境界昔話、朔真との再会
次の日、由布梨は城の中を歩き回るために、早朝すでに寝床から出ていた。
部屋の戸を開き、廊下にそろそろと出る。
誰も起きていないのか、しんと静まった巨大な城内に少し緊張する。
由布梨は吹き抜けのある間を通り過ぎ、四方に分かれた廊下を適当に選んで進んだ。
迷子にならないように周りを見渡すのだが、見えてくる部屋の一つ一つに差が無いように見えて混乱する。
(まぁ一本道だし、大丈夫かな……)
廊下を進んでいくと、道は突き当りになり一つの扉と出会う。
由布梨は昨日の枕の出来事を思い出し、目前の扉を好奇心を持って開けた。部屋の奥には斜め四角の格子窓があり、朝陽が柔らかに差していた。
その部屋は書庫のようだった。
棚にはいろいろな大きさの簿記帳のようなものが、ずらっと並べられている。
由布梨はその一つを取り出して、床に座り込んで読もうとする。
何か元の世界に帰る手がかりが見つかるのではないかと、期待したのだ。
「読めない……」
しかし文字が達筆すぎるのか、相当崩されているのか判読することが出来ない。
由布梨は立ち上がって、別の物を探す。
すると棚の中に一冊だけ雰囲気が違うものがあった。深緑色の辞書のような本――それを取り出し、由布梨は目を通して見る。
「あー読めない」
今度は時こそ丁寧に書かれているが、見たことのない文字しかなかった。
ペラペラとめくっていくと、むしり取られたように、数ページが無くなっている。結局、その部分があったところで由布梨には読めないのだが。
何も収穫なしか、と由布梨が肩を落としていると、ふと背後から声を掛けられた。
「何をしている」
「えっと、草乃丞……?」
由布梨が勝手に動き回っていることが気に障ったのか、眉間にしわを深く刻んでいる。
「あぁ。勝手に動くな……とは言っていなかったが、普通は大人しくしてるもんだろ」
「そう言われても。あの、これ何が書いてあるんですか?」
由布梨は草乃丞の前に本を広げて見せた。
「それは、境界昔話だな」
草乃丞が答えた。
「昔話?」
「作者不詳、いつ完成したのかも分からねえ。ここに書いてあるのは境界世界の成り立ちについて、だな」
「なるほど……」
あまり内容は詳しくないが、日本神話と同じようなものだろうか。
興味が湧いた由布梨は、続けて草乃丞に頼む。
「内容を教えて欲しいんですけど」
「……お前、立場上断れないの知ってて言ってるだろ」
「まさか!」由布梨は首を左右に振る。「嫌なら全然大丈夫です!」
草乃丞はため息交じりに、
「古より伝わる話だ。――まず魔法を用いる世界が生まれた」
と語り始めた。
ありがとうございます、と小さな声で呟いて、由布梨は草乃丞の話に聞き入った。
「様々な物理法則によって統制されている世界……お前が来たという世界が、次に生まれた」
「へええ」
「その二つの世界は、突如出現した壁という存在によって」
草乃丞が手を合わせてぱんと音を鳴らす。
「繋ぎ合わされた」
(なんかすごい昔話っぽくなってきたっ!)
