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出来ればその名前だけは呼んでほしくなかった

 数日後、この魔法世界に来て初めて、由布梨はバイト代を受け取った。

 前の世界で遺跡発掘のバイト代を受け取ることの叶わなかった由布梨にとって、心に()みる収入だった。

 そして、この収入を手にして真っ先に由布梨が向かった先は、占いの館だった。

 先日、詩安と基希に案内してもらってから興味を持っていたのだ。


「こんにちは~」

 由布梨はラベンダー色の外装の占いの館に足を踏み入れた。

 室内では、机の前に水晶を置いた、雰囲気のある、おばさんが座っていた。

「あのー、職占いって……」

「職占いするの? 一時間二千ノリで、延長するならプラス千ノリ」

 おばさんは腕を組んで言った。

 ノリというのは、魔法世界における通貨単位のことだ。

「一時間で大丈夫です」

 そうか、ここの占いは一回いくらではなく、時間で区切るんだ、と由布梨は理解した。

 しかし、ただ向いている職業を知るためだけに、そんなに時間がかかるのだろうか。

 その延長システムは需要(じゅよう)がなさそうだな、と由布梨は思った。

「前払い、二千ノリ」

「あぁ、はい」

 由布梨は水晶が乗っている机の、テーブルクロスの上に剥きだしで金を置いた。

 おばさんは、その金をさっと、しわだらけの手の内に握ってひっこめた。


「……職業向いてるやつね。あー貴方、魔法使いだわ」

 おばさんは水晶に手をかざすこともなく、由布梨を見据えて言った。

「本当に?」

 由布梨は半信半疑だった。

 水晶とか、お箸みたいなやつ振るのとか、なんかモーションをいれてくれないと、どうも落ち着かないのだ。

 おばさんは机に腕をつく。

「貴方、境界の壁の向こうから来たでしょ」

「! はい」

 どうして分かったのだろう、と由布梨は目を見開いて驚いた。

「今まで沢山、向こうの世界から来た人見て来たけど、だいたいその感じの服着てる人、魔法使いに向いてたよ。その服、向こうの世界から来る途中で変わったものでしょ?」

「はい、そうです」 

「じゃあ間違いないわ。魔法使いだわ」

 

 おばさんの言葉に()に落ちない気持ちになって、由布梨は首をひねった。

 今着ているのは、黒と紫のワンピースのような着物――あの日、この魔法世界に来る間のどこかで勝手に作業着から変わっていた服だ。

 あれは凄く不可解(ふかかい)な体験だった。

 おばさんの話を聞く限り、向こうの世界から来てしまった人で、この服と同じものを着ている人は、何故か魔法使いに向いているということらしいが……そんなこと、本当に本当なのだろうか。

 都市伝説につられて来た人間とは思えないほど、由布梨は(うたぐ)り深い目をして、おばさんを見ていた。


「ここにある水晶使わないんですか?」

「あのね、素直に話聞けないのは、貴方の根っこにある悪いところ。それ直していかないといけないと思うのよ」

 おばさんは鼻息荒くして言った。

「あの~」

 聞きたいことの本題からどんどん逸れていき、由布梨は嫌な予感がした。

「――延長は?」

「え、延長?」

 

 まだ始まって数分しか経っていない。

 由布梨は聞き間違いをしたのかと思い、眉根を寄せて訊き返す。


「詳しい話をしようと思ったら、時間がたくさんいるのよ」

「延長はいいです……」

「貴方がこれから出会う人の話もしてあげられるよ。ほら遠いところから徐々に近付いて……。延長して聞くかい」

 由布梨は左右に首を振った。

「魔法が出せる呪文、それが書いてある魔呪文本(まじゅもんぼん)買わないと……ここで、買ってく?」

「いえ、いいです!」


 由布梨はこれ以上、お金がらみの話をされるのが怖くて、逃げるようにその場を後にした。

 魔法使いが適職、その言葉が正しいのかどうかは、よく分からない。

 あの占い師が信用出来るかと言われると、今の時点では難しい。

 ただ、自分以外にも何人も服が変わってしまうという体験をしている、ということだけでも教えてもらえたのは収穫だっただろうか。


 由布梨は知らず知らずのうちに、境界の方へと歩き出していた。

 あの占い師を信用出来ない気がしてしまうのは、この世界に気を許していないからじゃない。

 この世界を受け入れていないわけじゃない。

 手を貸してくれる親切な人がいるということを知っている。

 それでも、この世界の毎日が少しずつ自分を不安にさせるのだ。

 元の世界と勝手の違う色々なことが、由布梨を戸惑わせる。

 作業着を取り上げられ、携帯を取り上げられ、そして全く知らない服を着せられ、知らない土地に流れ着き、そして今、変な占い師と出会い、逃げるように由布梨はここに来ている。境界の壁の前だ。


