恋の始まりと終わり
互いに新しい環境に慣れてきた頃、給料を受け取った色取が食堂に来てくれた。
「わあ、来てくれたんだ。ありがと~。でも、ちょっと今混んでて、相席でもいい?」
「全然大丈夫!」
由布梨は色取君をあるお客さんの席に案内した。
「すいません、相席お願いしまーす」
お得意様である詩安に言った。
「由布梨ちゃんのお願いなら全然、オッケー」
「どうも!」
「あぁ、君、弥一郎のとこで手伝いしてる子でしょ? いつも頑張ってるねっ」
詩安が色取君に言った。
「ありがとうございます!」
その時、背後に通りかかった柚葉が足を止め、
「――あ、ごめんけど、ちょっと私休憩いれるね」
と由布梨に断った。
「? もちろん、どうぞ」
珍しいことだった。
柚葉は自分から休むと言い出したことが、由布梨の知る限りでは一度もないのだ。
柚葉は、詩安と色取君が向かい合っている席を交互に見た後、色取君の横に座った。
「えぇ、柚葉こっち座んないの?」
詩安が頬杖ついて言った。
「……だ、だって詩安ちゃらいんだもん」
「自業自得か、それとも……」
詩安が意味深に呟いた。
「分かるぜ、その気持ち」
詩安の隣、柚葉の向かいの席に勝手に腰かけてきた人物がいた。
「あっ」由布梨はハッとして声を上げる。「私の嵩団子!」
「ちょっとその話は待とうぜ。とりあえず一杯……」
その人は酒が注がれた詩安のコップに手を付けた。
何て軽やかに食いパクリをするのだろう、と由布梨は驚きを通り越して感動さえしていた。
「――まぁまぁ、詳しい話と宴会の続きは外でやろうじゃないか」
詩安が自分のコップに口をつけて、見せつけるように飲んで言った。
(もしかして怒ってる……のかな?)
由布梨は首を傾げた。
詩安が外を指差し、立ち上がるのと同時に由布梨も動こうとした。
すると色取が、
「? よく分かんないけど鏑木、俺もついてく」
と言って立ち上がろうとした。
それを詩安が手で制止しようとしていることに由布梨は気付いた。
しかし、それよりも先に柚葉が「色取君、行かないで」と言ったのだった。
――行かないで、ってそれもまた意味深な……。
由布梨は心がモヤモヤとした。
色取は柚葉の気迫に押されたのか、目を見開いたままゆっくりと座り直した。
由布梨と団子食い逃げ犯は詩安に手を引かれ店の外に出た。
「あの、詩安さんごたつかせてすいません」
一人で食事中のところを、相席で色取、そしてさらに休憩をすると言った柚葉に、極めつけは見知らぬ食い逃げ犯。
あまりにも急展開過ぎる。
しかし、この前団子を食われた時に、食い逃げ犯は捕まえておけばよかった話だ。
由布梨は若干の責任を感じていた。
すると、
「いや、いや俺の方こそ、俺の自分勝手に付き合わせてゴメン」
と詩安が言った。
「え?」
由布梨と食い逃げ犯は同じタイミングに同じ方向へ首を傾げた。
「……俺さ、経験値だけはあるから。恋が始まる瞬間も分かれば、恋が終わる瞬間も分かるんだ」
由布梨が黙っていると、詩安は話を続ける。
「俺に由布梨ちゃんが恋に落ちてくれないのも、柚葉の恋が終わることも分かる……」
由布梨の胸の鼓動が早くなっていく。
どうしたらいいんだろう。
異世界で出来た友達が、自分の憧れの人を好きになってしまったら?
