時刻は四十四時。脳裏をかすめたDead End!
いつも通り、境界の壁の前。由布梨は魔法使いとしての日常を送っていた。
しかし、今日は少し様子が違う。
境界の壁から出現するモンスターに加えて、また別のところからきているらしいモンスターの数々。
敵の数が増えたことで、より体力も消耗していく。
まずは境界の壁から出現してくるウサギ型宇宙系モンスターやら、黒い鯉モンスターやらを手短に倒していく。
「多いんだよなぁ、もう」
不平を漏らしてみても何も状況は変わらない。
境界の壁の向こう側、おそらく遺跡からまた別のモンスターが百鬼夜行のように列をなして近付いてくる。
遺跡といえば、かなり前に基希と詩安に街を案内してもらった情報がある。
倒し損ねたモンスターが遺跡にずっと前に逃げ込み、アジトのようにしているというものだ。かなり時間が空いてしまったので、その知識はすっかり、由布梨の頭の片隅に置き去りにされていた。
その知識を得てから今の今まで、どうしてモンスターは大人しくしていたのだろうか。
まるでヒーローが変身し終わるまで気長に待っている怪獣みたいに。
久高、雷針、柚葉、そこに並んで由布梨と色取と――面子を揃えているのに相当退治に時間がかかってしまっている。
遺跡から羽を伸ばして街を訪れてきているモンスターたちは胴体に時計を持っている。
いわば時計モンスターである。
「――由布梨、時間読めるか?」
「いや……何か目盛りが尋常じゃなく多いような」
隣の色取に訊かれ、由布梨はモンスターを凝視する。
時計は十二時までのものではなく、もっとたくさんの黒い線が刻まれているように見える。
目盛りをざっくり適当に数えてみるが、どうしたって五十個はありそうだ。
(ご、五十時間時計?)
すかさず由布梨は戦慄した。
つまり一体につき五十発の攻撃を成功させないと、倒すことすらままならない。
この前のように一体につき一列を作って、順繰りに攻撃をと悠長に言ってはいられなかった。
一人一体だった。
「テオウシ・バクタイカ! ロウエ・バクタイエ! ダミズ・バクタエガ!」
由布梨は五十時間モンスターの一体に向き直って、せわしなく魔呪文を唱える。
「えーっと、それからえーと」
由布梨はこんなに立て続けに呪文を言ったことはなかった。
もつれる舌を必死に動かし、言葉を紡ぐのに限界をきたした。
一度、息をついて、少し深呼吸。
その隙にモンスターはよろよろになりながらも、こちらに近付き、鋭い爪を振り上げた。
キラリと光を爪先が反射した時、ふと機械的な音が由布梨の耳に響いた。
カタカタとミシンを踏みしめた時のような音と、キリキリと何かを絶えず巻き上げるような音が交互に聞こえる。
(この音はどこから?)
