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境界の壁に入ったら

 掘る、掘る、掘る、エンドレス、掘る。

 鏑木(かぶらぎ)由布梨は今、遺跡発掘のバイト中だ。

 廃墟となって何年も放置されたままだった病院を解体した更地で、土を掘っている。

 廃病院を解体すると決定した時期と同じ時分に、ここら一帯の地下に、古代遺跡があることが歴史書から判明した。

 そして、解体を終えたこの更地で、由布梨はは人生で初めての遺跡発掘のバイトに勤しんでいる。給料は少ないのだけれど、なかなかレアなバイトだったので、倍率は高かった。しかし、由布梨は見事にこのバイトを勝ち取った。

 お金をもらって宝探しをするようなものじゃないか、と由布梨はとても楽しみにしていたのだが、発掘の作業は地味そのもの。

 開始三時間で、かなり飽きてしまっていた。

 初夏の陽気で、額はべっとりと汗で湿っていた。

 由布梨は土を掘る手を止めて、掘りあげたものを乱雑に並べた。

 大きい歯車、小さい歯車、青色の瓶だ。


「軍手が暑苦しい……」


 土で汚れたスコップを握り続け、薄茶に染まってしまった軍手を見る。これを脱げば、多少は涼しく感じられるかもしれない。

 しかし、絶対に軍手を外せない事情があるのだ。

 由布梨は金属アレルギーのために、金属製のスコップを直接触ると、肌が赤くなってしまう。特に、汗をかいている時は最悪だ。汗をかいた手で金属製のスコップを直に握りしめると、じんましんのようなものが出てきてしまう。

 それと比べれば、軍手の中の暑苦しさは我慢することが出来る。

 もう一度スコップを軍手の上から握り、作業を再開しようとした時。腕時計型の携帯端末が通知音を鳴らした。

 作業着の袖に隠れている携帯のディスプレイ画面に目を凝らした。画面には色取(いろどり)陸斗からの新着メッセージがあります、という携帯の通知と一緒に、メッセージの本文が表示されていた。


『バイト頑張ってな! 俺は今サッカーの自主練中!』

「お~」


 色取君は、彼氏でもなく、とても仲のいい男友達というわけでもなく、何とも形容しがたい関係性の同級生だ。

 別のクラスの男の子で、共通の友人がいるというだけで、他に何で繋がっているのかと問われると答えることが出来ない。

 共通の友人への用事にかこつけて、色取君の爽やかな笑顔を拝みに行っているところをふまえると、由布梨が一方的に憧れている、という言い方が正しいのかもしれない。

 ふとしたきっかけで、連絡先を交換出来たのもつい最近のこと。

 他愛ないメッセージをたまに送り合う程度だが、それが何とも言えなくドキドキする。

 彼からメッセージが来る時の音だから、最近では通知音が好きになってきた。

 バイト中で返信を出せないが、次いで何かささやかな日常のことを彼が送ってくれはしないかと勝手に期待していると、バイトの上司に声を掛けられる。


「鏑木さん、何が掘れたー?」

「あっ、ちょっと待ってくださいね、えーと……」


 掘りあげた後、乱雑に並べて置いていたものを上に掲げる。

 かなり薄い歯車が二つと、青色のガラス瓶。瓶は首が長く、表面には凹凸がつけられ、複雑な植物の模様を作っていた。

 上司は由布梨の手元を確認すると、


「三つね。また後で確認しにいくから、置いておいて」

 と指示を出した。

「分かりました」

 由布梨はもう一度、掘りあげたものを地面に並べた。

 スコップで適当に地面を掘っていると、無意識にため息が出てくる。


(本当に代り映えしない作業で、退屈すぎる……)


 腕時計型の携帯をちらりと見る。

 退屈を紛らわすために、プレイリストの曲を流したい欲求に駆られた。音楽を聞くと作業効率が上がる、と由布梨は信じている。

 しかしバイトでは携帯の使用も持ち込みも禁止されているため、音楽をひとたび流せば、上司からガミガミ叱られてしまうだろう。

 諦めて、由布梨は頭の中で曲を流してみる。


「ブランケット譲り合った、星空の下。目を閉じた君、星が綺麗と嘘をつく」


 あるアーティストの代表曲、星空を眺める男女を描いた、恋の歌。

 友人たちの誰にも言ったことはないのだが、由布梨はこのアーティストがずっと好きだった。最近は学校に憧れの君――色取君がいるために、あまり熱中はしていないが、それでも時折、曲を聞いてはジーン、と胸を打たれることがある。


