魔糸紡ぎ師を目指して
数日後、由布梨は後ろ髪引かれる思いだったが、魔糸紡ぎ師になるべく江瑠戸西を後にした。
飛行船代を節約しようかと、由布梨は移動魔法を唱えた。
そして、魔糸の生産地である創作の地へと、一瞬でワープした。
創作の地に着いた瞬間、キラキラとした粉が目前に広がり、むせてしまう。移動魔法によって生じたシールドの粉だ。
境界の壁がある場所から、海を越えて創作の地まで。その距離を一瞬で移動しようとして生じたキラキラの量の多さに思わずびっくりする。
「ごほ、ごほ」
いつものように、アレルギーの症状が出てしまう。
しばらくむせていたせいか、酸欠気味になってしまい、軽い立ちくらみがした。そのまま、由布梨は地面へ横になって休んだ。こうしていれば、すぐに落ち着くだろう。
そうしていると、顔の下に見慣れないものが見えた。
(これは?)
森の美しい自然の中、コケが生えている地面に、ぴったりと網のようなものが張り付いている。それはさまざまな色で構成されていて、まるで蜘蛛の巣のように見えていた。
突然、地面が遠ざかっていくように見えた。由布梨は浮遊感を感じていた。
まさか体が浮いているのだろか。だとしたらそれは何故――?
そう疑問に思っていると、由布梨の目の前に銀髪の少年が見えた。
自分の視線の先にいるということは、まさかあの少年も浮いているのだろうか。由布梨は身を起こして下を見る。
すると、しっかりと地面が遠ざかっていくことに気付き、由布梨はヒヤッとした。
反動をつけて上方を仰ぎ見ると、青空がさっきよりも近くに感じられる。少し休んで、治ったはずの立ちくらみが、由布梨に再び襲い掛かってきそうだった。
がくがくと膝を揺らし、正面を向いていると少年が浮いたまま、歩み寄って由布梨の目の前に来た。
(なんだろう、この不思議な状況は……)
少年はゆっくりと口を開き、
「ここに来たのは、初めて?」
と言った。
「そ、そうです」
由布梨は慌てて返事をした。
「やっぱりね」
「あの、どうして浮いてるんでしょうか?」
「どうしてって、そっちの方が効率が良いから」
「効率――とは」
由布梨は首を傾げて訊いた。この状況が何に対して効率が良いのだろうか。
「糸の収穫がさ、ほら」
少年が足元を指差し、それにつられて下を向くと、足元にはあのカラフルな蜘蛛の巣の柄が見えている。つまり、由布梨が浮いているというよりも、あの蜘蛛の巣が浮いている上に自分が乗っているということらしい。
でも、こんなに隙間だらけの空飛ぶじゅうたんは嫌だな、と由布梨は思った。
「これが、糸?」
「正確には、糸の原材料だよ」
森の土の上に網のように張り付いていたものが、どうやら糸の原材料のようだ。
そしてそれを地面からべりべり剥がして、こうやって浮かせることで、森の土壌からまとめて糸の原料を収穫出来るというわけだ。確かにとても効率が良い、と由布梨は納得する。
でも、そういう収穫方法を採用しているという知識は、空中ではなく地上にいる時に仕入れておきたかった。
「顔色悪いけど、もしかして何も知らなかった?」
「はい」
また下を向こうとした由布梨の顎に、少年は手を添わせると、ゆっくり上を向かせた。
「下見たらもっと顔色悪くなるよ」
彼の言葉はもっともだと思い、由布梨は浅く頷いた。
しばらくすると足の下の蜘蛛の巣のような、網のようなものが、どこかへ強く引っ張られるのを感じた。
由布梨と少年はその上で浮いたまま、一気に横に移動した。
大きな森を完全に俯瞰出来る高さにある丘の上に、蜘蛛の巣ごと降ろされた。
「はぁ~」
地面に足をつけられる感覚に由布梨が安心していると、丘にいた何人かが蜘蛛の巣をグルグルと巻いて回収していた。
まるで、漁師が海の中から網を回収する時のようだった。
「あれを、これから魔糸に?」
「そう。僕は魔糸紡ぎ師の風磨。君は?」
「――由布梨、です」