――もし色取君がこの世界で誰かと恋に落ちるなら、私はここにいたくない。
由布梨は無意識にそんなことを考えていた。
それにしても、恋が終わるのが分かる、なんて本当なのだろうか。
「失恋する直前の人にはどうしても妙な情を掛けてしまって……悪い癖が出たな」
「そんなことないと思います……」
由布梨はそんなことしか言えなかった。
「ありがとう」
「いえ、この人に対して怒ってるわけではないんですね?」
由布梨は食い逃げ犯を指差して訊いた。
「怒ってないよ。ただ柚葉を二人きりにしてあげようと妙な同情心が湧いて連れ出しただけ」
「――何が何だか分からんぜ」
食い逃げ犯は言った。
「さて、少し時間も余ってしまったことだし、君の話を聞くとしようかな?」
詩安が酒の注がれたコップを手にしている食い逃げ犯に言った。
「俺か? 俺は浪人の恵也。趣味は人の食事の席に混じって、失敬すること、それから……」
「うん、やっぱもういいや」詩安が遮る。「さっきから君、恵也が手をつけているコップは僕のだしね」
「頂いてるぜ」
「――何で男と間接キスをする羽目に……君さ、嫌じゃないの?」
詩安が珍しく不機嫌そうな表情で訊いた。
「そりゃ酒の質が変わるわけじゃないからな! ……っと、ごちそうさん。じゃーな! 失敬!」
恵也はコップを置いて堂々と立ち去っていった。
その後ろ姿を見送ると、
「……俺達もそろそろ戻ろうか」
詩安がそう言って伸びをした。
「はい」
「由布梨ちゃん、色取君に言っておいて。……一つのテーブルに多情な男は二人もいらないから、君は一途じゃなきゃダメだよって」
「は、はい。よく分からなくとも伝えます」
「うん」
本当に一言一句そのままに色取に伝えられる自信なんて、由布梨にはなかった。
それでも由布梨の口は勝手に了承していた。
由布梨と詩安が卓に戻るやいなや、
「ちょっと用事出来たから早めに戻る。……それじゃ」
と、色取は席を立ってしまった。
「用事があるんだ? おやすみ、色取君」
由布梨が声を掛けると、色取はしばらくぼーっとした後、
「あ、おやすみ……鏑木」
と返した。
色取が帰った後の店内で、由布梨は柚葉に「色取君と二人で何を話したの?」と野暮なことは聞けなかったし、逆に「由布梨たちは外で何を話したの?」とも聞かれなかった。
ようやく落ち着いた状況で晩酌を終えた詩安が、
「またね可愛い子猫ちゃん。次に会うのは夢の中だね!」
といつも通りの台詞を言って帰るのを、由布梨と柚葉は見送った。
そして訪れた閉店間際の時間。
「ごめん、私色取君のこと好きになっちゃった」
いつも通り食堂を閉める作業の途中、柚葉に前触れもなくそう切り出された。
あまりビックリすることもなく、あぁ、やっぱりか、と由布梨は思った。
「実は、店を閉めた後に来てほしいって……お願いしてるんだよね、ここに」
由布梨が黙ったままでいると柚葉が続けた。
「色取君が来るってこと?」
「そう」
柚葉が頷いた。
「そうなんだ。好きになる、うん。そういうこともあるよ」
由布梨は自分に言い聞かせるように言った。
その後、黙々と仕事をこなし続け、最後のお客さんを送り出した。
由布梨は一度外に出ると、表にかかっている暖簾を下げる作業をした。
「柚葉、暖簾下げといたから」
「あ、うん……ありがとう」
ぎこちない会話を交わして、由布梨も柚葉も互いに視線を泳がせた。
何をするわけでもなく、ただ店内を二人でうろうろしていると、表の扉が開く音がした。
見る前から分かっている。
閉店した店に訪れるのは客ではない。
由布梨が振り返って見ると、そこには扉を閉めている色取がいた。
「……話って何?」
色取が柚葉の方を見て首を傾げた。
「ごめん、ちょっと由布梨席を外してもらっていいかな」
「――分かった」
由布梨は店の外に出た。
ふう、と息をついてから、扉にもたれかかるようにしてしゃがみこんだ。
(柚葉、たぶん告白するってことなんだよね?)
二人はどうなるんだろう。もっと言えば、色取君と一緒に帰ろうね、って約束した自分の立場はどうなるんだろう、と由布梨はやきもきした。
「好きです。私と付き合って」
扉の向こうから、柚葉の声が聞こえた。
「ごめんなさい」
次いで色取の申し訳なさそうな声が聞こえる。
「やっぱ、由布梨? でも私諦められそうにないの。今だって由布梨に悪いと思ってるけど……」
「ゴメン」
「本当にダメなの?」
「俺さもう、たぶん鏑木のものなんだ――」
思わず振り返り、扉越しの店内で今何が起きたのか、由布梨は冷静に考えようとした。
――柚葉が色取君に告白して、それを色取君は断って、それで、何で私のものなんて話が出てくる?
由布梨の頭は全く現実についていけていなかった。
「どういうこと?」
苛立ちを抑えるような声で柚葉が訊いた。
「この世界に来たきっかけも、厳密には違うけど、鏑木を追いかけて来たんだ」
「嘘……」
柚葉がショックを受けた様子が、扉越しに聞こえる声色からすぐに分かる。
(追いかけた? 偶然来たんじゃなかったの……?)
由布梨は戸惑いながら考えた。
この世界に来た経緯を色取は濁して話していた。
それが、自分を追いかけて来たとは一体どういうことなのだろう。
「仕事見つけてくれた恩人なのに、本当にごめん」
色取がそう言い終えた後、扉に向かって足音が寄ってくる気配がした。
由布梨はとっさに、店の横の隙間に身を隠した。今、どういう顔をして色取に会ったらいいのか、分からなかったのだ。
色取が茶店の方に帰ってく後姿を、小さくなるまで見送ると、柚葉が店から出て来た。
「由布梨、振られちゃった」
由布梨は頷いて、ゆっくり柚葉を抱きしめた。




