ワサビ髪の酔っぱらい
うわあ、と詩安は思った。
なぜなら目前で、ワサビ色の髪の男が由布梨を巧みに褒めているからだった。
何気なく立ち寄った酒屋、その入り口で、詩安は固まっていた。どうせその二人の間に割りこんで、俺も混ぜてよ、といえるような空気ではないのだから、店から退出すればいいのだが、そんな気にもなれなかった。そのワサビ色の髪の男の手口を見習おうと思いついたのだ。一体、どういう風に褒めれば、由布梨の中にその言葉がスッと入って行くのだろう、と。
(あぁ、なるほど……)
荒っぽい語気で、余計な装飾のない、シンプルで的確な褒め言葉を紡ぐ。それが出来ればいいのか、と詩安は腑に落ちた。
花札の中から出現した女性に、恋の照準を合わせると決めたものの、由布梨に未練がないわけではなかった。実行に移すことは無いだろうが、詩安はキッチリとそのワサビ髪の男の手口を頭に叩き込んだ。
「詩安さん」
詩安は由布梨から話しかけられた。
「……由布梨ちゃん、今晩は。何で酒屋に?」
「あぁ、景臣先生が店主さんに持ってくものを忘れて、届けに来たんです」
「へえ……」
そういえば、店主は喘息持ちで、いつも薬膳が欠かせないと言っていたっけ、と詩安は思い出す。
「それじゃ、詩安さんも、また」
「うん、バイバイ。後で夢の中で会おうね」
しまった、と思っても遅かった。いつものように歯の浮く台詞を言ってしまう。こんなことだから、信頼を得られないと、分かっているのに。
「はは」
案の定、由布梨からは乾いた笑いが漏れていた。
「詩安、相変わらずだなお前……」
景臣の冷たい視線に、詩安は射すくめられた。
(ふん、景臣先生にゴミを見る様な視線を向けられたところで、もうこたえませんよ。由布梨の渇いた笑いと比べれば、なんでもないような)
詩安はそう考えていた。由布梨と景臣が連れ立って店を去って行った後、詩安はおもむろにワサビ色の髪の人物の横に腰かけた。
「こんばんは、良い夜ですね」
と嫌味な笑みを浮かべて詩安は声をかけた。
「別に、普通だと思うが」
「由布梨の知り合いですか?」
「あー、境界世界でちょっと」
ふにゃふにゃと、酒に寄った声で男は答えた。
「なるほど、あの時の……」
詩安は柚葉や久高からまた聞きした話を思い出していた。
何でも境界世界の王が、由布梨を気にいって、あの騒ぎになったと。それでは、この男は王の従者か何かだろうかと、詩安は予想した。
「はー、飲むか?」
「いえ、結構です。お名前は? どういう立場の人? なんで由布梨を口説くんです?」
「……口説いてねえよ。玉兎様の左従者。草乃丞だ」
「何で全部逆から答えたんですか。いや、そんなことはどうでもいい。荒っぽい語気で、シンプルな褒め言葉、狙ってやっているとしか思えないんですけど」
「何のことだか。これやるから黙ってくれ」
草乃丞、と名乗った男は詩安に酒を勧めた。
分かりましたよ、と詩安は酒を注いで飲んだ。
「ねぇ、恋を諦められなかったらどうすればいいんです?」
一杯飲んだだけで詩安は妙に感傷的になり、草乃丞にそんなことを訊いた。
「そんなもんは決まってる」
すかさず草乃丞が言った。
「どうするんですか?」
「諦めんだよ、決まってんだろ~」
「……酔ってるんでしょう、あんた酔ってるんでしょう」
詩安は脱力して言った。
「もう眠くなってきた……」
知ったことか、と草乃丞はあくびをした。あまりにも無防備な仕草だったので、詩安はその口の中に指を突っ込んでやった。
「おえっ、テメエ! さっきから喧嘩売ってんのかよ!」
「酔いが醒めたんなら、もう一回教えてください。恋を諦められなかったらどうすればいいんですか?」