 脳内で曲が終わると、由布梨はひとつ伸びをして、しゃがみこんだ体勢のまま、正面の景色を見上げた。

 目前には、『境界の壁』と呼ばれる、謎の巨大建築物がある。

 その名の通り、ただの壁がそびえ立っているように見える。

 窓もないし扉も見当たらないので、都市ビルではないだろうが、ただのオブジェにしては、味気がなさすぎる。


 境界の壁には奇妙な都市伝説がある。


 この付近で多発する行方不明者はすべて、この壁の中に吸い込まれてしまい、その中にある境界世界という場所でさ迷っている、というものだ。

 その現場を抑えた映像資料などはなく、信憑性(しんぴょうせい)はかなり欠けていると思うのだが、噂の力は侮れない。

 境界の壁の、手前に建っていた病院。その病院は、この真否(しんぴ)も定かではない都市伝説のせいで人が寄り付かず、あっという間に潰れてしまったのだ。

 何か物騒な事件が起きたわけではないのに、境界の壁の前には、立ち入り禁止と書かれている黄色いテープと針金が張り巡らされている。

 その簡易的なつくりで、本当に人の出入りを禁止するつもりがあるのかどうか、(はなは)だ疑問である。

 現に今、退屈を持て余している由布梨の中に、ふつふつと好奇心が湧いてきてしまっている。テープの内側に入って、境界の壁に触ってみたい。

 だってちょっと歩いて、手を伸ばすだけで届くほど、近い位置にあるのだから。


「やっぱり、おかしいわね」

 バイトの上司が急に背後に立ち、声を掛けてきたので、由布梨はビクッとした。

「は、はい?」

「鏑木さん、オーパーツって知ってる?」

「いえ、知りません」

 由布梨はそもそも、遺跡に興味があったからこのバイトを志望したわけではなく、なんとなく面白そうだから来ただけなので、専門用語には(うと)い。

「歴史書によると、ここから発掘出来るのは縄文土器のはずなんだけど、何かそうじゃないものばかり出てくるのよねえ」

「これがですか?」

 由布梨は掘りあげたものの一つ――大きい歯車を拾い上げた。

「これ、縄文時代じゃ絶対に作れないような気がするんだけどねえ。……オーパーツって、時代錯誤(さくご)物とも言うんだけど、これはまさにそう」

「へえ」

 由布梨は薄っぺらな返事をしていた。これでは興味がないことが丸分かりだ、とすぐに反省をする。

「お疲れ様、今日の仕事はこれで終わり」

 上司は由布梨が掘りあげたものすべてとスコップを回収し、事務的にそう言った。

「お疲れ様です。失礼します」


 上司は他の人に対しても同じ回収作業をし、どこかに行ってしまった。

 そして、他のバイトも徐々にその場を後にして、あっという間に日が暮れ始めた現場に由布梨は一人で取り残された。

 黄昏(たそがれ)に包まれた境界の壁が視界に入ると、思わずぞっとする。

 (かげ)り行く景色の中で、無機質で味気のない壁がこちらを見つめていた。

 由布梨はゆっくりと、警告文が記してある黄色いテープに近付き、針金のバリケードをまたいだ。すでに、境界の壁が目と鼻の先に見えていた。

 何となしに、壁に触れてみる。

 ひんやりと冷たく、柔らかい。

 壁を押している、という感覚がないことを不思議に思いつつ、より強く押してみる。


(柔らかいタイプの壁なのかな……)


