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一晩中、恋狂想曲

 このお金があれば、それぞれ宿屋に泊まることが出来る。

 由布梨達はこの土地にモンスター退治の出稼ぎのために利用する人も多いという、あの宿屋に向かった。

 

 宿屋の扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは浮いているものだった。

 

 それは風車のようなモチーフを(かん)した鍵だった。

 磁石色の敷物の上で、鍵は微動だにせず浮いていた。

 その浮いている鍵越しに見えている、若い男性に由布梨と色取は軽く会釈をする。

 紺色の着物を崩して着流し、羞恥心というものがないのだろうか、それとも無自覚なのだろうか、足の隙間から軽く下着が見えている。

 一段高くなった位置にある畳みの上に、彼は胡坐(あぐら)をかいて座っていた。


「鍵、適当に取っちゃってください」


 彼はそう言った。

 宿屋の管理人か何かかな、と思いながらも、由布梨と色取は言われた通りにした。

 由布梨がふわふわと浮いている一つの鍵を捕まえた。その鍵の頭には佃煮(つくだに)色の風車がくっついていた。一方、色取が手にした鍵にはくすんだ赤色の歯車が付いていて、隙間風に揺らされるたびに線香の匂いがする。


「金、適当に置いちゃってください」

 彼は浮いている鍵の横にある、木製の箱を指差した。

「適当に?」

 お金を適当に置くなんてことをして、商売として大丈夫なのだろうか。金額はお客さんが決めてください、というタイプの店もあると聞いたことはあるが、見るのは初めてだった。

 色取は口座から適当に紙幣を引き抜いて、その箱へと落とした。

 すると、箱の後ろ、蓄音機のような機械が奇妙な音を発した。動物が寝起きに発するような、かすれた小さな鳴き声のように聞こえた。


「これは?」

 色取が首を傾げると、

「あぁ、金入れ過ぎですよ。江瑠戸シマリスの鳴き声だったでしょう。ほら、少し戻って来た」

 と胡坐をかいたまま返された。


 箱の下部を見てみると、紙幣が三枚も返ってきていた。

 江瑠戸シマリスのことは全く知らないが、投入した金額によってあの機械は鳴る音が違うのだろう。

 戻ってきた紙幣を拾い上げて、怪訝そうな顔で由布梨と色取君が目を見合わせていると、機械からベルを鳴らす時のような音がした。


「ちょうど、毎度アリ。――適当にご利用してどうぞ」


 相変わらず胡坐をしたまま、こちらを一瞥することもなく彼は言った。

 どこの部屋に行けばいいのか、聞こうとした瞬間、手元に握っている鍵が強くどこかに引っ張られる気配を感じた。

 その力に身を任せ、由布梨がそのまま歩いて行くと、畳の上で胡坐をしている彼が手をひらひらと振っているのが見えた。

 その場所を通り過ぎると、暗がりの中でいくつもの障子戸と出会う。

 障子紙にはそれぞれ、花の模様が透かしてあった。桃色の花と、黄色い花と、散りかけの黒薔薇のような花。

 ステンドガラスのように見えていて、綺麗だと目を奪われていると、黒薔薇風の絵を透かしている障子戸がひとりでに開いた。

 由布梨たちを導きいれるかのようだった。

 その予感の通り、鍵は由布梨たち二人をその戸の内側へと引っ張り、途方もなく長く見える廊下を進ませた。

 行燈の灯りが照らす廊下をしばらく進むと、いきなり鍵は由布梨たちを曲がらせた。

 くるり、と体を回すと、由布梨と色取はそれぞれ、同じような戸の前に立たされた。


「凄い偶然、隣の部屋ってことだよね」

 由布梨が言うと、

「あの変態、気を効かせてくれたのかな……」

 と色取が呟いた。

「気遣い?」

「なんでも」色取が照れくさそうにおでこを掻く。「何でもない、部屋に入ってみようか」

「そうだね」

 どんな部屋になっているのかと、由布梨は期待を胸に戸を開けようとした。

 戸の取っ手の部分に空いている穴に、鍵の先端は勝手に刺さっていき、鍵の頭に冠された風車は静かに回転した。

 ガチャリ、と音を立てたのを見計らって、由布梨は部屋の中に入った。

 玄関で靴を脱ぐと、ぐるりと部屋を見る。

 部屋の中はシンプルで、畳が敷いてあり、その上に一組の寝具があるだけだった。

 奥には大きく窓が開いていて、そこから外を覗くと、洗濯物を干すようなスペースがあった。宿屋というよりかは寮という方が正しい表現かもしれない。


「気持ちいい……」


 畳の床近くから、窓の雨戸を外すと、心地よい風が吹き込み風に絡む。

 その風にうっとりとしていると、招かれざる客が入って来てしまう。

 テトラポッドのような形状の体躯に、薄い羽を生やした、大き目の羽虫だった。

 由布梨は思わず大声を上げて騒ぎ出す。


「ぎゃー! 無理、無理、本当に無理!」


 顔の前で執拗に手を振ってみるが、それが逆効果だったのだろうか。虫は一向に部屋から出て行こうとする気配がない。

 それなら、と思い部屋の入口の戸を開けると、行燈の灯りが気に入ったのか、真っ直ぐ廊下の方へと旅立っていった。


 よかった、と由布梨が胸をなでおろしていると、

「どうした? そんな大声出して」

 と色取の声がする。

 障子戸の前にキョトンと目を丸くしている色取が立っていた。


「あっ、ごめん。虫がちょっと出てきちゃって」

「苦手なの?」

「凄い苦手で」

 強がることなく、由布梨は白状した。

 さっきのは全く見たことのない形状の虫で、いつもよりずっと恐怖心をあおられた。

「そっか。あんまり鏑木が取り乱したところなんて見たことないから、俺もびっくりした」

「私って落ち着いて見える?」


 由布梨が訊くと色取は頷いた。

 特に落ち着いた生き方をしているつもりはなかったのだが、どうやら彼にはそう見えているらしい。


「部屋、入っていい?」


 色取が訊き、由布梨はいいよ、と言って表の戸を閉めた。

 同じ部屋、同じ畳の上で並びあって、由布梨たちはこの魔法世界に来て初めて、正真正銘の二人きりになった。

 何を話していいか分からず、由布梨は前から心の中に引っかかっていたことを切り出した。盗み聞きしてしまった柚葉の告白のことだ。


「嘘つきたくないから言うんだけど……この前、柚葉が色取君に告白してるの聞いちゃって……」

 色取は何回か頷く。

「全部、聞いてた?」

「うん……色取君がこの世界に来たのは、その」

「鏑木を追いかけて来た、って」

 色取が由布梨の言葉を先回りして言った。

「――それ、どういう意味なの?」

「俺が」色取が目を細めて言う。「由布梨を好きだって意味」

「えっ? 名前……」


 予想だにしなかった告白を受け、さらに初めて下の名前で呼ばれて由布梨は驚いた。

 色取が畳に両手をついて前のめりになると、

「ばれたんなら仕方がない。俺がどれだけ鏑木を好きか、いつから好きだったのか、全部教えてやる。一晩中……」

 と言った。

「一晩中?」

「そう、一晩中」


 そして、色取の長い夜語りが始まったのだった。



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