新しく作り上げた魔本の中身
由布梨は白紙の本の一ページ目に文字を書きいれた。
栞を挟んで閉じたら元の世界戻れる、という魔法の条件。
栞を挟めば、と一言加えたのにはわけがあった。
そのひと手間を書かなかったら、元の世界にいきなり帰ってしまうかもしれない。
本をバタン、と閉じたら元の世界。うっかりで帰ってしまうことは嫌だった。
だから、栞。由布梨にとって、それほど深く考えて出した結論でもなかった。
自分で魔法を作って、本にして、それで帰れる、というのなら。
本気になったら移動魔法でも帰れるような気がしたけど、鳳凰に乗っても帰れないくらいだったし、多分無理だってことでいいや。
由布梨はそう思った。
本の内容をどうするか。
本当は何でも良いのだと思う。
トマトスパゲティのメニューを書いた本でも、元の世界の戻れる効力を持つ、と記しさえすれば、多分帰れる、と思う。
だけど、由布梨は今まで出会った人たちに頼むことにした。
元の世界に帰るつもりでいる、由布梨たちへの、餞別の言葉を、本に書いてもらって回ることにした。
卒業式にもらう寄せ書きみたいに。
玉兎は、どう思うのかな、と由布梨は不安だった。しかしその不安はあっさり裏切られ、なんと玉兎もこの魔本に、何かを書いてくれたのだ。
アイリーンの元にも立ち寄るつもりでいる、と彼女の家に手紙を出した。
すると、数日後、彼女はわざわざ由布梨の元に、江瑠戸西に会いに来てくれた。
「アイリーン!」
久しぶりに同級生にあった時みたいに、あたりまえのようにハグをした。
「由布梨、久しぶり。少し髪が伸びたわね」
アイリーンは由布梨の毛先に触れて言った。
「そうかも。ねぇ、手紙モンスターはどうなった?」
「星になったわ」
由布梨の問いかけに、アイリーンは微笑みを湛えて答えた。
そうだよね、星になったんだよね、と由布梨は頷いた。アイリーンは返信を出したのだろう。そして、手紙モンスターとの短い同居生活を終えた。一体、その期間にアイリーンの心の中に、どんな感情が駆け巡ったのかのを考えると、胸がいっぱいになった。
アイリーンも、元の世界に帰りたいだろうか。手紙を出してくれた秘密結社のPに会いたいのではないか、と由布梨は思った。
「この方法で帰ろうと思ってる」
由布梨は魔本を取り出して、アイリーンに説明した。
説明をすっかり終えた後に、一緒に戻るか? と訊いたがアイリーンは首を振った。
「咫独に頼まれたものを保管しないといけないから」
元の世界に戻って保管してもいいのでは? と言ったが、いつか咫独の怒りが癒えたら、帰りたい人たちを連れて、川を逆向きにして帰ろうと思う、と言った。
それまで待っていてね、とアイリーンは屈託なく笑った。
「凄いなあ……そこまで頭が回らなかった、私」
由布梨は感心しながら言った。まさか、境界の壁を越えてこっちに来てしまった、その大勢の人までも、いつかは巻き込んで元の世界に帰ろうと言うのだ。アイリーンの野望は果てしなく、大きい。そもそもの話、咫独の呪いを解くという大変な課題もある。そんな目標を見つけて、アイリーンは前に会った時よりも、生き生きとしているように感じられる。
「良いの。貴方たちは貴方たちのことだけを考えて。それ以上のことに気を回すのは、人生の先輩でもある、私の役割だと思うから」
「そっか……まだ子供だな、私」
この世界に来て、十分大人になったような気がしていた。だけれど、まだ世界を俯瞰して考えることは出来ない。
「アイリーン、貴方、宝物は見つけられた?」
由布梨は何げなくそんなことを聞いた。
「それが今日、見つけることになってるのよ」
アイリーンは笑った。
「見つけることに、なっている?」
意味が分からず、不思議そうな顔で由布梨は訊き返した。
「こっちよ、一緒に見に行きましょう」
アイリーンが江瑠戸西の街を先導して歩いた。いつもと同じ街並みなのに、アイリーンの姿がそこにあるだけで、新鮮な風景に見える。
アイリーンはある家屋の前で立ち止まり、その家の戸を叩いた。
「知り合い?」
「そうね、最近知り合ったの。隣家の人の友達の友達の友達の……」
