ピースが一つ足りない、悪夢
数日後、俺は後輩の女子に手紙で呼び出された場所で告白を受けていた。
「色取先輩、好きです」
手紙で呼び出す、対面して告白する。
手紙で告白するか、直に俺を呼び出すという手段はなかったのだろうか。
どうして女の子は二つの手段を階段にして告白へとつなげるのだろう。
「ごめん」
彼女とは一回も話したことがなく、俺はかなり困った。
ごめん、とだけ短く告げて俺は彼女の告白を断った。
「ダメですか、私じゃ」
彼女は食い下がってくる。
「――俺、好きな人いるんだ。えっ?」
俺は自分の口が勝手に告げたその言葉に困惑した。
好きな人、って誰のこと言ってんだ俺。
今まではサッカーにしか興味ないから、ゴメン、と断ってきた。誰しもがそう言えば、それ以上追及してこなかった。今回もそうしておけば良かったのに、好きな人がいる、なんて言うのは危険だろう。誰ですか、と訊かれてしまうかもしれない。
「わ、分かりました。もういいです」
俺の心配をよそに、彼女は背を向けて走り去って行った。
どうにか、彼女を傷つけずに済んだのだろうか。
俺にはよく分からなかった。
どうして、話したことが一度もないのに人を好きになるのだろう。
そして、話せば話すほど、人を好きになれなくなるのは何故だろう。
俺は本当の意味で人を好きになったことがないと思う。
気になる人が出来たとしても、その人が例えば誰かの悪口を言っていたところに出くわすと、俺の想いはどこかへ散る。好きと言う感情にも至らないまま、すっと、心が冷めていくことが分かるのだ。
たった一瞬で冷めてしまう思いなど、恋とは呼べないのだろう。
田中はサッカーは恋のようだと言った。
あれほど、ひたむきになれなくてはいけないのだ。
一つの陰口、一つの悪行、それだけで好きが始まれない。
俺は潔癖なのかもしれない。もしくは、人を好きにはなれない性質なのかもしれない。
ニヒリスティックに考えていると、背後に人の気配を感じて俺は振り返った。
「はっ」
俺が振り向くと、その人は驚いたように目を見張り、口を手で覆った。
「鏑木……」
背後には、予想だにしなかった鏑木が立っていた。
鏑木はかなり困惑した様子で、
「ゴメン、全然覗いたりするつもりじゃなかったんだけど……」
髪を耳にかきあげて、申し訳なさそうに言った。
「いや、別に……ここ、通路だもんな」
後輩に呼び出された場所は現に、通路のような場所なのだ。校舎と校舎を繋いでいる、日当たりのいい渡り廊下兼テラス。ここで、誰かと出くわしたとしても、全くおかしな話ではない。それに、幸いあの後輩の子も、他の人に見られているとは、気付いてはいなかったようだし、問題ないだろう。
「色取君、人気者だよね」
鏑木が言った。
「いや、そんなことないと思うけど」
「こういうこと、よくある……の?」
「いや、まさか」
俺はぎこちなく笑った。
「そっか」
俺はふと疑問を口にした。
「鏑木は、どうなんだよ?」
俺がそう訊くと、鏑木は目を伏せて首を小刻みに横に振った。
(本当かな……)
好きな人がいる、なんて出まかせのように口から出た俺の、その背後に鏑木がいた。
その鏑木は、俺のことをどう思ってるんだろう、と首を傾げた。
田中の友達? 図書館にいたサッカー部のやつ?
「なぁ、鏑木」
「何?」
「今度さ、サッカー部で他校と練習試合あるんだよ」
「う、うん」
鏑木は話の全貌が見えず、眉を寄せていた。
一体何の話? と顔に書いてるようだった。
「――センターとミッドフィルター、鏑木なら、どっちのポジション応援してくれる?」
「え、私詳しくないから分かんな……」
「俺、ミッドフィルターだよ」
じっと鏑木を見つめる。
ミッドフィルターって言葉を知らなくたっていい。
俺が鏑木に知っておいてほしいのは、一つだけ。
どうしても鏑木の口から、色取君をを応援する、と言わせたいってこと。
「ミッド……フィルター」
そう鏑木が言った時、俺は自分が馬鹿だと思った。
すっごい嬉しいの。
跳ねて喜びたいくらいだった。自分で誘導した答えなのに。
「試合、絶対勝つわ」
俺は鏑木に聞こえないくらいの小声で呟いて、小さいガッツポーズと共に、テラスを後にした。
学校と、対戦校のちょうど中央の位置にある芝の場所で、俺達は練習試合をしていた。
応援の声と、熱気で沸き立つフィールドの中。
俺の足元にボールが渡った時、景色がゆっくりと見え始めた。
ふと視界の端に、鏑木の姿を見つけた。
そして、彼女が何かを叫んでいる様子にも、俺は気付いた。
「色取君、頑張れー!」
俺は今までのない力が出せるなと思った。
約束を具体的にしたわけじゃないのに、鏑木が来てくれたことが俺を舞い上がらせた。