「ここに来たのは観光? にしては、今の状況に戸惑いすぎだよね……」
「あの、ここには魔糸紡ぎ師として働きたくて来ました!」
「本当?」
由布梨の言葉を聞くと、風磨と名乗った少年は目を開いて訊いた。
「はい……」
「なかなか他の場所から来た人で、なりたがる人少ないんだけど……変わってんね」
「いえ」
「……働かせてあげようか」風磨は少し考えたのちに言った。
「い、いいんですか」
「まぁ、使えなかったらずっと雇ってはあげられないけど?」
「もちろんです、お願いします!」
風磨はこくりと頷いた。
由布梨は風磨に連れられて、丘に立っている一本の木の前に連れてこられた。
「ちょっと、テスト。由布梨、魔法は使える?」
「あっ、はい少しなら……」
「試しにさ、この木の内側にだけ範囲指定して、氷系の魔法を軽く使ってくれる」
「分かりました!」
テストだと言われると、自然と集中力も上がる。木の内側――見えない部分に魔法を使うのは初めての経験だが、上手く出来るだろうか。
由布梨は渇いた木の表面に手を置いて、その内側を想像してみる。
木の根っこは上へ上へと水を吸い上げ、枝の先の薄紫の花に水を導く。そのために花弁はしっとりと水に潤む。
そして、その木の内側の水はすべて、魔法によって氷に変化する。
「ダミズ・バクタエリ!」
由布梨は氷系の呪文を唱えた。すると、木の内側から手に冷たい感触が走った。
「上手くいった?」
次の瞬間、枝先の花弁が凍り始め、花弁の一枚一枚が氷に包まれた。
目前の木には白い霧氷の花が咲いていた。
「うん、合格」
風磨が手を叩いて言った。
「良かった……」
初めてやったことだったので、成功するかどうか不安だったが、とりあえず雇ってもらえそうで、由布梨は安堵した。
「――あれっ」
由布梨はふとおかしなことに気が付いて声を挙げる。
「どうしたの?」
「むせてない、かゆくない!」
魔法を使ったのに、全く具合が悪くなっていない。今、指定されたことを上手くやり遂げたという爽快感だけがあった。そういえば、シールドのキラキラの粉も目にしていない気がする。一体どういうことなのだろうか。
「か、かゆい?」
由布梨の反応に一歩引きつつ、風磨が眉を寄せて訊いた。
「あの、私魔法を使う時に出てくるシールドにアレルギーがありまして……魔糸紡ぎをする時は、そのシールドが最小限でいいっぽいと聞いて今日ここに来たんです、が……もしかして治ったかも」
こんな短時間で本当にそんなことあるのだろうか。
由布梨は喜び半分、困惑半分な心境になっていた。
「へえ……でも、治ってはないんじゃない」
風磨が言った。
「そうですかね?」
「木の内側に魔法を発動させるってことは、その木の内側にだけシールドを張るってことだよ。だから、平気だったんじゃない」
「はぁ、なるほど……」
由布梨は少しがっくりと肩を落とした。勝手に治ったと期待した自分が悪いのだが。
「魔糸紡ぎって、そういうものだよ」
「え?」
丘の上を通り過ぎる風が、風磨の銀の髪を揺らしていた。
「見せてあげる、おいで」
風磨が由布梨の先を歩いた。由布梨はその後をついていく。緑が美しい世界だった。
彼が立ち止まった場所は、アトリエのような場所だった。扉を開けて、中に入るように示されたので、由布梨は靴を脱いでそろそろと足を踏み入れる。
そこには、机を並べただけのシンプルな作業場があった。
側面の壁には埋め込まれた引き出しと、部屋の中央には傾斜の激しい階段があって、そこを登った先には、採光のために大きく開け放たれた窓のあるスペースが見えた。
階段があるところから、もう少し奥に行くと、板張りの作業所から畳の部屋へと切り替わっていた。
「すいません、お邪魔しまーす……」
人がいるのか分からないが、由布梨は作業場の奥の方へと声を掛ける。
「どーぞ」
「あの、糸車ってないんですか?」
糸を紡ぐといえば、糸車を踏んでぐるぐる回す、そんなイメージがある。
「あるよ」