由布梨がその疑問に気を取られていると、うっかり凡ミスを犯してしまう。
呪文を唱えたままではいいのだが、シールドの領域指定を間違ってしまったのだ。
モンスターの体内に指定しておくべきだったところ、普通にモンスターの体外にまではみ出して、シールドを張ってしまった。
一気に舞い上がったシールドのキラキラパウダーを、由布梨は頭からかぶってしまった。一見すると、美しい銀吹雪の中にいるように思えるかもしれないが、内情は大変なことだ。
「あー! もう、うっかり……げほ」
いつものことだが、粉は喉奥に張り付き、由布梨を不快にさせてくれる。
チャンスとばかりにモンスターは跳躍し、由布梨の頭上へやってくる。
真上に見えていたはずの太陽(魔法世界の太陽なので厳密のは元の世界の太陽とは違う)が隠れ、視界は黒く翳った。
自分のせき込む音がゆっくりに聞こえ始め、不思議なカタカタキリキリ音も遅延して耳に飛び込んでくる。
徐々に目前のモンスターの胴体が近付いて、大きく見えてくる。
時計は長針のみ、四十四番目の目盛りを指している。
それを確認すると、ドクンと由布梨の心臓が跳ねるように脈を打った。
「由布梨ー!」
色取の声に久高の声に、柚葉の声に。
多重奏のように反響し、由布梨の鼓膜がぐりぐり揺れた。
耳奥に声の残響もそのままに、目前のモンスターに向かって、色取は手を伸ばし、そして足を伸ばして、鞠を放った。
しかし、その鞠はモンスターに到達するにはかなり遠い位置にあった。
由布梨の脳裏に思い浮かんだのは川だった。
境界世界の川ではなく、足ふみミシンを愛用していた、亡くなったはずのおばあちゃんがほとりに立っている、そんな川だ。
鋭利な爪が斜めに放物線を描き、ともすれば由布梨の鼻先をかすめようとしたその刹那。
モンスターが散り散りになって、宙へ溶けだすように消えていった。
由布梨はハッと目を見開いて、周りを見渡す。
驚いてる表情のみんなと視線が合うと、視線の端に落下していく鞠がうつった。
何にも触れることのなかった色取の鞠だ。
由布梨はそれを拾い上げて、色取の元に駆け寄る。
「――今の?」
色取は左右に首を振って否定した。
「由布梨、見て!」
柚葉が大きな声で叫んだ。
彼女の視線を辿った先には不思議な光景が広がっていた。
二十四時間モンスターも、五十時間モンスターも、次から次へと黒い霞となって消滅していっている。
由布梨達の横並び、雷針と久高も手を止めている。
それでは、一体誰があのモンスターを退治したのだろうか?
由布梨が首を傾げていると、ラスト一体のモンスターの体を貫く、光線のような一筋が見えた。
それは由布梨の瞼の裏にしっかりと刻み付けられた。
「……誰だよ。俺の獲物まで全部殺っていきやがって」
雷針が目前の光景に対し、不満げに吐き捨てた。
「また危険なところだったな」
久高が由布梨をじっと見ると言う。
「うん……」
由布梨は腑に落ちないまま宙を見つめていたが、周りの面子が続々と帰路についているので、つられるように自分の脚も動く。
「帰ろう、由布梨」
早く休んだ方がいい、と促す色取の声が由布梨の歩幅を大きくした。
「うっかりシールドを間違えちゃって」
「……本当に誰だったんだ、今の」
二人して噛みあわない会話を交わし、ふわふわした気持ちで歩いていると、由布梨は足裏で何かを踏みつけた。
「わっ、なんか踏んだ」
由布梨が足を持ち上げ、靴の裏を確認すると、ポロリと薄い何かが剥がれ落ちた。
「歯車……?」
と不思議そうな色取の声がした。
確かに由布梨が踏んでしまったのは歯車だったのだ。
それは薄く珍しい形だった。
これと同じものをおとといも、街で見かけた。その前には境界世界で。
地面に転がっている、大小さまざま、いくつかの歯車を見て、由布梨はぼんやりと考える。
(まさか玉兎が近くまで来ているの?)
歯車をじゃらじゃら小銭のように持ち歩いて? でも、玉兎ならあり得なくもないな、と由布梨は思った。
「帰ろっか」
頷く色取の手を引いて、由布梨は宿屋へと戻っていった。
「明らかに状況が悪化してるよな……」
宿屋に戻ると色取が呟いた。
「そうだね。これがずっと続くとなると、ね」
「由布梨、俺心臓足らないかも」
「え?」
「由布梨が危険にさらされるたびに、どうにかなりそう」
「ごめん、もう絶対にシールドは間違えな……」
由布梨の言葉を制止して色取が首を振る。
「由布梨がそんな窮屈になってく必要なんてないんだ。本当なら」
「色取君……」
「休もう。次の敵に備えないといけないから」
「そう、だね」
少し寂しさを覚えながらも、由布梨は頷く。
由布梨と色取はそれぞれの部屋に戻った。