「はあ? そんなもん決まってんだろ」
「どうするんですか?」
「諦めんだろ」
「……」
詩安は卓の上に身を投げ出した。結局、草乃丞の中では酔っていようがいまいが、結論は変わらなかったのだ。諦めろって、そんな潔さを持ち合わせていたのなら、こんなに悩んでいない。
「おい、ちゃんと答えてやっただろうが」
「そうですね……」
詩安がげっそりしていると、入口の扉が開いた。
「ぎ、玉兎様!」
草乃丞が背筋をピシッと立て直した。てっきり入口に立っているのは、玉兎――あの境界世界の王なのかと思って、緊張感を持って詩安は入口に目をやる。しかし、そこに立っていたのは、まぎれもなく恵也と基希だった。
「……あんた、酔ってるんでしょう」
口をへの字に曲げて、詩安は草乃丞の肩を揺さぶる。何度このやりとりを繰り返すんだろう、と詩安は疲れてきた。自分から話しかけておいて、面倒なことになったと、自分で自分に呆れた。
「玉兎さんなら、置いてきたぜ。酒はダメなんだとよ。……アンタはいいのか?」
恵也が草乃丞に近付いて訊く。
「ん? なんだ、玉兎様じゃないのか」
草乃丞はようやく気付いた。
「見れば分かんだろ」
恵也が笑った。
「酒のことは黙っていてくれよ。本当は俺も禁止されている」
草乃丞が答えた。
会話のテンポがずれているのも、何もかも酒のせいなのだろう。
「口止め料を頂かねえとなぁ」
恵也が卓の上にばんっと手を付いた。それを見て、詩安はため息を肺の底から吐き出した。人の食い物を勝手に食っていくは、言いがかりをつけて口止め料を取るだの、本当にモラルがどうなっているのかと、あきれるばかりだ。
しかし、草乃丞も負けてはいなかった。
「口止め料~」
草乃丞は恵也の唇に指を当てて、脱力しきった笑みを浮かべた。
「うわあっ」
さすがの恵也も後退した。そんなことを気にも留めず、机の上にごろんと頭を置いて、草乃丞は寝息を立てた。
「この人酔ってるんですよ」
詩安は言った。
「見ればわかる。これで酔っていない方が恐怖だろう」
基希がようやく口を開いた。それはそうだ、と詩安は背もたれにずるずるともたれかかった。いい加減、さっきから同じ言葉ばかりがいきかっているな、と詩安は思った。話の風向きを変えようと、詩安は基希に訊いた。
「何で恵也と一緒に酒屋に? 気が合いそうだとは思えないけど」
「実は恵也と互いに利害が一致してね」
「利害?」
「俺は金を稼ぐ、それで基っつあんは召喚士を目指す、そういうことだ」
恵也が基希の肩に手を置いて言った。基っつあんって何だよ、と突っ込むのは止めて、詩安は詳しい話を促した。
「もう少し詳しく聞きたいからさ、座って話してよ」
「そうするか」
基希と恵也は詩安の右隣に腰かけて話し出す。
「まず俺は金に困ってるときが多いだろ? ほら、ナンパ兄ちゃんから酒を恵んでもらったこともあるし、常に金欠っていうか」
「あぁ」
「だから、本当は俺も由布梨たちみたいにモンスターを倒す職に就いて金を稼ぎてえ……が、才能が無いと来た」
「それは初耳だな」
「で、基っつあんが最近、占いの館に行ったところ、なんと」
「何?」
「穀物代師の才能と共に、若干召喚士としての才能があることが判明。ただし、条件付きで、だが」
「へぇ、条件って?」
「ダメ人間と手を組むこと!」
恵也はふんぞり返って言った。
「えばる様な事じゃないと思うけど、恵也、君満面の笑みだね」
「すぐに分かる。絶対にナンパ兄ちゃんも度肝抜かすぜ」
「そうかなあ」
見ててくれ、と基希が懐から紙を取り出した。その紙をまじまじ見てみると、紙幣のようだった。