 ――まただ、いる。黒いものがいる。


 境界の壁から、この前と同じ、黒いモンスターが出現している。


「魔力が使えないなら、境界には近付くなと忠告したはずだが」

 声の方を見ると、久高が立っていた。

「あぁ、ごめんなさい……」

 

 感情のない声で由布梨は言った。

 確かに、久高にとって自分は境界に近付く、無力で目障(めざわ)りな存在なのかもしれない。

 けれど、まぎれもなくこの境界が元の世界に一番近い場所なのだから、仕方ない。

 もし、その事実を消してくれるのなら、金輪際(こんりんざい)、絶対に境界には近付かないと、由布梨は誓っただろう。

 境界から出現したモンスターがぐるりと、辺りを見回し、丸々とした瞳の中に由布梨を映した。


「こっちを見てる」

 そのモンスターは、白い口を開いて、ぱくぱくと何かを告げようとしているようだった。しかし、モンスターの声は小さく、カサカサしていて、何て言っているのかを判別することが難しかった。

「何か、言ってる?」

 由布梨は食い入るように見て観察した。

 かなり時間がかかったが、モンスターが繰り返し言っている、単語をかろうじて一つ、判別することが出来た。

 モンスターはかすれた声で、時折呼んでいるのだ。

 

 ゆ、う、り……と。


(なんで?) 

 心臓が体内で、ぐるぐる回転しているみたいに感じて、由布梨は気持ちが悪くなった。

 異様な状況を察知したのか、由布梨の横に立っている久高も、黙り込んだまま立ち尽くしていた。


「あっ、すいません」

 モンスターを倒しに行くつもりなのか、後方から急いで走って来た誰かと、由布梨は勢いよくぶつかってしまう。

「いえ……」

 

 ばさりと音を立てて何かが地面に落ちた。怪しげな表紙で装丁(そうてい)された、厚みのある本だった。表紙の下方に、魔呪文本――と、そう記してあった。


「すいません、これ少しお借りしても?」

 由布梨は本と持ち主を交互に見て訊いた。

「え、えぇ、どうぞ」

 由布梨の勢いに気おされたのか、持ち主は控えめに頷いた。

 由布梨は適当にページをめくって、本のおよそ中央に差し掛かったところに書いてある呪文を口にした。


「テオウシ・バクタイカ」

 

 その呪文を(とな)え終えた瞬間、何もなかったところから火が現れた。

 その火はキラキラとした銀の粉を(まと)いながら、黒いモンスターの胴へと猛進していく。

 あっという間に、火はモンスターに向かって突き刺さる。

 そして、モンスターは煙のようになって宙に消えていった。


「お前、魔法使いか……!」

 思わぬ展開に、久高が目を開いて仰天(ぎょうてん)した。


 ――ひょっとすると、本当に魔法使いが天職になるのかもしれない。


 由布梨は体に電撃が走るような感動に震えた。自分が魔法使いになる日が来るなんて、しかも魔法でモンスターを倒すなんて、そんなすごいことが出来るようになるなんて、考えたこともなかった。

 元の世界にいる時、魔法使いの物語を読んで、魔法を使うのはこんな感じだろうか、と想像するのとは、大違いだった。

 魔法ってすごい、その感想だけが体を満たし、溢れ出ていきそうだった。

 基希は占い師には当たり外れがあるらしい、と言っていた。

 結局、自分はどちらを引いたのだろう、と由布梨は首を傾げた。

 しかし今はそんなことより気にしなければならないことがある。


「モンスターは普通、喋ることがあるの?」

 由布梨はうつむいて久高に訊いた。

「いや、鳴き声以外で話すことはないはずだが……」

「そうなんだ」由布梨は顔を上げて言う。「あの、柚葉には言わないでほしい」

 

 雇ってもらって、世話になっている立場なのだから、柚葉にこれ以上心配を掛けたくなかった。

 モンスターが自分の名を呼んだのだ。心の中は困惑でぐちゃぐちゃだった。

 しかし、だからといって、柚葉に相談しても、彼女を困らせるだけだ、という諦念(ていねん)が由布梨の中にあった。それに、由布梨自身、あのモンスターのことを思い出すことも嫌だったのだ。


「……分かった」

 久高は頷いて言った。

「ありがとう」

 由布梨は頬をさすって食堂までの道を歩いていく。

 

 ――柚葉の前で、戸惑いがしっかりと隠れていますように。いつも通り、ちゃんと明日からも働けますように。

 由布梨は何度も心の中で唱えた。


 食堂に帰り、

「ただいま~、なんか手伝う?」

 由布梨は気丈(きじょう)に振る舞いながら、柚葉に声を掛けた。

「おかえり。そうだなあ、炒め物作ってくれる?」

 由布梨に何があったかなど露知(つゆし)らず、柚葉は言った。

「任せて」

 

 由布梨は着慣れてきた着物の袖をまくって、厨房に立つ。

 そしてその日、由布梨は何事もなかったかのように一日を締めくくることに成功したのだった。



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