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由布梨の素直な思い

「わ、私の部下になるんですか」

「君は困難を乗り越えて魔法使いに復帰した。その気骨を僕も見習おうかと思ってね」

「気骨って何?」

 由布梨は玉兎に小声で訊いた。

「芯が通っている、ということ」

「私って、そんなちゃんとしてるかなあ」

 由布梨は満更でもない気分だった。

 でも部下とまでへりくだらなくとも、と由布梨は基希に言った。

 するとその瞬間、店の外が一気に騒がしくなった。

 三人に店を任せて、何かと思って由布梨は外に出た。


「色取君……」

 彼の姿を見かけるのはひどく久しぶりに感じる。今までどこに行っていたのかと思っていたが、まさかそんな上の方にいるとは、と由布梨は度肝を抜かれた。

 色取は茶店から何軒か離れた場所にある家屋の屋根に登っていた。

 蹴鞠を取りに行って、体感で一時間ほど経っているだろうか。一体何をしているのだろう、と思わず怪訝な表情を由布梨は浮かべてしまう。


「なーにしてんのー?」

 由布梨は屋根の上の色取に大きな声で言った。

「由布梨! 実は、猫なんだ」

「実は猫なんだ?」

 どういう意味、と由布梨はそのまま訊き返した。この前は犬だと言っていた気がしたが。

 にゃーお、と猫の鳴き声が聞こえて、屋根の上を急いで見てみると、そこには足を怪我している様子の猫が不安そうに体を丸めていた。

「怪我してる……!」

「そうなんだよ、だから」

 色取は不安定な屋根の上を歩いて猫へと近付いた。

「大丈夫、怖くないよ」


 色取が猫を抱え込んだ時、色取が屋根の上で足を滑らせた。

 あっと声を上げる間もなく、体勢を崩したまま色取は屋根の上を滑って行く。

 自分じゃ受け止めきれないだろう、と思っていても、由布梨は飛び出した。

 その瞬間、視界の端にあの円盤が映り込んだ。

 佳代を乗せたあの花の円盤だ。

 相変わらずフワフワと漂っていたが、その円盤が偶然、屋根の下から色取を掬いあげる様な動きを見せた。

 佳代の采配だろうか。

「うそっ、凄い」

 円盤は重そうにしながら浮いていて、無事に色取と猫を乗せきった。

 佳代はまだ状況が理解できず、不思議そうにしながら言った。


「何か、あった?」

 本当にたくさんのことがあった。

 そもそも、佳代が店を無人にしてしまったところが騒ぎの一端ではあったが、もし佳代が円盤に乗っていなかったら今、彼らは怪我をしていたはず。

 円盤はゆっくりと地面に着地した。

「佳代さん、勝手に店手伝っちゃいましたよ」

 由布梨は言った。

「ありがとう~」

 佳代はニコニコ笑った。

「あの厨房に置いてあった独創的な料理、お客さんに出しちゃいましたけど、大丈夫ですか?」

「うん、全然平気~。気まぐれで作ったやつなのよ」

「へえ」

 佳代は手をパンと叩くと、その手の中には花の円盤が描かれた花札が一枚あった。それも花札からの召還だったのか、と驚いた。


 佳代は羽を伸ばした結果、気がすんだのか、スキップで茶店に戻っていった。

 その様子を見送ると由布梨は色取に向き直った。

「色取君、そのままじっとしててね」

 由布梨はそう言い、猫に回復魔法を施した。

 猫の傷跡はすっかり消えてしまい、にゃーおと元気そうに鳴いた。

 猫を地面に下ろしてやると、そそくさと猫は去っていった。


「あぁ、よかった」

 由布梨はほっと胸をなでおろすと色取に言った。

「もうずっと前から屋根の上にいたの? 全然戻ってこないから何かあったのかと思った」

「いや、鞠が人んちの屋根にくっついちゃって、登るのも悪いなーと思って溶けるの待ってたんだ。で、その後猫を見つけて……」

