境界世界の宝物庫
「あぶな……」
由布梨はふと上を見上げて、小さく呟いた。吹き抜けになっている部分に、あまり城の雰囲気と合っていない巨大な水槽があった。見えづらいが確かにそこにあり、行燈の光を反射している。建物は江戸時代、水槽はもちろん昭和以降の技術力を感じさせる。
ふと由布梨の脳裏に時代錯誤物なんて単語がよぎった。
吹き抜けの空間から四方に細い廊下が枝のように別れていて、由布梨たちはその一つをつき進んで行った。これでもかというほど大きな窓がところどころに配置されていて、そこからは整えられた、京都で見たような庭園が覗いて見える。
突然、由布梨の手を引いて歩いていた玉兎がある戸の前で立ち止まった。
けぶるような花の絵がうっすらと描かれている戸だった。
「ここは?」
「宝物庫と言いたいところだが、置いてあるのはもっと地味な物ばかりだ」
そう言って玉兎は戸を開いた。
開いた際にまず由布梨の目に飛び込んできたのは、満月だった。部屋の最奥に大きくくりぬかれた斜め死角の窓から月明かりがまるで、白猫の脚のように差し込んでいた。
うすぼんやりとした部屋に一歩足を踏み入れると玉兎が、暗いな、と呟いた。
玉兎は足元で何かを強く踏みしめている様子だった。
次の瞬間、窓の手前に銀の板がせりあがってくるのが、由布梨には見えた。
「鏡……?」
由布梨の呟きに玉兎が静かに頷いた。窓の前の薄い鏡は、緩やかに勾配をつけ、月影を反射して部屋を明るく照らしていた。
部屋の側面の棚には規則正しく、物が並べられている。
木の角材のようなもの、白い布で覆われた四角形の物、草をまとめて縛っている物、頭より大きなこんにゃく色の石、鳥の絵が描かれた丸々とした陶器、駒のような形に彫刻された物。
次から次へと、由布梨は視線を動かしていく。
宝物庫とは言い切れない、と玉兎が口にしていたところを考えると、これらすべてに特別な価値は無いのだろう。
でも、見ているだけでも歴史博物館みたいで、由布梨は楽しかった。
ただその物たちがどんな用途で使われるのかが知りたいのだが、親切にそれを教えてくれる説明文は無い。
横にいる玉兎に由布梨が問いかけようとしたとき、玉兎はおもむろに棚に手を入れた。
「あぁ、触っても平気な物なの」
「もちろんだ」
そう言う玉兎の手にはあの、鳥の絵が描かれた丸い陶器があった。すると、前触れもなく玉兎がその陶器を部屋の奥へと放り投げた。
あ、と声を挙げる暇もなく、耳をつんざく音を立てて陶器は粉々に砕けた。
「いきなり何――!」
由布梨が耳を塞いで言うと、玉兎は次に草がまとまっている物を放り投げた。
「由布梨、気持ちは晴れたか?」
「どっちかっていうと、恐怖の色に驚くべきスピードで染まってる……」
「……すまない。我の考えが甘かったんだな」
玉兎が手で額を覆う。
「何でいきなり物を投げたの?」
「由布梨が泣いていたから、その気持ちを晴れやかに出来たらと思って……枕投げが好きだと言っただろう」
由布梨はいつの間にか涙が引っ込んでいた目をぱちくりと動かして玉兎を見た。
「枕、投げ……」
由布梨の知っている枕投げと目前で展開された光景の差に戸惑いを隠せない。
「あれ、枕なの?」
由布梨は粉々になった陶器を指差して訊く。
「大昔の物だが」
玉兎が答えた。どうやら棚に並べられていたのは歴代境界世界の城内で使われていた枕だったようだ。
由布梨が修学旅行で枕投げをするのが楽しいと言ったから、気を遣って玉兎なりの枕投げを披露してくれたのだ。
頭では理解しているが、感情がまだ追いついてこない。
「枕投げって……違う」
「そう、だったのか」
草の枕、石の枕、割れちゃった陶器の枕。
由布梨は軽く合掌してから玉兎に訊いてみる。
「――柔らかい枕ってないの?」
「あるぞ」
よしきた、と言わんばかりに玉兎が自然な動作で由布梨の手を取った。
その体勢で一歩踏み出した時、つま先にコツンと何かが軽くぶつかるのを由布梨は感じた。
下を見ると、透けた青色の首の細長い瓶があった。
「これも昔の物?」
「たぶん」
由布梨はそれを拾い上げた後、棚の中央に並べた。
枕瓶枕枕の配置である。そして部屋から出た時に、窓の方を振り返ってみた。
窓の前で鏡はゆるやかに水平になり、部屋を照らしていた。月明かりは夜の闇の中へと引き下がっていった。
行燈に照らされた廊下を歩いている途中、玉兎は「待っていてくれ」と言い残して居なくなった。
由布梨がその場で少し待っていると、玉兎は何かを手にして戻って来た。
「枕?」
「そうだ」
由布梨がその枕を触ってみると、お世辞にも柔らかいとは言えなかった。色合いから察するに竹で出来ているように見える。
「枕投げって、ふわふわしてて柔らかい枕を人と投げ合う遊びなんだけど……」
由布梨は玉兎と枕を交互に見る。
「ここまで固いともう」
――魔法世界には一応、そば殻枕的な物はあったんだけれど。
水槽があるくらいだから、技術力はありそうなのに快眠枕を作る人はいないのか、と由布梨は少々驚いた。
「なるほど、それでは……」
玉兎が自分の頭に枕をくっ付けてトンと音を鳴らすと、
「これで由布梨の心を得るのは我ということだな」
と屈託なく微笑んだ。
「……もうよく分かんない。何で枕投げの話なんか、こんな掘り下げたんだっけ」
由布梨は首を傾げて、涙の渇いた跡の付いた頬をさする。
目前の玉兎が楽しそうに微笑むので、まぁいっか、と由布梨も笑った。
由布梨は固い枕でもいいから、今日はもう寝たい、という気がした。
今になってどっと疲れが押し寄せてきたのだ。
自分に与えられた部屋に戻ろうと、由布梨は玉兎に背を向けた。
「どうした?」
由布梨は玉兎の方へ振り返ると、
「部屋に帰る」
と言った。
「分かった。――由布梨、好きだぞ」
玉兎は片手で枕を上に放り、ポンポンと弄んでいた。
子供みたい、と思うと同時に『退屈させる男はいらない』的な発言をした自分を悔いる。
(あんなに虚勢張る必要なんか、無かったんじゃない……)
部屋に向かうために歩き出したとき、ふと心が軽くなっている不思議さに由布梨は気付く。
バイトの日、境界の壁を超えて以来、色取以外の人にこんなに過去の思い出のことを話したのは初めてだった。
学校のことを少し話しただけなのに、妙に爽快な気分になっていた。
由布梨は玉兎の居る後ろを振り返らないようにして、部屋に戻っていった。
由布梨が廊下の角を曲がるまでずっと背後で、枕が玉兎の手の上で弾む乾いた音が聞こえていた。
部屋に立ててある仕切りの内側に入り、枕に頭を置いて由布梨は眠りについた。
固い枕にも関わらず、不思議なほどよく眠れた夜だった。




