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貴方が私に固執する、その理由

「由布梨、入るぞ」

 その時、(ふすま)の向こう側から玉兎の声がした。

「どうしよ~」

 由布梨は焦って襖の取っ手を抑え込んだ。

 由布梨と玉兎の間、襖を隔てて、開けようとする力と閉めようとする力が拮抗(きっこう)していた。

 しばらくすると、向こう側からふっと力が抜かれる感触がした。

「諦めた……?」

 由布梨がそう思っていると、反対側の襖から玉兎が入ってきた。

 玉兎はにっこりと微笑んでいる。


「そうだ、襖ってそういう構造なんだった」

 由布梨は間抜けにも、このタイミングで一つ賢くなった。

「入ったぞ」

 玉兎に報告された。

「あぁ……はい」

「退屈してるって?」

 あの侍女から話が伝わってしまったのだろうか。正直、退屈だと駄々をこねるワガママ娘だと思われるのは心外だが、ぐっとその気持ちを由布梨は奥に押し込める。

「私を退屈させるんなら、貴方のものにはならない」

 一体この言葉をどんないい女が言っているのか、その顔を拝みたいものだ。

 まぁ、あまりの恥ずかしさに火が出そうなほど、顔が熱くなってきている自分の顔なんですけれど。


「すまない。我が(きさき)よ。望むものはすべて言ってくれ。由布梨の望みを我の手でかなえさせてくれ」

「えっ?」

 予想を裏切る反応に、由布梨は固まってしまう。


(だって、何でそんな私をいい女扱いするわけ?)


 由布梨は頭に疑問符を浮かべた。

「どうした」

「あの~……私ってどうしてここにいるんでしょうか?」

 由布梨は改めて訊いた。

 玉兎は口をぽかんと開けてから、くしゃっと笑って、

「頭でも打ったのか」

 と、由布梨の頭を撫でまわした。

 頭でもぶつけてまるっきりここに来てしまった過程を忘れたと思われているのだろうか。 

 忘れるわけはない。

 元の世界と魔法世界を繋ぐ川、その上流にまさかまた別の空間が広がっているなんて、由布梨は思いもしなかった。山麓にそびえ立つ見事な城。その中に自分が連れてこられたという事実も、ちゃんと認識は出来ている。

 だけど、この王様が自分を気に入っている理由が分からなかった。

 おおよそハーレムのようなところにまだいないタイプの女だったとか、そう言われるのだろう。


(私だって、漫画とかで読んで知ってるんだから!)


 由布梨は脳内で漫画をめくって考えた。

「……いいえ、頭は打ってないけど。他の女の人ってどこに居るの? 他の場所?」

 由布梨が玉兎に訊くとキョトンとした顔で、

「他とは何だ」

 と返される。

「大奥? 後宮? ――まぁ、そういう名称の場所を訊いてます」

 その単語を聞くと玉兎は笑った。

「我の城にはない。あっても、お前を行かせはしないが」

 由布梨は玉兎と話せば話すほど頭が混乱していく気がして、戸惑った。

 由布梨は前髪越しにおでこを掻いて、玉兎の前に座り直した。

「あの、さっきモンスターにぶん投げられたところを従者の方に助けてもらって、ありがとうございました」

「当然のことだ」

「でも、そのまま城に連れていかれたのはやっぱり、理解出来ないんですけど……どういうことですか?」

「なるほど。もう少し踏み入って話すことにするか」玉兎は腕を組んで言う。「我は境界の管理人であるわけだが、境界の仕組みそのものに干渉は出来ないのだ」

「と、いいますと」

「ただ川の流れに応じて、向こうの世界から現れた人々を船に乗せて運ぶだけだ」

「あ……」

 そうだ、由布梨も川を渡る時に船に乗らなければ、生きてはいられなかっただろう。もしかすると間接的に命を助けてもらったようなものかもしれない。

 由布梨の内心は騒いだ。


「我は王らしいことなど何一つしないのだ。ただ古より続く王座を守ってるだけだ。欲も意思もない。一族には珍しい、草食動物などど揶揄されることもある」

「それで、いいんじゃないですかね」

 いきなり城の主であるらしい人物に弱音を吐かれると、ただの庶民でしかない由布梨は困ってしまう。高貴な人の悩みとはよく分からない。ちゃんと働いているのだから、主として十分な気がするが、何が納得いかないのだろう。

 草食男子、良いじゃないですか。


「だが、川で由布梨の姿を見つけた時、我にはやはり一族の強欲な血が流れているのだと確信した」

「えっ」

 急に話の雰囲気が変わった。

 いきなり自分の名前を出されて、由布梨は身体を固くする。

「絶対に由布梨が欲しいと思った。それで草乃丞に連れてくるように命じてここに……」

 玉兎は由布梨の質問に結論を出してくれた。

 それはありがたかったが、腑に落ちず由布梨はまた訊いてしまう。

「ただ見かけただけで……?」

「知りもしない相手を、と思うだろうが」玉兎は額に手を当てる。「――抑えられなかった。由布梨を一目見ただけで、最高の未来を予感してしまったのだ。由布梨をどうしても、我の妃にしたい……」