由布梨はワクワクした。
「しばらくすると、その二つの世界の間に何もない、まるっきり空の世界が誕生し、徐々に面積を拡大してった。これが境界世界だ」
「順番は、ここが最後なんだ……」
「何もなかった境界世界にある日、物理法則ある世界から、魔法世界へと規則正しく流れる川が生まれた」
その川は由布梨と色取が通過してきた川のことだ。
由布梨は息を飲んで話の続きを待つ。
「――仕事だ」
「えっ?」
昔話の中にそんな単語あるのか、と怪訝な表情を草乃丞に向けると、鏡のように不機嫌そうに顰めた顔を向けられる。
「もう仕事に戻る時間だ。ここにいるならいいが、あまり不用心に出歩くなよ」
草乃丞が言った。
「あっ……はい、気を付けます」
由布梨は軽く頭を下げ、仕事に戻るという草乃丞の後ろ姿を見送った。
話の続きが気になる、ともやもやしていると、今度は別の人物が書庫に足を踏み入れた。
「由布梨様、こちらにいらしたのですか」
佐月だった。
「あ、おはようございます。もしかして探されてましたか?」
「いえ」佐月は首を振ると言う。「昨日、城から出たいと仰ってたので少し心配で。読書に没入されているので安心しました」
「文字が分からなくて、自分じゃ読めないんです」
由布梨は開いている本に記してある黒文字をそっと撫でて言った。
「なるほど、それでは私がお読みしましょうか」
佐月が親切にわざわざ訊いた。
「いいんですか? この世界が出来たところまで草乃丞さんに教えてもらったんです。なのでその続きをぜひ……」
「勿論構わないですよ。僭越ながら、お話しさせて頂きます」
柔らかに笑む佐月に微笑み返すと、佐月はゆっくり話し始めた。
「世界が完成した後、境界世界では高度な文明が築かれました。魔法世界の文明と、物理法則のある世界との取り合わせのような」
「あー、挟まれてるからだ……」
「その文明が残したとされる物――それは不思議な物ばかりだった。火属性の魔力を高めるとされる香木や、氷属性の魔力を高めるとされる氷の錘など」
「お~」
ファンタジックでかっこいい世界観だなあ、ここの昔話、と由布梨は思った。
「その中で最も格が高いとされていた物は、不死の妙薬と奇跡の雫。不死の妙薬は言葉の通りですが、奇跡の雫は人が飲んだりするようなものではありません。この雫は境界の川に垂らすと、たまゆら水の流れを真逆にする魔力を宿らせるものだそうです」
「――! それ、欲しいかも……」
「……そうですね。由布梨様にとっては喉から手が出るほど欲しいといっても過言ではないですよね」
佐月が眉を下げて言った。
「本当にそれはあるものなんですか?」
由布梨が訊くと、佐月はうーん、と考え込んだ後に答える。
「奇跡の雫や、氷の錘について言及している書物は多いのですが、なんせ誰も現物を拝めたことは無いものですから……」
「掘れば出てくるかも」
「え?」
由布梨が思わず口にした言葉に、佐月は驚いたようだった。
「何でもない、何でもない」
由布梨は顔の前でひらひらと手を振る。古代文明の遺産があるといって病院の跡地を掘り返した時のことを、ふっと思い出していたのだ。
日本昔話や埋蔵金の印象も手伝って、貴重な物は地中に埋まっているイメージが強い。
「続き、教えてくれてありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
由布梨は満足して棚に本を戻そうとした。
その瞬間、本のどこかに挟まっていたのか、何かが床へ落ちた。
「何だろう、これ」
栞か何かかと思い拾い上げてみるとそれは、薄い歯車だった。手で叩いてみると、しっかりと金属の感触がある。
由布梨はこの歯車に妙な既視感を覚えた。
(どっかで見たような気がするんだけど……)
「由布梨様、私は職務に戻りますのでまた何か用事があればお声がけください」
「あ、はい! いってらっしゃい」
由布梨は歯車を指の間に挟み込んだまま、佐月の後ろ姿を見送った。
この歯車に対する既視感は何なのか、自問自答していると由布梨はハッとした。
「これバイトの発掘現場で見た歯車と一緒だ……!」
ようやく腑に落ちた。
歯車なんて見た目に差がないと思うのだが、この薄さはなかなかあるものじゃない。
きっと同じもののはずだ。
そして昨日見たあの青い瓶――あれもバイトの現場で掘りあげた物と同じ気がする。
手の中の歯車をじっと見つめて、由布梨は予想を確信に変える。
「奇跡の雫はあったんだ!」
遠い昔、奇跡の雫によって逆向きになった川は、境界世界の歯車やら瓶やら、そんなものを水に乗せて、私たちの世界の方へと流していったのだろう。
バイトの現場でオーパーツ、時代錯誤な物が見つかったと、そう報告されていた物の大半は、古来境界世界から奇跡の雫によって流れ着いた物なのだろう。
縄文土器やら弥生土器やらに混じって発掘されるはずの無い物ばかりだ。
この発見を上司に教えてあげたいところだが、あいにく連絡手段を持ち合わせていない。それが非常に残念だ。
「昔話って本当なんじゃない……!」
由布梨はぴょんと跳ねた。
自分の体験から昔話の信憑性が高まり、思わずはしゃいでしまう。
「いやでも、都市伝説のせいでここに来ちゃったんだから、昔話につられて行動をむやみに起こすと危険かもしれない」
そんな独り言を展開していると、由布梨はまた誰かに声を掛けられる。
「――由布梨」
「え?」
振り返るとそこにいたのは朔真だった。
「朔真……?」




