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案内人にはついていくな 1

 秋野夕日(あきのゆうび)は名前も知らない木に背中を預けて心を落ち着けていた。

 大丈夫、まだ大丈夫。

 自分に言い聞かせるそれが詭弁であることを彼女はよく分かっている。肉体的な疲労こそ感じていないものの、精神的な緊張は頂点(ピーク)を迎えて久しい。視界に浮かぶ渇きゲージはまだそれほど貯まっていないのに、口の中が乾いて仕方なく思える。気のせいだとは分かっていたが、(インベントリ)から水袋を取り出して、ほんの少し口に含んだ。

 いつの間にか太陽は沈み、森は夜に覆われていた。当初の予定と違ってしまっている。出現(ポップ)するモンスターの傾向はすでに変わっていた。例えば夜行性の獣、魔物、魔族、特に厄介なのは巨大蝙蝠(ジャイアントバット)だ。この付近に出現するモンスターの中では一段弱いが、夕日にとっては致命的な強さであるという意味で、他のモンスターとそれほど違いが無い。そしてこのモンスターは漆黒の見た目で宵闇に紛れる。見えない。そのくせ向こうはまるで見えているように夕日を捉えてくる。いわゆる反響定位(エコーロケーション)だ。感知範囲も広く、好戦的(アクティブ)で、発見されると攻撃してくる。移動速度も速く、夕日の足では逃げ切れない。巨大蝙蝠(ジャイアントバット)を避ける方法はひとつだけ。祈ることだ。

 そもそも夜間の移動を避ければ良かったのだが、こうなってはそうもいかない。日が昇るまでは何処かに身を潜めるという手段もあるように思えるかも知れない。だがこのゲームのレベルデザインを行った誰かは、安全地帯というものを用意し忘れたかのように思える。手頃な洞窟を見つけて飛び込んだらモンスターの巣穴で死に戻り(リスポーン)、ということを夕日はすでに何度か経験している。

 かと言ってじっとしているのも得策ではない。このゲームのモンスターは決まった道順ルートを巡回するのではなく、AIによる自己判断で進行方向を決める。こっちはさっき見て回ったから、次はあっちにしよう。それくらいの知能は持っている。

 移動しても、じっとしていても見つかる可能性があるのであれば、目的地までの距離を稼いだほうが幾分かマシだ。と、夕日は判断する。乾きゲージはともかく、飢えゲージはすでに満杯で、各種ステータスに弱体化(デバフ)が生じている。こうなると実際のところはもう焦っても仕方ないのだが、気持ちが落ち着かないのはどうしようもない。

 いま敵に見つかっていないということは、この辺りはきっと安全だからあの木のこちら側に身を潜めるところまではいけるはず。

 夕日はそう判断して前に進んだ。

 進もうとした。

 進めなかった。

 さっきまではなんともなかったはずの体の自由が利かない。

 よく目を凝らすと体の周りに細い糸のようなものが巻き付いている。知らない。夕日はこのパターンを知らなかった。敵を探して左右を見回して、最後に見上げたその視界に八つの瞳と顎が迫り、次の瞬間HPゲージが全損していた。

 戦闘不能状態で待っていても通りすがりの誰かが蘇生(リヴァイヴ)を掛けてくれる可能性はほぼ皆無だ。夕日は死に戻り(リスポーン)を選択し金属製のチューブの中に戻った。パネルを操作してチューブを開放して外に出る。思わずため息が出た。そこはよく見知った石造りの広間だった。二十本ほどのチューブが並んでいる。ハネネイの町にある神殿の、いわゆる来訪の間だ。プレイヤー的に言うのなら復活の間とか、ログインの間である。プレイヤーはログイン時や、死亡からの復活時に、この来訪の間にある金属チューブの中に転送される。夕日はさっさと来訪の間から退去した。

 来訪――NPCはプレイヤーが出現することを来訪と言う――の時に使用されるこの金属チューブは同時に複数のプレイヤーを処理できないため、夕日がここでもたもたしていると他のプレイヤーに待ち時間が発生する恐れがある。まだ初心者(ニュービー)の夕日だが、そこら辺のマナーは経験で学んでいた。

 神殿から外に出ると潮の香りが鼻をついた。ハネネイは港町だ。辺境ダークエッジの他の町と海路で繋がっているということもあって、初心者を抜け出したプレイヤーが向かう町という印象が強い。そしてそれに伴って周辺のモンスターのレベルも高い。

 またため息が出た。

 夕日のレベルは1だ。ゲーム開始直後にハネネイにやってきた。というより連れてこられた。ここなら初心者向けのモンスターが一杯いて、ライバルもいないよという触れ込みだった。案内料としてなけなしの1000(ゴルド)も持って行かれてしまった。騙されたと気がついた時には、この町の神殿に復活ポイントを設定してしまっていて、ゲーム開始時の町に死に戻りもできないという有様だ。