 由布梨は口をつぐんだままでいた。

 最高の未来、その言葉に向き合う勇気が出なかった。


(だって私は、私が好きなのは……色取君)


 一緒に帰ろう、と由布梨に約束してくれた色取がいるのだ。自分はこの境界世界にはとどまらないだろう。遅かれ早かれ、この城を去ることになる、由布梨にはそんな気がするのだ。


「由布梨、お前の夫になる我に望むことはあるか?」

「ごめんなさい、私、玉兎の気持ちには全然寄り添ってあげられない……」

「心に決めた男がいるのか?」

 由布梨は頷くことも否定することもできなかった。少し前までただの同級生だった色取君なのに、心に決めたと言うにはまだ心が追い付いていない。

「一緒に元の世界に帰るって約束した人がいる。色取君っていって」

「……どうやってその人物は由布梨の心を捉えたのか?」

「え、うーん……学校とかで少しずつなんか、上手く説明できないけど」

「学校とは何をする場所だ?」

「普通に、勉強するとこ」

「勉強すれば、由布梨の心が得られるのか?」

「あぁ、いや勉強というか、それ以外の時間で普通は距離が縮まるんじゃないのかな……行事もあるし」

 矢継ぎ早に質問を紡ぐ玉兎のペースに乗せられ、由布梨はまんまと真剣に回答していた。考えてみれば奇妙な状況だ。自分が囚われている先で、何で学校について解説をしているのか、もはや自分でもよく分からない。

 境界世界の王には、どのくらい学校のことが伝わったのだろうか。


「行事とは何がある?」

 玉兎は続けて前のめりに訊く。

「文化祭……修学旅行」

「旅か!」

「でも真面目な所に行くから、レポート書いたり遊んでばっかりでもなくて……昼間は決まった場所を時間通りに動いて……」

 由布梨は途中から徐々に声が小さくなり、とうとう話を止めてしまった。

「どうかしたのか?」

「いや……」

 由布梨は首を傾げた。

 何かやたらと饒舌に喋っている気がする。大げさかもしれないが、バイトの日に境界の壁を越えて以降、自分が一番スラスラ喋っているような気さえする。


「続きが聞きたい。由布梨のことをもっと知りたいのだ」

 こんな、特に面白いわけでもない話を王に進呈していいのだろうか。

 と、思いつつも玉兎に促され由布梨は話を再開する。

「まぁ夜の方が修学旅行は面白いって話なんだけど……この話面白い?」

「当然だろう。由布梨が話してるんだから」

 玉兎が堂々と言うので、返しに困った由布梨の口からは変な笑いが漏れていく。

「はっは……夜、先生の巡回の目をかいくぐって枕投げしたりとか、好きな人の話したりとか」

 由布梨はきゅっと胸が締め付けられるのを感じた。由布梨はようやく気が付いた。

元の世界に戻れるか戻れないか、分からない日々の中で、当たり前のように過ごしてきたJKとしての日々を失っていくことが心の底では怖かったのだ。

 今、玉兎に学校の話をしている時、妙に色々と話す気になったのは、ちゃんとJKとしての思い出があるということを強く認識したかったのだろう。

 テスト前に必死に勉強したこと、文化祭の日のこと、修学旅行の昼と夜の出来事。その全てを口に出すと安心できた。

 由布梨はこのまま、その学校の友人たちはおろか、家族に会うこともできないかもしれない。ふと元の世界が恋しくなって、ずっと抑圧していた不安が堰を切ったようにあふれ出てくる。


「どうした由布梨、由布梨どうした!?」

 ぼろぼろと涙をこぼす由布梨の目の前で、玉兎が右往左往している。

「もう都市伝説なんか大っ嫌い……!」

 嗚咽交じりに由布梨は呟いた。

 都市伝説、という単語に首を傾げる玉兎の姿が、滲んだ視界の中央に映る。

 ワガママ娘を演じたり、泣きだしたり、今日の自分はなんてせわしないんだろう。

「ごめんなさい。別に泣くほどここが嫌だって意味じゃなくて、あの……」

 しゃくりあげながら由布梨は今の状況を弁解しようと努める。

 何で男性に泣き顔を見られるとどうしようもなく、やっちゃったって感じがするんだろう。

 弱いところを見せてしまった時、それは自分の一部でしかないのに、まるで全部さらけ出してしまったみたいに由布梨は感じる。

 恥ずかしいやら、情けないやら、そんな感情でぐちゃぐちゃになっていると、玉兎が由布梨の手を取った。


「何?」

「来てくれ」

 手を優しく引かれ、由布梨は立ち上がる。

 その時、玉兎からシトラスのような香りが品よく漂って、由布梨を幻惑させた。

 さっき自由に歩き回ろうとして、止められた城内を玉兎に先導されて歩いていく。

 暗くなった城内には行燈が並び、おぼろげな輪郭の光を揺らしていた。


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