イベントは早い者勝ち 2
それは恐ろしいほどに広い洞窟だった。
床に転がったいくつもの松明が揺らめく炎で周辺を照らし出しているが、壁も天井も、薄らぼんやりとなんとか見えるという程度に遠い。洞窟にありがちな、空間が狭くて長物が振るえないという問題は発生しそうになかった。
だがそれでも洞窟の主にしてみれば、十分な広さとは言い難いのであろう。チロチロと炎の息吹を顎から吹き出しながら、その飛竜は身動ぎしている。
動きにくそうに振るわれた前足ではあるが、人間にしてみれば十分な脅威だ。戦士はなんとか盾でそれを受け止めたが、その衝撃までは受け止めきれずに蹈鞴を踏んだ。
「いま治します。ヒール」
「待て、クレア!」
戦士は神官を止めようとするが、すでに一歩遅く神聖術は完成し、戦士のHPを大きく回復する。それと同時に戦士に向いていたはずの飛竜の目が神官を捉えた。戦士のHPを大きく回復したことによって増加した飛竜の敵意値が、戦士の確保していた敵意値を超えたのだ。
「ひぅ……」
人間を遙かに超えるスケールの暴力装置に注意を向けられて、神官の体が硬直する。彼女のHPと防御力では飛竜の攻撃に一撃とて耐えられるものではない。さらに飛竜は大きく息を吸い込んだ。
「戦技<シールドバッシュ>」
ブレスを放った瞬間の飛竜の横っ面を戦士の盾が殴り飛ばした。神官は一瞬炎に呑まれるが、HPはほとんど減っていない。
「シン!」
「――<闇討ち>――」
声は無く、システムログだけが流れた。次の瞬間、飛竜の背後、暗闇の中からぬるりと人影が現れて尻尾に切りつけた。
盗賊のアビリティ<闇討ち>は発動した後の次の攻撃が不意打ち判定であった場合に限り、その攻撃力を2倍に引き上げるというものだ。そもそも不意打ち自体に攻撃力3倍の効果があるため、成功すれば6倍の攻撃力を得られる。
盗賊の非力な、短いダガーでの攻撃は、しかし飛竜の尻尾を切り落とした。
部位破壊。
魔物の特定の部位に一定以上のダメージを一撃で与えた場合にのみ発生する一種のボーナスだ。飛竜は攻撃手段をひとつ失い、来訪者たちは確定ドロップをひとつ追加で得られる。
「GRUUUUUUU!!」
飛竜が怒りの混じった唸り声を上げた。だがその注意は戦士に向いたままだ。
闇討ちは敵意値をあまり上げないという特性がある。だがまったく上がらないわけではない。連続して不意打ちボーナスを得ることはできない。
盗賊は追撃は行わずにすっと闇の中に消える。
盗賊がDPSを出すためには自分に向けられた敵意値を上手く管理して、攻撃のたびに不意打ちボーナスを得るのが最も効率が良いからだ。
「首元がお留守だぜ!」
飛竜の首元に駆け込んだ戦士がその剣を振るう。
刃が鱗を切り裂いて飛竜に急所への攻撃判定を下す。
つまり2倍ダメージだ。
「アイスボルト!」
魔法使いの放った氷の矢が飛竜の背に突き立つ。攻撃魔法は急所への攻撃判定がない代わりに威力が高めで安定しているという特性がある。この手のHPが飛び抜けて高い相手には相性が良い。DPSが高い。その代わりに敵の敵意値も上がりやすい。
「<タウント>!」
盾役は敵意値を稼ぐのが仕事だと思われがちだがそうではない。本当に上手い盾役は敵意値を制御する。仲間がどの程度の敵意値を稼いでいるのかを把握し、常にそれを上回る敵意値を自分に向ける一方、いつでも手放せるようにする。
盾役は仲間を死なせてはいけないが、自分が真っ先に死んでもいけない。例えば盗賊が飛竜にやられたとしても、神官の神聖術で復活できる。衰弱時間こそあるものの、戦士と神官が無事であれば立て直すことは十分に可能だ。だが盾役に変わりはいない。
レベリングのための雑魚狩りならばそうでもないだろう。だが彼らがいま対峙しているのは歴としたイベントモンスターであり、おそらくはこのイベントのボスモンスターである。勝利するためにはそれぞれが役割をこなすことが求められている。
