隣にいたい、は自分のために
後頭部の鈍痛に目を覚ますと、俺は何故か地にしっかりと足をつけて立っていた。
見覚えのない場所で、持ち物はすべてなくなっていた。さらに理由は分からないが、服まで見覚えのないものに変わっていた。
(……周りの人は全員、ここに連れてこられた人なのか?)
俺は目前に人がまばらに歩いているのを見つけて、そちらへ自然に歩み寄る。
俺は一番近くにいた、若い男性に話し掛けた。
「あの、みんな連れてこられたんですか」
「えっ、なんて?」
男性が耳に手を当てて、もう一度言ってくれとジャスチャーした。
「マイスナー通路か境界の壁から、来たんじゃないんですか。それか、マイスナー通路について調べていたら連行された、とか」
「あっ、境界の向こう側の世界から来た?」
男性が俺の背後を指差してみせた。
背後には半透明でぼんやりとした、巨大な壁がそびえ立っているのが見える。
「――な、何だこれも境界の壁か。あの、俺あそこから出てきました?」
俺は自分でもどうやってここまで来たのか分からず、男性に訊いてみた。
「わ、分かんないです。ただ、あっちの世界から来た人はよくマイスナー通路について言うので……君も境界から来たのかなあ、と」
俺はどうするべきか分からず、ぽかんと口を開け放っていた。
「すいません、マイスナー通路から来たという人に会わせてもらえませんか?」
この状況が理解出来ない。マイスナー通路が危険な場所であるために、口封じとしてここへ連れてこられたのだろうか。
しかし、この状況で、あまり深刻そうな顔つきをした人が一人もいない。
「あっ、いいですよ」
男性は何回も頷いて、親切に俺を先導して歩いてくれた。
しばらく歩くと、高い場所に飛行場のようなものがあった。
「あれは?」
「飛行船が行き来しているのと、あとはモンスターの見張りを兼ねてる」
「……モンスター?」
何らかの隠語だろうか、と俺は首を傾げた。
「ここ、江瑠戸西っていう場所なんだ」
「へぇ……」
どんどん不可解な単語ばかり脳内に積もるのだが、一向に現状は理解出来ない。
「ちょっと、いいかな」
街のような場所に入ると、男性が大きな建物の前で素振りをしている、おじさんに話し掛けた。
「どうかしたのか」
鋭利な剣を振り回していて、危ない人なんじゃないかと思ったが、優しそうにこちらに顔を向けてくれたので、俺は少し気が緩んだ。
「うん、この子がたぶん境界から来たんだと思うんだけど。困ってるみたいなんだ」
俺を連れてくれた男性が言った。
「そうか、いつ来た?」
おじさんは剣を下げ、俺に問いかけた。
「ほんの少し前です」
「マイスナー通路走ってたのか」
「いえ。俺、たぶんマイスナー通路を調べてて、それがいけなかったのか……殴られてここに連れてこられたと思うんです」
俺はかいつまんで今までの事情を説明した。
「そういうこともあると、聞いたことがある。災難だったな、もう大丈夫だぞ」
おじさんが何故か俺をひしと抱きしめたので、俺はその汗臭い胸に鼻先を押し付けられる羽目になった。
「はっ、はあ? あの、これは」
「もうそいつらだって身の危険をおかしてまで、お前を追っては来ない」
「……どういう意味ですか?」
「ここは異世界、なんだ」
おじさんは深刻そうに眉根を寄せて、俺に言った。
「異世界……」
「元の世界には帰れない」
「ここって、どこですか?」
俺は少しイラついて聞いた。
「マイスナー通路横の、境界の壁を通して繋がっている、異世界だ」
おじさんは言葉を区切りながら丁寧に教えてくれた。
俺は絶句した。
異世界?
なんで、マイスナー通路に関わると異世界に行くんだよ?
「え~!」
驚きすぎて俺は女の子みたいな声を出していた。
その瞬間、ふと大事なことを思い出した俺は、大きな声で訊いた。
「鏑木由布梨っていう俺と同い年くらいの子、知ってませんか?」
「あぁ、あの子のことだろ」おじさんは頷いて答える。「食堂まで連れてってやろうか?」
俺はデカい声で返事した。
そして俺はおじさんに食堂の前まで連れていかれた。
一人でも大丈夫です、とおじさんに断り、俺は食堂の扉を開いた。
扉の先で、俺は鏑木と顔を見合わせる。
俺自身がこんな、知らない世界に迷い込んで最初はちょっと不安だった。けれど、泣きそうな表情を浮かべた鏑木を目の前にしたら、俺の中の弱音を吐きたいっていう気持ちは一瞬で消え失せた。
俺が、鏑木を支えてやる。
絶対に、元の世界に帰る道を見つけ出して、帰るまでは。
もう鏑木の悲しむ顔は見たくない。
俺が悲しませない。
あの日、異世界で再会を果たした鏑木に対して、俺がどうやってここに来たのか、それを明かすのは気が引けた。
もし、鏑木が負い目を感じてしまったら、それはよくないことだと思ったからだ。
マイスナー通路を調べ始めたのも、この世界に来てしまったのも、全部俺が選んだ結果だ。だから、誰にも負い目は感じさせたくない。
俺が何故ここまで来てしまったのか、知った今も、何も鏑木には気にして欲しくないと思ってる。
俺はここで、長い夜語りを終えた。
「色取君って、強いんだね……」
話をすべて聞き終えた後、鏑木は半ば放心したように呟いた。
「強いとしたら、鏑木のおかげだから」
俺はそう言い切った。
もうすぐ朝日が昇ってしまう時刻になる。それまで、それぞれ眠ろう、と俺達は別れた。
「おやすみ」
「あ、うん。おやすみ、ありがと」
俺は鏑木の部屋を後にして、自分の部屋へと戻っていく。
俺は彼女がこの世界で、生きていくことはそんなに難しいことじゃないと分かっている。
生きていけるだろう。
誰だって、あんな綺麗な娘、好きになるに決まってる。
俺以外の誰でも、彼女を幸せに出来ると思う。
だけど、それでも俺はこぶしを握り締める。
鏑木由布梨のそばにいるのは、俺だ。