 ハネネイの町にプレイヤーはそれほど多くない。ここに来るプレイヤーはハネネイから船に乗っていくか、ここら辺でレベル上げをする。夕日は何人かのプレイヤーに事情を話したが、初心者向けの町までの護衛には難色を示された。理由は二つだ。一つは純粋に遠い。行くのに一時間、戻るのに一時間。二時間を他人への親切で浪費できるお人好しはなかなかいない。もう一つはレベル1を連れて行くことの難しさだ。何人かで護衛するならともかく、一人のプレイヤーが行く道のモンスターを蹴散らしながらレベル1を安全な領域(エリア)まで運ぶには相応のレベルが必要で、そこまでレベルを上げているプレイヤーはすでにここを卒業している。金を積めば話は別かもしれないが、夕日には払える金も無ければ交換条件として差し出せるアイテムも無い。

 幾度か断られ、夕日は誰かに頼ることを諦めた。心が折れたとも言う。

 幸い記憶力は良い方だったし、あまり道に迷わない自信もあったので、自力で元の町まで戻ることを考えた。モンスターを避けて行けばなんとかなると思った。思っていた。だが現実は残酷だった。ゲームなのだけれども。

 いっそキャラを削除してやり直すべきなのかも知れない。だがそれも悔しい。夕日は港から夜の海を眺めてため息を吐いた。まさかゲームで海を見て黄昏れることになるとは思わなかった。こんな時間だというのに船が出航する。次にやってくる船から降りてくる誰かは初心者向けの町に向かうかも知れない。だが見知らぬ人に話しかけるのに夕日は抵抗を感じないわけにはいかなかった。何度も袖にされたのだからなおのことだ。

 ばしゃんと何かが水面で跳ねた。釣られてそちらに目を向けると、海に向かって竿を伸ばす釣り人がいた。プレイヤーかNPCか判断がつかない。どっちだろうと思っていると先方もこちらに視線をよこした。


「釣り、興味ある?」


 こんな感じで話しかけてくるということはプレイヤーだ。


「いえ、あんまり」


 夕日はどちらかというと戦闘がしたくてこのゲームを始めた口だ。前作的な扱いになるDEC6はプレイしたし、その上で釣りが結構便利なことは知っているが、わざわざ釣りをしたいと思えるほどではなかった。


「まあまあ、そう言わず」


 夕日の視界にトレード画面が現れた。釣り竿と餌がいくらか並べられる。


「払えるお金がありません」


「もう使ってない竿だし、餌は自作だからコストはかかってないよ。弱いアタリだけ狙えばイワシが釣れて釣りスキルも上がる。ここはひとつ騙されたと思って」


 まさしく騙されたばかりであった夕日にとってその言葉は重かったが、失うものが何もないことも事実だった。


「ありがとうございます」


 好意か、それとも他の何かなのか夕日には判断がつかなかったが、くれるというものは貰っておこうと打算的な考えが働いてトレードを完了させる。最悪でも釣り竿を売れば少しの金にはなる。(インベントリ)に入った釣り竿を装備画面の主武器の項目に入れた。餌は副武器だ。夕日の手に釣り竿が現れたのを見て、釣り人は頷いた。


「経験者か。DEC6?」


「はい。DECOでも基本は一緒ですか?」


「ちょっとややこしくなってるかな。DEC6は海無かったし。とにかく最初は弱いアタリだけ狙って後はリリース。竿が折れたら修理するけど、修理資材があんまりない」


「分かりました」


 そんな会話をしている間にも釣り人は何匹かを釣り上げている。釣りで資金が稼げるというのなら現状ほぼ詰んでいる夕日には願ったり叶ったりだった。木の枝に糸と針を付けただけのシンプルな釣り竿をアンダースローで海に向ける。この辺が非常にゲーム的なのだが、わざわざ餌を付けるアクションは必要ない。副武器スロットに餌が装備されていれば、自動的に餌は付いているものとして判定してくれるからだ。