 体の側面を押し当てて壁の感触を確かめようとした、その瞬間。

 由布梨の体は境界の壁の内側にぐんと吸い込まれ、(あらが)えないほどの力で引き込まれる。


「うわあっ!」


 浮遊感に包まれた体は、境界の壁の中で一気に落下しているようだった。

 階段を一段踏み外してしまった時の、あの感覚がずっと続いているようだった。

 最後に見たのは、壁の中に入っていく、その衝撃で、振りあがった腕から覗いた携帯のディスプレイ画面。

 誰かからメッセージを受け取ったことを告げる通知だ。


『色取さんから音声メッセージが一件届いています。再生しますか』


 その通知を由布梨が目にした瞬間、腕時計型の携帯は由布梨の手首から離れて宙を舞った。


 ややあって、聞こえてきたのは水の音。次いで、聞こえたのは何かが割れる音。

 ドン、という鈍い衝撃を足に感じ下を向くと、木製の船の底が見える。

 何故か由布梨は船に乗って、揺られている最中だったのだ。  

 顔を上げて前を見ると、ぼんやりと人影が浮かんでくる。その人物は由布梨に背を向けて、黙々と船を漕ぐ。

 船は川に浮いているようだ。

 川では水が激しく流れ、ところどころ白い泡沫が薄緑色の水の上に、丸い模様を作って浮いていた。

 由布梨は思い切って、その目前の人物に声を掛けた。


「どこに行くんですか」

「まだ、君が見たことのない世界へ」

 そう答えたのは男性の声だった。

 見知らぬところに連れていかれるという不安に、由布梨は背筋を震わせた。

 都市伝説は本当だったのかもしれない。境界の壁の中に入ったら最後、さ迷って、そのまま帰れなくなる。おそらく、今まで何人もこの道を通ったのだろう。


「帰してください……」

 蚊の鳴くような声で由布梨は言った。

 その男性はゆっくりと、船を漕ぐ手を止めて由布梨の方を振り返る。 

「ごめん。もう帰せないんだ」

「どうして……」

「どうしてなんだろうね。ずっと昔からそうなんだ。君たちがいる世界から、この境界と呼ばれる空間を経て、また別の世界へと……。川の流れは止まることはない」


 その言葉を聞いて、由布梨は後ろを振り返る。

 遺跡発掘をしていたバイトの現場が、境界の壁を越えた場所に、透けて見えていた。

 船は川の流れに乗り、由布梨を境界の壁からぐんぐん引き離していく。

 一体どういうことなのだろうか。

 この境界世界でさ迷う羽目になったのではなくて、また別の世界へ飛ばされる、ということなのだろうか。


「別の世界……?」

「もうすぐ着くよ」

 船が左右に大きく揺れ、水しぶきが顔を濡らした。

「お願いします、どうしても帰らせてほしいんです」

「……それが出来ればいいんだけど……」


 懇願する由布梨に、男性はかなり困惑した様子を見せた。

 川は流れが激しく、泳いで帰ろうと考えるのは無謀(むぼう)だとすぐ分かった。厳しい現実に直面し、不安でぐずりかけていた由布梨は、ふと船底に石が落ちているのを見つけた。


「石?」

「これは……」

 男性がその石を拾い上げてまじまじと見つめた。

「これ、何だろう」

 男性もよく分かっていないようだった。

「それ、もらえませんか?」

 由布梨は(はかな)げな声で訊いた。

 なんとなく、手の中に握りしめられるものが欲しかったのだ。

 男性は頷いて、

「分からないけど、何か役に立つかもしれないしね」

 と言って、石を差し出した。 

 由布梨はおそるおそるその石を受け取る。

 灰色の地味な石で、特別なものとは思えなかった。たいした役にも立ちはしないだろう。 

 しかし、手の中に心置きなく握りしめられるものがあるというのは心強かった。握りしめていると、どうにか心の平静を保てる程度には落ちつけそうだった。


「すいません私、鏑木由布梨って言います。あっちで探している人がいたら伝えてください。それで、念のために貴方の名前も聞いといていいですか……?」

 由布梨は船の上から、壁越しに見えているバイト現場を指差した。もうだいぶ遠くなって、ほとんど見えなかった。

「……うん、分かった。僕は朔真(さくま)。――もう変換は終わってるから、気を付けて頑張って。手伝えなくてゴメン」

 

その男性は最後にそう言って、由布梨を船から押し出した。

 由布梨はまた、境界の壁のような壁に突入し、その中へと入っていった。

 ふと耳をかすめたのは、鳥の羽ばたきの音だった。



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