風磨が天井を指差した。そこには、大小さまざまな糸車が吊ってあった。
「ひっ」
落ちてきそうで、由布梨は怖かった。
「……また顔色悪くなってるよ。それで、さっきと同じことしてほしいんだけど」
そう言うと、風磨は机の上に置いてあった糸玉から二本の糸を引きだすと、私の目の前に持ってきた。
「さっきと同じって、――氷魔法?」
「こうやって、より合わせると糸と糸の間に隙間が出来るから……そこに、氷魔法入れて」
風磨の指先で、二本の糸がくるくるとよじれている。
「あ、はい。木と、一緒。木と一緒……」
木の内側に魔法を発動させるのと同じように、糸と糸の隙間に魔法を発動させようとした。
「ダミズ・バクタエリ!」
由布梨は氷の呪文を唱える。しかし、やはり木の内側と、糸の隙間はだいぶ差があったらしく、糸からシールドも、魔法もはみ出してしまった。
ねじれた糸の隙間を抜け、風磨の手を越え、机にまで氷が零れ落ちる。
「ちべたっ!」
「ごほっごほっ」
風磨が大きな声を出して騒ぐ横で、由布梨はシールドの粉にむせていた。
今ここに人が入ってきたら何事かと思われるだろう。
「ごめんなさい!」
深呼吸して息を整えると、由布梨は頭が机につくくらい下げて謝る。
「……いや、大丈夫」
「ほ、本当に?」
「うん。ただ、火とか雷系統の魔法だったらと思うと震えるね」
風磨が言った。
「あ、そうですね。ふ、ふふっ……すいません」
笑っちゃいけないと思うのだが、思わず由布梨は笑みを零してしまう。
「……なに」
風磨が白い手をさすりながら不満そうに言った。
「いえ、なんでも」
「……由布梨、本当にここで働くの?」
「はっ、もう笑いません。お願いします!」
「違う、そういうことじゃなくて、むしろ笑ってくれたほうが……」
「ん?」
「――何でもない。ただ、今みたいに失敗するとまたアレルギーが出て、身体がきついんじゃないのかなって、そんだけ!」
風磨が言い終えると、ぷいと目を逸らした。
「……でも、もう他に方法が思いつかないんです」
由布梨はうつむいてぼそぼそと口にする。
穀物代師はクビだし、正直に言うと食堂で前と同じように柚葉と一緒に仲良く働けるかどうかも分からないし、手に職があると良いってよく言うし。それを考えると、由布梨はどうしても魔糸紡ぎの技術を会得したかった。
――入院している色取君も待ってるし……。
「まぁ、ここにいるなり帰るなり、好きにすれば……」
風磨の声が頭上から降った。
その言葉が何だか少し、由布梨の心に沁みた。
「ま、働かせてあげるなんて大きく出たのは僕だし、最初の一歩が上手くいくまでは面倒見てあげるよ」
「頑張ります」
「はい」
風磨がまた糸玉から二本の糸を引きだし、よりあわせてみせた。
由布梨は彼の指先、その二本の糸の隙間に意識を集中させる。
「ダミズ・バクタエリ!」
再び氷系と魔呪文を唱えると、糸の隙間に氷が張り付き、ぎゅうと風磨が糸を締め上げる。その手に、氷の破片が飛んで、白い手がより白くなった。
「すいません、また」
由布梨は反射的に彼の手を包む。
手の体温で、表面の雪が解けて、由布梨は直に彼の手に触れてしまう。
「由布梨、才能あるよ……だから」風磨が由布梨に顔を近付ける。「前言撤回。もう、簡単には帰してあげない」
「え、え?」
自分に才能なんてあるだろうか。
魔法使いに向いていると言われて、今の状況。
魔糸紡ぎ師だってずっと、続けていけるのかも分からない。
だけど、もう少し進んでみてもいいのだろうか、この地で、この人の元で。
由布梨がそう考えていると、ふと脳裏に色取君の顔が思い浮かんだ。
魔糸紡ぎ師を目指す、という選択を色取はどう思うだろうか。
由布梨にそれは分からなかったが、すでに自分の心は決まっていた。
「今日から魔糸紡ぎ師になります、よろしくお願いします」
「うん」
――色取君。待っててほしい。私、立派な魔糸紡ぎ師目指すよ!