飛竜の攻撃は重い。現時点でのレベルキャップに到達している戦士でも受け続けるのは辛い。おそらく本来は4人で攻略するようなモンスターではない。
10人、あるいは20人、洞窟の広さを考えるともっとかも知れない。それだけの数の来訪者を揃えて攻略すべきモンスターだ。
だが彼らにはそうできない事情があった。
「クレア、やつのスタミナは?」
「1000はいかないと思います。800か、900か、その辺りかと」
スタミナは攻撃時の威力を決定する重要な要素だ。攻撃力にスタミナの残り割合を掛けてダメージが算出される。スタミナが多いということは連続攻撃をしてもダメージ量が減りにくいということを表している。
「えぐいなあ」
魔法使いが毒づく。
スタミナは雑魚モンスターで100から200。ボスモンスターでも300か400と言ったところだ。3桁後半ということはこの飛竜がレイドボスであることの証左に他ならない。実際にこの飛竜はスタミナを回復するような間を取ることがほとんどない。
今のところ戦士は敵意値を制御できているが、危うい綱渡りだ。じりじりと神官のMPが減っていく。その減算割合は飛竜のHPの減り具合よりかなり早い。
「2連携だ。クロスピアッシング。戦技<クロスブレード>!」
片手剣戦技<クロスブレード>は攻撃力1.2倍の攻撃を2回繰り出す。
×印の剣筋が飛竜の鼻先に放たれた。
「<忍び足><闇討ち>戦技<ピアッシングスラスト>」
アビリティ<忍び足>は一定時間足音がしなくなると同時に敏捷を1割上昇させる効果を持つ。短剣戦技<ピアッシングスラスト>は攻撃力×敏捷によってダメージが決定される。盗賊の現在の敏捷だとおよそ1.3倍と言ったところだろう。さらに<闇討ち>によって攻撃力は6倍となる。
飛竜の背中からエフェクトが腹部にまで抜けた。さらに<クロスブレード>のエフェクトと<ピアッシングスラスト>のエフェクトが混じり合い、渦を巻くようなエフェクトに変わった。
「<ウィンドボルト>」
タイミング良く魔法使いが魔法を放つ。杖から伸びた風の矢が飛竜に突き刺さる。戦技を重ねて連携を決め、エフェクトが出ている間に属性を合わせた術を当てると、その攻撃力は2倍となる。
2連携クロスピアッシングとブーストマジック<ウィンドボルト>によって飛竜のHPは目に見えて減った。
「それでも1割と言ったところかよ」
1割残ったのではない。今の連携攻撃によって与えたダメージが飛竜のHPのおよそ1割ということだ。今までに与えたダメージがおよそ1割、合わせて2割だ。飛竜のHPは8割方残っている。
「でもまあ、倒せないほどじゃねぇな」
戦士の言葉は強がりとも事実の指摘とも言えた。おそらくこの飛竜はレイドボスとしては格段に弱い。彼らはもっと強い敵と戦ったことが幾度もある。ただしこの4人だけでこのクラスのボスモンスターと戦うのは初めてだ。
「野良で1人か2人、募集をかけるべきだったか」
「そんなことしたら後が面倒だよ」
だがそれでも彼らはやりきった。
足りない人数を時間で補い、ついに飛竜のHPを削りきったのだ。
飛竜の体がぐらついて倒れ、黒いエフェクトとドロップアイテムを残して消え去っても、しばらく彼らは身動きが取れなかった。それほどまでに疲れ切っていたのだ。
しかし悲鳴を上げる体に鞭を打って彼らは進まなければならない。そのためにここまで来たのだ。
ドロップアイテムを回収し、洞窟のさらに奥へと彼らは進む。
洞窟は飛竜が居座っていたところから、それほど奥に深くはなかった。
一本道の突き当たりに床にへたり込んで虚ろな目をした1人の女性がいた。
年の頃は十代後半といったところだろうか。紺色の豪奢なドレスはこの場に似つかわしくない。腕輪、指輪、ネックレス、編み上げた金色の髪にまで装飾品が飾られている。まるで夜会の場から抜け出してきたかのようだ。
