタミナが減らない程度に移動しながら戦うことにデメリットは無い。デメリットは無いが、できるかできないかで言えばできない来訪者のほうがずっと多い。間合いや移動やフェイントを考えなくていいMOB戦に慣れた来訪者がほとんどで、それを狩るPKも獲物である来訪者がその程度なので、似たようなものだった。
「ファイアブラスト!」
神官が切り倒されたタイミングで魔法使いは火の範囲魔法を仕掛ける。味方がいると巻き込んでしまうが、神官のHPは全損した。蘇生の使える神官が倒された今、彼らは火力でこの敵を圧倒する以外に勝ち筋が無い。
魔法使いから放射状に放たれた炎を、男は横っ飛びに回避しようとする。だが避けきれるものでもなかった。そのHPが減る。2割。かすっただけなのにダメージが大きい。やはりレベルが高くない。地面に手を突いて前転した敵は、次のステップでもう魔法使いに迫ってくる。
「エドッ!」
「戦技<シールドバッシュ>!」
「戦技<ファストブレード>」
盾と剣が激しくぶつかり合って、そして止まった。シールドバッシュの追加効果のスタンが発生したのかと思えばそうではなかった。次の瞬間には男の剣が戦士の首を深々と抉っている。
「シールドバッシュに戦技を当てると、どちらも無効だ。覚えとけ」
「普通は逆だろ!」
魔法使いは思わず声を上げずにはいられない。シールドバッシュは戦技の中ではファストブレードに次いで出が早い。大抵のMOBの戦技の予備動作を見てからで間に合う。先に当ててスタンを入れて戦技を強制キャンセルさせることができる。確かにシールドバッシュが遅れて戦技とぶつかる場合はある。シールドバッシュを覚えたての頃にこそやらかす。その場合でも戦技はキャンセルだ。ただしスタンは入らない。それは逆に言えば戦技でシールドバッシュをキャンセルできるということだ。もっとも出の早いファストブレードなら、シールドバッシュを見てからでも間に合う。理論上は。
「シン! 俺ごと殺れ!」
戦士は喉を刺されたまま剣を捨て両手で男にしがみついた。
「<忍び足>戦技<ピアッシングスラスト>」
盗賊はためらいなく戦技を放ったが、男は戦士の拘束をするりと抜けた。下へ。両足を180度広げ、ピアッシングスラストの火線から逃れる。短剣の鋭い一撃は戦士の胸を抉っただけだった。
「アイスブラスト!」
巻き込みを承知で魔法使いは範囲魔法を放つ。今なら男に直撃すると判断してのことだった。彼らはようやく正解を引いた。戦士と盗賊のHPも減ったが、男のHPはさらに大きく減る。残り3割。倒せる。そう思ったときだった。
「ヒール!」
男のHPが一気に回復する。やはりブラフだった。仲間が潜んでいたのだ。対人戦において神官は真っ先に狙われる。必要になるまで潜ませておくのは正しい判断だ。魔法使いはそう思ったが、そうではなかった。
神聖術を使ったのはクリスティーナだったのだ。
NPCにも職業は設定されているし、AIによる独自判断で行動する。彼女は釣り師の男を味方と判断して力を貸したのだ。
「先にクリスティーナを!」
「させるわけないだろ」
男が巧みに戦士と盗賊の動きを封じる。フェイントを駆使されて、HPの減っている二人は力任せに抜けていくことができない。だからと言ってまともに相手をすれば、技量で勝る男のほうが有利だ。魔法陣を構築しながら魔法使いは次の魔法をどっちに放つべきかで迷う。攻撃魔法一発でクリスティーナを確実に殺せるならそうする。だが確証がない。かと言って範囲魔法で男を狙えば、一撃で倒せないのは確定している。
どっちだ。
どっちが正解だ。
迷っているうちに魔法陣が完成する。分からない。しかし選ぶしかない。
魔法使いは杖をクリスティーナに向けた。まず神官からという対人戦の基本に従うことにしたのだ。
「ファイアブラスト!」
そして火の範囲魔法が、しかし、発動しなかった。
「な、んで……」
魔法使いは呆然と自分の胸に突き立った矢を見下ろした。男が装備を剣から弓に変えて放ったのだ。ダメージを受けたことで魔法陣はキャンセルされる。男はもう装備を剣に戻して戦士と盗賊の二人と渡り合っている。盗賊が切り倒される。HPが全損していた。
魔法使いはようやくもっとも正しい選択をした。
戦士を置いて逃げ出したのだ。
10話くらいまでは毎日19時に投稿していく予定です。
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