「う、うん。あまり関係が深くないことは分かった」
由布梨はアイリーンの言葉を制止した。止めなければ、まだまだ友達の友達、と言う言葉が連鎖していきそうだった。それにしても、アイリーンの家は森の中にあるのだから、あそこの隣家って、どこにあったんだろう、と疑問に思う。
「にゃーお」
「あれ……」
家の中から現れた人物は、猫を抱えていた。
「こんにちは」
由布梨は家主に挨拶をしてから、猫をまじまじ見つめる。見たことがあるような、ないような、猫なんてだいだいそんなもののような、でも、妙に心に引っかかる猫の顔だった。
「今日、この子を引き取るの。引き取り手を探してるって、人伝いに聞いて、力になりたいと思ったのよ」
アイリーンが言った。
「そうなんだ」
「最近、猫を触ってると何だか具合が悪くて、鼻水が止まらない……」
家主は猫をアイリーンに引き渡して、真っ赤な目をして言った。
「か、完全に猫アレルギーになってるじゃないですか」
由布梨はぎょっとした。
「任せて、私が大事に育てていくから」
アイリーンが猫を撫でて、優しい声色で言った。
「アイリーン、可愛いね」
由布梨は無意識に言った。
「えっ?」アイリーンが珍しく上ずったような声で聞き返す。「猫が可愛い、のよね?」
「うーん、それはそうだけど、アイリーンが良い表情してるなあ、と思って」
「そう、かな」
アイリーンは照れくさそうにおでこを掻いた。
「うん」
「そっか。宝物見つけたときって、誰でも良い表情が出来るのかもしれないわね」
アイリーンの腕の中で猫が喉を鳴らした。
「良かったね。宝物なんだってよ。……名前、付けたの?」
由布梨は彼女の腕の中の猫に声をかけると、アイリーンに訊いた。
「Pにしようかなあ、なんて」
「あー」
好きな人の名前をペットにつけるタイプの女子か、と由布梨は冷静に思った。由布梨は自分なら絶対にしないな、とこっそり考えた。
「そうだ、アイリーン。本に少しで良いから書いてくれない? 何でもいいんだけど」
由布梨は懐から取り出した魔本を見せた。すでに、色々な人に書いてもらったため、アイリーンに書いてもらうためのページはかなり後半になっている。
みんなが書いてくれた内容を、由布梨はまだ読んでいない。
気にならないということはない。
しかし、それを今読みたい、とは思わないのだ。
いつか、元の世界に戻って、そしていつも通りの日常に戻って、寂しくなった時。そっと開きたいなあ、なんて由布梨は理想を思い描いている。
楽しみは、取っておくタイプなのだ。
お寿司のウニとイクラ。ショートケーキの苺(上に乗ってるやつじゃなくて、中でスポンジとクリームに挟み込まれてシロップ漬けのような甘さを持つ、半月型の苺のこと)、詰め合わせせんべいのザラメ味のやつ、アソートのチョコレートのヘーゼルナッツ味のやつ。
「いいわよ」
アイリーンが両手で猫を抱いたまま頷いた。
「ん、どうしよっか、そこに座って書く?」
由布梨は近くの縁台を指差した。
「そうね」
由布梨とアイリーンは縁台に並んで腰かけた。由布梨が猫を抱え、アイリーンが魔本を手にした。
「お願いしまーす」
由布梨は魔本にストラップのように付けていたペンを引き抜いて、アイリーンに渡した。
「私、あまり文章を書くのは得意じゃないんだけど、箇条書きでもいい? それか論文口調みたいな」
「うん、何でもいい」
「……他のページは見ちゃダメよね?」
アイリーンがおそるおそる訊いた。
「気持ちは分かるよ。私も見たいなあって思うし。でも、楽しみに取っておくことにしてるから、アイリーンも、我慢してね」
由布梨はケラケラと笑った。
「もちろん。貴方の言う通りにするわ」
アイリーンは答えた。
その時、膝の上で丸まっていた猫が腕をピーンと伸ばし、魔本に触れた。猫の肉球が、魔本のページを悪戯にめくり上げていった。
「あら、あら」
「にゃー」
猫の肉球はあるページでピタッと止まり、そのページの端っこをぎゅうと握ってしわをつけた。
さっき、本の中身は見ないことにしている、と言ったにも関わらず、由布梨の目はそのページに並べられた文字にくぎ付けになっていた。