俺の蹴り上げたボールはゴールの右端に吸い込まれていった。
そして、試合終了。
俺は鏑木の方を振り返って、手を振った。
少し驚いた表情の鏑木が、後ろを振り返り、また前を向いて俺に手を振った。
大勢が見ている前で、何か、謎の背徳感があった。
「鏑木! 見に来てくれたんだ」
「うん、興味あったし。なんか、すごかったよ」
「ありがとう」
「あと……」
「え?」
「色取君、カッコよかったよ」
「……ホント?」
照れからか俺は小さな声で訊き返す。
「うん、本当……」
「駄目だな……あんまり褒められると、調子に乗りそうだ」
「そうなの?」
「もう、サッカー見に来ることなんて、ないよな?」
俺は訊いた。
そもそも、今回は俺が彼女にねだるようにして来てもらったのだから、次回はないだろう。
「分かんない」
「そうだよな。でも、来ないって言ってくれた方が良いな」
「そう……なの?」
鏑木が可愛らしく首を傾げた。
「探しちゃうし。試合のたびに、鏑木のこと」
俺は無意識にそんなことを言った。
鏑木が顔を隠すように手を組んで目を伏せた。
もしかすると、俺は相当なことを言ったのかもしれない、と自覚し始める。
「やっぱ、何でもない。……今日はありがとう。送るか」
俺がそういうと、鏑木は顔を上げて、
「友達と来てるから大丈夫」
と言った。
「そっか、気を付けて。また学校で、な」
「うん」
彼女とは同じクラスじゃない。
だから、いつもいつも偶然の巡り合わせでしか、彼女とは会えない。
それがすごくもどかしくて、俺は二学期の図書委員に自分から立候補した。委員会の面子の顔合わせの時に、偶然装って鏑木の隣に座った。
そこで俺は、とうとう鏑木の連絡先を手に入れた。毎日、他愛ないメッセージを送り合うだけの、進展しているのかしていないのか、分からないような日々だったが、それが何とも言えなく俺には幸せだった。
そんな幸せな日々も長くは続かず、俺はとうとうあの、悪夢の日を迎えてしまった。
鏑木由布梨がいなくなった。
鏑木の席だけ、ぽっかり空いている違和感が俺を不安にさせた。パズルのたった一つのピースが埋まっていない。この現実がたまらなく、気持ち悪かった。
鏑木に似た名前に振り返る。
廊下の喧騒の中を振り返る。
泣いている彼女の顔が浮かんできた。たった一人で彼女は泣いてはいないだろうか。困っているに決まっている。彼女は一体どこで、何をしているのか。俺は頭を抱えた。
鏑木と最後に連絡を取ったのは、まぎれもなく俺だった。
鏑木はあの日、遺跡発掘のバイトに行っていたはず。そして、そのまま行方不明になった。
――鏑木を放っておけない。
鏑木がバイトに行った場所の近くには、不吉な都市伝説がある。
境界の壁、という謎の巨大建造物の中に入ってしまったら、そこで永久にさ迷うことになる、というものだ。
俺は境界の壁から行方不明になった人たちが本当にいるのかどうか、調べようとした。
インターネットで境界の壁や、同じく不吉な噂を持つマイスナー通路について色々調べた。
でもウェブ上から瞬時に情報が消されていくのだ。
見つけたと思った次の瞬間に、情報の続きを読みこもうとすると、削除されていた、というようなことが何回も続いた。
ネット頼りではだめなのかもしれないと思い、足を運んでも警察も役所もありえない対応しかしない。
(行方不明が何人も出ている可能性があるのに?)
そのずさんさを目の当たりにして、俺は予想を確信に変えた。
確実に俺達には隠されていることがある、と。
ネットで偶然目にした情報では、マイスナー通路が傾くという噂や、開かずのゲートが開き、明らかに個人ではなく業者のトラックが乗っていくのを見たというものもあった。
証拠を取るしかない、と思い立った俺は、マイスナー通路の周辺でカメラを回すことにした。アプリを落とし、携帯でマイスナー通路を映すことの出来る場所、鏑木の発掘バイトの現場に行った。
カメラで景色を映し、ずっと画面を眺めていても、マイスナー通路に何ら不思議なところはなかった。しかし、ネットで訊いた噂によると傾くらしいのだ。あの通路がそのまま、境界の壁の方へ傾く、と。
その証拠現場を抑えて、警察にちゃんと対応してもらうまでは、諦めるわけにはいかない、と俺は思っていた。
カメラの記録は一時間十五分、その分数を赤いRECマークの点滅と共に確認したその瞬間。境界の壁の方へと、マイスナー通路は不自然に強く斜傾するのが見えた。
「通路が傾いた!」
思わず叫んでしまった時、俺は後頭部に激しい痛みを感じて膝から崩れ落ちた。
――やられた……。でも、一体誰が、何の目的で……?
俺の手の中から、強い力で携帯を取り上げられるのを感じた。
俺はそのまま、遠ざかりいく意識に身を任せて目を閉じた。