「溶けるのに時間がかかったのね」

 由布梨は頷いた。

「そう、氷が……」

「そもそも、何で今日は氷魔法の練習してたの?」

「由布梨、あのさ」

「何?」

「あの川ってどうやったら向こうに渡れると思う?」

「え、う~ん」

 由布梨は少し考えた後にこう言った。


「ごめん、どうしても思いつかない」

 そっか、と色取は由布梨の頭をさらりと撫で、それきり会話は終わってしまった。


 その後、弥一郎から詩安を引き離したり、また茶店の様子を覗きに行ったりとしている内に夜になった。

 由布梨は宿屋の部屋で、窓を開けたまま横になっていた。

 気持ちの良い夜風に吹かれている時、ふと窓の外を大きな影がよぎるのが見えた。

「まさかモンスターがまた?」

 不安に駆られて起き上がり、外を覗くと、さわさわと顔面を何かに撫でつけられる。


「何っ」

 頬に手を添えて二、三歩後退すると窓の外から、はつらつたる笑い声が聞こえる。

「はーはっははは」

「なんだ雷針か……ミイラ? ミイラなんでしょ?」

 由布梨はうんざりした顔で訊いた。

 雷針は窓のへりに足を引っかけ、しゃがむような体勢になっていた。


「今夜はこれだ」

 雷針は由布梨の顔の横に、ぐっと何かを差し出した。

 それは、長い木の枝だった。その枝には幾重にも短冊が釣り下げられている。

「七夕みたいなことかな」

 由布梨は元の世界でのことを思い返して呟く。短冊をひっくり返して眺めてみると、色々な人の字で願い事が記されている。


『あの人ともう一度会えますように』『家族がずっと健康で居られますように』『明日天気になりますように』『みんなが幸せになる奇跡が起きますように』『夫婦仲がずっとむつまじくありますように』『綺麗な星空をあの人と見られますように』『札の中から彼女が出てきてくれますように』

 と、様々だった。


「順番に回収している。ほら、お前も書け」

 雷針が由布梨の前に短冊を突き付けた。

「やった、ありがとー」

 部屋の隅の机の前に座り、ずりずりと墨をすった。いざ筆に墨を含ませて、短冊に下ろしたとき、由布梨は愕然とした。

 普通、自分の身の上を考えたら、『元の世界に帰れますように』と書くだろう。しかも、迷いなく書くはずだ。

 今、由布梨は一瞬迷ったのだ。

 もちろん、短冊には、元の世界に帰れる日が来ますように、と記した。しかし、何かまた面白い事が起こりますように、なんて願いを書こうかな、とふと頭を、ほんの少しだけよぎったのだ。

 それが、由布梨を戸惑わせた。

 もしかすると、と思い由布梨は雷針を見る。

 穀物代所に来て、いきなり金を出せと脅迫したり、ミイラを作る、なんて言いだしたり、今日にいたっては短冊に願い事を書け、ともうメチャクチャにもほどがある。

 でもそれが、楽しいと由布梨は心のどこかで感じていた。

 元の世界に帰るためにこんなことをしている暇なんてないのではないか、と不安になると同時に、それでもこの世界はなかなか楽しい事もある、と思う。


 由布梨は短冊を木の枝に結んだ。

 帰りたい、という願いを込めた紙が夜風に揺られて翻った。

「じゃあな」

 窓のへりを蹴り、そのまま背面からくるりと回転するようにして、雷針は夜に紛れた。


 境界世界も、魔法世界も、元の世界と比べるとずれが多い。

 けれど、このずれた世界を愛しく思えるのだとしたら。


 ――すでに私も、ずれてきているんだろうな。


 もう通知音が由布梨には思い出せなかった。

 今、思い出せるのは、時計と花札と団子のクリスマス、固い枕の感触。

 由布梨は窓から差し込んでくる月光を噛み、ニヤッと笑った。




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