一筋の光の、貴方
朝方、部屋で由布梨が一人で横になっていると、風通しを良くするために、開け放していた窓から気になるものが見えた。
一筋の横に走っている光だった。
それは瞬間的に消え、瞬間的に現れ、不思議な動向を繰り返していた。
由布梨は立ち上がり、窓の外をじっくり眺めてみた。
一筋の光は繰り返し、境界の壁の方角で見えた。
(もしかしてあそこに玉兎がいるんじゃないの……?)
由布梨はしばらく動かずにじっと見ていた。
どうして、境界世界の管理主が、その境界から出て、ちまちまモンスターを倒しているのか。
そして、従者から逃げ回って、恵也に世話になってまでそれを続けるのはどうしてなのか。
何で歯車が落ちているのか。
数々の疑問が由布梨の頭に一気に浮かんだ。
(色取君を起こして一緒に行ってもらおうかな……)
由布梨はそう思ったが、彼を朝早く起こすことは気が咎めた。明日に備える、と色取はそう言っていたのだ。
結局、由布梨は諦めた。
城を去った自分が、自発的に城の主である玉兎に合いに行くのは何だか、ちょっと違う気がするのだ。
(――! こっちに向かってくる)
境界の壁の方から、黒い羽を持つモンスターが猛スピードで街の方へ飛んでくるのが見える。
それを追いかけるように、一筋の光も移動してくる。
そしてその二つはちょうど、街の入り口付近の場所でかち合った。
モンスターが消滅すると同時に、一筋の光も消え、ただ一つの人影だけがそこに残った。
「玉兎」
「……由布梨」
やはり由布梨の考えていた通り、あの一筋の光は玉兎だったのだ。
その時ふと、モンスターがいた上空から歯車が一つ落ちて来た。
(まさか歯車はモンスターの体内から出てきてる?)
由布梨はその疑問を口にすることもなく、ただ黙りこんでいた。
見下ろした先にいる玉兎は元気そうだった。
境界の中で最後に見た玉兎は、ボロボロに傷ついていたように見えたのに。
かなりの回復スピードだ。
よかった、と由布梨は胸をなでおろした、
玉兎は、さっきも助けてくれたのだろう。シールドの指定領域を間違えて、むせかえっていた私を見かねて。
その前の雨の日も、物干竿のスペースでモンスターが出現しているのを見つけて、無言で退治していったのだろう。
そのことに対して、
「ありがとう」
と今、玉兎に言うのにさえ、由布梨は心底悩んでしまう。
一体、彼がどんな気持ちでモンスターを退治しているのか、由布梨には想像しきれなかった。
玉兎は由布梨を見たまま後ろに数歩下がり、そして次の瞬間。
一筋の光の残像だけを残して、玉兎はいなくなっていた。
「城に帰るのかな……」
由布梨が呟いたその瞬間、境界の壁が発光するのが見えた。
遅れて、物と物が凄い勢いでぶつかったような音がこだました。
まるで雷でも落ちたようだった。しかし、窓の外の空を仰いで見れば、晴れ渡っていてとても雷を呼ぶような天気には思えなかった。
それでは、境界の壁の轟音は何なのだろうか。
由布梨があっけにとられていると、街の人達も、ちょろちょろと家から飛び出してくる。
「凄い音だった」
「朝一でモンスターか?」
「でもモンスターなんか見えねえけど」
あっという間に通路はそんな会話に満たされた。
「――何かあった?」
横から聞こえてきた色取の声に、ようやく由布梨は頭がさえてくる。
色取も驚いたのか、雨戸を開き窓から顔を覗かせていた。
「分かんない」
もしかしたら玉兎かも、と由布梨は言いかけて止める。
さっきモンスターを玉兎が倒していたんだ、という情報を告げるべきかどうかわからない。
――色取君は玉兎のことどう思ってるんだろう?
