鳳凰はタクシーとして使えますか?
そこには髪の毛が信じられないほど長い、十二単の女の人がいた。彼女は廊下をそろそろと歩いていた。彼女の黒髪は床で引きずられ、ほうきの毛先のようになっていた。あの毛先に相当量のゴミを巻き込んでいるに違いない、と由布梨は思った。
彼女は部屋の中に入り、ゆっくりと机の前に座った。
次の瞬間、硯を取り出し、筆で紙に何か書いていた。
由布梨はその女性をもっと近くで見ようと駆け寄った。
部屋の中に入って、隣に座りこんで眺めていても、その女性が咎める様子が無かったので由布梨は甘えてそこに居続けた。
女性の姿をじっと見て、由布梨はふと考えた。
「もしかして、紫式部……?」
平安京で髪が異様に長い女性で、おまけに文章を書こうとしている。絶対に紫式部だ! と由布梨は予想を確信に変えた。
女性はふう、と息をついてから、半紙に筆を落とした。
――春はあさぼらけ。
その一文を記した。由布梨はそれを見て、あぁ、と声を出した。
「枕草子、てことは清少納言、さん!」
由布梨は納得したように言ったが、なんとなく引っかかるところもあった。枕草子の序文て、なんかこれじゃないような気がする。
「あけぼの、か」
由布梨は手をポンと叩いた。春はあけぼのだ、そうだそうだ、と笑う。なるほど、元の世界とこの世界のずれが、文学に反映されているわけだな、と由布梨は興味津々に考えた。
(あれ、あさぼらけとあけぼのってどっちが先なんだっけ……)
由布梨がまた思い出せなくなり、考え込んでいた、その時。
「由布梨ちゃん」
と弥一郎の声がした。
「弥一郎さん? ここです!」
良かった、と胸をなでおろしていると、目前に弥一郎が駆けてくるのが見えた。
「ゴメンね、また勝手に連れてくるなんて」
弥一郎が貴族を小突いた。
「大丈夫ですよ。今日は猪も出てきませんでしたし……」
そう言った瞬間、弥一郎の後ろからひょこっと玉兎が現れた。
「由布梨、来たぞ」
「な、なにしてるの?」
予想だにしなかった人物の登場に由布梨は目を丸くした。
「街で由布梨と佐月がいきなり消えたって騒ぎになっていてな、そしたら弥一郎が思い当たる節があると言うので、我も付いてきた」
と玉兎が笑った。
「そっか、そうだよね」
思い返してみれば、由布梨たちはくす玉を引いたりなんぞしたときを境に、いきなり別世界へ飛び込んでしまったのだ。街では、いきなり人がいなくなったと騒ぎになるのも当然だろう。
「あ、じゃあ佐月さん起こしてきます」
由布梨は急いで建物の中に駆け込んだ。
すると、一番近くの部屋で、仕切り代わりに使われていたサーモンピンク色の着物を被って、佐月は横になっていた。
「佐月さん、玉兎が迎えに来てくれましたよ」
「――本当ですかっ」
佐月はよだれを拭きながらがばっと起き上がった。
「玉兎様」
佐月はいつも通りの涼しい表情を浮かべると、玉兎の前に立った。
「佐月、助けにきたぞ」
「はあ、まだ状況を飲みこめては無いのですが、ご迷惑おかけしました」
「いや、俺の札が悪い。すぐにここから出ましょう」
弥一郎がそう言い、パンと手を叩いた。
これで元の場所に戻れる、と安心しきっていたところ、頭上に大きな鳥がよぎるのが見えた。
「……あ」
その鳥は鳳凰だった。鳳凰もこの花札世界にいるのか、と納得していると、鳳凰は地面すれすれを飛行した。
その後、地面がふっと消えたかと思うと、鳳凰は自分の背中に由布梨たちをあますことなく全員乗っけた。
「何だ?」
弥一郎が意外そうな表情で言った。
弥一郎にとっても、この鳳凰の行動は想定外らしい。
次の瞬間、鳳凰は翼を柔らかくはためかせ、白い世界を進んで行った。
「このまま、戻れるってことなんじゃないですかね」
由布梨が言うと、周りの景色はくす玉を引いた場所まで戻っていた。
唐突に出現した鳳凰に、街中が騒然としてるのが手に取るように分かる。
「この鳥、一向に止まる様子がないな」
玉兎が言った。
その通り、鳳凰は由布梨たちを乗せたままどこかに向かって飛んでいく。どうしてこうも、花札の中身は私たちを振り回すのだろう。
「あの! このまま真っ直ぐ行って、境界世界の中に入っちゃって頂けますか」
佐月が鳳凰に注文した。
「タクシーじゃないんですから!」
「そしてその川の上流にある城まで行ってください」
佐月が続けた。
「我は城に帰るつもりはないぞ」
「それでも、ちょうどいい機会です。帰りましょう玉兎様」
佐月が言った。少し休んだのが良かったのか、さっきよりもずっと顔色がよく見えた。
鳳凰は佐月の指示を聞いているのかいないのか分からないが、そのまま真っ直ぐ境界の壁の方へと突き進んでいく、
そして、しばらくすると境界の壁の中へ迷うことなく侵入していった。
「本当にタクシーみたいに使っちゃった」
由布梨が驚いていると、ふと鳳凰の翼の下に見覚えのある姿が見えた。
川に懸命に立っている色取の姿。
色取を見るのは今朝、目的地を告げずどこかに行ってしまって以来だ。
(境界世界に来て、何でそんな危ない事してるの?)
由布梨が疑問に思っていると、次の瞬間。色取の姿はぱっとそこから消えた。
「気の、せい?」
他の人には見えていただろうかと由布梨は横目で見てみる。
佐月と玉兎が言い争い、それを弥一郎が仲裁していた。
三人とも全く、翼の下の光景など眼中にないようだった。
「本当に何だったんだろう」
由布梨はぼそりと呟いた。