「えっと、お名前を聞いてもいいですか? 私はアカネです」


「ナハトだけど、それ本名じゃないよな?」


「違います。それくらい気をつけます」


 本当を言えば夕日という本名から簡単に連想できる名前ではあるのだが、そのことは黙っておいた。


「ナハトさんはなんでここで釣りを?」


「なんでって言われても困るな。海があったから?」


 山があったから登る登山家みたいな返答だった。


「今は一次職が開放されたばかりで皆レベル上げをしてるって聞きましたけど」


「だからってのもあるかな。モンスターの奪い合いをしているより釣りしてるほうがよっぽど楽しいし。レベルなんて後から上げればいいんだしな」


「ちなみにナハトさんのレベルは?」


「来訪者の25、一次職はまだ解放してない」


 来訪者というのはこのゲーム、つまりダークエッジクロニクルオンラインにおけるプレイヤーたちの総称であり、また初期職業でもある。来訪者はあらゆる種類の武具を装備でき、一次魔法職が習得できる魔法ならどれでも習得できる。だがレベル上限が30と低く、ステータスも専門職に比べるとどれも低い。戦技アーツこそ習得できるものの、アビリティは覚えないと、便利なようでそうでもない。来訪者のレベルを上げながら、自分のプレイスタイルにあった専門職を決めるというのが常道のようだった。


「レベルが25もあればこの辺の敵は倒せるんですよね?」


「まあ、移動に困ることはないな」


「それならお時間があるときで構わないので、私を適正レベルのところまで護衛してもらえませんか? お恥ずかしながら手間賃を稼ぐのにいただいた釣り竿を使うしかないんですけど」


「うーん、別に金に困ってるわけじゃないが、レベル1の護衛だろ。3000は欲しいな」


「私のレベルを知っているんですか?」


「有名だからな、あんたも、あいつらも」


 その時、竿がピクリと反応してぐいと水中に引き込まれる。夕日のDEC6経験上、弱いアタリだ。竿を持ち上げようとすると視界に二つのゲージが現れた。魚の体力と糸のテンションだ。DEC6と同じシステムのようなので、夕日に戸惑いはない。テンションが上がりすぎないように気をつけつつ、魚の体力を削る。すぐに魚の体力は尽き、竿が持ち上がった。システムログウィンドウに“イワシを手に入れた”“釣りスキルが0.1上昇した”の二行が表示される。(インベントリ)を開くと餌が一つ減って、イワシが手に入っている。


「ちなみにイワシを売ったらおいくらくらいになるんですか?」


「1(ゴルド)だ」


「世知辛い!」


「火のあるところで焼き魚にすれば30(ゴルド)で売れる。プレイヤーなら100(ゴルド)でも買ってくれる。イワシのままでもプレイヤーになら10(ゴルド)くらいで売れるかもな」


「焼き魚にしてプレイヤーに売るのが良さそうですね」


「PCもNPCも食料を消費するからな。食べ物は稼ぎにはいい。内地に持って行けばNPCでももう少し高く買ってくれるはずだ」


「まあ、その移動手段が無いんですけど」


「なんでリセットしなかったんだ?」


「えっ?」


「あいつらに騙されてここに置き去りにされた後、普通のプレイヤーはキャラをデリートしてやり直す。どうせ始めたてのキャラクターだ。レベルもあがってないし、リセットすれば初期資金の1000(ゴルド)も戻ってくる」


「それは――」


 夕日もその手は考えた。さっきも考えたばかりだ。


「それだと負けっぱなしですよね。騙されて、お金を奪われて、詰まされて、一度はこれでやっていくと決めたキャラクターを削除してやり直したんじゃ、あいつらの思うつぼじゃないですか」


「そうだな。連中は愉快犯だ。金が欲しくて初心者を騙しているんじゃなくて、初心者を騙すことそのものを目的にしている。金が欲しいだけなら適当にフィールドに連れ出してPK(プレイヤーキル)すれば事足りるからな。初心者がにっちもさっちもいかなくなって困るってことを楽しみにしているんだ」


「ですよね。許せない。……って言ってもなにかできるわけじゃないんですけど」


「運営はプレイヤー同士で出し抜き合うのはむしろ推奨すらしている感があるからな」


「そうなんですか?」


「DECOではシステム上できることは基本的になんでもしていい。駄目な時は猫精霊(ケットシー)が注意に来る場合もあるが、そういうのはバグを利用した不正行為くらいだな。無限スキル上げとか、そういう場合はキャラクターのロールバックもあるが、プレイヤー同士のトラブルには基本的に介入してこない」


「つまり今回の場合は騙された私が悪いということなんですね」


「まあ、そうなるな」


「じゃあ、仕方ないか」


 あいつらを見つけて仕返しをするにしても夕日のレベルは1だ。戦って勝てる相手ではない。ハネネイの町まで夕日を護衛してこれたことから考えて、そこそこのレベルには到達していると判断できる。


「いつかPKするリストに入れておきます」


「それもいいんじゃないかな」


 ナハトはそう言って竿を振った。

 夕日の竿にアタリがあって、また一匹イワシが釣れた。

私としては初のVRMMOモノになります。

10話くらいまでは毎日19時に投稿していく予定です。


少しでも興味を持っていただけたならよろしくお願い致します。

ブクマしていただいたり、↓からポイントを入れていただけると狂喜乱舞します。

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