悪い印象、かもしれない。
そんなイメージの人がモンスターを倒してくれたんだ、と言われたら色取君は困惑するのだろうか。
(あーもう、今日は何を言うべきで何を言わないべきなのか分からない……)
由布梨は頭をガシガシ掻いた。
「あ、久高」
色取が通りに目をやって呟いた。
久高が眠そうにのろのろと境界の壁に向かっているのが見える。
「俺も確認しに行ってくる」
色取がそう言い、部屋に顔をひっこめた。
私も、と慌てて言い、由布梨は障子戸を開いて外に出る。
廊下で色取と合流すると、じゃあ行こうか、と駆けだした。
すると色取が、
「おはよう由布梨」
と挨拶を今更した。
「……おはよう、陸斗」挨拶を返して由布梨は訊く。「言わないと落ち着かない?」
「うん、そうなんだ。由布梨、俺のこと分かってる。――明日に備えよう、なんて言って寝た後が、朝まで凄い長かった」
「……私も」
「本当に良かった朝が来てくれて。またモンスターと戦う一日になるかもしれないけど、俺は……」
由布梨達は街を並走しながら話す。
「ありがと、素直な陸斗におはよ」
「おはよ。――死んでもお前を守る、って、今言ったらどうする?」
「……寝ぼけてないか確かめる」
由布梨達は笑いあって、境界の壁の前に辿り着いた。
そこに広がっていた光景に、全然由布梨の頭は着いていかなかった。
境界の壁の前で、玉兎とその従者、佐月が伸びているのだ。
「なんで……?」
さっきの音と何か関係があるのだろうか。
まさか、二人が衝突した時の音が街中に広がっていたと言うことなのだろうか。
「だっ、大丈夫ですか?」
地面に転がっている二人を遠巻きに見ていた群衆から抜け出し、色取が駆け寄った。
それを見て、由布梨も駆け寄る。
「ん、ここは?」
色取が玉兎の肩をゆさゆさ揺すり、その微弱な振動に玉兎はゆっくりと瞼を開いた。
「境界の壁の前ですよ」
色取が教えた。
「お前はこの前の……」玉兎が色取に気付くと声を上げる。「倒れているところをみられるのは二回目だな、はは」
「笑ってる場合じゃないですよ、こっちの人は?」
色取が地面に倒れ込んでいる佐月を指して言った。
「……! 佐月? 我は佐月と衝突したのか」
どうやら玉兎も状況が飲みこめていないらしく、立ち上がって佐月の周りをおろおろと周回する。
「佐月、大丈夫か……?」
「……玉兎様」
佐月が瞼を開くと、静かな声で玉兎の名前を呼んだ。
「よかった、意識はあるみたい……」
「玉兎様! 一体何をしていらっしゃるんですか!!」
急にがばっと起き上がって、猛烈な剣幕で佐月は怒りだす。
「うわっ」
「さ、佐月?」
「玉兎様がこっそり城を抜け出した後、さんざん城の周りを探して……いないと思ったら、まさか境界の壁の外にいるって、どういうことですか!」
「いや、今から戻ろうと思っていたのだが」
状況を整理すると、玉兎を探しに来た佐月と、境界世界に帰ろうとしていた玉兎が、うっかりぶつかって頭を強打した、ということらしい。
話を聞いていると、佐月の気持ちがよく分かるのだが、ここはとりあえず落ち着いてもらうために「まぁまぁ」としか由布梨と色取は口に出来なかった。
「まさか、まさか由布梨様を追って来たのですか?」
佐月が震えながら訊く。
「……いや、どちらかと言えば我が追ってきたのはモンスターだ」
「どちらかと言えばって何ですか!」
佐月は見逃さずに突っ込む。
やはりここも、まぁまぁ落ち着いてとしか由布梨は言えなかった。
「……そうですね、落ち着きましょう。玉兎様、説明を」
「最近、あの方角から来るモンスターが凶悪化しているだろう」
玉兎が壁の向こう側を遠く指差していった。
「確かに」
由布梨達は頷いた。
「それを城から偶然見かけてな。気になって城を抜け出し、詳しく調べていたのだ」
「それは……」佐月がためらいがちに言う。「玉兎様の仕事ではありませんよ?」
「まぁ聞け。分かったことがある。モンスターが凶悪化して、由布梨たちを手こずらせている原因は……境界世界にある」