「お嬢さん」
一行を代表して戦士が声を掛けた。その途端、彼女ははっと彼らを見やった。
「来訪者の方々……、あの悪しき竜を倒し、私を助けに来てくださったのですね」
彼女の名はクリスティーナ・エルナンデス。本当はもっと長い名前なのだが、一般的にはそれで通っている。ここ辺境を治めるエルナンデス辺境伯の次女だ。先日、彼女は本土からこの辺境へと戻る途中に馬車ごと飛竜に攫われた。エルナンデス辺境伯は動員可能な全兵力で娘の捜索に当たる一方で来訪者たちに依頼を出した。
“誰でも良い。娘を連れて帰ってきた者には100万Gの報奨金を出す”
かくして目の色を変えた来訪者たちがこぞって彼女を探し始めた。そういうわけだ。
「ようやくここから出られるのですね。ですが私は暗闇にあまりに長く囚われすぎました。あなた方の明かりですら目を焼いてしまいそう。どうか今しばらくの時間を私に下さいませんか」
「お嬢さん。確かにエルナンデス辺境伯はクリスティーナ様を連れ帰った者に報奨金を出すと約束した。だが俺たちはあんたがクリスティーナ様であるという確証が持てない。なにか身分を証明できるものを持っているか?」
「では、この指輪を。エルナンデスの家紋が意匠として施されています」
女性から受け取った指輪を戦士は盗賊に渡した。
「間違いない」
盗賊は指輪を検分して頷いた。
「それに彼女が身につけているのはどれも魔法具ばかりだ」
「当たりだな」
そう言って盗賊から受け取った指輪を戦士は自分の鞄に収めた。
「え?」
クリスティーナは目の前で起きたことが分からないという顔をした。
彼女は指輪を当然のように返してもらえるものだと思っていたに違いない。返してもらわなければ困るはずだ。この指輪はエルナンデス家に連なる者の証明として使われる。これさえあればエルナンデスの屋敷に自由に出入りができる。
そんな彼女の顔を見て戦士は初めて笑みを浮かべた。
底知れない邪悪な笑みだった。
「エルナンデス辺境伯とやらは大馬鹿者だな。娘を連れ帰れば100万Gだって? 娘が身につけているものだけで500万Gは下らないじゃないか」
「あな、あなたは……一体、何を、言って……」
「あー、DECOはすげぇよな。DEC6の焼き直しだとばかり思ってたが、NPCのAIはすげー強化されてんじゃねぇか。たまんねぇよな。希望から突き落とされるその表情、まるで生きている人間だぜ。魔族側の奴隷商に売ったら幾らになるかなぁ」
「りか、理解が、その、私、意味が分からなくて」
「奴隷商に売ることはしないよ」
魔法使いがきっぱりと言ってクリスティーナはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
「では指輪は……」
「残念だが、お嬢さん、あんたにはここで死んでもらう。奴隷商に売るようなリスクは取らない。俺たちはあんたが身につけている魔法具さえ手に入ればそれでいい」
「冗談、ですわよね?」
戦士は笑顔でクリスティーナを見下ろしている。
「ストリップショーも楽しそうだが、あまり時間をかけたくない。せめてひと思いに楽にしてやるよ。女の絶叫は嫌いでね」
戦士はそう言ってクリスティーナに歩み寄る。怯えたクリスティーナがへたり込んだまま、逃げようとするが、その動きは緩慢だ。
そして戦士はクリスティーナに見せつけるように片手剣を高く掲げ、彼女が恐怖に目を閉じたのを確認して、そして振り下ろした!
10話くらいまでは毎日19時に投稿していく予定です。
なお、当初はこの話がプロローグになる予定でした。
少しでも興味を持っていただけたならよろしくお願い致します。
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