要人って、貴方
境界の壁から魔法世界に戻り、あっという間に数日が過ぎた。
今日は朝から、外では激しく雨が降っているので、ほとんど宿屋の一室にこもりっきりだった。由布梨はモンスターの正体について、色取にだけ話した。
他の人に話さなかったのは、怖かったからだ。由布梨たちの世界から来たゴミと戦っていると知れば、みんな嫌な思いをするのではないかと、由布梨は不安だったのだ。
雨戸を半分ほど開いていた窓辺、色取は壁に頬杖ついてそこにいた。
(何か微妙に緊張するなぁ)
今まで実は二人きりで部屋にいたことはあまりないのだ。
色取がこの世界に来た経緯などを、由布梨に話してくれたあの夜以来かもしれない。
由布梨がひとりでにそわそわしていると、色取が外を見たままこんなことを言った。
「雨の音がさ、洗濯機みたいなんだ。街をザブザブ洗ってるよ」
「ほんとに~?」
「本当だって!」色取が振り返り由布梨を見て言う。「もっとこっち来て、聞いてみなよ」
「……そっちに?」
色取は目を細めた笑みで由布梨を手招く。
由布梨は膝をついたままで窓辺へ、もとい色取のそばへ距離をつめていく。
すると色取から伸ばされた手が由布梨の肩を包み込んで引き寄せられる。
「わっ」
「面白いのがあんの。あれ……何に見える?」
色取は肩を抱いたまま、窓の外を指差す。その先を見つめると、由布梨は答えた。
「傘……」
そこには瓦屋根から別の瓦屋根へ、かけ流すようにこんこんと流れている雨水が、屋根の突起にぶつかり、まるで広げた傘のような形になって放射した。
「由布梨ならそう言ってくれるかなって、思ってた」
と色取が笑った。
窓の外を見下ろすと、三度笠を被った人たちが急げ急げと駆けていく。
そこから視線を下げていくと、突起物にぶつかった衝撃で、傘のように広がる雨水が見える。
他の建物と比べると背の高い、この宿屋の窓から見える景色はとても不思議に感じられた。
「あの、さ」
由布梨の肩に置かれている色取の指先が曲がり、肩をトントンと叩いた。
「うん?」
「境界世界にいる間、不安だった?」
「う~ん……そうかな。まぁ、少し」
由布梨は曖昧に返した。
境界世界は勝手の分からない世界で、不安がなかったわけではない。
それでも恐ろしい目には一切合わなかった。
玉兎もその従者も、朔真だって優しく接して、大切な情報をちゃんと教えてくれたのだった。
「俺は不何だった。――由布梨がバイトの日以降学校にめっきり来なくなった時と同じでさ……」
「そっか、そうだよね……」
「平静装ってても、内心ではずっとハラハラして仕方なかった。こんなに俺も想像力あったかなってくらい悪い未来ばっかり思い浮かんでくるんだ」
色取の心境を考えると、由布梨はぎゅっと胸が詰まった。
逆の立場だったら、由布梨も心配のあまり息が苦しくなるほどだっただろう。
窓の外から横殴りの雨が吹き込み、色取の頬を濡らしているのが見えた。
閉めるよ、と由布梨が声をかけてから雨戸を閉めると、部屋は廊下から障子を通して入ってくる光のみになる。
「濡れてるよ」
由布梨は色取君に言った。
「ん?」
振り返った彼の額に、雨水で前髪が張り付いていた。
「……色取君、小犬みたいだよ」
前髪の奥から覗いている、二重のしっかりとした瞳が余計にそう思わせる。
「こーら、俺が境界の壁を越えて、とことこ追いかけて来たから言ってんのか~」
「えっ、違う……」
「何でもいいけど、ちゃんと由布梨を元の家にまで連れて帰ろうとしてるんだ。利口な犬だろ~」
「もういいって。本当そういう意味で犬って言ったんじゃないよ?」
「分かってるって」
「もー……」
由布梨が眉根を寄せると、色取が改まって真剣な表情で、
「――ねぇ名前呼んでみて、俺の……」
と言った。
由布梨はドキッとして、すぐ行動に移せずにいた。
由布梨は彼を心の中以外で、下の名前で呼んだことはまだ一度もないのだ。
すると、ふと雨戸の外がガタガタ揺れていることに気付いた。
「何だろ、何……」
雨戸を開こうとしたとき、由布梨はハッとして声を上げる。
「またミイラ作るつもりなんじゃ……!?」
「ミイラ?」
疑問符を浮かべている色取を横目に、雷針が雨戸の向こう、物干竿のあるスペースでまた何か企んでいるんじゃないかと思い、由布梨は力任せに戸を開く。
しかし、そこには誰もおらず、雨の音が聞こえるばかりだった。
「気の、せい?」
物干竿に歯車がブランと釣り下がっているのが見えた。
やがて吊っていた糸が切れ、それは服を干すスペースの床へと落ちていった。
「色取君、歯車干した?」
由布梨が訊くと、色取はまさかと首を振った。
その瞬間、境界の壁の方から、
「モンスターですぞー!」
と聞こえた。
条件反射のように由布梨たちは部屋から飛び出し、一つの雨傘を手に外へ。