「えっ?」
由布梨達は驚き、互いに顔を見合わせる。
「これだ」
玉兎が懐から薄い歯車を取り出した。
「あ、それ」
もう何回も見た。バイトの現場で、境界世界で、宿屋の洗濯物干しスペースで、あと昨日のピンチの時にもだ。
「これは元は境界世界にあった物だ。それが、何故か凶悪化しているモンスターの体内から出てくるのだ」
(やっぱり、歯車はモンスターの体内から出てたんだ)
今朝のことは、見間違いじゃなかったんだ、と由布梨は確信を強める。
「……と言いますと」
佐月が玉兎に話の続きを促した。
「この歯車をモンスターの体内に埋め込み、能力を強め、凶悪化させている人物、それが」
玉兎が再び壁の向こう側、つまり遺跡の方角を指差して言う。
「あそこにいるはずだ」
「なるほど、そういうことか」
色取が頷いた。
「はぁ、まさかそんなことになっているとは……」
佐月が頭を抱えて、ため息交じりに呟いた。
「我が知らないくらい昔に、歯車を境界世界から持ち出したのだろうが……」
「しかし、盗んだのは遠い昔で、その歯車とモンスターを融合させたのは最近の話ってことですよね。……あぁ、頭が混乱してきました」
「我は境界の王として、この事態を収拾する心づもりだ」
「収集?」
「遺跡に馳せ参じるつもりだ」
「乗った」
玉兎の言葉の後に、誰かがそんな言葉をかぶせた。
「雷針……」
振り返るとそこには、腕を組んで不敵な笑みを湛えている雷針と、その横には何故か久高までいた。
「そろそろモンスターが多くなって、相手するのが面倒になって来たところだ。――モンスターの本拠地から叩き潰すってことだろ? それなら乗った」
雷針が楽しそうに言った。
「頭数は多い方が良い、そうだろ」
続けて久高が言った。
「いいのか? 我に味方するような構図にも思えるが」
「手助けなんかしねえ、したいようにやる。それでいいだろ、お互いに」
「……玉兎様、それが終わったら城に戻って頂けますか?」
佐月が訊いた。
「当然だ」
「仕方ありませんね」
「由布梨、しばらく情報収集のためにこっちの世界で世話になるぞ」
「そうなんだ」
「……城にはしばらく戻らない、ってことですよね?」
色取が真剣な表情で玉兎に訊いた。
「あぁ、そうだな」
「まったく困った事態ですね」
佐月が胃を抑えて言った。
(色取君、何でわざわざ確認したんだろう……?)
由布梨は小首を傾げた。
「あっれー、要人様帰ったんじゃなかったのかよ」
向こうから恵也がやってくるのが見える。
要人様、と言いながら玉兎を指差しているところを見るに、やはりここでの生活の面倒を見ていたのは恵也だったらしい。
「恵也」
「すまない、いったん帰ろうとしたのだが、色々あってな」
「ま、俺はいいけどよ」
「やっぱり、要人って玉兎さんのことだったんだな」
色取がくすりと笑った。
「なんだ、知り合いなのか?」
「まぁ」色取が申し訳なさそうな顔をして言う。「一度は敵だった仲……のような」
「そうかもな」
玉兎が笑った。
「なんだなんだ、喧嘩でもしたのか?」
そんな感じ、と恵也に濁した返答をする。
「人って見かけによらねえなあ……」
恵也は玉兎と色取を交互に見る。
「恵也、我はまたしばらくお前のところに世話になりたいのだが」
「よっしゃ、来たー!」
恵也があからさまにガッツポーズを見せる。
「それじゃあな、由布梨」
玉兎は由布梨に手を振って、恵也と並んでどこかへ行った。
「あ、うん。また」
今度は瞬間移動ではなく、一歩一歩確かに歩いて去っていった。
そんな玉兎の後姿がだいぶ小さくなっていった頃、色取がふと、
「やってみる、か」
と小さく呟いた。
「何をやるの?」
「ん? ……ちょっと待ってて。成功したら言いたいから」
「そうなんだ? 分かったよ」
なんだか少し気になる気もしたが、待ってて、と言うのだからその通りにしよう、と由布梨は思った。