「紙幣をどうするの?」
「これはただの紙幣じゃなくて、魔紙幣なんだ。紙幣に描かれた肖像画の中の魔人を召喚できる」
「本当に?」
詩安は半信半疑だった。基希が嘘をつくとは到底思えないが、そんな召還術は見たことが無いのだ。
「あぁ、魔紙幣に描かれた人物を召喚し、その人物の生前の偉業でもって色々どうにかしてくれるらしい」
説明を受けても、まだ恵也と手を組まなければいけない理由は見えてこない。
基希は百ノリ札と同じに見える魔紙幣を手で挟み込み、すり合わせた。どうなるのかと注目していると、紙幣の中から貫禄のある人物が召喚された。確か百ノリ札に描かれた人物は、唯武蔵といって世界に剣術を広めたとされる逸話があったはずだ。
唯武蔵と思わしき人物は、恵也に耳打ちして、しばらく何か話している様子だった。
「そうか、分かった! 何もかも!」
恵也がポンと手を叩いて、立ち上がると、機敏な動きで刀を抜いた。
「危ないって!」
「大丈夫だ、ナンパ兄ちゃん。今、俺は完全なコントロールを会得しているんだぜ!」
あの恵也が、と詩安は信じられない気がしたが、あながち嘘を言っているわけでもないらしい。確かに、構えは見事だし、隙もない。もしかすると、自分と対等に刃を交えることが出来るくらいかも、と詩安は感じた。
「なるほどね、基希が召喚した魔人を使って、恵也を操作する……と。これでモンスターを倒した場合の報酬は折半するの?」
「俺が八で基っつあんが二だ」
「それ、逆じゃない……? 俺には基希が損してるようにしか思えないんだけど」
「いや、俺が頼んでいる立場だから」
基希は控えめに答えた。
「なんで基希はいきなり召喚士にこだわり始めたの? だって、穀物代師の仕事は順調そうだし」
「それは、かなり前に遡るんだけど……ほら、由布梨が魔法アレルギーで一度、穀物代師になっただろ?」
「あぁ、うん」
「その時、由布梨が連れて来た客のことで少し揉めてね。大金を急いで用意しなくちゃいけなくなったんだ」
詩安はハッとした。基希に詳しく説明されなくとも、詩安は実はよく知っているのだ。基希は続ける。
「でも、僕が手を出す前に、何故か問題が解決してしまってね。その時は運よく事が済んだけど、結局由布梨はクビになってしまって……僕はこのままじゃダメだと思った」
「なぁるほど……」
まさか、その話に間接的に詩安が関わっているとは、基希には想像もつかないだろうな、と思った。
「いざというとき由布梨を助けられるように、召喚士も目指そうかと思ってね」
「……そう」
「近いうちに、遺跡にモンスター討伐に行くっていうのに、俺も付いていくことにしたんだ!」
意気揚々と基希が言った。
詩安は小さくうなずいて、それきり黙った。諦めようとしている自分とは対照的に基希は本気だった。そのひたむきさを、真正面から見据える気にはなれなかった。
その時、恵也の振りかざした刀が、寝転がっている草乃丞の髪をかすめた。
「あ」
と声をあげた瞬間、すでに手遅れだった。
草乃丞の襟足のあたりは見事に刈り取られ、丸く頭皮が見えていた。
「恵也、何てことをしてくれたんだ!」
基希が焦った声色で言った。
「す、すまねえ基っつあん」
「あー、多分平気だと思うよ」詩安は何事もなかったかのように口にする。「この方は、髪のことは諦める、と潔く言ってくれると思う」
「……本当に?」
唯武蔵も、基希も、恵也も、一列に並んで、詩安にすがるような視線を向けた。
それがあまりにもおかしかったので、詩安はこらえきれない、というように笑うしかなかった。




