さらば通知音♪
そういえば、さっきの女の子も魔力という言葉を口にしていた。
まさかここは、あの黒いものを魔力で退治することが普通の世界なのだと、そう解釈するべきなのだろうか。
由布梨は自分の左手に握りしめられている石に視線を移した。
この石が役に立つかも、と言っていたが、もしかすると魔力を増幅出来る、すごい石なのかもしれない。
もしそうなら、元の世界に帰る方法を見つけるまで、この石で護身出来るはず。
かすかな期待を込めて、その石を両手で持ちながら体育すわりの姿勢になり、由布梨は境界の方を見た。
あの女の子はまだ戦闘の最中なのだろうか。
自分同じくらいの年だと思うのに、なんて勇敢なのだろうと、尊敬の念を抱く。
その時、こちらにさっきの女の子が駆け寄ってくるのが見えた。
由布梨はようやく立ち上がり、見慣れない服から地面の砂を払った。
「良かったー。貴方腰が抜けてたから一時はどうなるかと」
女の子は由布梨の前に来るなり言った。
「ごめん、本当にありがとう……」
「どういたしまして。先に自己紹介しようか。私は柚葉。貴方の名前は?」
「鏑木由布梨です」
「由布梨ね。それじゃあ、本題。……由布梨はどうして境界のあんなに近くに立ってたの?」
「境界から出て来たばかりで、どうしたらいか分からなくて……」
「へっ?」
女の子は眉を上げて、素っ頓狂な声で訊き返した。
「貴方、もしかしてあっちの世界から来た?」
あっちの世界、とは自分の生まれ育った場所のことを指しているのだろうか。
「あっ、そうだ……マイスナー通路がある場所から来ました」
あの発掘バイトの現場は由布梨の地元でもあるのだが、おそらく地元一帯で最もシンボルとして挙げると分かりやすいであろうものの名前を言った。
マイスナー通路は、宙に浮いている道路のことだ。
基本的にはゲートが開いておらず入れないので、ただ外から眺めるだけの観光名所とされているが、ここにも都市伝説がある。
開くはずのないゲートが偶然開いている時に入ってしまうと、その通路の中で延々とさ迷うことになる、という、だいたい境界の壁と同じ噂が流布している。
都市伝説とセットで若干有名なスポットになっている、このマイスナー通路のことを言えば、すぐに自分がどこから来たのかを伝えられると思ったのだ。
「あー……やっぱりそうか……」
「マイスナー通路分かりますか?」
「見たことはないけど、あっちの世界から来た人はみんな言うから、まぁ知識としては知ってる、かな」
「じゃあ、帰り道は知らないですよね?」
由布梨が訊くと、柚葉は困ったように頭を掻いてみせた。
「知らないというか、帰り道はないってことになってる……んだよね」
「うえ、やっぱり」
境界の壁から出て最初に質問をした男性の反応を思い出す。
あの男性の言葉を途中で遮ったが、そうしなかったらおそらく、帰れないんだよ、と宣告されていたことだろう。
「こっち世界の側にある境界の壁って、触ってみた?」
柚葉が訊いた。
「あぁ、はい。でもバイトの現場で壁に触った時は、身体が入っていく感じがしたのに、こっちの世界の壁はさっぱり……」
「詳しい仕組みは分からないけど、由布梨たちの世界からこっちの世界へ、絶対に一方通行なんだよね」
そういえば、境界の中で朔真と名乗った男性も、同じようなことを言っていた。
ようは境界の中の人と、この世界の人は、共通の認識を持っているのだ。
由布梨たちが生きている世界、境界世界、魔法世界、この並びがあるということ。
そして、三つの世界を自由自在に行き交う方法はないということ。
由布梨ががっくりと肩を落としていると、柚葉が話の風向きを変えるように訊いた。
「由布梨たちの世界にはモンスターいないんだよね?」
「モンスターってあの黒い……」
「そうそう、あの黒いやつ。いつも境界の壁から出てくるから、向こうの……由布梨たちの世界から来たのかなーとか、思ってた」
「いや、まさか」
あんなのがいたら、日本は大パニックに陥ってしまう。
「そっか」
柚葉は疑問が解消されず、何とも言い難い表情をしていた。
あのモンスターの出所が分からない、というのは確かにかなり不思議なことかもしれない。思い返してみれば、RPGでモンスターの起源に言及しているようなことは、ほとんどない。ゲームの世界には当たり前のようにモンスターがいて、勇者がそれを倒すと、金をもらえる。
しかし、実際の世界にモンスターが出現してしまっているのだから、あのモンスターたちがどこでどう生まれているのか、はっきりしないと気持ちが悪いというのは、よく分かる。
「はぁ、もう何が何だか……」
由布梨がそう呟くと、柚葉が、
「とりあえず、今日この世界に来たんなら、泊まる場所がないと困るでしょ?」
と言った。
そう言われて初めて、本当に自分が悩なくてはいけないのは、自分の生活をどうしていくかという問題なのだと気付き、由布梨は絶句した。
それと比べるとモンスターの生命の起源なんか、たいした問題ではない。
「そうだ、どうしよう……」
「――私の家に泊まる? まぁ、私と部屋一緒だし、広くないんだけどそれでも良ければ……」
柚葉の提案に、由布梨は瞳を輝かせ、食い気味に答える。
「お願いします! 泊めてください!」
「いいよ。でも、そろそろ敬語止めない?」
柚葉が頬を緩ませて目尻を下げた。
「うん、そうしよう。本当に今日はありがとう、柚葉」
ありがたくて仕方ない、と言った感じで由布梨は礼を述べた。
「ううん、だって由布梨は知らない世界に急に来て、どれだけ困ってるか分かるし……。泊めるくらい全然」
「めっちゃ親切……」
たぶん、これから先、想像出来ない色々な苦労をするだろう。
元の世界とすべて勝手が変わっているこの世界で、どうにか生き延びなければならない。
――行きの道があるのなら、帰りの道もあるはず。
そんな希望を胸の奥に抱いて、由布梨は一つのことを誓った。
元の世界に帰る道を見つけられる日まで、ここに根を張って生きよう。
だから、都市伝説につられてこの世界に来てしまった自分を、後悔しないように、必死で生きていく。
「あっ!」
由布梨は声を上げた。
「何どうしたの」
今更ながら気付いたのだが、服装が元の世界と変わっているだけではなく、腕に着けていた携帯もなくなっている。
壁に入った時の衝撃で、ふっ飛んでいったのかもしれない。
もう、誰とも連絡を取ることが出来ない上に、携帯のデータ――写真、大好きなアーティストの曲、メモ集、予定表――も全部おしゃかだ。
もう二度と、あの携帯が新着メッセージを受け取って、通知音を鳴らすことはないのだ。
そのことに、由布梨は強くショックを受けた。