「上手く入って」
「おっけーおっけー」
傘の中で肩を寄せ合い、ひしめき合いながら二人は走る。
雨のモンスター討伐を終えた後、由布梨と色取は柚葉の食堂へ顔を出しに行った。
暖簾をくぐると、柚葉の快活な声が聞こえる。
「いらっしゃーい。モンスター大丈夫だった?」
眉を曇らせて訊く柚葉に、全然大丈夫、と口を揃えて答えると、空いている席を探す。
すると、
「よう、こっちだぜ」
と声をかけてくれる人物がいた。
「恵也……」
「あっ、この前の人か」
色取が手をポンと叩いた。
恵也は卓の前に座り、こっちこっちと手で示す。
食い逃げ犯が先回りして待ち伏せているとは、なんとも悪質な。
由布梨がそう思って手でばってんを作って見せると、恵也は言った。
「違う、今日は俺がおごってやるってことだよ」
「えーっ、どういう風の吹き回し?」
「驚きすぎだ。……ちょっといい仕事見つけたんだよ」
「ふーん。でも、おごってくれなくてもいいよね?」
由布梨が色取と目を合わせると、色取は頷く。
「まぁ、とりあえず座れよ」
恵也は向かいの席を勧めた。
由布梨達はそこに座り、柚葉に適当な食事を注文した。
「いい仕事って何?」
興味を持って由布梨は恵也に訊いた。
「――要人警護、だな」
「要人、警護?」
SPのような仕事だろうか。
人の嵩団子を奪っていった人物が、いつの間にそんなに立派になっていたんだろう、と由布梨は不思議に思った。
「そうだ。たまに来る要人をたまーに保護する。それだけの仕事だ」
「そもそも要人って誰?」
色取が訊いた。
「名前は知らねえ。ただしばらく匿ってやるだけで、礼に高価な装飾品をくれんだよ」
由布梨と色取は同時に言う。
「怪しい……」
「怪しくねえよ。見た目からして貴族ですって感じの風貌してる」
「匿うっていっても、その人何から逃げてんの?」
「さあ」恵也は肩をすくめる。「じゅーしゃがくる~ってよく言ってるが」
「じゅーしゃ……?」
やけに頭に引っかかる単語だな、と由布梨は思う。
その時柚葉が、
「おまたせー。ミトンの素揚げと山菜の炒め物だよ」
と料理の皿を机に置いた。
「ありがとう」
料理に手を付け始めると、由布梨たちはの話題は、また別のものへと切り替わっていく。
「そういや、あのナンパっぽい兄ちゃん元気か?」
恵也が訊いた。
「詩安さんのこと?」
「そういえば、茶店でバイトしている時以来会ってないな」
色取が思い出すような仕草で言った。
「そうだね。……あっ!」
由布梨はハッとした。
詩安に色取に言っておいてほしい事がある、と伝言されていたことをすっかり忘れていた。柚葉が告白をする前のことで、内容は『色取君は一途でいてね』だ。
「どうした?」
色取と恵也に訊かれ、由布梨は慌てて取り繕う。
「いや、そういえば私も全然会ってないなーって思って」
「よし、じゃあ行くか!」色取が立ち上がる。「詩安さんの武器屋!」
「いいぜ」
「えっ? あ、そうしよ」
由布梨も恵也も賛同した。
柚葉に金を払い、そして三人並んで外を歩く。
街の入り口の方に行くと、詩安の武器はある。
由布梨たちは店の中に「今晩は」と挨拶を述べながら入った。
「いらっしゃい、珍しいお客さんだね」
「よ~、久しぶりにあったな~」
恵也が言った。
「うん。由布梨ちゃんも。無事に戻って来てくれてよかった……」
「あ、ご心配おかけしました!」
由布梨は軽く頭を下げた。
いきなり境界世界にいなくなってしまったのだから、心配されていたのだろう。
「……やっぱり、色取君見てるとやけちゃうね」
詩安が壁によっかかり、腕を組んで言う。
「何でですか?」
色取が訊き返した。
「だって囚われのお姫様を助け出した王子様、になったんだからさ」
そうですかね、と少し戸惑いながらも色取は笑っていた。
由布梨は詩安におそるおそる切り出した。
「あの、すいません。頼まれていた言葉、結局私色取君に伝えてなくて……」
「いいよ」
由布梨の言葉にすかさず詩安は言った。
「え?」
気に障っていないのだろうかと思い、由布梨は訊き返す。
「だって言わずもがな、でしょ。彼はずっと一途だよ。――わざわざ伝える必要もない言葉だって気付いたから、いいんだ」
詩安は微笑みながら言った。
「俺の話?」
「そう」
「一途って俺のことか」
「まぁ、そんな感じ」
「時間経っているのに忘れずに伝えようとしてくれて、ありがとう」
「遅くなっちゃいましたが……」
その後軽く雑談を交わしてから、由布梨たちは店を出た。
そして恵也に、
「要人さんによろしく」
と言って別れた。
宿屋への帰路の途中、由布梨と色取の話題はもっぱら要人についてだった。
「要人さんってさ」
「うん」
「多分、思ってるの同じ人だよね」
「多分な……」




